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第431章『餌』
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第431章『餌』
大和沿岸警備隊中佐、金子大樹。代々佐世保港を母港とする網元の家系に生まれ、本人も兄弟も共に幼い頃から海に慣れ親しみ生きていた。跡継ぎは金子が生まれるよりも前に既に長兄に決まっており、金子本人は網子となるも他に職を求めるも自由だったが、自由に選べるのであれば他の、しかし慣れ親しんだ海と深く関われる職を、と、そう思い選んだのは、沿岸警備隊の士官学校。
網元の家という事で進学費用で困る事も無く四年間を無難に終え、配属された先は念願の艦艇勤務。時折短期間の陸上勤務となる事も有ったが、二十年以上の多くを海の上で過ごし、着実に実績を積み重ね生きて来た。
そんな或る日、与えられたのは外洋調査艦隊の司令の任。大和はその勃興の際に旧海軍が自然解体しそのまま海兵隊へと移行したという歴史の為、本来であれば海軍の名を関する筈の組織が沿岸警備隊という名称に甘んじる事となった経緯が有る。国体の立て直しと活骸の侵攻を防ぎ押し返す事を国是としていた事も有り、海からの外部への接触や調査が後回しにされ続けていたという事情も重なり、永らくその状態が続いていたが、この外洋調査はそれを打破する糸口となると、その思いと期待は金子だけではなく、海軍への返り咲きを狙う組織としての沿岸警備隊としてもとても強いものだった。
そうして態勢を整え佐世保を出港したのはもう六年程前の事、対馬区沿いに北上し対馬区と朝鮮半島が完全に地続きになっている事を実際に確認した後は、そのまま済州島の南の海域を西へと進み、旧中国の上海の方向へと進行し、岸迄百m程の位置で投錨し地上の観測を行った。
信号弾の打ち上げや投光器での合図に対して明確且つ理性的な意思による反応が返される事は無く、活骸の群れが時折観測されるだけで、上海の調査は二週間程で打ち切りになり、大陸に見切りを付けた後は南下し台湾の調査へと向かった。
そして見たものは、海峡が消滅し大陸と地続きになった台湾、既に活骸に浸食されたそこにも、やはり希望は存在していなかった。落胆の気持ちを抱きつつ次に沖縄諸島へと向かえば、そこには活骸の姿こそ無く上陸も出来たものの、旧文明の崩壊時の天変地異の際の津波により甚大な被害を受けた様子で、本土からの救援を受ける事も出来ずに津波から生き残った者もじわじわと滅びていったのか、生きている人間の姿は何処にも見当たらなかった。
在ったのは、朽ちかけた嘗ての文明の名残を覆い尽す様に深緑の大自然と、そこで自由に生きる生物の姿だけ。嘗ての同胞の生き残りに出会えるかも知れないという期待は無残に打ち砕かれ、金子達は水や食料の補給と暫しの休息の後、沖縄本島を後にしてそのまま南下し、その先に在る旧フィリピンやインドネシアを目指して太平洋を南下した。
外洋調査用の大型艦艇とは言えど長期間の無補給での航行は不可能であり、潮の流れに乗って燃料を節約したとしてもインドネシアの調査を終えたら帰港しなければならない。艦隊司令である金子が燃料の残量の点検の回数と航海士官との話し合いの頻度を上げつつあった或る日、『それ』は突然に訪れた。
季節外れの台風による凄まじい嵐、一隻は直ぐに転覆しそのまま沈没、僚艦に収容し救助出来た部下は極少数にとどまった。そして生き残った艦艇も悉く機関部の深刻な故障が判明し、嵐が去った後に残ったのは、太平洋に浮かぶ全ての艦艇が動力を喪失し漂流を始めたという事実だけ。
そして始まった漂流、動力を失った為に進行方向を揃える事が出来ず、最初の内は艦艇同士を固定し夫々に人員を割り振り夫々の艦艇の食料や水や資材を別個で消費していた。
積み込んでいた水や食料は一ヶ月もしない内に尽き、その先は雨水を貯めたり海水を蒸留したり、食料に関しては艦艇の探知機を使い魚影を探して漁をし、それで飢えと渇きを凌ぐ事が一日の作業の大半を占める様になった。
しかし、それもそれなりの人数を抱えた大所帯では限界が有り、水も食料も平等に分配はしていたが体力の無い者から動く事が困難になり、やがてぽつぽつと死者が出始めた。最初の頃こそ丁寧に水葬で荼毘に付していたが、気力の衰えはどうしようもなかったのかやがて海に投下するだけになり、それに体力の衰えも加わり、遺体は甲板に放置され、きつい腐敗臭を放ち始めてから漸く海に投下される事が多くなった。
海に投下された遺体に魚が群がり腐肉を突く様子を目にした時、誰も何も言わずに網やタモや竿を取りに走り、血走った双眸を見開いて必死で魚を捕まえて生きたまま齧り付いたのは、漂流を始めてからどれ位経っていたのか、結局、あの出来事をきっかけにして『仲間の遺体』は自分達を長らえさせてくれる『餌』となった。
死者も相当数出て維持も不可能という事になり、金子が艦長を兼任していた旗艦に全員が乗り込み、僚艦同士を係留していた碇を解き無人となった艦艇を見送った時に、総員整列して敬礼をした。あの時だけは僅かに軍人らしさを取り戻した様な覚えが有るが、それでもその直後に振り返れば、腐敗臭を放ち液体を垂れ流し虫が集る仲間の遺体を纏めた袋を見る目は、やはり人間らしさ軍人らしさを失っていたと、今になってそう思う。
そんな極限の地獄に全ての者が耐えられたわけではない、或る者は自らの意志で命を絶ち、また或る者はそれを選ぶ前に精神が崩壊し、
「司令、もう課業明けです。今日は焼酎を奢ってくれる約束ですよ、早く行きましょう」
と、笑顔でそう言って甲板の手すりを乗り越えて海へと落ちて行き、それっきり浮かんで来なかった。
いつ終わるとも知れない地獄、段々と動く事もままならなくなりつつあった或る日、『それ』は突然に金子達の前に現れた。
「Hey, Are you all right?」
大和沿岸警備隊中佐、金子大樹。代々佐世保港を母港とする網元の家系に生まれ、本人も兄弟も共に幼い頃から海に慣れ親しみ生きていた。跡継ぎは金子が生まれるよりも前に既に長兄に決まっており、金子本人は網子となるも他に職を求めるも自由だったが、自由に選べるのであれば他の、しかし慣れ親しんだ海と深く関われる職を、と、そう思い選んだのは、沿岸警備隊の士官学校。
網元の家という事で進学費用で困る事も無く四年間を無難に終え、配属された先は念願の艦艇勤務。時折短期間の陸上勤務となる事も有ったが、二十年以上の多くを海の上で過ごし、着実に実績を積み重ね生きて来た。
そんな或る日、与えられたのは外洋調査艦隊の司令の任。大和はその勃興の際に旧海軍が自然解体しそのまま海兵隊へと移行したという歴史の為、本来であれば海軍の名を関する筈の組織が沿岸警備隊という名称に甘んじる事となった経緯が有る。国体の立て直しと活骸の侵攻を防ぎ押し返す事を国是としていた事も有り、海からの外部への接触や調査が後回しにされ続けていたという事情も重なり、永らくその状態が続いていたが、この外洋調査はそれを打破する糸口となると、その思いと期待は金子だけではなく、海軍への返り咲きを狙う組織としての沿岸警備隊としてもとても強いものだった。
そうして態勢を整え佐世保を出港したのはもう六年程前の事、対馬区沿いに北上し対馬区と朝鮮半島が完全に地続きになっている事を実際に確認した後は、そのまま済州島の南の海域を西へと進み、旧中国の上海の方向へと進行し、岸迄百m程の位置で投錨し地上の観測を行った。
信号弾の打ち上げや投光器での合図に対して明確且つ理性的な意思による反応が返される事は無く、活骸の群れが時折観測されるだけで、上海の調査は二週間程で打ち切りになり、大陸に見切りを付けた後は南下し台湾の調査へと向かった。
そして見たものは、海峡が消滅し大陸と地続きになった台湾、既に活骸に浸食されたそこにも、やはり希望は存在していなかった。落胆の気持ちを抱きつつ次に沖縄諸島へと向かえば、そこには活骸の姿こそ無く上陸も出来たものの、旧文明の崩壊時の天変地異の際の津波により甚大な被害を受けた様子で、本土からの救援を受ける事も出来ずに津波から生き残った者もじわじわと滅びていったのか、生きている人間の姿は何処にも見当たらなかった。
在ったのは、朽ちかけた嘗ての文明の名残を覆い尽す様に深緑の大自然と、そこで自由に生きる生物の姿だけ。嘗ての同胞の生き残りに出会えるかも知れないという期待は無残に打ち砕かれ、金子達は水や食料の補給と暫しの休息の後、沖縄本島を後にしてそのまま南下し、その先に在る旧フィリピンやインドネシアを目指して太平洋を南下した。
外洋調査用の大型艦艇とは言えど長期間の無補給での航行は不可能であり、潮の流れに乗って燃料を節約したとしてもインドネシアの調査を終えたら帰港しなければならない。艦隊司令である金子が燃料の残量の点検の回数と航海士官との話し合いの頻度を上げつつあった或る日、『それ』は突然に訪れた。
季節外れの台風による凄まじい嵐、一隻は直ぐに転覆しそのまま沈没、僚艦に収容し救助出来た部下は極少数にとどまった。そして生き残った艦艇も悉く機関部の深刻な故障が判明し、嵐が去った後に残ったのは、太平洋に浮かぶ全ての艦艇が動力を喪失し漂流を始めたという事実だけ。
そして始まった漂流、動力を失った為に進行方向を揃える事が出来ず、最初の内は艦艇同士を固定し夫々に人員を割り振り夫々の艦艇の食料や水や資材を別個で消費していた。
積み込んでいた水や食料は一ヶ月もしない内に尽き、その先は雨水を貯めたり海水を蒸留したり、食料に関しては艦艇の探知機を使い魚影を探して漁をし、それで飢えと渇きを凌ぐ事が一日の作業の大半を占める様になった。
しかし、それもそれなりの人数を抱えた大所帯では限界が有り、水も食料も平等に分配はしていたが体力の無い者から動く事が困難になり、やがてぽつぽつと死者が出始めた。最初の頃こそ丁寧に水葬で荼毘に付していたが、気力の衰えはどうしようもなかったのかやがて海に投下するだけになり、それに体力の衰えも加わり、遺体は甲板に放置され、きつい腐敗臭を放ち始めてから漸く海に投下される事が多くなった。
海に投下された遺体に魚が群がり腐肉を突く様子を目にした時、誰も何も言わずに網やタモや竿を取りに走り、血走った双眸を見開いて必死で魚を捕まえて生きたまま齧り付いたのは、漂流を始めてからどれ位経っていたのか、結局、あの出来事をきっかけにして『仲間の遺体』は自分達を長らえさせてくれる『餌』となった。
死者も相当数出て維持も不可能という事になり、金子が艦長を兼任していた旗艦に全員が乗り込み、僚艦同士を係留していた碇を解き無人となった艦艇を見送った時に、総員整列して敬礼をした。あの時だけは僅かに軍人らしさを取り戻した様な覚えが有るが、それでもその直後に振り返れば、腐敗臭を放ち液体を垂れ流し虫が集る仲間の遺体を纏めた袋を見る目は、やはり人間らしさ軍人らしさを失っていたと、今になってそう思う。
そんな極限の地獄に全ての者が耐えられたわけではない、或る者は自らの意志で命を絶ち、また或る者はそれを選ぶ前に精神が崩壊し、
「司令、もう課業明けです。今日は焼酎を奢ってくれる約束ですよ、早く行きましょう」
と、笑顔でそう言って甲板の手すりを乗り越えて海へと落ちて行き、それっきり浮かんで来なかった。
いつ終わるとも知れない地獄、段々と動く事もままならなくなりつつあった或る日、『それ』は突然に金子達の前に現れた。
「Hey, Are you all right?」
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