5 / 7
『勤務二日目』
しおりを挟む
出勤した涼子が事務所へと入ったのは昨日よりも少し遅い七時五十六分、朝礼はそろそろ締めの挨拶といった頃合い。何故課業開始前に朝礼をやるのだろうかと思いつつタイムカードを打刻すれば、血相を変えた岡場が小走りでやって来て口を口角泡飛ばして言い募って来た。
「昨日も言ったけど来るの遅過ぎるから!三十分前には事務所入ってちゃんと朝礼は出て!それと、まだ八時になってないんだからタイムカード通したらいけないんだよ!そんな事も分かんないの!?」
(昨日も思ったけど来るの別に遅くないから。契約時間の八時に業務開始出来るなら何も問題無いし、タイムカードは職場に入ったら打刻するものだし、そんな事も分かんないの?)
とは思ったものの口には出さず、かと言って謝罪するわけでもなく、曖昧且つ少々小馬鹿にした笑みを口元に浮かべ、
「おはようございます」
という言葉だけを口にして涼子は着席する。人員が定着しない理由はもう昨日だけで粗方判明した、残りの日数で補強すれば良いだけの事だから、眼鏡に仕込んだカメラでの録画と机上のレコーダーでの録音に任せておけば事は足りるだろう。自分から動く必要が有りそうなのは業務上横領、こればかりは録画と録音だけで証拠が集まるとも思えず、積極的に動いて探っていく必要が有りそうだ。
仕事に関しては昨日朝一で越川に伝票の仕分けについて時間にして一分のレクチャーが有ったがそれ以降は何も無し、その時々で聞いて教えてもらうか、そこに岡場が割って入って来て罵られるか。それは今日も変わらないらしく、電話に出て取り次いでは怒られ、伝票の処理について質問すれば怒られ、そうやって時間が過ぎて行く。そうこうしている内に従わない迄も言い返さない涼子について、事務方、特に岡場の認識は
『こいつはいつも通りに苛めて良い奴』
という所に落ち着いたのだろう、事務処理をしながらの雑談の内容は、辛うじて名指しではないものの『誰かさん』や『誰とは言わないけど』といった言い方で涼子の事についてにシフトしていく形になった。
「言われなきゃ何も出来ない」
「言われていないのに勝手な事をして仕事を増やす」
「一度も働いた事が無いとか信じられない、世間から切り離されてどれだけ非常識になるのか考えたくもない」
「そんな非常識女の旦那とか、やっぱり非常識で仕事も出来ないんだろうね」
「そんな使えない男だから非常識な女としか結婚出来なかったのかも」
「子供も程度が知れてるね」
と、相手や状況が違えば即刻名誉棄損や侮辱といった案件で法律でブン殴られかねない状態ではあるが、当人達にはその自覚は全く無いらしい。
(夫?私と結婚したトMっ子ではあるけど仕事は普通に出来ますよー、良い大学出て良いところに就職して、今は我が社の副社長ですよー。子供は一番上はもう就職してて子供もいるし頑張って家族守って養ってますよー)
怒りの感情すら彼方へと吹き飛ばされる程の岡場とその仲良しと手下達の世間と認識の狭さに内心唖然としつつ、涼子は胸の内だけで言葉を返しながら伝票の仕分けや書類の処理を黙々と続ける。
それが一変したのは、岡場が電話の相手へと吐き出した言葉が切っ掛けだった。
「あ、○○営業所の岡場ですけどー。△△なんですけど、破損が有りまして、赤伝処理しておきましたー」
来た、と、そう思った。視線だけを動かして岡場の方を見てみれば昨日と同じ様に岡場のバッグの横には紙袋が一つ。その口からはやはり昨日と同じ様に今しがた岡場がその名を口にした商品が複数覗いており、電話の少し前にスマホを手にした岡場が倉庫へと行き十五分程戻って来なかった事を思い出す。
「――トイレ行って来ます」
元々スマホは上着のポケットに入れたままた、ついでに煙草もライターも入れたまま。トイレに行くとだけ告げて立ち上がり、事務所を出て廊下を歩き外へと出る。建物の裏手、人目の無い場所へと移動した後は煙草に火を点け、唇の端に咥えフィルター部分を噛み潰しながら何処かへと電話をかけ始める。
『はーい、どうしました、ボス?』
電話に出たのは自社の社員、間延びしたその声音を聞いた涼子は口角を歪めて笑いながら、ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を吐き出した。
「――今から言う商品を検索しろ。フリマ、オークション、スマホアプリを片っ端から検索掛けて全ての条件を満たすアカウントをピックアップしろ」
『まーた悪い顔してるでしょ、相手も可哀相に。それで、条件は?』
「ここ数日以内で○○と△△の両方を出品、発送元は関東。商品の写真は公式からの転用引用ではなくスマホで撮影、スマホの機種も掲載画像のプロパティから分かるなら調べてくれ、×××だ。出品は単品と纏めての両方で」
『了解です、これだけだと絞り込みにちょっと時間掛かります、二時間下さい』
「どっちにしろ今日の課業明けにならんと私が動けんから、それに間に合うなら構わん、頼んだぞ」
『了解です』
と、それだけの短い遣り取りを終えて通話を終了する。その後はまだまだ長さが残っている煙草を堪能し、携帯灰皿に火種を押し付けて蓋を閉じた後は何も無かった様に事務所へと戻って行った。
事務所へと戻った涼子を待ち受けていたのは岡場の嫌味、岡場自身も喫煙者だからか涼子の周囲に漂う煙草の匂いには気付かないらしく、トイレに行って長時間戻って来なかった、どうせスマホで遊んでいたんだろうと、そういった類の言葉を次々とぶつけて来る。しかし涼子としては事態が面白い方向へと動き始めた事の方がよほど重要で、岡場の嫌味を今迄以上に曖昧な笑みで受け流しデスクへと戻り業務を再開した。
その後ホチキスの針やらクリアファイルやらの補充をしてくれと言うも
「備品はベテランとか社員が使うもの、新人が自分で用意して来てないとか何考えてるの?」
とにべも無く却下されたが、その程度のイビリはもう飽きた、もう少し捻って強いのを出して来いよと涼子は鼻で笑う。そうこうしている内に社員から結果の連絡が届き、提示されたアカウントと出品を確認した涼子は報告内容を確認した後で速攻で出品を購入する。
そうこうしつつ仕事をこなしている内に定時となり、涼子は上機嫌でタイムカードを打刻し
「お先に失礼しまーす」
と、語尾に音符かハートマークでも付いている程の上機嫌で事務所を出て行った。
「昨日も言ったけど来るの遅過ぎるから!三十分前には事務所入ってちゃんと朝礼は出て!それと、まだ八時になってないんだからタイムカード通したらいけないんだよ!そんな事も分かんないの!?」
(昨日も思ったけど来るの別に遅くないから。契約時間の八時に業務開始出来るなら何も問題無いし、タイムカードは職場に入ったら打刻するものだし、そんな事も分かんないの?)
とは思ったものの口には出さず、かと言って謝罪するわけでもなく、曖昧且つ少々小馬鹿にした笑みを口元に浮かべ、
「おはようございます」
という言葉だけを口にして涼子は着席する。人員が定着しない理由はもう昨日だけで粗方判明した、残りの日数で補強すれば良いだけの事だから、眼鏡に仕込んだカメラでの録画と机上のレコーダーでの録音に任せておけば事は足りるだろう。自分から動く必要が有りそうなのは業務上横領、こればかりは録画と録音だけで証拠が集まるとも思えず、積極的に動いて探っていく必要が有りそうだ。
仕事に関しては昨日朝一で越川に伝票の仕分けについて時間にして一分のレクチャーが有ったがそれ以降は何も無し、その時々で聞いて教えてもらうか、そこに岡場が割って入って来て罵られるか。それは今日も変わらないらしく、電話に出て取り次いでは怒られ、伝票の処理について質問すれば怒られ、そうやって時間が過ぎて行く。そうこうしている内に従わない迄も言い返さない涼子について、事務方、特に岡場の認識は
『こいつはいつも通りに苛めて良い奴』
という所に落ち着いたのだろう、事務処理をしながらの雑談の内容は、辛うじて名指しではないものの『誰かさん』や『誰とは言わないけど』といった言い方で涼子の事についてにシフトしていく形になった。
「言われなきゃ何も出来ない」
「言われていないのに勝手な事をして仕事を増やす」
「一度も働いた事が無いとか信じられない、世間から切り離されてどれだけ非常識になるのか考えたくもない」
「そんな非常識女の旦那とか、やっぱり非常識で仕事も出来ないんだろうね」
「そんな使えない男だから非常識な女としか結婚出来なかったのかも」
「子供も程度が知れてるね」
と、相手や状況が違えば即刻名誉棄損や侮辱といった案件で法律でブン殴られかねない状態ではあるが、当人達にはその自覚は全く無いらしい。
(夫?私と結婚したトMっ子ではあるけど仕事は普通に出来ますよー、良い大学出て良いところに就職して、今は我が社の副社長ですよー。子供は一番上はもう就職してて子供もいるし頑張って家族守って養ってますよー)
怒りの感情すら彼方へと吹き飛ばされる程の岡場とその仲良しと手下達の世間と認識の狭さに内心唖然としつつ、涼子は胸の内だけで言葉を返しながら伝票の仕分けや書類の処理を黙々と続ける。
それが一変したのは、岡場が電話の相手へと吐き出した言葉が切っ掛けだった。
「あ、○○営業所の岡場ですけどー。△△なんですけど、破損が有りまして、赤伝処理しておきましたー」
来た、と、そう思った。視線だけを動かして岡場の方を見てみれば昨日と同じ様に岡場のバッグの横には紙袋が一つ。その口からはやはり昨日と同じ様に今しがた岡場がその名を口にした商品が複数覗いており、電話の少し前にスマホを手にした岡場が倉庫へと行き十五分程戻って来なかった事を思い出す。
「――トイレ行って来ます」
元々スマホは上着のポケットに入れたままた、ついでに煙草もライターも入れたまま。トイレに行くとだけ告げて立ち上がり、事務所を出て廊下を歩き外へと出る。建物の裏手、人目の無い場所へと移動した後は煙草に火を点け、唇の端に咥えフィルター部分を噛み潰しながら何処かへと電話をかけ始める。
『はーい、どうしました、ボス?』
電話に出たのは自社の社員、間延びしたその声音を聞いた涼子は口角を歪めて笑いながら、ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を吐き出した。
「――今から言う商品を検索しろ。フリマ、オークション、スマホアプリを片っ端から検索掛けて全ての条件を満たすアカウントをピックアップしろ」
『まーた悪い顔してるでしょ、相手も可哀相に。それで、条件は?』
「ここ数日以内で○○と△△の両方を出品、発送元は関東。商品の写真は公式からの転用引用ではなくスマホで撮影、スマホの機種も掲載画像のプロパティから分かるなら調べてくれ、×××だ。出品は単品と纏めての両方で」
『了解です、これだけだと絞り込みにちょっと時間掛かります、二時間下さい』
「どっちにしろ今日の課業明けにならんと私が動けんから、それに間に合うなら構わん、頼んだぞ」
『了解です』
と、それだけの短い遣り取りを終えて通話を終了する。その後はまだまだ長さが残っている煙草を堪能し、携帯灰皿に火種を押し付けて蓋を閉じた後は何も無かった様に事務所へと戻って行った。
事務所へと戻った涼子を待ち受けていたのは岡場の嫌味、岡場自身も喫煙者だからか涼子の周囲に漂う煙草の匂いには気付かないらしく、トイレに行って長時間戻って来なかった、どうせスマホで遊んでいたんだろうと、そういった類の言葉を次々とぶつけて来る。しかし涼子としては事態が面白い方向へと動き始めた事の方がよほど重要で、岡場の嫌味を今迄以上に曖昧な笑みで受け流しデスクへと戻り業務を再開した。
その後ホチキスの針やらクリアファイルやらの補充をしてくれと言うも
「備品はベテランとか社員が使うもの、新人が自分で用意して来てないとか何考えてるの?」
とにべも無く却下されたが、その程度のイビリはもう飽きた、もう少し捻って強いのを出して来いよと涼子は鼻で笑う。そうこうしている内に社員から結果の連絡が届き、提示されたアカウントと出品を確認した涼子は報告内容を確認した後で速攻で出品を購入する。
そうこうしつつ仕事をこなしている内に定時となり、涼子は上機嫌でタイムカードを打刻し
「お先に失礼しまーす」
と、語尾に音符かハートマークでも付いている程の上機嫌で事務所を出て行った。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる