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第86章『手紙』
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第86章『手紙』
常夜灯に明かりの落とされた営舎内、その階段を三宅は静かに昇り敦賀とタカコの部屋の在る最上階へと足を踏み入れた。士官の三宅は営外に自宅を持っており、夜の営舎の中を歩く事は殆ど無い。前回敦賀に用事が有って訪れた時には彼は自室にはおらず隣のタカコのところにいた様で、それを突っ込んだ時の居心地の悪そうな彼の表情を思い出し小さく笑う。
十年以上の付き合いになる親友、士官と下士官、その違いは有れどそれをお互いに意識しない様な付き合いをして来られた敦賀、女の扱いに関しては絶望的に向いていないし本人も興味を持たなかった彼が、ああして一人の女を見付け想っているという状況がとても喜ばしい。
今日はどちらにいるだろうか、そんな事を思いつつ彼の部屋の前に立ちそっと扉を開けてみるが中は静まり返り人の気配も無く、やはり隣かとまた笑って扉を閉める。
人との距離の取り方が下手糞な親友、惚れた女との距離を縮めるにしても色々とすっ飛ばし過ぎだろうと思わないでもないが、こういった事には絶望的に向いていない上に奥手な気質を考えれば、これはこれで有りなのかも知れない。
タカコの部屋の前に立ち鍵は閉まっているだろうがと扉へと手を掛けてみれば抵抗無く開き、掛け忘れたか、そんな風に思いつつ音を立てずに室内へと入ってみる。
窓から差し込む夜明けの薄明かり、それに仄かに照らされた寝台の上では二人が抱き合って寝入っており、穏やかな二つの寝顔を見て三宅は暫くの間身動ぎもせずに立ち尽くしていた。普段の険しさも鋭さも明るさも無く、唯々穏やかに、安らぎの中に身を委ねている様、自分と福井にはもう永遠に訪れないその情景にいつの間にか頬を涙が伝う。
ほんの数日前迄は自分が確かに手にしていた穏やかな幸せ、それを今でも我が物として浸っている二人が憎く思えてしまう程に羨ましい。タカコが悪いとは思っていないしもう何の含みも無い、この二人に今更何か害を為そうという思いも無いが、只管に羨ましく、妬ましい。
恐らく自分はこのまま静かに壊れていくだろう、もう既に壊れているのかも知れない。最愛の存在を喪い後戻りも出来ずに壊れるだけなら、すべき事は、否、したい事は一つだけだ。
「……間違えるなよ、お前等は幸せになれ」
敦賀達が起きていたとしても聞こえない程の微かな声でそう呟き、手にしていた封筒を寝台脇の棚の上に置き静かに踵を返し三宅は部屋を、営舎を後にした。
タカコが目を覚ましたのはその後少ししてから、明るくなった空を窓越しに眺めて身体を震わせ、敦賀の腕を解いて起き上がり寝台から降りる。そろそろ春とは言え朝晩はまだ随分と冷える、夜明け前後が一番冷え込む時間帯だから余計だなと思いつつ靴を履き、便所に行こうと部屋を出た。
「……何だ、これ」
用を済ませて震えつつ自室へと戻って来たタカコ、朝食の時間ぎりぎり迄は寝ていようかと再度寝台に入ろうとした彼女の視線を引き付けたのは寝台脇の棚の上に置かれた見覚えの無い封筒が一つ。こんな物を置いた覚えは無いが、と手に取れば、その表に
『敦賀とタカコへ』
と書かれているのが見て取れて、裏を返せばそこには三宅の名前。
何故か、酷く嫌な感じがした。敦賀が持って来ていた様には見えなかった、恐らくは自分達が眠っている間に三宅本人が持って来たのだろう、心臓が嫌な鼓動を打つのを感じながら封を開けば、出て来たのは小さく折り畳まれ『敦賀へ』『タカコへ』と書かれた紙が一つずつと、何かを包む様にして三つ折りにされた便箋が一枚。
中身は何なのか、先を急ぐ自分を落ち着かせながら便箋を開けば、そこに在ったのは黒い髪、恐らくは三宅のものだろう。便箋は――、そう思ってそこに記された文字を、意味を認識した瞬間、タカコはそれを棚の上に叩き付け未だ眠ったままの敦賀へと飛び付いて大声を上げた。
「敦賀!敦賀!!」
突然飛びつかれ激しく揺さぶられ、その衝撃で跳ね起きた敦賀、何がどうなったのか認識する前に敦賀の目に飛び込んで来たのは、必死に自分にしがみつき全身で何かを訴えようとしているタカコの姿だった。
「どうした、落ち着け、何が有った」
「寛和が!寛和がこれを!」
髪を棚の上に置き便箋だけを敦賀へと手渡し中を読めと言い募る。
「ヒロが?何を――」
そして、中身を読んだ敦賀もまた一瞬動きを失いはしたものの、次の瞬間には寝台を飛び降りて武蔵を取りに自分の部屋へと走り出していた。
『恐らく死体は残らんだろう、墓にはこれを入れてくれ。場所はマコの隣で頼む。悪いが先に逝く。 寛和』
馬鹿な事を、そう吐き捨てて戦闘服へと着替え武蔵を掴んで部屋を飛び出して階下へと向かって飛び降りる様に階段を駆け下りれば、タカコも同じ様に着替えて村正を手に追いついて来る。
「トラックの暖気しとけ!俺は緊急の出撃の指示を出して来る!」
「了解!」
タカコは敦賀の指示通りにトラックへと飛び乗り鍵を回し、走行可能状態にはせずに踏み込んで回転数を上げつつ敦賀の到着を待った。早く、早く、また間に合わないなんて絶対にごめんだ、何て馬鹿な事をしやがるとあの横っ面をぶん殴りに早く行こうと気ばかり焦るものの、敦賀が手配を終えて本部から駆け出して来たのは十分程も経ってから。早く乗れと彼を急かし、助手席の扉が閉まる音を聞くか聞かないかで思い切り踏み込んで走り出し、第一防壁の門へと全速力で向かう。
「お前!運転!俺に代われ!」
そう言えば大和に来てから運転をするのは初めてだ、二年近く遠ざかり勘が鈍っていなければ良いが、そんな事を考えつつ
「私の運転は荒いぞ!しっかり掴まってろ!あと喋るな、舌を噛む!!」
そう声を放り、更にペダルを踏み込んだ。
二人のポケットの中には三宅が夫々に宛てた短い手紙。
『色々と考えるところは有るんだと思う、でも、そのままで終わらせるな、先に進め。お前等には俺とマコみたいにはなって欲しくない、ちゃんと想いを伝え合って、そして幸せになってくれ。 寛和』
常夜灯に明かりの落とされた営舎内、その階段を三宅は静かに昇り敦賀とタカコの部屋の在る最上階へと足を踏み入れた。士官の三宅は営外に自宅を持っており、夜の営舎の中を歩く事は殆ど無い。前回敦賀に用事が有って訪れた時には彼は自室にはおらず隣のタカコのところにいた様で、それを突っ込んだ時の居心地の悪そうな彼の表情を思い出し小さく笑う。
十年以上の付き合いになる親友、士官と下士官、その違いは有れどそれをお互いに意識しない様な付き合いをして来られた敦賀、女の扱いに関しては絶望的に向いていないし本人も興味を持たなかった彼が、ああして一人の女を見付け想っているという状況がとても喜ばしい。
今日はどちらにいるだろうか、そんな事を思いつつ彼の部屋の前に立ちそっと扉を開けてみるが中は静まり返り人の気配も無く、やはり隣かとまた笑って扉を閉める。
人との距離の取り方が下手糞な親友、惚れた女との距離を縮めるにしても色々とすっ飛ばし過ぎだろうと思わないでもないが、こういった事には絶望的に向いていない上に奥手な気質を考えれば、これはこれで有りなのかも知れない。
タカコの部屋の前に立ち鍵は閉まっているだろうがと扉へと手を掛けてみれば抵抗無く開き、掛け忘れたか、そんな風に思いつつ音を立てずに室内へと入ってみる。
窓から差し込む夜明けの薄明かり、それに仄かに照らされた寝台の上では二人が抱き合って寝入っており、穏やかな二つの寝顔を見て三宅は暫くの間身動ぎもせずに立ち尽くしていた。普段の険しさも鋭さも明るさも無く、唯々穏やかに、安らぎの中に身を委ねている様、自分と福井にはもう永遠に訪れないその情景にいつの間にか頬を涙が伝う。
ほんの数日前迄は自分が確かに手にしていた穏やかな幸せ、それを今でも我が物として浸っている二人が憎く思えてしまう程に羨ましい。タカコが悪いとは思っていないしもう何の含みも無い、この二人に今更何か害を為そうという思いも無いが、只管に羨ましく、妬ましい。
恐らく自分はこのまま静かに壊れていくだろう、もう既に壊れているのかも知れない。最愛の存在を喪い後戻りも出来ずに壊れるだけなら、すべき事は、否、したい事は一つだけだ。
「……間違えるなよ、お前等は幸せになれ」
敦賀達が起きていたとしても聞こえない程の微かな声でそう呟き、手にしていた封筒を寝台脇の棚の上に置き静かに踵を返し三宅は部屋を、営舎を後にした。
タカコが目を覚ましたのはその後少ししてから、明るくなった空を窓越しに眺めて身体を震わせ、敦賀の腕を解いて起き上がり寝台から降りる。そろそろ春とは言え朝晩はまだ随分と冷える、夜明け前後が一番冷え込む時間帯だから余計だなと思いつつ靴を履き、便所に行こうと部屋を出た。
「……何だ、これ」
用を済ませて震えつつ自室へと戻って来たタカコ、朝食の時間ぎりぎり迄は寝ていようかと再度寝台に入ろうとした彼女の視線を引き付けたのは寝台脇の棚の上に置かれた見覚えの無い封筒が一つ。こんな物を置いた覚えは無いが、と手に取れば、その表に
『敦賀とタカコへ』
と書かれているのが見て取れて、裏を返せばそこには三宅の名前。
何故か、酷く嫌な感じがした。敦賀が持って来ていた様には見えなかった、恐らくは自分達が眠っている間に三宅本人が持って来たのだろう、心臓が嫌な鼓動を打つのを感じながら封を開けば、出て来たのは小さく折り畳まれ『敦賀へ』『タカコへ』と書かれた紙が一つずつと、何かを包む様にして三つ折りにされた便箋が一枚。
中身は何なのか、先を急ぐ自分を落ち着かせながら便箋を開けば、そこに在ったのは黒い髪、恐らくは三宅のものだろう。便箋は――、そう思ってそこに記された文字を、意味を認識した瞬間、タカコはそれを棚の上に叩き付け未だ眠ったままの敦賀へと飛び付いて大声を上げた。
「敦賀!敦賀!!」
突然飛びつかれ激しく揺さぶられ、その衝撃で跳ね起きた敦賀、何がどうなったのか認識する前に敦賀の目に飛び込んで来たのは、必死に自分にしがみつき全身で何かを訴えようとしているタカコの姿だった。
「どうした、落ち着け、何が有った」
「寛和が!寛和がこれを!」
髪を棚の上に置き便箋だけを敦賀へと手渡し中を読めと言い募る。
「ヒロが?何を――」
そして、中身を読んだ敦賀もまた一瞬動きを失いはしたものの、次の瞬間には寝台を飛び降りて武蔵を取りに自分の部屋へと走り出していた。
『恐らく死体は残らんだろう、墓にはこれを入れてくれ。場所はマコの隣で頼む。悪いが先に逝く。 寛和』
馬鹿な事を、そう吐き捨てて戦闘服へと着替え武蔵を掴んで部屋を飛び出して階下へと向かって飛び降りる様に階段を駆け下りれば、タカコも同じ様に着替えて村正を手に追いついて来る。
「トラックの暖気しとけ!俺は緊急の出撃の指示を出して来る!」
「了解!」
タカコは敦賀の指示通りにトラックへと飛び乗り鍵を回し、走行可能状態にはせずに踏み込んで回転数を上げつつ敦賀の到着を待った。早く、早く、また間に合わないなんて絶対にごめんだ、何て馬鹿な事をしやがるとあの横っ面をぶん殴りに早く行こうと気ばかり焦るものの、敦賀が手配を終えて本部から駆け出して来たのは十分程も経ってから。早く乗れと彼を急かし、助手席の扉が閉まる音を聞くか聞かないかで思い切り踏み込んで走り出し、第一防壁の門へと全速力で向かう。
「お前!運転!俺に代われ!」
そう言えば大和に来てから運転をするのは初めてだ、二年近く遠ざかり勘が鈍っていなければ良いが、そんな事を考えつつ
「私の運転は荒いぞ!しっかり掴まってろ!あと喋るな、舌を噛む!!」
そう声を放り、更にペダルを踏み込んだ。
二人のポケットの中には三宅が夫々に宛てた短い手紙。
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