大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第486章『幸せの象徴』

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第486章『幸せの象徴』

 大ワ合同の教導団が創設される事が先日決定され、その立役者となった黒川は大和側の初代団長として就任する為に西方旅団総監の任を解かれた。総監職の後任には博多駐屯地司令の横山が着任し、博多及び太宰府両駐屯地間は常に人や資料の行き来が有るなかなかに忙しい状況となっている。
 海兵隊は無関係でいられるのかと言えば決してそんな事は無く、教導団の団員の相当数が海兵隊の精鋭から選抜されている事も有り、自らもその一員として選ばれていた敦賀は、本来の最先任としての職務に加え煩雑な仕事を多数抱え込み、ここ数日は執務室から殆ど出られない日々が続いていた。
 そんな中、今日もまた書類と格闘している最中、扉が叩かれる音が耳朶を打ち、
「はい」
 そう返事をすれば、一拍置いて開かれた扉の向こうから、何とも珍しい訪問客が姿を現した。
「よっ、先任」
「帰れ、忙しい」
「おいおい、それが初代団長様に言う台詞かねぇ、邪魔するぜ」
「帰れって言ってんだろうが……で、何の用だ」
「別に?ちょっと顔見に来ただけ」
「……てめぇ……」
 入室して来たのは黒川、いつもの笑顔と物言い、それに敦賀が露骨に嫌そうな顔をしても構う事は無く、室内へと入って来た彼はソファの背凭れに杖を立て掛け、ゆっくりと腰を下ろす。昨年の内はまだまだ杖無しでは動く事にも難渋していた様子だが、職務に忙殺されながらも元の動きを取り戻す為の鍛錬は常日頃から欠かしていないのだろう、念の為にと言って杖を携えてはいるものの、今ではそれを頼りに動く様な場面を見る事は無い。両手十指に関してもそれは同じなのか、筆跡に歪さはどうしても残ってしまってはいるものの、それでも書類への署名が自筆に戻ったのは少し前の事だ。
「そう言えば、真吾の机に飾ってある家族写真、あれ見たか?もうデレッデレなのな、あのクズ男が」
 仕事の方に根を詰め過ぎて少々疲れた、肩も首も張っているし少々休憩するかと立ち上がった敦賀が茶を二人分淹れ、湯呑の一つを黒川の前に乱暴に置くとそのまま彼の向かいへと腰を下ろす。
「見てねぇんだ、まだ」
「は?何でまた。俺があいつの部屋行った時なんざ、頼んでもいねぇのにデレデレ顔で写真持って来て、仕事の話そっちのけで一時間は一人で喋ってたぞ?」
「何気ぃ遣ってんだか知らねぇけどよ、俺があいつの部屋行ったら、あいつ、真っ先に机の上の写真立てを伏せやがる」
「……あー……ほら、アレだよ、あいつなりにお前に気を遣ってさ、な?」
 まだ博多へは戻って来ていないものの、高根が京都の敦賀の実家へと行った時に撮影し後日幸恵から送ってもらった家族写真と、数日おきの電話での凛との語らいの時間は今の高根にとって掛け替えの無い、そして活力を与えてくれるもので、愛する家族を得て公私共に充実しているという自覚は本人にも十二分に有るのだろう。しかし、だからこそ未だにタカコを一人で待ち続けている敦賀に対してそれを馬鹿正直に見せびらかす事は流石に出来ず、その結果写真を始めとして幸せな家族を匂わせる様な物が敦賀の目には極力入らない様にするというのが、高根なりの配慮なのだという事は敦賀にも分かっていた。
「余計な事に気を回してねぇでもっとしっかり仕事をこなして欲しいんだがな、俺としては……そもそも、そんな気の遣われ方する方がムカつかねぇか?」
「いや、お前の気持ちも分からんではないけどさ……な?」
「ま……あいつの幸せ気分に水差す様な真似はしねぇさ」
 黒川も高根も、あの夏の日にタカコが姿を消してからこちら、敦賀に対してタカコの話題を振って来る事は殆ど無くなった。それが彼等なりの配慮なのだという事も、そして、彼等の立場なら自分も同じ様にするだろうという事も敦賀にも理解出来ている事ではあるものの、『腫物を触る様に』という例えがぴったりの対応は、善意に基づいているという事が分かっているだけに、不愉快でもあった。
 彼女をよく見知っている他の海兵達も、敦賀が置き去りにされたという事だけは理解しているのか、彼等もまた敦賀にタカコの話題を振って来る事は無く、敦賀自身自らタカコの話題を持ち出す程話し上手でもないから、今では海兵隊内でも彼女の事を耳にする事は全く無い。
 その状況が堪らなく嫌で、そして怖いとすら敦賀は感じていた。今は誰もタカコについて話す事は無く、それはやがて彼女の存在自体を無かった事にしてしまうのでは、皆彼女の事を忘却してしまうのでは、そう感じてしまうのだ。誰も俺に気を遣う必要なんて無い、寧ろ気を遣ってくれるのであればタカコの事を折りに触れて口にしてくれと、そう思わずにはいられない。
 話題等何でも良い、彼女について話して欲しい。
 彼女の仕掛けた罠で死ぬ目を見た、彼女の仕掛けた罠により物理的には生きているが社会的には死んだ気がする。
 曹長達で中洲に飲みに出たらいい具合に酔っ払い、そのまま那珂川に飛び込もうとしたのを総出で制止した。
 ジャンケンの勝負運はからっきしで、大部屋の漢気ジャンケンの時には自腹率はあいつが一番高かった。
 何か碌でもない事をやらかした時の逃げ足は本当に速く、周囲は何度もそのとばっちりを受け尻拭いする羽目になった。
 営舎の女湯の支度が出来ていなかったからと言って御丁寧に脱衣所に施錠迄して男湯の一番風呂を遣い、男性海兵から大顰蹙を買った。
 こうやって思い起こせば碌な話題が無い気がしないでもないが、それでも自分以外の者も彼女を覚えているのだという事を感じさせて欲しい、しょうがない奴だと零しつつ、彼女の帰還を待つ想いを共有して欲しいのだ。
 高根にとって家族写真が幸せの象徴なら、タカコと撮った写真等一枚も持っていない自分にとっては、彼女との想い出こそがそれなのだ。高根にも、誰にも配慮しろとは言わない、遠慮しろとは言わない。だから、自分から幸せの象徴である想い出を奪わないで欲しい。
「なぁ……龍興よ」
「何だよ」
「お前は……あいつの事、タカコの事、無かった事になんかするんじゃねぇぞ……何か話せ」
「お前さぁ……あいつの取り合いした俺にそんな話振って来るのもどうかと思うぜ?まぁ、俺は真吾みてぇに愛する家族なんてもんも無ぇし、話がしたいなら付き合うけどよ」
 敦賀のそんな想いは明確にではなくとも黒川にも理解出来るのだろう。ぽつり、ぽつりとタカコについて話し始め、執務室の空気は遣り切れなさや物悲しさを含みつつも、穏やかに流れていった。
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