大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第485章『墓参り』

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第485章『墓参り』

「あれ?先任は?」
「あ、お早う御座います。ほら、先任はこの時間はいつも――」
「ああ、そうか……だな」
 朝の最先任執務室、開いていた扉から古参の曹長が顔を覗かせ、中にいた部屋付きの軍曹へと声を掛ける。軍曹はそれに何とも含みを持たせて応え、曹長もそれを聞いて、ああ、という面持ちになり、二人揃って国立墓地の方向へと視線を遣った。
 朝の大和国立海兵隊墓地、その一角、三十五基の墳墓が並ぶ前に立ち、その全てに線香が手向けられているのを目視で確認した敦賀は、ポケットから煙草を取り出して火を点け、煙を中空へと向かって静かに吐き出した。夏の間は職務に忙殺されていて頭に浮かぶ事も無かったが、在職中のまま病没した海兵の葬儀にここを訪れた際に不意に思い出し来てみれば、広がっていたのは手入れする人間が絶え叢の中に沈んでしまっていた墳墓群。営舎へととって返し戦闘服に着替え鎌や熊手を手にして戻り、数時間掛けて草刈りをした。綺麗にした後は線香を供え、それから以前彼女がしていた様に、課業開始前の朝の時間帯にここを訪れて線香を手向け、十分程の間、何をするでもなく墳墓群を見詰める、それが敦賀のここ最近の日課となっていた。
 必ず生きて戻って来い――、ホーネットに乗り込もうとしていた彼女の肩を掴んで振り向かせ交わした約束は、結局今でも果たされないまま。それどころかワシントン軍は彼女達の部隊の存在を認める事すら無く、そんな人間は最初から存在しなかったものとして扱われ、安否は今でも分からない。
 高根や黒川、そして父が何度かワシントン軍の高級士官との話し合いの場を持ったらしいが、そこでの交渉は現在のところ結実している様子は無い。夏どころか秋すらも過ぎ去り年の瀬は目前に押し迫っている今、何の成果も得られていないらしいという現実が、敦賀へと重く圧し掛かっていた。
 京都に在る実家、父の配慮でへと身を寄せていたという高根の妻、彼女が無事に子供達を出産したという報せを聞いたのは真夏直前の事。小さな身体に二人も抱えていた上に高根が大事にし過ぎていて子供は少々育ち過ぎていたらしく、かなりの難産だったと、付き添っていた母から電話が掛かって来た時にそう聞かされた。自分よりも前にその話を聞かされた高根は、まさか自らの配慮の結果、逆に愛妻に辛い思いをさせたのかと短時間ではあったものの酷く落ち込み、産気づいたと聞かされてから出産迄の一日半程の間、青くなったり白くなったり歩き回ったり部屋の隅でじっとしていたりと、見ている分には面白かったというのが、凛の出産にまつわる敦賀の記憶だ。
 そうやってどうにかこうにか正真正銘の父親となった高根が我が子をその腕に抱いたのは、ワシントンからの親書を携えてやって来たワシントン合衆国の国防長官が首都入りした時。随行役として海兵隊基地を離陸するホーネットに乗り込み、その時に父の配慮で数時間だけ一行から離脱して実家へと向かい、凛に宛がわれていた客間の襖を開けた瞬間にはもう滂沱の涙だったらしい。それもやはり母から電話が掛かって来て聞かされたが、その時は随行の立場に階級や職責が足りなかった自分を少々残念に思ったのも今はもう懐かしい気すらする。
 そうやって自分の周りの時間は緩やかに、しかし確実に流れている。今は未だ混乱も収まらない博多、住民の帰還も少しずつ始まったばかり。それでも年が明けて更に時間が進み春になれば、その頃には帰還も本格化するだろう。今は未だ京都に留まっている高根の妻や子供も、そして他の海兵達の家族も、桜の季節にはきっともう皆この博多へと戻って来るに違い無い。
 そうして誰も彼もが愛しい者との再会を喜び合い日常へと戻って行く中、自分はその時どうしているのだろうか、そんな事を最近よく考える。最初にタカコが姿を消した時の様に、自分を見失い周囲に迷惑を掛ける様な醜態は晒さずに済んでいるものの、だからと言って喪失感は小さいわけではない、寧ろ以前よりも大きいと言って良い。彼女はいつか戻って来る、そう信じたくともその根拠は無いに等しく、それでも何かに頼り信じ願い続けようとすれば、立ち戻るのは、彼女が大切にしているであろうものだった。
 そう、それがこの墳墓群――、正確にはその下に眠る彼女の部下達、そして夫。きっと、きっと彼女は彼等を迎えに来る、その時にがっかりさせない様にせめて手入れと墓参りだけは、そう思い通い続ける毎日。それがいつの日になるかは分からない、それでも、その日が来ないとは信じたくない、仲間や部下を大切にする彼女は、きっといつの日かここへやって来る。
「……なぁ、あんたの嫁さん……いつ帰って来るんだろうな……土の下は気楽で良いな、時間なんざ関係無く待ってりゃ良い。それに……骨はここに埋まってても、もしかしたら魂とやらはもうあいつの傍にいるのかもな……なぁ、あいつは、タカコは元気でやってるか?」
 視線はタカコの亡夫、タカユキの墳墓。語り掛けても返事等有る筈が無いと分かっていても、それでも、時々こうして胸の内をぽつり、ぽつり、吐き出す様になった。話題はいつもタカコの事、そうして暫くの間墳墓へと向かって語り掛け、遠くに聞こえる課業開始のラッパの音を聞いてから
「……また、明日な」
 と、そう言って踵を返し基地へと戻る。その流れは、今では既に敦賀の生活の一部となっていた。そして今日もまたその流れに倣い、敦賀は地面に置いていた線香とマッチを入れた袋を拾い上げる。そして指に引っ掛けたそれをゆらゆらと揺らしながら踵を返し歩き出し、ゆっくりと基地へと戻って行った。
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