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第436章『疎通』
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第436章『疎通』
やはりこの作戦は下策中の下策だったかも知れないな、タカコはそんな事を考えつつ、鈍く重い痛みを持ち始め意志通りに動かなくなりつつある己の手足に一瞥をくれ、舌打ちをしながら再び視線を前に戻す。日の入りの直後に動き始め、今はもう空は薄く明るい青になり東の方向は更に明るさを増している。時間にしてもう八時間程は走り通しだろうか、相手の方はどれ程消耗させられただろうか。
少し前から銃声はもう何処からも聞こえない、少なくとも小銃の弾薬は枯渇させられた様だなと思いつつ、この先に待ち受けているであろう接触戦に思いを馳せた。
自分の肉体が貧弱であり、力もそう強くない事はよく分かっている。接触戦は万全の態勢でなければしたくはないが、今回ばかりはそうもいかない様だ。休む事無く動き回り消耗した身体、その状態で体格も力も上回るであろう相手との組み合いが、そう楽に終わるものでもない事はよく分かってはいるものの、これしか方法が無かったのだから仕方あるまい、そう自分を鼓舞しつつ、緩く握った拳を、ぽすん、と、力無く太腿に打ち付けた。
拳銃は接触戦の時に備えて使用を控えているのかも知れないが、これ以上事態を引き延ばすわけにはいかない、相手の弾薬の消費よりも自分の体力の枯渇の方が早くなるだろう。不安は有るものの転進の時だな、吐き捨てる様に呟き、タカコはその場へと立ち止まり腰から拳銃とナイフを抜き、静かに、ゆっくりと深い呼吸をしながらゆっくりと目を閉じる。
初夏の早朝の爽やかな空気、ぴぴ、ちち、と、鳥の囀りが耳朶を擽る。状況が違えば気持ちの良い散歩でも出来たろうに、そう思い小さく笑った次の瞬間、背後に現れた気配に、頭で考えるよりも前に身体が反応し、眦を決し両腕を上げながら振り返っていた。
早朝の森の中に響き渡る数発の銃声、これでもう手持ちの弾薬は空になったと胸中で吐き捨て、銃弾を受けて崩れ落ちる大きな体躯を見ながら拳銃を地面へと打ち捨てる。後はもうナイフと自分の手足だけが得物しか残っていない、持ち堪えている間に間に合ってくれれば良いが、頭の片隅でそんな事を考えながら、左手から襲い掛かって来た気配へと向き直った。
相手も長時間の追跡で拳銃迄使い果たしていたのか獲物はナイフだけ、それを同じ様にナイフで受け止めれば、腕の力も相当衰えていたのか捌き切れずに弾き飛ばされ、がら空きになった腹部へと靴底を叩き込まれ堪え切れずに地面へと転がる。
『殺しはしない、可能な限り生かして連れて来いと言われてる。だから、死にたくなければ大人しくしてろ……!』
転がりながらも何とか体勢を立て直し向き直れば、完全な立て直しは許さないとでも言う様に容赦の無い追撃が加えられ、今度はそのまま地面へと組み伏せられる。こうなってしまえば腕力だけではどうにもならず、何とか押し退けようと腕に力を込めれば、
『女が腕力でどうにか出来ると思うな!』
と、そんな言葉と共に頬へと肘を一発入れられた。
衝撃に揺れる脳と意識、拘束と連行なぞ冗談ではないと吐き捨て、両腕を振り上げて相手の顔へと叩き付ける。そのまま親指に力を込めて両の眼窩を深く、そして強く抉った。上がる短い呻きの後の絶叫、ぼたぼたと落ちる血と水晶体を浴びながらタカコは更に腕に力を込めて抉り、男の身体が浮いたのを見逃さずにお互いの身体の間に足を入れ、渾身の力で押し退ける。
顔を押さえ力無く倒れ込む肉体を横目に見ながら身体を起こせば、そのまま立ち上がる事は許されずに横殴りの蹴りが入り、今度はタカコの方が短く呻き地面へと倒れ込む。朝露に濡れた土と落ち葉、冷たく柔らかなそこへと身体を打ち付ければ、俯せになった上に圧し掛かられ、膝で背中を押さえられつつ両腕を捩じり上げられ背中で固定された。
『おい、俺はお前が死んでようがどうでも良いんだ、これ以上暴れるってなら首だけ持って帰ったって良いんだぞ?』
立て続けに数人の仲間を目の前で失った所為か、怒りと苛立ちを露わにし殺気を纏った言葉がタカコの耳元で響く。
『この場で喉笛掻っ切られたくなければ、大人しくしてろ……分かったか?』
タカコの背中で纏められた両腕を手錠で拘束し、髪を掴んで頭部を持ち上げた男が手にしたナイフの刃を喉元に押し当てる。す、と僅かに横に引けば、ぷつり、ぷつりと朱の珠が白い首筋に浮かび上がる。タカコはその様子を感じながら
『……分かった』
と、短くそう告げた。
『……よし、連れて行くぞ』
いつの間にか周囲には数人の人間が集まって来て、男は彼等を見上げてそう言うと頷き合い、タカコの身体を数人で抱え上げて立たせ市街地へと向かって歩き出す。
(……まだだ……まだ、もう少し)
周囲は敵で固められ、こうなってしまえば最早逃げる事は叶わない。しかし、これこそが自分が導き出したかった状況、それがもう少しで完成すると小さく笑いながらタカコは身体に力を入れてその場へと歩みを止めた。
『おい、とっとと――』
『足が……いた、い』
弱弱しくそう言って蹲るタカコ、最初は苛立ち歩かせようとした男達も埒が明かないと思ったのか、背負って行こうと更に周囲に人間が密集する。腕を背後で拘束した成人女性を一人で背負う事は保定が難しいのか、一人が背負い一人がタカコの身体を後ろから支える配置をとる事にしたらしい。
そして、
『早く乗せてくれ』
『そう言うなよ……おい、早く立て!』
と、そんな会話を交わした、その直後。
「……大和人をあまり舐めるなよ?」
タカコの眼前、鼻先に突き付けられた、血に染まった太刀の鋒。横を向けばそこにも同じ様に鋒が覗き、それは周囲を取り囲む男達の身体や頸部から突き出している。ぐらり、と大きく揺れて崩れ落ちる敵の身体の向こうから現れたのは、鋭い殺気の籠った、けれど懐かしい眼差しの数々だった。
間に合った、と小さく溜息を吐いて崩れ落ちるタカコ、それを受け止めたのは島津の腕、
「……よく頑張ったな……お疲れさん。少し……少し休め」
その言葉と共に抱き締める様に抱え上げられ大きな掌がぼさぼさになった髪を荒く撫でつける。
打ち合わせも何も無い、ぶっつけ本番の無謀以外の何ものでもなかった賭け。けれどそれはどうやら上手く運んだ様だとタカコは小さく笑い、身体から力を抜いて島津の腕の中へと倒れ込んでいった。
やはりこの作戦は下策中の下策だったかも知れないな、タカコはそんな事を考えつつ、鈍く重い痛みを持ち始め意志通りに動かなくなりつつある己の手足に一瞥をくれ、舌打ちをしながら再び視線を前に戻す。日の入りの直後に動き始め、今はもう空は薄く明るい青になり東の方向は更に明るさを増している。時間にしてもう八時間程は走り通しだろうか、相手の方はどれ程消耗させられただろうか。
少し前から銃声はもう何処からも聞こえない、少なくとも小銃の弾薬は枯渇させられた様だなと思いつつ、この先に待ち受けているであろう接触戦に思いを馳せた。
自分の肉体が貧弱であり、力もそう強くない事はよく分かっている。接触戦は万全の態勢でなければしたくはないが、今回ばかりはそうもいかない様だ。休む事無く動き回り消耗した身体、その状態で体格も力も上回るであろう相手との組み合いが、そう楽に終わるものでもない事はよく分かってはいるものの、これしか方法が無かったのだから仕方あるまい、そう自分を鼓舞しつつ、緩く握った拳を、ぽすん、と、力無く太腿に打ち付けた。
拳銃は接触戦の時に備えて使用を控えているのかも知れないが、これ以上事態を引き延ばすわけにはいかない、相手の弾薬の消費よりも自分の体力の枯渇の方が早くなるだろう。不安は有るものの転進の時だな、吐き捨てる様に呟き、タカコはその場へと立ち止まり腰から拳銃とナイフを抜き、静かに、ゆっくりと深い呼吸をしながらゆっくりと目を閉じる。
初夏の早朝の爽やかな空気、ぴぴ、ちち、と、鳥の囀りが耳朶を擽る。状況が違えば気持ちの良い散歩でも出来たろうに、そう思い小さく笑った次の瞬間、背後に現れた気配に、頭で考えるよりも前に身体が反応し、眦を決し両腕を上げながら振り返っていた。
早朝の森の中に響き渡る数発の銃声、これでもう手持ちの弾薬は空になったと胸中で吐き捨て、銃弾を受けて崩れ落ちる大きな体躯を見ながら拳銃を地面へと打ち捨てる。後はもうナイフと自分の手足だけが得物しか残っていない、持ち堪えている間に間に合ってくれれば良いが、頭の片隅でそんな事を考えながら、左手から襲い掛かって来た気配へと向き直った。
相手も長時間の追跡で拳銃迄使い果たしていたのか獲物はナイフだけ、それを同じ様にナイフで受け止めれば、腕の力も相当衰えていたのか捌き切れずに弾き飛ばされ、がら空きになった腹部へと靴底を叩き込まれ堪え切れずに地面へと転がる。
『殺しはしない、可能な限り生かして連れて来いと言われてる。だから、死にたくなければ大人しくしてろ……!』
転がりながらも何とか体勢を立て直し向き直れば、完全な立て直しは許さないとでも言う様に容赦の無い追撃が加えられ、今度はそのまま地面へと組み伏せられる。こうなってしまえば腕力だけではどうにもならず、何とか押し退けようと腕に力を込めれば、
『女が腕力でどうにか出来ると思うな!』
と、そんな言葉と共に頬へと肘を一発入れられた。
衝撃に揺れる脳と意識、拘束と連行なぞ冗談ではないと吐き捨て、両腕を振り上げて相手の顔へと叩き付ける。そのまま親指に力を込めて両の眼窩を深く、そして強く抉った。上がる短い呻きの後の絶叫、ぼたぼたと落ちる血と水晶体を浴びながらタカコは更に腕に力を込めて抉り、男の身体が浮いたのを見逃さずにお互いの身体の間に足を入れ、渾身の力で押し退ける。
顔を押さえ力無く倒れ込む肉体を横目に見ながら身体を起こせば、そのまま立ち上がる事は許されずに横殴りの蹴りが入り、今度はタカコの方が短く呻き地面へと倒れ込む。朝露に濡れた土と落ち葉、冷たく柔らかなそこへと身体を打ち付ければ、俯せになった上に圧し掛かられ、膝で背中を押さえられつつ両腕を捩じり上げられ背中で固定された。
『おい、俺はお前が死んでようがどうでも良いんだ、これ以上暴れるってなら首だけ持って帰ったって良いんだぞ?』
立て続けに数人の仲間を目の前で失った所為か、怒りと苛立ちを露わにし殺気を纏った言葉がタカコの耳元で響く。
『この場で喉笛掻っ切られたくなければ、大人しくしてろ……分かったか?』
タカコの背中で纏められた両腕を手錠で拘束し、髪を掴んで頭部を持ち上げた男が手にしたナイフの刃を喉元に押し当てる。す、と僅かに横に引けば、ぷつり、ぷつりと朱の珠が白い首筋に浮かび上がる。タカコはその様子を感じながら
『……分かった』
と、短くそう告げた。
『……よし、連れて行くぞ』
いつの間にか周囲には数人の人間が集まって来て、男は彼等を見上げてそう言うと頷き合い、タカコの身体を数人で抱え上げて立たせ市街地へと向かって歩き出す。
(……まだだ……まだ、もう少し)
周囲は敵で固められ、こうなってしまえば最早逃げる事は叶わない。しかし、これこそが自分が導き出したかった状況、それがもう少しで完成すると小さく笑いながらタカコは身体に力を入れてその場へと歩みを止めた。
『おい、とっとと――』
『足が……いた、い』
弱弱しくそう言って蹲るタカコ、最初は苛立ち歩かせようとした男達も埒が明かないと思ったのか、背負って行こうと更に周囲に人間が密集する。腕を背後で拘束した成人女性を一人で背負う事は保定が難しいのか、一人が背負い一人がタカコの身体を後ろから支える配置をとる事にしたらしい。
そして、
『早く乗せてくれ』
『そう言うなよ……おい、早く立て!』
と、そんな会話を交わした、その直後。
「……大和人をあまり舐めるなよ?」
タカコの眼前、鼻先に突き付けられた、血に染まった太刀の鋒。横を向けばそこにも同じ様に鋒が覗き、それは周囲を取り囲む男達の身体や頸部から突き出している。ぐらり、と大きく揺れて崩れ落ちる敵の身体の向こうから現れたのは、鋭い殺気の籠った、けれど懐かしい眼差しの数々だった。
間に合った、と小さく溜息を吐いて崩れ落ちるタカコ、それを受け止めたのは島津の腕、
「……よく頑張ったな……お疲れさん。少し……少し休め」
その言葉と共に抱き締める様に抱え上げられ大きな掌がぼさぼさになった髪を荒く撫でつける。
打ち合わせも何も無い、ぶっつけ本番の無謀以外の何ものでもなかった賭け。けれどそれはどうやら上手く運んだ様だとタカコは小さく笑い、身体から力を抜いて島津の腕の中へと倒れ込んでいった。
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