大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第17章『夜明け前』

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第17章『夜明け前』

 帰還から数時間が経ち、今タカコは寝台の中で天井を見上げている。一度は眠りに落ちたのだが数時間で目が覚めてしまい、それからずっとこうして身動きもせずにいる、夜明けはまだ少し先だ。
 小隊を交代させる形で最前線での防衛を続け、丸一日を掛けて建設工事の続きを進めた。夜になれば犠牲者は増え、結局撤退の命令が掛かる迄に大和海兵隊は相当数の人員を失う事となった。
 喉が乾いた、と上半身を起こして寝台脇の棚の上に置いた水差しから水をコップへと注ぎ、それを一気に飲み干して大きく息を吐く。その吐いた息の音は思ったよりも大きく、タカコ以外は誰もいない部屋に小さく響いた。
 この国での初陣の内容については特段思う事は無い、それは母国のアラスカ戦線でも経験の有る事だったから。太刀のみを頼りにした戦いというものを知った事が自分自身にとっての唯一の収穫だっただろう。
 真の収穫は大和海兵隊の戦力と戦闘力、あれを自分の目で確かめる為に駄々を捏ねて迄前線へと出向いたのだ。結果としては、なかなかに良い収穫が有ったと言うべきだろう。それでも、そこに何も感じずに安眠出来ないとはどうも人間臭さを捨て切れていないな、コップの底に残った僅かな水を呷りながらそんな事を考える。
 欠伸を一つすれば唇に痛みが走り、口腔内には血の味が広がった、ああ、そう言えば敦賀に引っ叩かれたんだと思い出し、唇に滲んだ血をぺろりと舐め取る。
 このままこうしていても眠れそうもないから散歩にでも行こうか、そんな風に考えて足を毛布から出して床に下ろせば、それと同時に扉が開き、敦賀が部屋へと入って来た。
「……物音がした、眠れないのか」
「いや?眠りはしたけど目が覚めた、散歩にでも行こうかと思って」
「何度も言うがお前は捕虜の自覚が有るのか?監視も無しに出歩けると思うな」
「良いじゃないの少し位、どうせ逃げ場は無いんだし逃げるつもりも無ぇよ。と言うかだな、今気付いたが、誠ちゃんにしろお前にしろ、大和海兵隊には扉を叩いて入室の許可を待つという概念が無いのか?」
「誠はどうか知らんが俺はお前の監視者だ、いちいち許可を待つ必要が何処に有る。それを言うならお前こそ施錠して寝るという概念は無いのか屑」
「いやいやいや、この部屋を捕虜仕様にしたのお前だよな?そうだよ、窓は鉄格子嵌まってるし外鍵は付いたままで内鍵だけ外したのお前だよ、何が施錠だ」
 いきなり始まる言葉の応酬、一体この男は何をしに来たのかと訝しむタカコだったが、ふと悪戯心を起こしてにやりと笑う。
「あ、分かった、アレか、夜這いか。戦いの後で昂ぶってて収まりがつかないから、隣の部屋という最も手っ取り早い存在の私で鎮めようと。いやー、お堅く見えて敦賀君もおと――」
 それ以上は続かなかった、タカコの言葉にどんどん眉間の皺を険しくした敦賀がつかつかと歩み寄り、脳天に拳を叩き込んで無理矢理に黙らせた。
「……とことん下品な女だなてめぇは。俺にだって相手を選ぶ権利は有るぞ、誰がてめぇみてぇな下品な女と盛るってんだ?」
「……お前さ……その手の早さはどうにかした方が良いと思うよ、いやマジで、ね?」
 涙目になりつつ前に立つ敦賀を見上げれば、如何にも『軽蔑している』といった視線がこちらに向けられていた、が、タカコの顔を近くで見て、深かった眉間の皺が一瞬浅くなる。
「……やっぱり冷やさなかったのか」
「は?え?」
 言葉の意味が分からなかった、何がだと首を傾げるタカコのその顔へと向けて、敦賀が手を伸ばし、そして左の頬に指先でそっと触れる。
「お前の脳みそは一日一粒使い捨てか、おめでてぇな、俺に殴られた事も忘れたか?」
 最初触れていたのは指先だけ、それがやがて掌全体でそっと頬を包まれ、その異様な冷たさに、彼の手が冷たいのではなく自分の頬が熱を持っているのだとタカコは思い至った。
「腫れてるか?」
「ああ、しかも物凄い色になってるな、数日は引かんぞこれは」
「あはは、海兵隊史上最強の鬼先任様だ。つーかさ、お前さっき一粒って言ったよな、粒って何だよ粒って、それじゃ私がおつむが物凄い可哀想な子みたいじゃないか」
「お前の自己評価はどうでも良いが、大して違わんと思うぞ」
「うっわ、傷付いたわー、超傷付いた」
 頬を撫でる掌の擽ったさに軽く身を攀じれば、それは、す、と離れ、そして敦賀はタカコの横へと腰を下ろす。
「で?夜這いじゃないなら何で来たのよ?寝てなさそうだったから監視に来たのか?」
 それに対しての返答は無く、代わりに膝に何か包みがどさりと放られる。何だと思い手に取ってみればそれは氷嚢、厚手の布の向こう側にまだ真新しい氷の感触が有り、態々作って来たのかと敦賀の方へと視線を向けた。
「……こんな時間に氷嚢?帰還してから時間経ってるのに?もしかして、これは口実で何か別に用件有ったりする?」
 折角持って来てくれたのだから使うかとそれを左頬に押し当てて敦賀に話し掛けるが、それに対しても返答は無く、一体全体どうしたものかとタカコは空いた右手で鼻先を軽く掻く。
「……どんな部隊だったんだ、てめぇの部隊は」
「はい?何、いきなり」
「話せ」
 どうもこの男の考えている事がよく分からない、皆寝静まっているであろう夜明け前のこんな時間に突然訪ねて来て聞く事かと返答に詰まるが、
「……話さないってなら、何ならお望み通りに夜這いって事にして抱いてやっても構わねぇが?積極的に盛ろうとは思わねぇが一応は女だろう、頑張りゃ気合で何とかなる」
 と、顔をこちらに向けて吐き捨てられ、凡そ彼には似つかわしくない言葉に
「は?ふざけんなよ」
 そう言って若干距離を取る。
 どうも真の目的ではない様子だが、それでも話さない事には事態は動きそうもない。そう判断したタカコは渋々と母国での事について語り始めた。
「私達は活骸との戦いが主目的の部隊じゃなくて、対人制圧が主目的、専門なんだ。南の大陸にも国家は存在してるらしくてそこが我が国へとずっと侵攻しててさ、小競り合い続き、で、たまに大規模な戦闘が有ったりして。九月の頭から五月の終わり位迄は南方戦線で仕事して、雪と氷がアラスカ大回廊地帯から消える時期、活骸の侵攻が最も激しくなるからそっちに行く、その繰り返しだ。軍にいた時から――」
 靴を脱いで完全に寝台の上へと上がった敦賀、視界から消えた彼が話を聞いているのかとタカコも寝台の上へと足を上げ振り返れば、そこに見たものは壁へと背を預けてこちらを真っ直ぐに見ている敦賀の眼差し。特に何かを言うでもなく、けれど、『聞いている、続きを』と視線と顎を僅かに動かして示し、タカコはそれを見て小さく溜息を吐く。
 彼に何が有って何を思っているのかは分からない、それでも、嫌な時間ではないな、そんな風に考えつつ続きをゆっくりと話し出した。
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