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第470章『契約破棄』
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第470章『契約破棄』
タカコが漸く寝入った頃、部屋の外ではジュリアーニが扉脇の壁に身体を預けて腕を組み、廊下の常夜灯の明かりを険しい目付きで睨み付けていた。上階からの微かな物音に築き、タカコに何か有ったのかと上がって来たところ、聞こえて来たのは彼女の押し殺す様な、辛そうな泣き声。扉を開けて室内に入り、何が有ったのか聞こうかと、宥めようかと一瞬思いはしたものの、それを思い止まりこうして廊下で様子を窺っている。
屋上部分に増築をする形で作った三階には、タカコとその夫だったタカユキとの二人共用の寝室が在るだけで、特段の用事でも無ければ自分を含めた部下達は滅多に上がって来ない。だからこそ気付くのが遅れてしまったが、本来であれば夜間に意味も無く事務所や屋外をふらふらしていた時点でもっと気を配っておくべきだったと舌打ちをする。
不眠の気配に気が付いた自分達が声を掛けた後、タカコはヤスコとトルゴと共に夜間は自室へと引っ込む様になり、日中の動きにも睡眠不足の気配は感じられなかったから、それで終わったと思っていた。けれど、実際のところは毎晩ではなくとも悪夢に魘され、こうして飛び起きては声を押し殺して泣く事も多かったのだろう、自分達に心配させまいとしてそれを隠していた、隣室も無いから何とかそれが出来ていた、それだけの事だったのだ。
ごめん、置いて行かないで――、繰り返されるその言葉だけで、それが誰に向けられたものなのか理解出来てしまう。自分の決断を後悔し嘆き、そして何も出来ないままに無力を呪う――、そんな状態に陥ってしまっている彼女の姿を見る事が、ジュリアーニには何よりも辛く、そして嫌悪感を抱いてしまう。
自分がついて行こうと思ったのは、そして、人生と引き換えにしてでもこの手で殺したいと思ったのは、あんな弱々しく情けない女ではない。自分が求めたのは、殺したいと思ったのは、傲慢で、暴力的で、理屈ではない説得力とオーラを持った、何ものにも代え難い力強さと威厳に溢れた人物だった筈だ。
今の状態のタカコは自分が求める人物ではない、その輝きと力強さが最高を迎えた時にこの手で、そう思ってはいたものの、それが無理なのであればそろそろ見切りをつけるべきなのかも知れないな、と、そんな事を考えた。
タカコは、いつ如何なる時でも、前を向き凛として毅然として立ち、敵へと立ち向かい、自分達をその道具として使う『指揮官』であり『主人』、そして『神』でなくてはいけないのだ。彼女はそうやって自分達の前へと現れ、道標となってやると、そう言い手を差し出してきた。その約束を違える事は有ってはならない、あの強さを彼女が自ら放棄するのなら、自分達は生きる意味を見失う、彼女に傅く理由すら失ってしまう。
自分がこれからしようとしている事は、他の部下達全員にとって到底容認出来る事ではないだろう、そして、彼女を唯一の主だと認めたらしい、ヤスコとトルゴの二頭に関してもそれは同じに違い無い。先ずは彼等全員を自分とタカコから切り離し、二人きりになれる状況を作らないといけないな、今後の算段を頭のなかで付けつつ、ジュリアーニはゆっくりと歩き出す。
「……あんたが悪いんだよ、ボス……あんたが、俺の好みの女でい続けてくれれば、俺はこんな事考えなくても、しなくても済んだんだ」
呟く様にそう言って階段を降りる前に一度タカコの寝室の方を振り返る。室内からは何の物音も聞こえて来ない、今夜はこのまま眠る事が出来るだろうか、そんな心配をしつつ、ジュリアーニは階下へと降りて行った。
「で?何処に行くんだよ?」
「内緒内緒、着いてからのお楽しみだよ」
「……まぁ、良いけどさ」
翌日の午後、工業地区へと向けて走る一台の車。運転席でハンドルを握るのはジュリアーニ、助手席にはタカコが座り煙草をふかし、いつもは彼女に背後霊の如く付き纏っているヤスコとトルゴの姿も今日は無い。
気分転換に出掛けよう、ソファに寝転がり二頭に押し潰されていたタカコにそう言って腕を掴み引き起こしたジュリアーニ、その彼の発言に反対する者は誰もおらず、寧ろもっと外に出て気晴らしをして来いと言った程で、気を遣われている事に気付いているタカコは然して逆らう事も無く、彼等の言うがままに身支度を整えて家を出た。ヤスコとトルゴは最後迄自分達もついて行くのだと主張し吠えてはいたものの、部下達に逆らい危害を加えて迄とはならなかったのか、不満そうな顔をしつつも二人を見送り居残っている。
やがて辿り着いたのは大きな廃工場、進入禁止の看板も掲げられてから年数が経ち意味を失い、子敷地を取り囲む鉄柵もあちこちが崩れてしまっている。ジュリアーニは身体を屈めて鉄柵に空いた穴を潜り、
「ボス、こっちこっち」
と、いつもの摑み所の無い笑みを浮かべてタカコに手招きをして見せる。タカコもそれに抗う事も無く後に続き敷地の中へと入り、やがて二人は不気味に静まり返った建物の中へと足を踏み入れた。
「……で?ここに何が有るってんだ?」
「……何も無いよ?今は、ね」
「今は……って、これから何かが出て来るのか」
「……そうだね……じゃ、その『何か』、作ろうか」
歩みを止めたジュリアーニにタカコが問い掛ければ、返されたのは何とも言えない冷たさを纏ったジュリアーニの声音、そして、どさり、と、タカコの足元に放られたのは拳銃用のマガジンが何本かと、一振りのナイフ。
「……どういう意味か、聞いても良いか」
「簡単だよ、今のあんたは頼り無くてみっともなくて惨めでみすぼらしくて、俺が求めてるボスじゃない、俺がこの手で殺したいと思える様な女じゃない。この俺の期待を裏切ったんだ……死んでくれないかな?あんたに自殺してってのは何か違うから、本意じゃないんだけど、俺が殺してあげるよ」
『あんたを殺すのは俺だって言ってるでしょ、自殺も他の奴に殺されるのも絶対に許さないからね?』
出会いから何度も聞いた『契約』――、その突然の破棄が、通告された瞬間だった。
タカコが漸く寝入った頃、部屋の外ではジュリアーニが扉脇の壁に身体を預けて腕を組み、廊下の常夜灯の明かりを険しい目付きで睨み付けていた。上階からの微かな物音に築き、タカコに何か有ったのかと上がって来たところ、聞こえて来たのは彼女の押し殺す様な、辛そうな泣き声。扉を開けて室内に入り、何が有ったのか聞こうかと、宥めようかと一瞬思いはしたものの、それを思い止まりこうして廊下で様子を窺っている。
屋上部分に増築をする形で作った三階には、タカコとその夫だったタカユキとの二人共用の寝室が在るだけで、特段の用事でも無ければ自分を含めた部下達は滅多に上がって来ない。だからこそ気付くのが遅れてしまったが、本来であれば夜間に意味も無く事務所や屋外をふらふらしていた時点でもっと気を配っておくべきだったと舌打ちをする。
不眠の気配に気が付いた自分達が声を掛けた後、タカコはヤスコとトルゴと共に夜間は自室へと引っ込む様になり、日中の動きにも睡眠不足の気配は感じられなかったから、それで終わったと思っていた。けれど、実際のところは毎晩ではなくとも悪夢に魘され、こうして飛び起きては声を押し殺して泣く事も多かったのだろう、自分達に心配させまいとしてそれを隠していた、隣室も無いから何とかそれが出来ていた、それだけの事だったのだ。
ごめん、置いて行かないで――、繰り返されるその言葉だけで、それが誰に向けられたものなのか理解出来てしまう。自分の決断を後悔し嘆き、そして何も出来ないままに無力を呪う――、そんな状態に陥ってしまっている彼女の姿を見る事が、ジュリアーニには何よりも辛く、そして嫌悪感を抱いてしまう。
自分がついて行こうと思ったのは、そして、人生と引き換えにしてでもこの手で殺したいと思ったのは、あんな弱々しく情けない女ではない。自分が求めたのは、殺したいと思ったのは、傲慢で、暴力的で、理屈ではない説得力とオーラを持った、何ものにも代え難い力強さと威厳に溢れた人物だった筈だ。
今の状態のタカコは自分が求める人物ではない、その輝きと力強さが最高を迎えた時にこの手で、そう思ってはいたものの、それが無理なのであればそろそろ見切りをつけるべきなのかも知れないな、と、そんな事を考えた。
タカコは、いつ如何なる時でも、前を向き凛として毅然として立ち、敵へと立ち向かい、自分達をその道具として使う『指揮官』であり『主人』、そして『神』でなくてはいけないのだ。彼女はそうやって自分達の前へと現れ、道標となってやると、そう言い手を差し出してきた。その約束を違える事は有ってはならない、あの強さを彼女が自ら放棄するのなら、自分達は生きる意味を見失う、彼女に傅く理由すら失ってしまう。
自分がこれからしようとしている事は、他の部下達全員にとって到底容認出来る事ではないだろう、そして、彼女を唯一の主だと認めたらしい、ヤスコとトルゴの二頭に関してもそれは同じに違い無い。先ずは彼等全員を自分とタカコから切り離し、二人きりになれる状況を作らないといけないな、今後の算段を頭のなかで付けつつ、ジュリアーニはゆっくりと歩き出す。
「……あんたが悪いんだよ、ボス……あんたが、俺の好みの女でい続けてくれれば、俺はこんな事考えなくても、しなくても済んだんだ」
呟く様にそう言って階段を降りる前に一度タカコの寝室の方を振り返る。室内からは何の物音も聞こえて来ない、今夜はこのまま眠る事が出来るだろうか、そんな心配をしつつ、ジュリアーニは階下へと降りて行った。
「で?何処に行くんだよ?」
「内緒内緒、着いてからのお楽しみだよ」
「……まぁ、良いけどさ」
翌日の午後、工業地区へと向けて走る一台の車。運転席でハンドルを握るのはジュリアーニ、助手席にはタカコが座り煙草をふかし、いつもは彼女に背後霊の如く付き纏っているヤスコとトルゴの姿も今日は無い。
気分転換に出掛けよう、ソファに寝転がり二頭に押し潰されていたタカコにそう言って腕を掴み引き起こしたジュリアーニ、その彼の発言に反対する者は誰もおらず、寧ろもっと外に出て気晴らしをして来いと言った程で、気を遣われている事に気付いているタカコは然して逆らう事も無く、彼等の言うがままに身支度を整えて家を出た。ヤスコとトルゴは最後迄自分達もついて行くのだと主張し吠えてはいたものの、部下達に逆らい危害を加えて迄とはならなかったのか、不満そうな顔をしつつも二人を見送り居残っている。
やがて辿り着いたのは大きな廃工場、進入禁止の看板も掲げられてから年数が経ち意味を失い、子敷地を取り囲む鉄柵もあちこちが崩れてしまっている。ジュリアーニは身体を屈めて鉄柵に空いた穴を潜り、
「ボス、こっちこっち」
と、いつもの摑み所の無い笑みを浮かべてタカコに手招きをして見せる。タカコもそれに抗う事も無く後に続き敷地の中へと入り、やがて二人は不気味に静まり返った建物の中へと足を踏み入れた。
「……で?ここに何が有るってんだ?」
「……何も無いよ?今は、ね」
「今は……って、これから何かが出て来るのか」
「……そうだね……じゃ、その『何か』、作ろうか」
歩みを止めたジュリアーニにタカコが問い掛ければ、返されたのは何とも言えない冷たさを纏ったジュリアーニの声音、そして、どさり、と、タカコの足元に放られたのは拳銃用のマガジンが何本かと、一振りのナイフ。
「……どういう意味か、聞いても良いか」
「簡単だよ、今のあんたは頼り無くてみっともなくて惨めでみすぼらしくて、俺が求めてるボスじゃない、俺がこの手で殺したいと思える様な女じゃない。この俺の期待を裏切ったんだ……死んでくれないかな?あんたに自殺してってのは何か違うから、本意じゃないんだけど、俺が殺してあげるよ」
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