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第418章『上書き』
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第418章『上書き』
島津達の分隊からは遠ざかったものの、市街地に一体どれだけの海兵が、そして陸軍も含めた教導隊が出て来ているのか、区画を一つ二つ跨げば直ぐに別の分隊に捕捉され攻撃され、これでは気も身体も全く休まらない、そう思いつつタカコは彼等を躱し続けた。
守りを固めていろと言ったのに、高根は、そして黒川や副長は一体どんな決断をしたのか、そんなにこちらが信用出来ないのかと吐き捨て、タカコは自分のその言葉に双眸を見開いて立ち止まり、そして小さな苦笑いを浮かべる。
元より信じるものも仕える国体も思想も主義も違った、異国人同士の自分達、今は進む道も違たのだ、幾ら個人間での信用が有ったとは言えど、公的にもそれに基づいて動けるわけではない事はよく分かっている。何処からどんな物言いが入ったのか、口約束の同盟よりも優先せざるを得ない事が出て来た、そういう事なのかも知れない。
その事について大和側を責める事は出来ないだろう、事の発端からしてワシントン側の都合なのだ。大和側が自国の存続の為の決断をしたとしてそれを責める道理も権利も、ワシントン人である自分には無い。
しかし――、と、そこでタカコはいつの間にか俯いてしまっていた顔を上げ、基地の方向を見上げる。大和軍にしてみれば自陣営以外の勢力は出来るだけ海兵隊基地から遠ざけておきたいところだというのは分かる、事実市街地に出た隊は自分を的確に追い立て、少しずつ基地から離れてしまっている。これ以上遠ざかれば、ヨシユキは自分を引き戻す為に反転し海兵隊基地への攻撃を始めるだろう。市街地に潜伏してのゲリラ戦の為か、迫撃砲等の大物が持ち出されている気配は今のところは無いが、彼が率いる部隊だ、喩え対人装備しか携行していなかったとしても、大和陣営には決して小さくはない損害が出る事は想像に難くない。
何とか今はこの場に踏み止まっていたいが、それでもこうして攻撃を加えられている以上、直接大和陣営に接触するのは危険が高過ぎる。複雑になり過ぎた事態に若干の眩暈と苛立ちを感じながら、タカコは少し休むかと物陰に身を潜めその場に腰を下ろした。
大和軍が自分に対し、自分が誰であるかを認識した上で攻撃して来たという事は、恐らくは部下達に対しても同じくだろう。意思疎通は無いながらも大和軍との共同戦線を張るという自分の決定が有る以上、部下達も彼等に対して手出しは出来ていないに違い無い。
仮に拘束されたとして即座に殺されるという事は無いだろうが、大和軍とヨシユキの部隊との二正面状態、同時に攻撃されたとしたら、そうでなくとも大和軍に意識を集中させている状態のところにヨシユキの部隊に攻撃されたとしたら――、浮かんで来るのは暗く紅い嫌な画ばかり。
そんな事にならない様に事態が推移すれば良いが、今は祈るしか出来ない、
『……頼むぞ、皆』
それは大和軍に対してなのか部下に対してなのか、タカコ自身もよく分からないままに呟きながら、先程から両手に持ったままだった抜身の太刀を拾って来た鞘に納めるかと思い立つ。
ここ最近は戦闘で使用する事は殆ど無くなっていた、大和に来て初めて手にした武器。刃の鋭さとそれが放つ美しさは無骨ながらもまるで完成された芸術品の様で、手入れをしながら静かな輝きを眺めるのが大好きだった。自分に貸与された村正は、基地を出る時に戦闘服や他の貸与品と同じ様に営舎の私室へと置いて出て来てしまった、あの美しさをもう見る事は無いのだろうな、寂しそうに笑いながら今手にしている太刀を鞘へと納めようとその刃へ視線を移せば、そこでタカコの動きは突然に停止する。
『なーなー、つーるがー、その名の刻印、私の村正にも入れてくれよ』
『お前のじゃねぇ、貸与品だ。捕虜に貸与してやるだけ有り難いと思え』
『それとこれとは関係無いし。なーなー、名入れてよー、めーいー』
『隊長格になってから漸く貸与されるんだよ名入りの太刀は。俺だって最初は無名から始まってんだ、何で士官でも何でもねぇ捕虜に名入りの太刀持たせにゃなんねぇんだよ』
『入れてー、いーれーてー』
『……入れて入れてって下品な女だなマジで……』
『え?何が?』
『いや……何でもねぇ……よし、貸せ』
以前、村正を貸与された直後に刀身に名が彫られていない事を不満に思い駄々を捏ねた自分に、敦賀は鬱陶しそうな顔と態度をして聞き流そうとした後、何の気紛れなのか村正を受け取りその刀身に
『村正』
と、油性のペンで名を書き入れてそれを返して来た。刻印でない事に不満を言いはしたものの、その後も手入れや戦闘で掠れたり消えたりする度、それを見付けては書き直してくれた事を思い出す。
何度も何度も書き直してくれた、今では泣きたくなる位に優しく切ない思い出となったそれ。基地を出る前に最後に一目と鞘から抜いた刀身からは名はもう殆ど消えかけており、丁度良いと小さく笑ったのを覚えている。
今自分が手にしているのは、鍔も柄に巻かれた柄糸も刀身に走る刃紋も、三年弱の間自分にとっては見慣れ手に馴染んだものだった事に漸く気付く。そして、その刀身には掠れて消えかけた油性ペンの跡、その上に新たに書かれた見慣れた二文字に、タカコは溢れ出る涙を堪える事が出来なかった。
『村正』
そこには、敦賀が自分の太刀に与えてくれた名、それが彼の筆跡で真新しい漆黒で記されていた。
島津達の分隊からは遠ざかったものの、市街地に一体どれだけの海兵が、そして陸軍も含めた教導隊が出て来ているのか、区画を一つ二つ跨げば直ぐに別の分隊に捕捉され攻撃され、これでは気も身体も全く休まらない、そう思いつつタカコは彼等を躱し続けた。
守りを固めていろと言ったのに、高根は、そして黒川や副長は一体どんな決断をしたのか、そんなにこちらが信用出来ないのかと吐き捨て、タカコは自分のその言葉に双眸を見開いて立ち止まり、そして小さな苦笑いを浮かべる。
元より信じるものも仕える国体も思想も主義も違った、異国人同士の自分達、今は進む道も違たのだ、幾ら個人間での信用が有ったとは言えど、公的にもそれに基づいて動けるわけではない事はよく分かっている。何処からどんな物言いが入ったのか、口約束の同盟よりも優先せざるを得ない事が出て来た、そういう事なのかも知れない。
その事について大和側を責める事は出来ないだろう、事の発端からしてワシントン側の都合なのだ。大和側が自国の存続の為の決断をしたとしてそれを責める道理も権利も、ワシントン人である自分には無い。
しかし――、と、そこでタカコはいつの間にか俯いてしまっていた顔を上げ、基地の方向を見上げる。大和軍にしてみれば自陣営以外の勢力は出来るだけ海兵隊基地から遠ざけておきたいところだというのは分かる、事実市街地に出た隊は自分を的確に追い立て、少しずつ基地から離れてしまっている。これ以上遠ざかれば、ヨシユキは自分を引き戻す為に反転し海兵隊基地への攻撃を始めるだろう。市街地に潜伏してのゲリラ戦の為か、迫撃砲等の大物が持ち出されている気配は今のところは無いが、彼が率いる部隊だ、喩え対人装備しか携行していなかったとしても、大和陣営には決して小さくはない損害が出る事は想像に難くない。
何とか今はこの場に踏み止まっていたいが、それでもこうして攻撃を加えられている以上、直接大和陣営に接触するのは危険が高過ぎる。複雑になり過ぎた事態に若干の眩暈と苛立ちを感じながら、タカコは少し休むかと物陰に身を潜めその場に腰を下ろした。
大和軍が自分に対し、自分が誰であるかを認識した上で攻撃して来たという事は、恐らくは部下達に対しても同じくだろう。意思疎通は無いながらも大和軍との共同戦線を張るという自分の決定が有る以上、部下達も彼等に対して手出しは出来ていないに違い無い。
仮に拘束されたとして即座に殺されるという事は無いだろうが、大和軍とヨシユキの部隊との二正面状態、同時に攻撃されたとしたら、そうでなくとも大和軍に意識を集中させている状態のところにヨシユキの部隊に攻撃されたとしたら――、浮かんで来るのは暗く紅い嫌な画ばかり。
そんな事にならない様に事態が推移すれば良いが、今は祈るしか出来ない、
『……頼むぞ、皆』
それは大和軍に対してなのか部下に対してなのか、タカコ自身もよく分からないままに呟きながら、先程から両手に持ったままだった抜身の太刀を拾って来た鞘に納めるかと思い立つ。
ここ最近は戦闘で使用する事は殆ど無くなっていた、大和に来て初めて手にした武器。刃の鋭さとそれが放つ美しさは無骨ながらもまるで完成された芸術品の様で、手入れをしながら静かな輝きを眺めるのが大好きだった。自分に貸与された村正は、基地を出る時に戦闘服や他の貸与品と同じ様に営舎の私室へと置いて出て来てしまった、あの美しさをもう見る事は無いのだろうな、寂しそうに笑いながら今手にしている太刀を鞘へと納めようとその刃へ視線を移せば、そこでタカコの動きは突然に停止する。
『なーなー、つーるがー、その名の刻印、私の村正にも入れてくれよ』
『お前のじゃねぇ、貸与品だ。捕虜に貸与してやるだけ有り難いと思え』
『それとこれとは関係無いし。なーなー、名入れてよー、めーいー』
『隊長格になってから漸く貸与されるんだよ名入りの太刀は。俺だって最初は無名から始まってんだ、何で士官でも何でもねぇ捕虜に名入りの太刀持たせにゃなんねぇんだよ』
『入れてー、いーれーてー』
『……入れて入れてって下品な女だなマジで……』
『え?何が?』
『いや……何でもねぇ……よし、貸せ』
以前、村正を貸与された直後に刀身に名が彫られていない事を不満に思い駄々を捏ねた自分に、敦賀は鬱陶しそうな顔と態度をして聞き流そうとした後、何の気紛れなのか村正を受け取りその刀身に
『村正』
と、油性のペンで名を書き入れてそれを返して来た。刻印でない事に不満を言いはしたものの、その後も手入れや戦闘で掠れたり消えたりする度、それを見付けては書き直してくれた事を思い出す。
何度も何度も書き直してくれた、今では泣きたくなる位に優しく切ない思い出となったそれ。基地を出る前に最後に一目と鞘から抜いた刀身からは名はもう殆ど消えかけており、丁度良いと小さく笑ったのを覚えている。
今自分が手にしているのは、鍔も柄に巻かれた柄糸も刀身に走る刃紋も、三年弱の間自分にとっては見慣れ手に馴染んだものだった事に漸く気付く。そして、その刀身には掠れて消えかけた油性ペンの跡、その上に新たに書かれた見慣れた二文字に、タカコは溢れ出る涙を堪える事が出来なかった。
『村正』
そこには、敦賀が自分の太刀に与えてくれた名、それが彼の筆跡で真新しい漆黒で記されていた。
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