大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第467章『イニシャル』

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第467章『イニシャル』

 下着一枚でベッドに寝転がり、薄いタオルケットを被っただけ、タオルケットの上に出た手が、太腿の辺りを布地の上からボリボリと掻いている。こちらには背中を見せているから正面は窺えないが、見えたところで流石にこれでは色気は感じないなと思いつつ、ジュリアーニは呆れを含んだ溜息を吐きながらタカコの寝室へと足を踏み入れた。
「ボス、いい加減に起きなよ、もう昼だよ?」
「……眠い、ダルい、面倒臭い……同盟の締結が決定されて、国防長官自らが大統領の手紙を持って大和に向けて出発したんだぞ。もう私の仕事は終わったんだから暫くは何もしねぇぞ、自堕落に過ごすんだ」
「うるさいよ、そんなのどうでもいいから起きろ」
 ベッド脇に立って声を掛けてもタカコが起き上がる様子は無く、心底だるそうに吐き出される言葉をジュリアーニはばっさりと斬って捨て、タオルケットの端を掴みそれを一気に引いてタカコの身体の上から取り払う。
「……もう……うるっせぇなぁ……疲れてるんだよ、寝かせろよ……」
 そこ迄されれば流石にタカコも文句を言いながらも起き上がるものの、ベッドの上に胡坐を掻いてぼさぼさの髪をがしがと掻きながら欠伸をする様子に女性らしさは欠片も見当たらない。その上タオルケットを取り払われて上半身を隠す物は何も無い状態にも関わらず、狼狽える事も恥ずかしがる事も無く、ジュリアーニの視界に素肌を晒したまま。
「……例え真っ当な性欲が有ったとしても、今のあんたを見ても勃つ事だけは絶対に有り得ないって断言出来るよ、俺」
「失礼な奴だな……で、何か用なのか、用が無いなら寝るぞ私は。当分は仕事を請ける気は無いから、お前等も好きに――」
「いつ迄もだらだら寝てるなっつってんだよ。ほら、さっさと着替えて、出掛けるよ」
「出掛けるって……何処に」
「それは着いてからのお楽しみ。ほらほら、早くして」
 そう言いながらジュリアーニから投げ付けられる服や下着、それを顔面で受け止めながら、タカコはもう一つ大きな欠伸をして、それから漸くもそもそもと動き出す。身支度を整えて部屋を出て階下――、事務所へと降りれば、そこには部下達が私服で揃い、外出出来る支度を既に整えて待っていた。
 三年前の飛行機事故で三十数名を一気に失い、現在の部隊員は、タカコ達の帰国迄ここで待機し続けていた者を含めても二十名を切っている。空席の方が多い執務机の上には嘗ての主の写真や思い出の品が飾られ、タカコはそれを見ながらもう何回感じたかすら不確かな胸の痛みを僅かに感じつつ、それを表には一切出さずに部下達へと向かって口を開いた。
「で?マリオが何処かに出掛けるって言ってるけど、何処に行くんだ。その様子だと全員で行くみたいだが」
「お楽しみですよ、ボス。さ、早く行きましょう」
 再度訪ねても答えは曖昧なまま、一体何なんだと眉根を寄せるタカコの様子には誰も構わず、彼女の肩に手を掛けて玄関の外へと押し出し、既に準備を整えていた数台の車に分乗し、何処かへと向かって走り出す。
「あ、これ被ってて」
 というジュリアーニの言葉と共に頭に被せられたのは麻袋、その上首元は紐で緩く結ばれ、まるで敵に拘束された兵士の様な状態にされ流石に抗議の声を上げるが、それでも周囲は
「まぁまぁ」
「直ぐに分かりますから、ね?」
 と、袋を外そうとしたタカコの両腕を押さえながら宥める始末。どうにも知られたくないらしい、彼等が自分に害を為す等有り得ないし、付き合ってやってもいいかと思うに至り大人しくなったタカコを乗せ、車は郊外へと向かって走り続けた。
 そうして走り続けて二時間程、何やら一旦ゲートの様なところで停車し、そこでの運転手と車外にいるらしき人間との遣り取りを耳にし、どうやら軍事関係施設に来た様子だと思い至る。遠くから聞こえるのは犬の声だろうか、そこ迄考えたタカコは、自分が今いる場所の凡その見当がついた。
 自宅兼事務所から車で二時間、軍事施設、そして、複数の犬の声。軍用犬の訓練施設が二時間程の距離に在った筈だと思い至り、次に浮かんで来たのは、そんな場所に何をしに来たのかという疑問。
 Providenceでは、人間の単独、若しくは極少数での行動を基本としている為に軍用犬は採用していない。仮に採用の話が出たとしても司令たる自分がその案件について全く触れないままで部下達だけで事が進行という事態も有り得ない。一体何をする気なのかと思うタカコを他所に車は敷地内へと入り暫くしてから停止し、車から降ろされたタカコは両側から手を引かれ、袋を被ったままでゆっくりと歩き出す。
 その歩みが止まったのは五分程歩いてから、
「ここに座って下さい」
 と部下に促されて椅子らしきものへと腰を下ろせば、直ぐ近くに人間ではない生き物の気配を二つ、はっきりと感じ取る。ハッハッという短い呼吸音、犬だ、と思った直後、それが自分の前へとやって来た気配が伝わってくる。
「座れ」
 聞き覚えの無い男の声、訓練士のものだろう。それに従い二つの気配が目の前で動き、そこで漸く
「じゃ、外すよ」
 というジュリアーニの言葉と共に首に巻き付けられた紐が解かれ、頭に被せられた麻袋が一気に取り払われた。
 屋外だったのか急激に戻って来た眩しさに目を細め顔を顰め、漸く視界が戻って来たなと細めた目を開けてみれば、そこにいたのは二頭の大きな軍用犬。
 茶色ベースで背中と鼻先、そして目の周りが黒く、大きな耳はピンと立っていて、穏やかな双眸はやや垂れ気味。大きな体躯、太く逞しい四肢、全体的に毛足は長めで、そのたっぷりとした毛が密集する太い尻尾が、タカコの顔を見た途端にぶんぶんと左右に振られ、砂埃が軽く舞い上がった。
「どうにも命令に従わない時が有るみたいで、不適格の判定を受けたんだって。この二頭、双子なんだけど、このままだと別々のところに貰われて行く事になっちゃうからさ、ボスが纏めて飼えば良いんじゃないかなって思ったんだよね、こいつから聞いて。あ、この訓練士、俺の友達」
「初めまして、大佐、お目に掛かれて光栄です」
 座れの姿勢を保ち、自分を見つめる二つの真っ直ぐで優しい眼差し。これは、と、言葉を失うタカコの双肩にジュリアーニがそっと手を置き、優しく言葉を続けた。
「こっちが兄貴のヤスコ、こっちが弟のトルゴ。誕生日も一緒なんだって、あの二人と」
 言葉と共にタカコの膝の上に乗せられる二枚の書類、目の前にいる二頭について記されたそれに視線を落としたタカコは、その内容へと目を走らせ、次に、顔を上げ、二頭へと向かってそっと両腕を差し出してみる。
 ヤスコはそのままの姿勢で差し出されたタカコの手を大きな舌でゆっくりと数度舐め、トルゴの方はと言えば、訓練士の制止を無視して立ち上がりタカコの懐へと飛び込み、ぶんぶんと尻尾を振りながら、幾筋もの涙が伝う彼女の頬を何度も、何度も舐め上げた。

 『Yasko』と『Torgo』――、『Y』と『T』。
 懐かしい、否、今でも忘れられない二つの頭文字が書類に記されていた。
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