大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第432章『交流』

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第432章『交流』

 救助されたのは北アメリカ大陸迄僅か二百km程の海域だと理解出来たのは、陸上へと移送されてから二週間程経過してからの事だった。
 地図を見せられて身振り手振りで
『お前達はこの海域で保護された』
 という事を伝えられたものの、それ以上の意志の疎通は何も出来ず、医師や看護師に混じって戦闘服や軍服を来た人間が金子達の部屋へと出入りする様になってから数日が無為に過ぎて行った。
 通じない言葉、自分達とは大きく異なる外見の人間、相手としても意思疎通が出来ないという事態は打破したかったらしく、何処から探し出して来たのか漢字ばかりの本や象形文字の様な文字の本を持ち込み、最初はそれを使っての意思疎通が試みられた。
 しかしそのどちらも金子を始めとした大和沿岸警備隊の生き残りの耳に馴染みは無く、当然意味も分からない。そうしてお互いに苛立ちを溜め込む中、最後に持ち込まれたのが大和文字が記された本だった。自分達の骨身どころか魂に迄染み込んだそれを目にした金子達の表情の変化に、彼等も何かの糸口を掴めたという事は理解出来たのだろう、金子に本を手渡し、
『読めるのか?理解出来るのか?』
 と、身振りと視線だけで問い掛ける。全くの孤立無援の環境で触れた自国の言葉に金子が眦に涙を浮かべながら頷き、震える声で内容を読み上げ始めれば、彼等は直ぐに慌ただしく動き始め、数人が慌てて部屋を出て行った。
 戻って来た彼等から手渡されたのは
『やさしい英会話』
 と大和語で書かれた冊子で、中を開けばここに移送されて来てから目にした文字と大和語が対になって書かれており、文字の上には小さく大和語での振り仮名、冒頭には夫々の文字を大和語で何と読むのかという項目も有る。相手は相手で別の冊子を開き、数人でそれを覗き込んでいた中の一人が顔を上げ、ゆっくりと話し出した。
「ワ……ワタシノ、ナマ、ナマエハ、George Garrison、デス。アナタ、ノ……ナマエ、ハ、ナン、デス……カ?」
 たどたどしい口調、本人も自分が口にしている言葉に対してまるで自信が無いのだろう、何とも不安そうな上目遣いで金子を見詰め、
『これで本当に合っているのか?意味は通じているか?』
 と、視線で訴えかけて来る。どんな理由にせよ彼等はこちらを理解しようとしてくれている、それに応えなければと、金子も手にした本へと視線を走らせ、ゆっくりと、ゆっくりと口を開いた。
「まい、ねーむ、いず、だいき、かねこ。ほわっと、ゆあ、ねーむ?」
 金子の言葉に沸き立つ相手、お互いの立場も何も相手には伝えられてはいないものの、それでもその糸口が見つかった事を喜ぶ彼等に、金子を始めとした大和の面々の面持ちと心持ちも、若干は和らいだ。
 そしてそこから少しずつ互いの言葉の語彙を増やし、参考にする本も難易度を上げ、最初の意思疎通から三ヶ月が経つ頃には、お互いにたどたどしいながらも何とか自分達の事情や立場、国の事について相手へと伝える事が出来る様になっていた。
 自分達を保護したのがワシントン合衆国海軍の艦艇であった事、保護されたのはアメリカ大陸迄僅か二百km程の海域であった事、嘗てこの大陸に存在したアメリカ合衆国は既に滅び、その後に現在のワシントン合衆国が勃興した事、旧カナダは既に存在せず、ワシントン勃興の際に国体に組み込まれた事、大陸南部のメキシコと呼ばれる地方は完全な同一化には至らず、定期的に激しい戦争が起きている事。そんな事をお互いに辞書や教本を片手にしながら聞き、また金子達も同じ様に嘗ての日本が辿った末路と、そこから勃興した大和の現状を話し時間は少しずつ少しずつ過ぎて行った。
 一万km以上も、そして太平洋という大海を挟んで離れた大和、そこへ戻る事は難しいと、それはかなり早い段階で聞かされた。ワシントンも南部ではメキシコとの、そして北部では地続きになったユーラシア大陸からの活骸の侵攻を阻む事に注力していて、外洋を経由しての他の大陸や島の調査は最重要課題ではない、していないなわけではないが大和へとその範囲を広げる事はかなり先の事になるというその言葉に、金子も部下達も流石に落胆の色を隠せなかった。
 彼等と同じく自分達も軍に身を置く者、国策の優先順位が有る事は分かっているし、国内が覚束無い状況で他へと手を広げようとする事が無謀だというのは理解している。国に戻る事は諦め、この異国で生涯を終える事になるのだろうかと考え、そしてそれを運命として受け入れつつあった或る日、金子達の前に一人の女が姿を現した。
「ハジメマシテ、ワタシノナマエハ、タカコ・シミズデス。ワタシノソセン、ニホンジンデス、ミナサント、オナジデス」
 漆黒の髪と瞳、肌の色も白や黒ではなく自分達と同じ色合いで、名前だけでなく顔立ちも大和人そのもの。拙い大和語だけが彼女がワシントンの人間である事を窺わせ、しかしそれでも尚何とも言えない安心感を金子達へと与え、自分達の世話やワシントンの言葉を教える様に命令を受けて来たと言う彼女は、自然と輪の中へと入って来た。
 総務の下っ端だと言っていたタカコ、その彼女から軍人らしさを感じた事はただの一度も無く、現場を知らない、しかも女性ではそれも当然の事かと、何の疑問も不審も感じなかった。途中からは男の軍人も加わったが、その彼等も体躯の逞しさはともかくとして鋭い気配は何処にも無く、何の因果か異国の地で生を終える事になりそうな自分達の良い友人になってくれそうだと、そう感じていたのは金子だけではなく、部下達もそうだっただろう。
 言葉を教え教わり、日替わりでどちらかの言語だけで過ごしたり互いの言語を入れ替えてみたり、そんな生活を一年も続けた頃には、かなり砕けた俗語や物言い迄習得出来ていた。最初の内は7たどたどしい口調に隠れて見えなかったタカコの性格も、それが消え失せればなかなかに弾けたものである事が分かり、気取らないそれは、女の扱いをよく分かっていない海の男である金子達にとってはとても有り難いものでもあった。
 しかし、その何とも言えない心地の良い日々は、タカコ達の異動という形で突然終焉を迎えた。
 軍にいる限りはいつどんな辞令が下されるかは分からず、そして、退官する以外にはそれに逆らう術は殆ど無い。それは金子達もよく分かっていたから、名残惜しくは思いつつも、再会を願う言葉を口にし、最後の日には全員が揃ってタカコ達を見送った。
『また、会おう。連絡してくれ。俺達も身の振り方が決まれば、その時にはここを出られるだろうから』
 習得したワシントン語でそう言えば、タカコから向けられたのはいつもの笑顔ではなく、鋭い視線と真一文字に結ばれた口元、そして、

「……御武運を……これで、失礼します」

 という大和語と、一枚の絵にしてもさまになりそうな、美しい挙手敬礼だった。
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