大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第27章『武人の誉れ』

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第27章『武人の誉れ』

 人目を憚らない大きな欠伸、口蓋垂迄はっきりと見えそうなタカコのそれに敦賀は舌打ちをし、向かいに座る彼女の足を軽く蹴り上げる。
「ってぇな、何すんだよ」
「気を抜き過ぎだ馬鹿女、片手で余る位の回数しか出撃してねぇくせに老練気取りか?前線部隊の中でも精鋭揃いのこの突撃隊の名誉に泥塗る気か」
「対馬区にも蝉はいるんだなぁ……夏だねぇ」
「てめぇ……活骸に食われる前に俺が叩っ斬ってやろうか」
「先任、落ち着いて下さい、いい加減タカコの適当さに慣れましょうよ」
 敦賀の隣に座っている隊員が困った様に笑いながら宥めるのを聞きながら、タカコはトラックの外、漸く見慣れて来た対馬区の大地へと視線を飛ばした。
 季節は夏、大和海兵隊にタカコが保護されてから、もう直ぐ一年の月日が経とうとしていた。
 タカコにとって今回が六度目の出撃、初陣の時の顔ぶれは既に無く、敦賀と自分以外は綺麗さっぱり入れ替わってしまっている。全員が戦死したわけではなく、或る者は実力不足と判断され前線部隊の後方に下げられ、或る者は負傷して退役し、或る者は同じ様に負傷して兵站部隊へと下げられた。
 入れ替わりの激しい前線部隊突撃隊、そこに十年以上の長期間に渡って留まり続け、その長に迄伸し上がった敦賀という人物。入隊十年後の下士官と兵卒の生存率が五分という凄まじい損耗率を持つ大和海兵隊、そこで戦い続け生き延び、遂には最先任上級曹長の地位を勝ち取ったというのは、やはり『大和海兵隊史上最強』と称されるに相応しいのだろう。
 この一年というもの、好き好んだわけではないが常に敦賀を傍らに感じ、その多くをこの目で見て来た。強く、己にも他人にも厳しく、そして不器用な男。出撃から戻る度に行われる葬儀、その全てに彼は出席し、時には遺族の謗りを受け止め続けて来た。一度たりとも毅然と凛とした態度を崩す事無く前を向き、遺族に慰めの言葉を掛けていた敦賀、そんな彼を見て、成る程、出自は知らないが気性は生粋の武人らしいと感心した覚えが有る。
 お互いの昔話をした事は殆ど無い、そんな話をする間柄でもないし、特に自分の方は話していても聞いていても愉快な過去ではない。そんな中で知ったお互いの過去は本当に数える程度で、敦賀の出身が首都京都であるというのもその一つ。京都で生まれた後、海兵隊への入隊可能年齢の十六歳になる迄何処で何をしていたのかは知らないし興味も無い、ただ、心身共にそれなりの水準の教育を受ける機会には恵まれたのだろう事だけは、現在の彼を見て窺い知る事が出来た。
 歴史書で読んだ侍そのものだな、タカコは敦賀の振る舞い佇まいを見る度にそう思う。禁欲的で自らに厳しく常に何かを課し黙々と鍛錬に励む。そして一度出撃すれば正に鬼神の如き勢いで活骸の群れを斬り払い、それに何度見惚れたか分からない。
 前線部隊突撃隊の長は最先任だけに許された地位なのだと、高根からそう聞いた事が有る。最も危険な場所に士官を配置する事は出来ず、かと言って適当な下士官を置くわけにもいかない、だから最先任を祭り上げたのが最初なのだがいつしかその意味は薄れ、下士官と兵卒の長がそこに立ち、防衛の最前線で勇猛果敢に戦っている事の証となったのだと、武人にとって最も名誉とされる地位となったのだと。
「後付けでも何でも……それに見合うだけの男だな」
 誰に言うでもなく呟いた。
 自分とは全く違う世界に生まれ、そして生きる男、正直羨ましい、眩しいとそう思う。貧民街のごみすて場に捨てられ泣いていたところから始まったこの人生、生きる為なら何でもした、最初に人を殺したのがいつか等もう覚えてはいない。そして何の因果か幸運か軍に拾われてそこでも殺し続け、そこに敦賀の持つ様な矜持と佇まいが有ったのかと問われれば否と即答するだろう。
 そう、自分にはそんなものは最初から存在しない、誰もそれを教える事は無く、自身でもそう考える事は無かった。生きる為に殺し、その後は誰かの正義の為に殺した。そうして殺し続けて来たこの人生、自分なりの何かを掴んだと思った時にはもう随分と時が経っていて、掴んだそれだけを今更貫くには背負うものも抱えるものも多く大きくなり過ぎ、何よりも歳をとり過ぎていた。
「……あーあ、会わなきゃ良かった」
 思わず大きな声でそう言えば向かいの敦賀が若干険を深くして
「……誰とだ」
 と、そう尋ねて来る。それに
「てめぇのこったよこの童貞野郎」
 彼の方へと顔を向けてそう返せば敦賀の右手が武蔵の鯉口に掛かり、それを彼の両脇の兵士が再度宥めるのを見てタカコは小さく笑い、また大地へと視線を向けた。
 こんな形で出会わなければ、自分に含むところが何も無ければ、何度も思ったその事を再び胸中で繰り返す。そうすれば何も感じる事無く済んだかも知れないのに、何の因果か引き合わされ、更には常に共に在る様に強制される羽目になるとは皮肉にも程が有る。
 本国と連絡を取る手段も帰る手段も無く、帰国を諦めてはいないとは言え、任務の失敗を認め、生き延びる為に方策の転換を決断すべきなのだとは自分でも分かっている。けれど易々とそれが出来る程に考えや矜持や正義が無いわけではなく、こんな時には自分の事ながら頑固が過ぎるなと苦笑する他は無い。
「……取り敢えず……今はまだこのままで」
 その小さな呟きは誰に聞かれる事も無く、対馬区を吹き抜ける風に浚われて空へと溶けて行く。
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