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第469章『違い』
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第469章『違い』
深夜のタカコの寝室、仰向けの姿勢で眠っていた部屋の主が突然がばりと跳ね起き、突然のその勢いに驚いたヤスコとトルゴも釣られて飛び起きる。しかしタカコはそんな二頭の挙動には一切構わず、常夜灯の明かりの下双眸を見開き荒い息を吐きながら、きつく、きつくタオルケットを握り締めた。
突然の目覚めから少しばかりの時間が経過し、荒かった息が段々と収まってきた頃、次に彼女の唇から零れ出て来たのは嗚咽。タオルケットから離れた両手は今度は己が身を抱き締め、室内には静かな泣き声が漂った。
ヤスコはベッド脇の床の上で、トルゴはベッドの上でタカコに寄り添い眠っていたが、主のただならぬ様子に鼻を鳴らしながらタカコの握り締められた拳をぺろぺろと舐め、宥める様に前足で彼女の腕を軽く掻く。
帰国してから何度も見る様になった夢、それに魘されて飛び起きるのが怖くなり、夜に眠れない様になった。そして眠れない夜の後には疲れに負けて明け方に寝入る様になり、生活のリズムが大きく狂い始めていた。不眠が始まって最初の頃は寝室を出てふらふらとしていたのを部下に心配され、その後は部屋に戻りはしたものの、様子を見に寝室を覗きに来る部下達に魘されているところを万が一にも見られない様にと、余計に眠れなくなった。
疲れ切って落ちて行く明け方の眠りは深いのか、幸いにして魘される事は無かったが、それでも不健康な事に変わりは無く、そうしてどんどん不健康な生活へと転がり始めていた中、事態を打開しようと思ったのだろう、部下達の話し合いの結果なのか、二頭の大きな犬がやって来た。
その彼等との生活の中で生活は健康と健全を取り戻しはしたものの、ぶり返したのが、何とも言えない悍ましさすら感じさせる悪夢。
タカユキを、そして、ヨシユキを射殺する自分。微笑みながら自分へと向かって何かを語り掛けている彼等の言葉は耳に届かず、やがて動かなくなった二つの亡骸を見下ろし、自分は眉一つすら動かさない。ただそれだけの短い夢だが、自らが犯した、信じ、愛していた者を殺すという行為の追体験を何度も何度も繰り返されるという事態は、タカコの精神を少しずつ、しかし確実に蝕み続けている。
階下にいる部下達に勘付かれない様に声を押し殺して泣きながら顔を上げれば、涙で濡れた頬をヤスコとトルゴが代わる代わるぺろぺろと舐める。その様子に顔を歪めて笑い、二頭を抱き締め艶やかな毛並みに頬擦りをしながら、また、泣いた。
そうしながら譫言の様に呟き続けるのは、
『ごめん』
と
『置いて行かないで』
という、この二つの言葉だけ。
心底愛した男、殺してやりたいと思う程に憎んだけれど憎みきれず、心の奥底では家族として愛していた男。掛け替えの無い存在であるあの二人を殺したのは自分自身なのに、何故その彼等に謝罪するのか、置いて行くなと懇願するのか。殺した相手に向かっての謝罪、遠くに追い遣った相手に向かっての懇願、その滑稽さすら或る種の悍ましさを感じさせ、タカコは口を突いて出そうになる叫びを何とか内に押し止め、ヤスコとトルゴを抱き締める腕に力を込める。
あの二人によく似たこの二頭との生活が与えてくれる安らぎは本物で、癒されている事も実感している。あの二人とこの二頭は全く別の存在である事は分かっていても、彼等が帰って来てくれた気すらしていた。けれど、だからこそふとした時に辛くて堪らなくなる、『違う』という事を痛感し叫び出したくなる。
こんな時に『彼』がいてくれたら、抱き締めてくれたら――、最近、そんな事を考える事が増えてきた。辛かったら寄り掛かれ、半分渡せ――、何度も、何度もそう言ってくれていた彼を拒絶し何も言わずに姿を消したのは自分なのに、今はあの温かさ優しさが恋しくて堪らない。
自分が殺した男達への罪悪感と恋慕に泣き、その苦しさから逃れる為に捨てた男を求めて泣く。傍から見ていたとしてもさぞかし滑稽なのだろうなと思いつつ、タカコは鼻を鳴らして顔を舐め続ける二頭の頭を撫で、ぐい、と、手の甲で涙を拭い大きく息を吐いた。
帰国からもう直ぐ半年、決めた事、と、自らにそう言い続けて来た。そうするしか無いと分かっていたから、彼等がそう望んでいたという前提が有ったにせよ、自らの意志で、タカユキを、ヨシユキを殺した。敦賀の前から姿を消したのも同じ事、公人としてそうすべき、副長との約束が有ったから、そんな前提が有ったにせよ、こちらもやはり自らの意志で決めた事、違いと言えば、もう一人の当事者たる敦賀は納得していなかった、その程度のもの。
全て自分の意志で勝手に決めた事、それを悲劇の主人公ぶって泣くとはと自嘲じみた笑いを浮かべて小声で吐き捨て、
「……心配かけてごめんな?もう、大丈夫だから、有り難う。良い子だな、二人共」
と、薄闇の中で顔を覗き込む二頭へと向けて囁きかけ、鼻先にキスを一つずつ。夜明けはまだ先だし眠ろうかと語り掛けながらタカコが横になれば、トルゴは今迄寝ていた位置、タカコの左側に、床で寝ていたヤスコはベッドの上へと上がり、タカコの右側へと伏せた。そして夫々がタカコの顔をぺろりと舐め、その後は二本の前脚の間に鼻を埋め、上目遣いでタカコの様子を窺っている。
言葉は通じない、種すらも違う二頭。けれど、向けてくれる愛情は疑い様の無い確かなもの。今はまだ完全ではなくとも、いつか自分も彼等自身に向けて愛情を真っ直ぐに注げる様になれば良いのだが、と、タカコはそんな事を思いつつ、眠ろうと双眸を閉じた。
深夜のタカコの寝室、仰向けの姿勢で眠っていた部屋の主が突然がばりと跳ね起き、突然のその勢いに驚いたヤスコとトルゴも釣られて飛び起きる。しかしタカコはそんな二頭の挙動には一切構わず、常夜灯の明かりの下双眸を見開き荒い息を吐きながら、きつく、きつくタオルケットを握り締めた。
突然の目覚めから少しばかりの時間が経過し、荒かった息が段々と収まってきた頃、次に彼女の唇から零れ出て来たのは嗚咽。タオルケットから離れた両手は今度は己が身を抱き締め、室内には静かな泣き声が漂った。
ヤスコはベッド脇の床の上で、トルゴはベッドの上でタカコに寄り添い眠っていたが、主のただならぬ様子に鼻を鳴らしながらタカコの握り締められた拳をぺろぺろと舐め、宥める様に前足で彼女の腕を軽く掻く。
帰国してから何度も見る様になった夢、それに魘されて飛び起きるのが怖くなり、夜に眠れない様になった。そして眠れない夜の後には疲れに負けて明け方に寝入る様になり、生活のリズムが大きく狂い始めていた。不眠が始まって最初の頃は寝室を出てふらふらとしていたのを部下に心配され、その後は部屋に戻りはしたものの、様子を見に寝室を覗きに来る部下達に魘されているところを万が一にも見られない様にと、余計に眠れなくなった。
疲れ切って落ちて行く明け方の眠りは深いのか、幸いにして魘される事は無かったが、それでも不健康な事に変わりは無く、そうしてどんどん不健康な生活へと転がり始めていた中、事態を打開しようと思ったのだろう、部下達の話し合いの結果なのか、二頭の大きな犬がやって来た。
その彼等との生活の中で生活は健康と健全を取り戻しはしたものの、ぶり返したのが、何とも言えない悍ましさすら感じさせる悪夢。
タカユキを、そして、ヨシユキを射殺する自分。微笑みながら自分へと向かって何かを語り掛けている彼等の言葉は耳に届かず、やがて動かなくなった二つの亡骸を見下ろし、自分は眉一つすら動かさない。ただそれだけの短い夢だが、自らが犯した、信じ、愛していた者を殺すという行為の追体験を何度も何度も繰り返されるという事態は、タカコの精神を少しずつ、しかし確実に蝕み続けている。
階下にいる部下達に勘付かれない様に声を押し殺して泣きながら顔を上げれば、涙で濡れた頬をヤスコとトルゴが代わる代わるぺろぺろと舐める。その様子に顔を歪めて笑い、二頭を抱き締め艶やかな毛並みに頬擦りをしながら、また、泣いた。
そうしながら譫言の様に呟き続けるのは、
『ごめん』
と
『置いて行かないで』
という、この二つの言葉だけ。
心底愛した男、殺してやりたいと思う程に憎んだけれど憎みきれず、心の奥底では家族として愛していた男。掛け替えの無い存在であるあの二人を殺したのは自分自身なのに、何故その彼等に謝罪するのか、置いて行くなと懇願するのか。殺した相手に向かっての謝罪、遠くに追い遣った相手に向かっての懇願、その滑稽さすら或る種の悍ましさを感じさせ、タカコは口を突いて出そうになる叫びを何とか内に押し止め、ヤスコとトルゴを抱き締める腕に力を込める。
あの二人によく似たこの二頭との生活が与えてくれる安らぎは本物で、癒されている事も実感している。あの二人とこの二頭は全く別の存在である事は分かっていても、彼等が帰って来てくれた気すらしていた。けれど、だからこそふとした時に辛くて堪らなくなる、『違う』という事を痛感し叫び出したくなる。
こんな時に『彼』がいてくれたら、抱き締めてくれたら――、最近、そんな事を考える事が増えてきた。辛かったら寄り掛かれ、半分渡せ――、何度も、何度もそう言ってくれていた彼を拒絶し何も言わずに姿を消したのは自分なのに、今はあの温かさ優しさが恋しくて堪らない。
自分が殺した男達への罪悪感と恋慕に泣き、その苦しさから逃れる為に捨てた男を求めて泣く。傍から見ていたとしてもさぞかし滑稽なのだろうなと思いつつ、タカコは鼻を鳴らして顔を舐め続ける二頭の頭を撫で、ぐい、と、手の甲で涙を拭い大きく息を吐いた。
帰国からもう直ぐ半年、決めた事、と、自らにそう言い続けて来た。そうするしか無いと分かっていたから、彼等がそう望んでいたという前提が有ったにせよ、自らの意志で、タカユキを、ヨシユキを殺した。敦賀の前から姿を消したのも同じ事、公人としてそうすべき、副長との約束が有ったから、そんな前提が有ったにせよ、こちらもやはり自らの意志で決めた事、違いと言えば、もう一人の当事者たる敦賀は納得していなかった、その程度のもの。
全て自分の意志で勝手に決めた事、それを悲劇の主人公ぶって泣くとはと自嘲じみた笑いを浮かべて小声で吐き捨て、
「……心配かけてごめんな?もう、大丈夫だから、有り難う。良い子だな、二人共」
と、薄闇の中で顔を覗き込む二頭へと向けて囁きかけ、鼻先にキスを一つずつ。夜明けはまだ先だし眠ろうかと語り掛けながらタカコが横になれば、トルゴは今迄寝ていた位置、タカコの左側に、床で寝ていたヤスコはベッドの上へと上がり、タカコの右側へと伏せた。そして夫々がタカコの顔をぺろりと舐め、その後は二本の前脚の間に鼻を埋め、上目遣いでタカコの様子を窺っている。
言葉は通じない、種すらも違う二頭。けれど、向けてくれる愛情は疑い様の無い確かなもの。今はまだ完全ではなくとも、いつか自分も彼等自身に向けて愛情を真っ直ぐに注げる様になれば良いのだが、と、タカコはそんな事を思いつつ、眠ろうと双眸を閉じた。
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