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第90章『心』
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第90章『心』
「敦賀、お前な、営舎内で盛るのもいい加減にしろ」
夜の敦賀の執務室、いるのは部屋の主である敦賀と、そして高根の二人だけ。高根の突然の言葉に敦賀は然して動じる事も無く、書類に走らせていたペンを机の上に置き、代わりに湯呑に手を伸ばし中身を一啜りしつつ高根へと視線を移す。
「ちゃんと鍵閉めて室内でやってんだ、文句は無ぇだろうが」
「馬鹿かお前、室内でやってたって外に気配が漏れてんだよ、用事が有ってタカコの部屋の前行った時には変な汗出て来たわ」
三宅の壮絶な討ち死にから十日程が過ぎ、海兵隊は表向きは平穏と日常を取り戻しつつあった。それからこちら高根を悩ませているのは敦賀とタカコの新たな関係。帰還直後の二人の精神状態を心配して何度か様子を見に行ったのだが、悉く行為の最中にぶち当たり、小さく漏れ聞こえて来たタカコの喘ぎに居た堪れずに退散する事数回、いい加減にしろと思い始めて直接釘を刺しに来たという按配だ。
二人がそういう関係へと進展したのであればそれはそれで構わないのだが、行為に及ぶのであれば営外へと出てやってくれと立場上言わずにはいられない。人一倍規律には厳しいこの男が何を考えているのかと、そもそも最初に嗾けたのは自分だと言う事を棚に上げて高根は敦賀を見下ろした。
タカコの事も気掛かりではある、宣言以降黒川に二度程連れ出されそのどちらも日を跨いでの帰還、何も無かったという事は無いだろう。あれで彼女は黒川の女になった、そう思っていたのに今度は敦賀とそういう事になるとはと、相関関係のややこしさに頭痛すらして来る気がする。
敦賀とてその事に気付いていない筈が無いのに、商売女に対してはともかくとしてタカコに対しては臆病な位に誠実に接していた筈の敦賀、その彼がまさか彼女に対しても商売女にする様に接しているのか、そう思ってそのままを口にすれば、返って来たのは何とも意外なものだった。
「あいつが言ったんだ、身体だけの付き合いでってな。それで良いならいつでも抱かれてやるってよ」
「……マジか」
「マジだ」
短く言葉を返す敦賀、それを聞いて今度こそ確実に頭痛を感じて高根は額へと手を遣った。以前彼女が自分のところにやって来て、身体だけの付き合いをしないかと言った事は覚えている。その時に欲求不満なら敦賀に言えとは確かに言ったが、それはこういう形ではなくきちんとした男女の仲になれと、そういう意味で言ったのだ。
それがまたどうしてこんな事になったのか、それも黒川と敦賀の両天秤とは、そうそう簡単に男に股を開く気質だとも思えないが一体何を考えているのか。
その当の彼女は今日は久し振りに黒川に連れ出されている、まだ癒えない身体の傷を見咎めて高根へと八つ当たりをして来た黒川を思い起こすに、明日の帰還も随分と遅くなりそうだ。
そして敦賀もその事は当然知っている筈だ、それなのに随分と落ち着いているものだと彼を見る。
「お前、龍興にタカコが連れ出されてるってのに随分と落ち着いてんのな、前は迎えに行こうとかしてたのによ。何、やっぱりお前も身体だけとか思ってんの?」
直球で言葉を投げ付ければ返って来たのは言葉ではなく彼が再度手に取っていたペンが折られる音、指の力だけで折るとは大した腕力だ、そんな妙な関心をする高根に、敦賀は先程とは打って変わって怒りと苛立ちに満ちた口調で言葉を吐き出した。
「……んな事……これっぽっちも思ってねぇよ……!じゃあ聞くがよ、泣き出しそうな辛そうなツラで『身体だけなら幾らでも抱かれてやる』って強がられて、どうすりゃ良いってんだ、てめぇの気持ち馬鹿正直に押し付けて拒絶でもされろってのか、あ?」
「そうは言わねぇけどよ……何、あいつそんな風だったの」
「……ああ、自分一人で何でも抱え込むなって何度言っても理解しやしねぇあの馬鹿」
これはどうも色々と見込み違いをしていたらしい、彼女は思っていたよりも大きな何かを抱えているし、男二人はそこにあっさりと踏み込める程の図々しさと強さを持ち合わせてはいない、言い換えれば彼女を尊重し過ぎている。
何とも妙で具合の悪い方向へと話が転がり続けている、事態がややこし過ぎて軌道修正をしようにもその方向性すら見えて来ないとはと頭を掻けば、湯呑の中身を一気に飲み干した敦賀が吐き捨てる様にして口を開いた。
「てめぇが何で俺達の事にそう執心するのかは知らねぇがな、引っ掻き回して楽しんでるってんならブチ殺すぞ」
「そうじゃねぇよ、お前がタカコに惚れてるのは知ってたし、そろそろ落ち着いても良いんじゃねぇかと思って応援してやってんだろうが」
「ほざけクソが、てめぇがそんな事だけでこうも首突っ込んで来るわけ無ぇだろうが。どうせまた碌でもねぇこと企んでやがんだろうが」
「お前酷い事言うよね……俺、これでも一応お前の上官よ?」
「うるせぇ、話がそれだけならとっとと出て行け」
どうやらタカコと黒川の話題は今はしない方が良かったらしい、これ以上つつけば武蔵が抜き身になるか殴られるかのどちらかだ、高根はそう判断し、夜も遅いしそろそろ帰宅するかと敦賀の執務室を後にした。
事態は自分が思っていたよりも余程複雑で、そして恐らくはタカコが抱えているものはずっと重い。黒川の話ではあの事故での死亡者の中に夫か恋人か、とにかくそんな関係の男がいた筈だという事だが、それだけが彼女がああも歪で頑なな理由ではないのだろう。
それがこの海兵隊に、否、大和にとって害を為すものではなければ良いのだが、そんな事を考えつつ、高根は本部を出て自宅への道を歩き出した。
「敦賀、お前な、営舎内で盛るのもいい加減にしろ」
夜の敦賀の執務室、いるのは部屋の主である敦賀と、そして高根の二人だけ。高根の突然の言葉に敦賀は然して動じる事も無く、書類に走らせていたペンを机の上に置き、代わりに湯呑に手を伸ばし中身を一啜りしつつ高根へと視線を移す。
「ちゃんと鍵閉めて室内でやってんだ、文句は無ぇだろうが」
「馬鹿かお前、室内でやってたって外に気配が漏れてんだよ、用事が有ってタカコの部屋の前行った時には変な汗出て来たわ」
三宅の壮絶な討ち死にから十日程が過ぎ、海兵隊は表向きは平穏と日常を取り戻しつつあった。それからこちら高根を悩ませているのは敦賀とタカコの新たな関係。帰還直後の二人の精神状態を心配して何度か様子を見に行ったのだが、悉く行為の最中にぶち当たり、小さく漏れ聞こえて来たタカコの喘ぎに居た堪れずに退散する事数回、いい加減にしろと思い始めて直接釘を刺しに来たという按配だ。
二人がそういう関係へと進展したのであればそれはそれで構わないのだが、行為に及ぶのであれば営外へと出てやってくれと立場上言わずにはいられない。人一倍規律には厳しいこの男が何を考えているのかと、そもそも最初に嗾けたのは自分だと言う事を棚に上げて高根は敦賀を見下ろした。
タカコの事も気掛かりではある、宣言以降黒川に二度程連れ出されそのどちらも日を跨いでの帰還、何も無かったという事は無いだろう。あれで彼女は黒川の女になった、そう思っていたのに今度は敦賀とそういう事になるとはと、相関関係のややこしさに頭痛すらして来る気がする。
敦賀とてその事に気付いていない筈が無いのに、商売女に対してはともかくとしてタカコに対しては臆病な位に誠実に接していた筈の敦賀、その彼がまさか彼女に対しても商売女にする様に接しているのか、そう思ってそのままを口にすれば、返って来たのは何とも意外なものだった。
「あいつが言ったんだ、身体だけの付き合いでってな。それで良いならいつでも抱かれてやるってよ」
「……マジか」
「マジだ」
短く言葉を返す敦賀、それを聞いて今度こそ確実に頭痛を感じて高根は額へと手を遣った。以前彼女が自分のところにやって来て、身体だけの付き合いをしないかと言った事は覚えている。その時に欲求不満なら敦賀に言えとは確かに言ったが、それはこういう形ではなくきちんとした男女の仲になれと、そういう意味で言ったのだ。
それがまたどうしてこんな事になったのか、それも黒川と敦賀の両天秤とは、そうそう簡単に男に股を開く気質だとも思えないが一体何を考えているのか。
その当の彼女は今日は久し振りに黒川に連れ出されている、まだ癒えない身体の傷を見咎めて高根へと八つ当たりをして来た黒川を思い起こすに、明日の帰還も随分と遅くなりそうだ。
そして敦賀もその事は当然知っている筈だ、それなのに随分と落ち着いているものだと彼を見る。
「お前、龍興にタカコが連れ出されてるってのに随分と落ち着いてんのな、前は迎えに行こうとかしてたのによ。何、やっぱりお前も身体だけとか思ってんの?」
直球で言葉を投げ付ければ返って来たのは言葉ではなく彼が再度手に取っていたペンが折られる音、指の力だけで折るとは大した腕力だ、そんな妙な関心をする高根に、敦賀は先程とは打って変わって怒りと苛立ちに満ちた口調で言葉を吐き出した。
「……んな事……これっぽっちも思ってねぇよ……!じゃあ聞くがよ、泣き出しそうな辛そうなツラで『身体だけなら幾らでも抱かれてやる』って強がられて、どうすりゃ良いってんだ、てめぇの気持ち馬鹿正直に押し付けて拒絶でもされろってのか、あ?」
「そうは言わねぇけどよ……何、あいつそんな風だったの」
「……ああ、自分一人で何でも抱え込むなって何度言っても理解しやしねぇあの馬鹿」
これはどうも色々と見込み違いをしていたらしい、彼女は思っていたよりも大きな何かを抱えているし、男二人はそこにあっさりと踏み込める程の図々しさと強さを持ち合わせてはいない、言い換えれば彼女を尊重し過ぎている。
何とも妙で具合の悪い方向へと話が転がり続けている、事態がややこし過ぎて軌道修正をしようにもその方向性すら見えて来ないとはと頭を掻けば、湯呑の中身を一気に飲み干した敦賀が吐き捨てる様にして口を開いた。
「てめぇが何で俺達の事にそう執心するのかは知らねぇがな、引っ掻き回して楽しんでるってんならブチ殺すぞ」
「そうじゃねぇよ、お前がタカコに惚れてるのは知ってたし、そろそろ落ち着いても良いんじゃねぇかと思って応援してやってんだろうが」
「ほざけクソが、てめぇがそんな事だけでこうも首突っ込んで来るわけ無ぇだろうが。どうせまた碌でもねぇこと企んでやがんだろうが」
「お前酷い事言うよね……俺、これでも一応お前の上官よ?」
「うるせぇ、話がそれだけならとっとと出て行け」
どうやらタカコと黒川の話題は今はしない方が良かったらしい、これ以上つつけば武蔵が抜き身になるか殴られるかのどちらかだ、高根はそう判断し、夜も遅いしそろそろ帰宅するかと敦賀の執務室を後にした。
事態は自分が思っていたよりも余程複雑で、そして恐らくはタカコが抱えているものはずっと重い。黒川の話ではあの事故での死亡者の中に夫か恋人か、とにかくそんな関係の男がいた筈だという事だが、それだけが彼女がああも歪で頑なな理由ではないのだろう。
それがこの海兵隊に、否、大和にとって害を為すものではなければ良いのだが、そんな事を考えつつ、高根は本部を出て自宅への道を歩き出した。
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