大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第59章『斥候』

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第59章『斥候』

 黒川の負傷から一ヶ月が経ち、あの事件が嘘の様に陸軍も海兵隊も、そして博多も平和な時間が流れていた。先日もう一度出撃が有りそれによる戦死者が出た以外、暗く沈む話題も動揺が走る様な話題も何一つ無い。
 こういう場合、無差別にしろ特定の人物を狙うにしろ対象とその周辺が動揺している時、落ち着きを取り戻し態勢を整える前に畳み掛ける様にして連続して狙うのが定石だ、それなのにこうも長期間に渡り次が無いとなるとやはり――、タカコはそんな事を考えつつ墓参りを終えて墓地の中を一人歩いていた。
 と、途中で進路を変えて隊葬が執り行われる催事場の方へと向かって歩き出し、そこに辿り着いた後は設置された長椅子の一つに腰掛け、直ぐ近くの木立に向かい声を掛ける。
『……いるか』
『は、陸軍と海兵隊、揃っております』
『よし、報告を聞こう』
 普段とは全く違う低く冷たいタカコの声音、それに応えて木立の中から男の声が聞こえて来る、タカコはそれに大きな反応を見せる事無く報告をと淡々と命令を投げ掛けた。
『は、それでは先ずは陸軍から。黒川総監が巻き込まれた爆破事件の続報ですが、大きな動きは太宰府にも博多にも有りません、博多の佐竹司令ですが事件以降総監を陰で罵倒する姿もなりを潜めております、自分に疑いが向く事を恐れての事と思いますが、実際の事件との繋がりは未だ掴めておりません、太宰府も平和そのものです』
 最初の声とは違う声、こちらも男のものが落ち着いた口調で陸軍の内情を告げて行く。
『……そうか、海兵隊の方は』
『は、御命令の情報流出の漏洩源に関しまして新たな情報は有りません、他勢力の斥候の目星も未だついておりません、申し訳有りません』
『いや、良い。私の情報が陸軍に漏れ、アンデッドの博多侵攻の際に末端の陸軍兵卒が知っていた事からも斥候、間諜の存在は明らかだ、継続して探れ、相手に気取られるな。今日はこれで良い、双方持ち場に戻れ』
『承知しました』
『承知しました、失礼します』
 それを最後に二つの気配は消えて行き、タカコはそれを確認すると小さく溜息を吐いて髪をがしがしと掻き上げた。
 目新しい情報が何も無い、『敵』は余程上手く入り込み隠れている様だ。任務に先駆けて送り込んだ斥候、それをこんな形で活用する事になるとは思わなかったが彼等の存在が有ったのは幸運だったろう、これが無ければ自分一人で動くには限界が有る、情報を入手する事はほぼ絶望的だったのだから。
 高根や黒川は陸軍の人間の関与を疑っている様だが恐らく違うだろう。仮に陸軍の人間が関わっているとしても実行犯として、それを裏で操っている人間が別にいる筈だ。
 タカコがそう思うにはそれなりの根拠が有り、それがこの一ヶ月というもの彼女の心に影を色濃く落とし続けている。
 根拠、それはあの時聞いた爆発音。遠くで聞いた所為で反響も減衰も大きく不明確だったが、あれには聞き覚えが有った。しかし、もし近くで聞いていたら断定も出来ただろうがああも距離が離れていては確定させるには流石に弱く、これからどう動くかの判断材料足り得ないというのが現状だった。
(……もう一度聞けば確定も出来るが、タツさんをまた危険に晒すわけにはいかんな……あれきり動きも無いし、どうしたものか……)
 もし予想が当たっていれば、何とか自分の把握の範囲内だった状況は完全に制御不能の状態になる。そこから先の身の安全を考えれば、今下手に事を高根や黒川に伝える事は出来ないだろう。
 どう動いたものかとずっと思案はしているものの、現状では手札を切ろうにもその札自体が無い、大人しく捕虜生活を送りつつ斥候の働きに期待するか、この一ヶ月で何度も導き出した結論に今日もまた結局落ち着く事になり、タカコはそろそろ戻るかと立ち上がり正門へと向かって歩き出す。
 そろそろ正門、そんな頃合いで向こうから男が一人こちらへと歩いてくるのが見て取れて、それが一ヶ月振りに見る黒川だと気付いたタカコはそちらへと向かって手を振りながら駆け出した。
「タツさん!」
「おー、タカコちゃん、また会ったね、久し振り」
「うん、久し振り、この一ヶ月どうだった?また何か事件とか、有った?」
「いいやー、あれっきり何も無いよ、平和なもんだ。それで漸く警護無しでも出歩ける様になってね、今日は丁度こっちの方で仕事が入ってるから墓参り。俺の家、博多と太宰府の中間辺りだからさ、墓参りしてから総監部に行くのって難しいのよ」
「そうなんだ」
「タカコちゃんはもう本部に戻るかい?」
「ううん、ここで会ったんだし私も千鶴さんにお線香あげさせてもらっても良い?」
「ああ、有り難う。千鶴も喜ぶよ」
 久し振りの再会を喜び合う二人、暫くその場で話をし、黒川の墓参りに付き合う事にしたタカコが彼について歩き出す。お互いにこの一ヶ月に有った出来事を話しつつ千鶴の墓へと辿り着いた。
「千鶴、久し振り、今日はタカコちゃんも一緒だ」
「千鶴さん、お久し振りです」
 二人揃って墓石へと声を掛け、その前に片膝を突いて線香を供え手を合わせる。先に目を開けたのはタカコ、未だ隣で目を閉じ手を合わせる黒川を見て何も言わずに立ち上がり、数歩後ろへと下がり背を向けた。
 本来であれば黒川と千鶴、二人きりの時間を邪魔しているのだ、彼が呼ぶ迄は少し離れていようか、そんな事を考えつつ一歩踏み出した時。
「――――!」
 久々の、しかし骨身に染み付いた感覚が全身を駆け抜ける。来る、『何が』を感じる前にそう判断し、踵を返し黒川の背中へと手を伸ばした。
「タツさん!伏せて――!!」
 彼の身体を横に薙ぎ払った右腕に走る焼ける様な痛み、それと同時に血飛沫が上がり朝の澄んだ空気のに銃声が一発響き渡り、千鶴の墓石が大きく欠けたのが視界の端に映り込む。
「タカコちゃん!?君、怪我を――」
「そのまま伏せてて!!直ぐ近くにいる!!」
 銃声と弾着が同時だった、距離は殆ど離れていない、すぐ近くにいる、飛んで来た方向は、そう目星を付けたタカコが腰のナイフを抜いてそちらへと向かって走り出す。
 近い、近い、気配が近い、態勢を低くしつつも全力で気配を追うタカコ、その視線が遠ざかりつつある人影を捉え、彼女はそちらへと大きく踏み込みその背中へと向けてナイフを翳し躍り掛かった。
「逃がさねぇよ」
 低く地を這う様な声、それと同時に人影の足首に向けてナイフを一閃、バチン、と大きな音が響き渡り、人影は絶叫を上げ手にした狙撃銃を放り出し足を押さえ地に伏した。
「……何が狙いだ、相手を西方旅団総監と知っての狙撃か、答えろ」
 足の痛みの方が勝るのか人影、男はそれには答えずに足を押さえたまま只管に叫びを上げ、それに苛立ったタカコが一歩歩み寄ったその時、突然男の身体が大きく跳ね、それと同時に頭が爆ぜ脳漿が飛び散りタカコの身体へとこびり付く。
「クソ!封じられた……!!」
 遅れて耳に届く銃声、この距離では追えないなと大きく舌打ちをして歯を軋らせつつ、タカコは自分の予測が当たっていた事を実感した。
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