大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第72章『出産』

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第72章『出産』

 肌がピリピリとしそうな程に緊張感に満ちた空気、その中を居並ぶ士官を掻き分けて一番前に出て高根と敦賀の間に入り込んで
「おはよ」
 短くそう告げる、視線はどちらにも向けず活骸を見据えたままのタカコに最初に言葉を掛けて来たのは高根の方。
「おう、間に合ったな、そろそろ始まるぞ」
「誠ちゃん達の事だから早々に始めると思ってそれに合わせて来たけど、考える事は皆同じみたいだな」
「違ぇ無ぇ。営外に住んでる士官連中も揃って営舎に泊まろうとしたもんだからよ、作戦室やら医務室やら、昨日の夜はあちこちが宿泊所になってたよ、俺も帰らずに泊まったしな」
「いや、お前の場合自宅に帰ってる方が珍しいだろ、いつ見ても本部の何処かにいないか?」
「あー、それも違ぇ無ぇやな」
 お互いに視線は活骸へと向けたままそんな遣り取りを交わし、機材が飼育室の中へと運び始められるのを見て高根とは反対側に立つ敦賀を見上げてみれば、自分を見下ろす敦賀の視線とかち合った。
「……何処行ってやがった」
「……良いじゃん別に」
「てめぇは自分が――」
「はいはい、捕虜だってのを忘れるなって言うんでしょ、それは分かってるって」
 それに更に重ねようとした敦賀の言葉は研究班の
「それでは、始めます!」
 という言葉に掻き消され、その場の全員が言葉も無く金網の向こうを食い入る様に見詰め、事の成り行きを見守る事に専心した。
 海兵隊二千五百余名の中、下士官以下でこの場に立ち会う事を許可されたのは敦賀のみ、どんな事実が明るみになるか分からない、簡単には公には出来ない様な事が明らかになった時、或る程度の責任と立場の有るものでなければ何処から話が漏れるかも分からないだろう、高根のその判断により、今この場にいるのは研究班も含めて敦賀以外の全員が士官で固められている。発見の時から彼には何か思うところが有ったのか、即座に活骸の詳細自体に実際を知っている隊員全員に箝口令を敷いたという徹底振りだ。
 そんな中、タカコはその中に漏れてなるものかと割と必死になって高根に食い下がった、話を漏らす事は絶対にしないし海兵隊に不利になる事もまた絶対にしないと言い募り、最初は多少渋っていた高根だったが、タカコがそんな愚行に走る人間でない事は彼にも理解出来ていたのか、何とか参加が認められた。
 今迄も生体を捕獲した事は何度も有り、生命体としての耐久能力を調べる為に様々な実験を施して来た研究班、どの部位をどれだけ破壊すれば死亡するのか研究の最後は決まって生体解剖。医学的な見地から調査する為に医師の資格を持つ隊員も研究班には何人かいて、その一人が薄いゴムの手袋を嵌めた手で活骸の腹に触れ、触診をしながら聴診器を当てて中の様子を窺っている。
「胎児の心音を確認、妊娠は間違い有りません」
 その言葉に見守っている隊員の中から響めきが上がる、そんな中研究員は診察を進め、心音から胎児が一体である事、既に子宮口がだいぶ開いている事、それと腹の大きさを併せて判断すると既に臨月に入っておりいつ生まれてもおかしくない状態だと淡々と告げた。
「但し、これはほぼ同体格の人間に当て嵌めた場合です、生物としての種が違いますから全く同じとは言えないと思います」
 最前列、金網の直ぐ近くでそれを聞く高根、ずっと黙ったまま鋭い眼差しで事の推移を見守っていた彼がゆっくりと口を開く。
「……出産迄漕ぎ着ける事は可能か?」
「はい、恐らくは」
「どれ位掛かる?」
「胎児も既に骨盤の中に降りている様子ですし、子宮口の開き具合と併せて考えると遅くてもここ数日で。早ければ今日には始まると思います、どうも既に陣痛が起き始めている様で」
「……そうか」
「切開して子宮から取り出す事も出来ますが」
「いや、良い、それは万が一の場合にとっておこう。出来るだけ自然な状態で産ませろ、観察は怠るな、始まったら知らせてくれ」
「了解です」
 その遣り取りの後高根によって解散が告げられ、元々休みだったり手が空いている者以外は研究棟を後にした。タカコも同じ様に研究棟を出て少し眠るかと営舎へ足を向ければ、その歩みは敦賀によって遮られる。
「書類の整理を手伝え、だいぶ溜まってる」
「ああ、最近色々と忙しいもんね、良いよ、手伝う」
 斥候の潜入確定以来ずっと慌ただしく重い空気、あまり関わる事の出来ないタカコがそれを直接受ける事は無いが敦賀は別だ、当事者の一人として増えた仕事に忙殺され、心身共に休まる余裕等全く無いだろう。
 揃って敦賀の執務室へと入れば厚さ十cmは有ろうとかいう書類の束を手渡され、
「取り敢えずこれを仕分けてしてくれ」
 そう言って自分の椅子にどかりと身を埋める敦賀、タカコはその横に立ち、書類を持ったままじっと彼の横顔を見詰めていた。
「……どうした」
「いや、ひでぇツラしてるなって思って、薄らクマ浮いてるぞ」
 書類の束を敦賀の机の上に起き、自分へと向けられた顔にタカコは両手を伸ばし頬にそっと触れてみる。ざらりと、ちくりとする感触、髭を剃る余裕も無いかと苦笑すれば、敦賀の身体がこちらへと向き直り、両腕を背中と腰に回され抱き寄せられた。
「敦賀?」
「……何処行ってやがった」
「……知ってるくせに」
「知りたくもねぇが……この匂いさせてりゃぁな」
 黒川の纏っている白檀香、移ってしまっていたかと多少の気まずさを感じて身を引けば、身体に回された腕が力を強めて更に抱き寄せられ、胸元に顔を埋められ数度頬擦りをされる。
「つる――」
「暫くこうしてろ……こんな場所で何もしやしねぇよ」
 胸元から響いて来る敦賀の声音、普段の力強さは鳴りを潜めたそれにタカコは小さく息を吐き、
「了解、先任」
 そう言って彼の頭を両腕でそっと抱き締めた。
 どれ程の時間そうしていたのか廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえて来て、扉が凄まじい勢いで叩かれお互いから腕を離し距離を取れば、その直後扉が開かれ慌てた様子で三宅が飛び込んで来る。
「出産、始まったぞ!」
 その言葉に顔を見合わせて執務室を飛び出す、随分早いなと言いつつ観察室の中へと入れば、それと同時にこの世のものとは思えない様な絶叫が耳を劈いた。
「生まれました!」
 その言葉に士官達を掻き分けて前へと進む、そして、それが途切れて目の前に金網と、その向こうに見ようとしたものを見付けた時、タカコは思わず動きを失っていた。
 血色の良い赤い肌、濡れて張り付いた髪、聞いた事の有る泣き声。

「……なん、で……?」

 人間の赤ん坊が、そこにいた。
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