2 / 7
『初出勤前夜、そして初出勤』
しおりを挟む
乗馬クラブで行われた『採用面接』から少し経った或る日の夜、涼子が経営する小さな人材派遣会社(とは名ばかりの何でも屋)の社屋の一室で、社員達による涼子の最終チェックが行われていた。
取り敢えず涼子自身が明日から必要になると思われるものや服や持ち物等を用意はしてみたものの、細かいところは複数の目によるチェックが有った方が良いだろうという事で実施されたのだが、実際のところそれは必要だったと言わざるを得ない状況となっている。
「時計がおかしい、機械式のスケルトンとか普通の主婦はそんなの使わないから」
「ペンケースの中も有り得ない、万年筆とか要らねぇから。ダイソーかイオンでボールペン買って来い、赤青黒の三色一体型のやつだ」
「ボールペンなら有るぞ、ほらこんなに沢山」
「有馬記念、ダービー、宝塚記念、春天にこっちは秋天、見事に競馬の記念ボールペンばっかりですね。アホですかあんた、普通の主婦は競馬グッズ揃えたりもしません、キーホルダーもバックのチャームもじゃないですか、ゴールドシップ」
「何でや!ゴルシええやろ!」
「そこじゃねぇよ馬鹿、溶け込む気有るのか」
服や靴や財布の中身に関しては何の問題も無かったが、時計や筆記用具に関しては少々拘りが有る所為か、次々に社員達からツッコミが入る。スマホの中身も惨憺たる有様で、業務上の機密的な意味を一切考慮しなかったとしても壁紙も含め見られたらアレ過ぎるという理由により、SIMカードを抜いて別のスマホに突っ込み直し、その中に入れるアプリは社員達の意見のみで決定されインストール作業が行われた。
「新型コロナウイルスは?」
「え?新型だから変異と劇症化の懸念はするべきだけどインフルの方がよっぽど罹患の危険性も死亡率も高いから現時点では別に」
「違うこの馬鹿!よく分かんないけど危険なウイルスだから徹底的に避けなきゃ!どこそこのドラッグストアでマスクが売ってたとかどのマスクが良い!とか、主婦の思考パターンと話題はそれだこの無能!」
「主婦差別だ!」
「お前は『長らく専業主婦だったが最近家を新築して住宅ローン返済の為に働きに出る事になった四十二歳で夫は都内の製造業本社勤務で帰りは毎日二十二時過ぎで家事参加不可で子供は男二人で上は高校一年生下は中学二年生』って設定だろうが!その設定に埋没する様なテンプレで良いんだよ!」
潜入するにあたり一定の設定を作り上げそれは勿論涼子の脳内にも叩き込まれてはいるものの、持ち物に関しては例え見られたとしても
「趣味なんです」
の一言で流せば良いと、涼子自身はそう思っている。これが本来の分野での潜入なのであれば流石にもっと神経を尖らせるが、日中の(休憩時間を除けば)八時間を事務所で過ごすだけなのだからそこ迄せずとも、と。しかし社員達はそうではない様子で、ああでもないこうでもないというチェックと指導はその日の夜遅く迄続けられた。
そして一夜明けた今、涼子は営業所の道路向かいに在るドトールでコーヒーを飲みながら紫煙を燻らせ、その向こうに見える営業所の玄関をじっと見詰めている。
時刻は七時三十分、先程から社員やパートであろう人間達が玄関を入って行き、数分前それが途絶えた。始業は八時からだと土屋から聞いているが、その前に朝礼でもやるのだろう。
「……何か展開が読めた気がするけど、まぁ問題の炙り出しが仕事だし、十分位前に入るか」
自社では拘束時間外の労働や研修や仕事の準備や片付け等、そういった事は一切させていないが、そうではない職場が掃いて捨てて埋め立ててもまだ星の数程有る事は知っている、恐らくはここもそうなのだろう。
「しかしそれだけであれだけ定着率が悪くなるとも思えんし……人間関係かねぇ……」
ここで考えても仕方が無いか、そう思い直し食べ残していたホットドッグを食べ終えコーヒーを飲み、煙草をもう一本。短くなったそれを灰皿へと押し付けて時計を見れば時刻は七時四十五分、そろそろかと立ち上がりトレーを片付け、店を出て道路を渡った。
「おはようございます、今日からお世話になります高橋です、宜しくお願いします」
事務所内へと入り声を掛ければ、そこではやはり朝礼が行われており、従業員の前に立つ男が
「おはようございます、こっちに」
と、涼子へと向かって手招きをする。それに従い前へと出て
「所長の松川です、挨拶して」
そう言われ、松川へと軽く頭を下げた涼子はこちらへと注視している従業員達へと向き直った。
「おはようございます、今日からお世話になります高橋です。分からない事だらけだと思いますので、皆さんご指導宜しくお願いします」
頭を下げながら然り気無く全体へと視線を走らせれば、好意的ではない視線をこちらへと向ける人物が数人。全てパートらしき中年から老年の女性で、
(はいはい、最初はアレとぶつかりそうな気配だな)
と、そんな事を考える。どうやら朝礼はほぼ終わりの頃合いだった様子で、涼子の挨拶の後は所長から簡単な伝達が有り解散となった。その後
「じゃあ仕事内容は岡場さんに聞いて、ここ一番のベテランだから何でも知ってますから」
そう言われて紹介されたのは先程自分に向けて一際厳しい反応を見せていた老年女性、岡場と呼ばれたその女性は眉間の皺を深くして涼子を上から下迄見ると、口元を歪めて吐き捨てる様に口を開いた。
「……働くの初めて?」
「……は?」
数秒の間、涼子には岡場の意図が理解出来なかった。設定としては
『大学を卒業後地元の小さな会社に就職しそこで働いた後結婚、長男を妊娠したのをきっかけに退職。夫が転勤の有る仕事だった為それからはずっと専業主婦をしており、夫が退職する迄本社勤務が確定した為家を建て、ローン返済の為に働きに出る事にした』
となってはいるが、それは行動や主婦という設定に説得力や厚みを持たせる為のものであり、別にこの営業所の人間に伝える予定は無い。勤務時間中に世間話等で家庭の事に触れられたら多少は話す事も有るだろう、と、その程度のものだ。
それを何故初対面の初めての言葉としてぶつけられるのか、しかもかなりの敵意を以て。全てがどうにも理解出来ずに言葉を紡げない涼子を見て岡場はどう解釈したのか、
「こんなギリギリに来て常識無いよね?普通三十分前には来るよ?」
そう吐き捨てて踵を返し自席へと去って行く。残された涼子としては業務内容を教えてもらえると思っていただけに動き様が無く、さてどうしたものかと立ち尽くしていると
「おはようございます、越川です。よろしくお願いしますね」
と、涼子よりは数歳は歳上だろうかという中年女性が声をかけて来た。
「おはようございます、高橋です、宜しくお願いします」
「岡場さん厳しいから、明日から気を付けてね」
「はぁ……そうですか」
「今迄働いた事無いと色々と社会の常識分からない事も有ると思うけど、頑張りましょう」
「はぁ……」
どうやら生まれてこの方働いた事が無いという設定で固定されてしまった様子だが、それはまぁ構わない、大事なのは少なくとも一週間はここで働いて内情を探る事なのだと思い直し越川について歩き出し、タイムカードに名前を書き込んで打刻した後はデスクへと案内された。
「取り敢えず今日は伝票の処理をお願いします。複写式のものの上はこっち、下はこっちに分離して重ねて、上は束毎にホチキス止めしてこの箱に入れて、下はクリップで止めてこっちの箱に入れて下さい」
「はい、分かりました」
「その時に記入欄のこことここの記載をチェックして、もし記載漏れが有ったらパソコンで社内システム使って検索して。ログインIDとパスワードはパソコンに貼ってあるからそれ見てね」
「……はい、分かりました」
思わずツッコミを入れようかとした自分を何とか押し留め、涼子は返事をして伝票へと向き直り一度深呼吸をする。
(落ち着け、落ち着け私。令和の時代にまさか『IDとパスワードはパソコンに貼ってある』とか、そんな事有るわけ無いじゃないか、うんそうだ、私の空耳に違い無い、そうに決まってる。ゴルシが一頭、ゴルシが二頭、ゴルシが三頭……うん、よし、落ち着いて来たぞ)
脳裏にゴールドシップがゴールし続ける光景を思い浮かべてもう一度深呼吸をしてから伝票へと手を伸ばし、言われた通りに作業を開始する。
内容は受発注に関するもの、品名や数や配送先が印字されており一枚は配送先に品物と一緒に送るもの、もう一枚は控えとしてこの営業所で保管するものの様だ。
「……あ、これか」
数十枚程仕分けた頃に出て来たのは配送先の欄が空欄になってしまっている一枚の伝票。越川は社内システムを使って検索をしろと言っていたなと考えながら立ち上がり、パソコンが設置してあるデスクへと向かって歩き出す。モニターには越川が言った様に本当にログインIDとパスワードを書いた紙がしっかりと貼り付けて有り、それを見て遠い目をしつつ何とかパソコンへと向き直る。今日はまだ誰も使っていなかったのか電源が落とされたままのパソコンの電源ボタンを押しながら椅子へと腰を下ろせば、暫くして真っ暗な画面に実に懐かしい画像が現れ、その画像の意味を瞬時に理解した涼子の意識は一瞬彼方へと飛ばされそうになった。
(……XPとかもう何年見てねぇかな……サポート完全終了してからもう何年……六年?)
表示されたのはWindows XPの起動画面。マイクロソフトのサポートは完全に終了し日を重ねる毎に脆弱になっているシステム、それを搭載したマシンを今更拝む事になるとはと軽い頭痛と眩暈を感じつつ起動を待つ。数分後デスクトップが表示されてからネットワークを調べてみるが、イントラネットだけではなく外部ネットワーク、インターネットにも接続されており、顧客情報も取り扱うマシンがこれかとがっくりと肩を落としつつ深く溜息を吐く。
(……ん?)
キーボードへと落とされた涼子の視界の隅に紙の束の角が入り込む。真っ白な紙面にうっすらと薄墨色でぼやけた文字列が浮かび、顔を上げて全体を見てみればメモ用の裏紙だという事が見て取れた。
(いやいやいや……まさかそれは幾ら何でも……)
文字列の意味を薄っすらと読み取りつつ、しかし幾ら何でもそれは無かろう、涼子はそう自らを否定しつつメモ用紙へと手を伸ばし、ゆっくりと裏返してみた。
そこに記されていたのは個人名企業名に電話番号に住所、その他諸々。夥しい量の個人情報に今度こそ本当に眩暈を感じながら、喉から鼻にかけて抜ける奇妙で短い笑い声を止める事が出来なかった。
「……これでもISO 27001取得してるんだぜ、この会社……嘘みたいだろ……?」
取り敢えず涼子自身が明日から必要になると思われるものや服や持ち物等を用意はしてみたものの、細かいところは複数の目によるチェックが有った方が良いだろうという事で実施されたのだが、実際のところそれは必要だったと言わざるを得ない状況となっている。
「時計がおかしい、機械式のスケルトンとか普通の主婦はそんなの使わないから」
「ペンケースの中も有り得ない、万年筆とか要らねぇから。ダイソーかイオンでボールペン買って来い、赤青黒の三色一体型のやつだ」
「ボールペンなら有るぞ、ほらこんなに沢山」
「有馬記念、ダービー、宝塚記念、春天にこっちは秋天、見事に競馬の記念ボールペンばっかりですね。アホですかあんた、普通の主婦は競馬グッズ揃えたりもしません、キーホルダーもバックのチャームもじゃないですか、ゴールドシップ」
「何でや!ゴルシええやろ!」
「そこじゃねぇよ馬鹿、溶け込む気有るのか」
服や靴や財布の中身に関しては何の問題も無かったが、時計や筆記用具に関しては少々拘りが有る所為か、次々に社員達からツッコミが入る。スマホの中身も惨憺たる有様で、業務上の機密的な意味を一切考慮しなかったとしても壁紙も含め見られたらアレ過ぎるという理由により、SIMカードを抜いて別のスマホに突っ込み直し、その中に入れるアプリは社員達の意見のみで決定されインストール作業が行われた。
「新型コロナウイルスは?」
「え?新型だから変異と劇症化の懸念はするべきだけどインフルの方がよっぽど罹患の危険性も死亡率も高いから現時点では別に」
「違うこの馬鹿!よく分かんないけど危険なウイルスだから徹底的に避けなきゃ!どこそこのドラッグストアでマスクが売ってたとかどのマスクが良い!とか、主婦の思考パターンと話題はそれだこの無能!」
「主婦差別だ!」
「お前は『長らく専業主婦だったが最近家を新築して住宅ローン返済の為に働きに出る事になった四十二歳で夫は都内の製造業本社勤務で帰りは毎日二十二時過ぎで家事参加不可で子供は男二人で上は高校一年生下は中学二年生』って設定だろうが!その設定に埋没する様なテンプレで良いんだよ!」
潜入するにあたり一定の設定を作り上げそれは勿論涼子の脳内にも叩き込まれてはいるものの、持ち物に関しては例え見られたとしても
「趣味なんです」
の一言で流せば良いと、涼子自身はそう思っている。これが本来の分野での潜入なのであれば流石にもっと神経を尖らせるが、日中の(休憩時間を除けば)八時間を事務所で過ごすだけなのだからそこ迄せずとも、と。しかし社員達はそうではない様子で、ああでもないこうでもないというチェックと指導はその日の夜遅く迄続けられた。
そして一夜明けた今、涼子は営業所の道路向かいに在るドトールでコーヒーを飲みながら紫煙を燻らせ、その向こうに見える営業所の玄関をじっと見詰めている。
時刻は七時三十分、先程から社員やパートであろう人間達が玄関を入って行き、数分前それが途絶えた。始業は八時からだと土屋から聞いているが、その前に朝礼でもやるのだろう。
「……何か展開が読めた気がするけど、まぁ問題の炙り出しが仕事だし、十分位前に入るか」
自社では拘束時間外の労働や研修や仕事の準備や片付け等、そういった事は一切させていないが、そうではない職場が掃いて捨てて埋め立ててもまだ星の数程有る事は知っている、恐らくはここもそうなのだろう。
「しかしそれだけであれだけ定着率が悪くなるとも思えんし……人間関係かねぇ……」
ここで考えても仕方が無いか、そう思い直し食べ残していたホットドッグを食べ終えコーヒーを飲み、煙草をもう一本。短くなったそれを灰皿へと押し付けて時計を見れば時刻は七時四十五分、そろそろかと立ち上がりトレーを片付け、店を出て道路を渡った。
「おはようございます、今日からお世話になります高橋です、宜しくお願いします」
事務所内へと入り声を掛ければ、そこではやはり朝礼が行われており、従業員の前に立つ男が
「おはようございます、こっちに」
と、涼子へと向かって手招きをする。それに従い前へと出て
「所長の松川です、挨拶して」
そう言われ、松川へと軽く頭を下げた涼子はこちらへと注視している従業員達へと向き直った。
「おはようございます、今日からお世話になります高橋です。分からない事だらけだと思いますので、皆さんご指導宜しくお願いします」
頭を下げながら然り気無く全体へと視線を走らせれば、好意的ではない視線をこちらへと向ける人物が数人。全てパートらしき中年から老年の女性で、
(はいはい、最初はアレとぶつかりそうな気配だな)
と、そんな事を考える。どうやら朝礼はほぼ終わりの頃合いだった様子で、涼子の挨拶の後は所長から簡単な伝達が有り解散となった。その後
「じゃあ仕事内容は岡場さんに聞いて、ここ一番のベテランだから何でも知ってますから」
そう言われて紹介されたのは先程自分に向けて一際厳しい反応を見せていた老年女性、岡場と呼ばれたその女性は眉間の皺を深くして涼子を上から下迄見ると、口元を歪めて吐き捨てる様に口を開いた。
「……働くの初めて?」
「……は?」
数秒の間、涼子には岡場の意図が理解出来なかった。設定としては
『大学を卒業後地元の小さな会社に就職しそこで働いた後結婚、長男を妊娠したのをきっかけに退職。夫が転勤の有る仕事だった為それからはずっと専業主婦をしており、夫が退職する迄本社勤務が確定した為家を建て、ローン返済の為に働きに出る事にした』
となってはいるが、それは行動や主婦という設定に説得力や厚みを持たせる為のものであり、別にこの営業所の人間に伝える予定は無い。勤務時間中に世間話等で家庭の事に触れられたら多少は話す事も有るだろう、と、その程度のものだ。
それを何故初対面の初めての言葉としてぶつけられるのか、しかもかなりの敵意を以て。全てがどうにも理解出来ずに言葉を紡げない涼子を見て岡場はどう解釈したのか、
「こんなギリギリに来て常識無いよね?普通三十分前には来るよ?」
そう吐き捨てて踵を返し自席へと去って行く。残された涼子としては業務内容を教えてもらえると思っていただけに動き様が無く、さてどうしたものかと立ち尽くしていると
「おはようございます、越川です。よろしくお願いしますね」
と、涼子よりは数歳は歳上だろうかという中年女性が声をかけて来た。
「おはようございます、高橋です、宜しくお願いします」
「岡場さん厳しいから、明日から気を付けてね」
「はぁ……そうですか」
「今迄働いた事無いと色々と社会の常識分からない事も有ると思うけど、頑張りましょう」
「はぁ……」
どうやら生まれてこの方働いた事が無いという設定で固定されてしまった様子だが、それはまぁ構わない、大事なのは少なくとも一週間はここで働いて内情を探る事なのだと思い直し越川について歩き出し、タイムカードに名前を書き込んで打刻した後はデスクへと案内された。
「取り敢えず今日は伝票の処理をお願いします。複写式のものの上はこっち、下はこっちに分離して重ねて、上は束毎にホチキス止めしてこの箱に入れて、下はクリップで止めてこっちの箱に入れて下さい」
「はい、分かりました」
「その時に記入欄のこことここの記載をチェックして、もし記載漏れが有ったらパソコンで社内システム使って検索して。ログインIDとパスワードはパソコンに貼ってあるからそれ見てね」
「……はい、分かりました」
思わずツッコミを入れようかとした自分を何とか押し留め、涼子は返事をして伝票へと向き直り一度深呼吸をする。
(落ち着け、落ち着け私。令和の時代にまさか『IDとパスワードはパソコンに貼ってある』とか、そんな事有るわけ無いじゃないか、うんそうだ、私の空耳に違い無い、そうに決まってる。ゴルシが一頭、ゴルシが二頭、ゴルシが三頭……うん、よし、落ち着いて来たぞ)
脳裏にゴールドシップがゴールし続ける光景を思い浮かべてもう一度深呼吸をしてから伝票へと手を伸ばし、言われた通りに作業を開始する。
内容は受発注に関するもの、品名や数や配送先が印字されており一枚は配送先に品物と一緒に送るもの、もう一枚は控えとしてこの営業所で保管するものの様だ。
「……あ、これか」
数十枚程仕分けた頃に出て来たのは配送先の欄が空欄になってしまっている一枚の伝票。越川は社内システムを使って検索をしろと言っていたなと考えながら立ち上がり、パソコンが設置してあるデスクへと向かって歩き出す。モニターには越川が言った様に本当にログインIDとパスワードを書いた紙がしっかりと貼り付けて有り、それを見て遠い目をしつつ何とかパソコンへと向き直る。今日はまだ誰も使っていなかったのか電源が落とされたままのパソコンの電源ボタンを押しながら椅子へと腰を下ろせば、暫くして真っ暗な画面に実に懐かしい画像が現れ、その画像の意味を瞬時に理解した涼子の意識は一瞬彼方へと飛ばされそうになった。
(……XPとかもう何年見てねぇかな……サポート完全終了してからもう何年……六年?)
表示されたのはWindows XPの起動画面。マイクロソフトのサポートは完全に終了し日を重ねる毎に脆弱になっているシステム、それを搭載したマシンを今更拝む事になるとはと軽い頭痛と眩暈を感じつつ起動を待つ。数分後デスクトップが表示されてからネットワークを調べてみるが、イントラネットだけではなく外部ネットワーク、インターネットにも接続されており、顧客情報も取り扱うマシンがこれかとがっくりと肩を落としつつ深く溜息を吐く。
(……ん?)
キーボードへと落とされた涼子の視界の隅に紙の束の角が入り込む。真っ白な紙面にうっすらと薄墨色でぼやけた文字列が浮かび、顔を上げて全体を見てみればメモ用の裏紙だという事が見て取れた。
(いやいやいや……まさかそれは幾ら何でも……)
文字列の意味を薄っすらと読み取りつつ、しかし幾ら何でもそれは無かろう、涼子はそう自らを否定しつつメモ用紙へと手を伸ばし、ゆっくりと裏返してみた。
そこに記されていたのは個人名企業名に電話番号に住所、その他諸々。夥しい量の個人情報に今度こそ本当に眩暈を感じながら、喉から鼻にかけて抜ける奇妙で短い笑い声を止める事が出来なかった。
「……これでもISO 27001取得してるんだぜ、この会社……嘘みたいだろ……?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる