大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第482章『山頂から』

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第482章『山頂から』

 黒く感じてしまう程の深い青空、焼ける様な日差しが照り付ける空の下、タカコは長い事一人山の上に立ち、大和の方向を真っ直ぐに見据えていた。太平洋へと出て道半ば、この大海の向こうに大和が、再び赴任する国が在る。そこで待っているのは果たして何なのか、何度考えても答えの無い事を再び考え、太陽の眩しさに目を細めて頬を伝い落ちる汗を拭った時、先程から感じていた背後の気配が近付き、そして声を掛けてくる。
「ウォルコット司令、いつ迄こんなところにおられる気で?日射病になるぞ」
 タカコが振り返ればそこには水筒を肩から提げたドレイクが立っており、
「ほら、飲めよ」
 そう言って水筒を差し出しながら歩いて来て、タカコがそれを受け取ったのを横目に見ながら彼女の横へと立ち、同じ様に水平線の向こうへと視線を向けた。
「まーだうじうじ迷ってんのかお前は。もうここ迄来ちまったんだ、いい加減肚ぁ括れよ」
「……分かっちゃいるんだがなぁ……どうにもな」
 手渡された水筒の中身を呷ったタカコが、ぽつり、呟く様に言葉を返す。
 ここ迄来てしまった――、ドレイクのその言葉は地理的距離的なものに止まらず、タカコを取り巻く状況の全てを指していた。謀叛人を姻族に持つという人間を外国に派遣させる事について、やはり反対意見はそう小さくは無かった様子で、JCS議長のウォルコットも取り纏めには相応の苦労をしたらしい。そして、結局は彼の言葉通りにタカコとウォルコットを養子縁組する事で繋がりを強めその縁を枷とし、それで周囲を納得させざるを得なくなった。タカコにはそんな意志等微塵も無い事は本人はおろか周囲の近しい人間ならば誰でも理解している事ではあったものの、そう公言するだけで疑念が晴れるものではないという事はタカコにもよく分かっていたから、自分を重用してくれているウォルコットの立場を悪化させない為にも、彼の申し出を受ける以外の道は無かったと言って良いだろう。
 そうして正式な派遣の為の準備が始まり、大和に赴任したままの国防長官が報告の為に本国へと戻って来たのと入れ替わりになる様にして大型給油艦に乗り込み、西海岸の軍港を出港したのが七月の半ばの事。途中ハワイオアフ島へと寄港し資材や物資の積み下ろしを行い、一週間程停泊した後に出港し再び大洋を只管に進み、第二の補給基地であるここへと入港したのが二週間前。港湾設備や滑走路の建設の為の資材を大量に下ろしたりと作業はなかなかに忙しい様子で、出港が決まったのは三日前で、その刻限は明日早朝に迫っていた。
 先ずは首都京都に入り統幕の面々との挨拶が控えていると聞かされている。その会見にはProvidenceはその性質上関わる事は無いが、他の高級士官達を出来るだけ早く京都入りさせる為に艦は大阪港へと入る予定で、同じ艦に乗るタカコ達もそのまま大阪から大和入りし、本来の目的地であり赴任地でもある博多へは陸路で旧関門海峡を経由して入る事になっている。
 このペースで行けば博多入りは八月の末近く辺りだろうか、日に日に近くなる『その日その時』、心が弾む事も血が滾る事も無く、逆に気分は沈んで行くばかり。命令に従い、そして部下であるマクギャレットの気持ちを配慮し半ば自棄になりつつこの命令を受諾したものの、本当に良かったのかという思いはいつ迄経っても消えず逆に大きくなるばかり。
 合同教導団の団長は西方旅団総監から転任した黒川が就任し、人員の選抜はやはり旧教導隊をそのまま移行させる事となった。副長は京都へと戻っているらしいが、このまま博多へと向かえば黒川や敦賀とは確実に顔を合わせる事になる。その後彼等と、否、敦賀と自分との間で決して穏やかではない遣り取りが交わされるであろう事を考えると、気分が上向きになる要素は何処にも無い。
 さて、どうしたものかと思案に耽るタカコを横目で見ながら煙草に火を点け、視線を前方へと戻したドレイクが口を開いたのはそんな時だった。
「なぁ、最初に京都の近くに上陸するんだし、少し寄り道して京都に入って、先ずはあいつの親父さんに挨拶してみたらどうだ」
「……え?」
「だから、あいつの親父さんに先に会って、話してみたらどうかなって。ツルガといきなり話するってんじゃ色々としんどいのは確かだと思うからさ、先ずはあいつの親父さんに会って、準備運動してみたらどうだ?何と無くだけどさ、お前、前倒しで離脱する事にしたの、親父さんと何か有ったからじゃないのか?手紙も、その事についてだったんじゃないのか?」
 手紙の存在は部下も知っているが、それでも内容は話していないし、そもそも大和で副長との間でどんな遣り取りが交わされたのかという事は誰にも言っていない。それでも付き合いが深く長い彼等にはどうしても伝わってしまうのか、そう思い至ったタカコは苦笑しながら頭を掻き、ドレイクの手から煙草を奪いそれをふかしながらゆっくりと言葉を返す。
「話しろって……何話せってんだよ」
「そりゃお前……息子さんを私に下さいとか」
「……準備運動が物凄い勢いで難易度高いのは気の所為か?」
「まぁどんな話したって良いけどよ。何にせよ、お前はもう少し自分の気持ちに正直に素直になるべきだと思うぜ、俺は」
「私はいつでも自分に正直だぜ?」
「そうじゃねぇよ、お前は任務や部下達の事を考え過ぎて、自分の事を後回しにし過ぎだ。お前自身はそれで他の人間の役に立って満足かも知れねぇ、そんな自分に酔ってるのかも知れねぇ。だけどよ、俺も他の奴等もお前がそんな風に自分を押し殺して生きる事を望んでなんかいねぇし、何より、お前がそうやって生きる事で、お前が一番大事だと思ってる、一番傍にいて欲しいと思ってる人間が不幸になっちまってるのは、何か違わねぇか?」
 穏やかで静かなドレイクの声音、内容は少々手厳しいものではあるものの、それでも責める色は無く、ドレイクは視線を前へと向けたまま、静かに、静かに言葉を続けた。
「お前はこの先もこの業界で生き続けて、大和人になる事も無ぇだろうよ、大和とワシントンを行き来して、時には危険な任務に投入される事もまだまだ有るだろうさ。そんな生活だからツルガと物理的に一緒に居られる事もそう多くはないかも知れない、子供が産める身体だったとしても子供を持つ事も難しい様な生活かも知れない。それでも、そんな生活になったとしても、あいつはお前と一緒に生きたいと思ったからこそ、お前を伴侶に選んだんじゃねぇのか?お前は、そんなあいつの願いを踏み躙る事が正しいと思ってるのか?あいつの為とか、そんな言い訳をして当のあいつを不幸にしてるんだよ、今のお前は」
 優しく諭す様なドレイクの声音、その彼の右手が持ち上げられ、掌がタカコの頭へと置かれ、風に乱れた髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でつける。
「なぁ、タカコ……お前は、自分の思う通りに、したい様に生きて良いんだ。俺達やツルガの幸せを願うなら……先ずはお前が幸せになれ」
 返事は無い。言葉の代わりに掌を通じてタカコの身体が震えているのが伝わって来て、ドレイクは硫黄島、その南部に位置する擂鉢山の山頂から、大和の方角へと視線を向けたまま目を細めた。

「泣くなよ、俺が泣かせたみたいじゃねぇか」
「……泣いてねぇし」
「はいはい……基地に戻るか」
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