大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

文字の大きさ
83 / 102

第483章『訪問』

しおりを挟む
第483章『訪問』

 大和軍統合幕僚幹部副長、敦賀貴一郎は、博多での大規模な戦闘が終結を迎えた後、暫くの間は現地統括として博多に居残り、表裏問わずにワシントン軍との折衝に明け暮れた。国防長官――、大和で言えば三軍省の長である国防大臣に相当する超高官の博多での接遇も任せられ、息を吐く間も無い程に多忙だった毎日が終結したのは、年が明けて暫く経ってから、桜の蕾がそろそろ綻びそうだ、そんな頃合いになってからの事だった。
 その間に部下である黒川が大国相手に仕掛けた喧嘩は幸運にも首尾良く運び、完全なる非公式を貫き、両軍共にその存在を公式には決して認めない事、そんな密約の下にProvidence、タカコ達の部隊の再派遣が決定された。本国での根回しも有るから直ぐには無理だ、準備にも時間が掛かる、テイラーと国防長官のラムズフェルドの言葉の通り、彼女達の派遣時期が伝えられたのは入梅を過ぎていた。
 タカコへと向けて認めた手紙は、手渡したラムズフェルドから統合参謀本部議長のウォルコットを通じ、彼女へとしっかりと手渡されたという事だけは聞いているが、その手紙に対しての返事を受け取ったわけではない。再赴任の命令を受けたという事は色良い返事を聞かせてくれるのではと思いもするが、軍人として生きていれば上からの命令に真っ向から背けばその後の人生がどうなるのかという事は分かっていたし、彼女もそれは恐らくよく分かっているのだろうという思いが何とも不安にさせる、そんな毎日だった。
 また、具合の悪い事にタカコ達の存在は両軍の高官の極一部にしか明らかにはされておらず、どんなに信頼の置ける人間でも指定の職域職責以外の者には以降も箝口すべしという取り決めが徹底されており、職域職責どちらも該当しなかった息子には、何も知らせてやれないまま。高根や黒川や浅田、その直下の小此木や横山達は事情を知っているものの、その彼等からも知らせてやれる筈も無く、当事者にも関わらず何も知らずにタカコの帰還を待ち続ける息子を見ているのも、そろそろ辛くなってきていた。
 しかし、そんな毎日ももう直ぐ終わる。副長はそんな事を頭の片隅で考えつつ、眼前に整列したワシントン軍の部隊を見据える。秘密裏の扱いのタカコ達はここにはいない、一昨日大阪港に入港した巨大輸送艦に乗艦して来たという事は聞いているから、今頃は陸路で博多入りの道中だろう。明日か明後日か明々後日か、何にせよ数日中には海兵隊基地の敷地内に設営されている駐大基地司令部に入り、合同教導団に関わる高官の面々との顔合わせに入るだろう。テイラーとラムズフェルドの配慮でそこに息子を同席させてくれる事になっているらしいが、それ迄後数日の間は耐えてくれ、と、博多で彼女を待ち続けている息子へと向けてそんな事を胸中で呟いた。
 副長のそんな思惑を他所に顔合わせは進み、博多司令部と京都司令部の司令として着任した陸軍と海兵隊の少将二人との会食の後、宿舎へと向かう彼等の乗る車を見送った副長は自らも公用車へと乗り込み、車は嵯峨野、副長の自宅へと向かって走り始める。
 高根の妻である凛と生まれたばかりの二人の子供が博多へと戻ったのは、京都の桜が満開を迎えた頃。住民の帰還も遅れていた博多では生活の様々な面で支障が絶えず、とても安心して子育てが出来る状態ではないと、そう言って彼女の帰宅を拒否し続けていたのは、早く自分の傍に帰って来て欲しいと、誰よりも強く願っているであろう、夫であり父親である高根だった。凛が帰宅する迄の間、彼が妻と我が子の顔を見たのはたった一度だけ、その生活がどれだけ辛いものであるかは想像すら出来ず、
「博多の復興が遅れているのは、博多の安全を預かる私の不甲斐無さが原因です。情け無い事ではありますが……妻と子供を、宜しく、お願いします」
 そう言って彼が頭を下げた事は一度や二度の話ではない。立場の有る人間が年上且つ上官に対してとは言えど深々と頭を下げるという行為の重さは副長にもよく分かっており、任せなさいと言って肩を叩く事しか出来なかった。
 凛と子供が帰宅した日の夜には興奮した声音の彼から電話が掛かって来て何度も謝意を告げられ、その後京都でも有名な九州の蔵の焼酎と酒の特級品が熨斗紙と長い礼状付きで送られて来てからはとんと音沙汰が無い。仕事が忙しいというのも有るのだろうが、鬱陶しい上官に遜るよりは余程充実した時間を過ごせている様だと小さく笑えば、やがて車は速度を緩め、立派な門構えの前で停車した。
「御苦労様、明日もいつもの時間に」
「了解です、失礼します」
 運転席を降りて来て扉を開けた士官に言葉を掛け、潜り戸を開けて中へと入れば、夏草の香りが全身を包み込む。常日頃から妻と娘が丹精している庭、凛がいる間はその風景に時折彼女も加わっていた。生まれたての赤ん坊を見たのは十年ぶりで、たまの休みの時に風呂やおむつ替えを手伝おうとした時に、
「貴一郎さん?それは、父親である高根さんの仕事ですよ?」
 と、妻の幸恵に妙に凄みの有る笑顔で言われ、
「そうか……そうだな。いや、俺だって初抱っこはしちゃいかん程度の事は分かってたが、そうか、こういう事もか」
 そんな事をぶつぶつと言いながら引き下がったのも、今では良い思い出だ。
「あらあら、お帰りなさい。今日はワシントン軍からいらした方達との会食でしたね、お疲れ様でした」
「ああ、ただいま」
 ぱたぱたと音を立てながら廊下の向こうからやって来た幸恵に鞄を手渡し靴を脱いで上がり、先ずは風呂だと長年の帰宅後の習慣を今日も変わらずに繰り返す。風呂から出たら縁側で庭を眺めながら一杯遣って、あまり遅くならない内に布団に入ろう、そんな事をぼんやりと考えながら風呂を遣い、身体を拭いた後はいつもの様に浴衣を来て廊下へと出れば、そこには羽織を腕に掛けた幸恵が立っていた。
「羽織……?どうした、こんな時間にお客さんでも?」
「ええ、応接間にお通ししています」
 他所の家を訪ねるには遅い時間帯、火急の事なのかと眉根を寄せれば、それを見た幸恵は
「後でお茶とお菓子をお持ちしますね。それともお酒かしら?」
 そう言ってにっこりと微笑み、羽織を手渡してぱたぱたと台所の方へと消えて行く。茶は分かるが、菓子や酒というのは何なのか、統幕の方からの遣いかと思っていたがどうも違う様子だと思いながら、副長は羽織に袖を通しながら廊下を歩き出し応接間へと向かう。
 今日も忙しかった上に然して得意ではない会食にも出てそれなりに疲れているのだ、早く休みたいのだがと思いながら応接間の襖の前に立ち、一つ呼吸をして、す、とそこを開けた。
「お待たせして申し訳無い、どんな御用向きで――」

「夜分遅くに申し訳御座いません……分不相応は重々承知しておりますが、お願いが有って参りました」

 応接用の座布団に座っていた人物が振り返り、そこを降りて畳の上に座り直し、深々と頭を下げる。
 一年以上前に姿を消した人物――、ワシントン陸軍の制服を纏ったタカコ・シミズがそこにいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

処理中です...