大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第206章『砂』

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第206章『砂』

 先に上がっていろと高根に言われ、同じ様に挨拶を終えた敦賀と共に靴を脱げば居間へと通されて応接セットのソファへと腰を下ろす。直ぐに台所へと入って行く凛の小さな背中を見ながら、タカコは隣へと腰を下ろした敦賀へと小声で話し掛けた。
「……何あれ……すっげぇ可愛いんだけど……真吾、何処で引っ掛けたんだろうな?」
「この間見た時は遠目だったからよく分からんかったが……真吾に騙されてるとかじゃねぇのか?大丈夫なのかあれは」
「やっぱり同棲してたんだな……鳥栖の時はどうしてたんだろ、何て説明したのかね?」
「軍人だって事は言ってねぇって言ってたし、急に仕事が入ったとかそんなところだろうよ」
 前回見掛けた時の見立て通り身長は百五十程、真っ直ぐな黒髪は肩より少し下で綺麗に切り揃えられ、肌の白さと相俟って人形を思わせる。くりっとした瞳は笑みで穏やかに細められ、全体的にほんわりとした柔らかさは、やはり子猫を思わせた。軍人だらけの生活の中ではまず目にする事の無い部類、一体あんな可愛らしい娘を何処で引っ掛けたのかと小声で言葉を交わし続ければ、煮物の器と小皿と箸を盆に載せた凛が再び姿を現した。
「有り合わせですけど……お口に合えば良いんですが」
「いえいえ、急に押し掛けたのにここ迄して頂いてすみません」
「お酒は何か召し上がります?それともお茶の方が良いですか?」
「あ、私はお茶で。敦賀は?」
「それじゃ……俺は酒を」
「分かりました、先に料理の方どうぞ、今準備して来ますから」
 にっこりと微笑んで料理を勧めて再度台所へと消えて行く凛、タカコはその背中を見詰めながら、ぽつり、呟いた。
「……良い……凄く良い……私もあんな嫁さん欲しい……」
「……俺の勘違いじゃなけりゃてめぇは女だったと思うんだが……?」
「ばっか、女も男も関係無ぇって、あんな嫁さん欲しいって思うって、普通」
「女が嫁を欲しがる事が既に普通じゃねぇと思うんだが……」
 敦賀のそんな言葉はタカコには聞こえていないのか、暫くうっとりとした面持ちで凛が消えて行った方向を見詰めていたタカコ、漸くと現実へと戻って来たのか小皿と箸を手に取り凛が持って来た煮物を口にするが、一口食べた瞬間に動きを止めると箸と小皿を机の上に置き、その脇へと突っ伏してしまう。
「……どうしたんだ、不味いのか」
「……逆……超美味しい……何、何なのこれ、小さくて可愛くて若くて気立てが良くて料理上手な嫁さんとか……しかも身体小さいのにおっぱいは大きいし……何なのあの超絶勝ち組男、超狡ぃんだけど……屑のくせに……屑のくせに……」
 女が抱く感想としてはおかしいところしか無いな、呆れた眼差しでタカコを見下ろし彼女の様子を鼻で笑いつつ小皿と箸を手に取る敦賀、その彼の動きも煮物を一口食べたところで止まってしまう。
「……美味ぇな、確かに」
「……だろ……?はぁ……羨ましい……」
 食堂での食事は主菜は魚の事が多い、予算に限りが有る環境ではどちらかと言えば高値になりがちな肉を中心に据える事は出来ず仕方の無い事ではあるのだが、その環境に慣れてしまっている味覚には鶏肉と根菜の煮物は美味く感じられ、それも相俟って素朴且つ上品な味付けに思わず小さく息を吐いた。
「何だよ、もう食ってんのかよ」
 そうこうしている内に一度上へと上がっていた高根と黒川が居間へと入って来る、高根の服は少々大きいのか袖を捲くる黒川が
「んで?子猫は?」
 と悪戯っぽい笑みを浮かべてそう問い掛けて来て、敦賀は台所の方を顎でしゃくって見せ煮物を口へと放り込む。
「ほう……こりゃまた……」
 やがて姿を現した凛を見た黒川も目を見開いて小さく感嘆の声を上げ、挨拶を交わした後は全員揃ってソファへと座り和やかな語らいの時間が始まった。
「いやもう女として色々と、っていうか全てに於いて負けた気分だわ。凛ちゃん超可愛いよねぇ、真吾が羨ましいよ」
「女として負けたって、最初から同じ土俵にすら上がってねぇだろ。お前鏡見た事有るのか」
「そうだぞ、こいつと自分を比べるとか無謀通り越して図々しいだろ、自分の言動を振り返ってみろ」
「タカコ、気を落とすなって。お前にはお前の良いところが有るから、俺は分かってるから、な?」
 女として流石に感じるところが有るのか若干落ち込んで見せるタカコ、男三人は遠慮会釈の無い辛辣な言葉をぶつけ、いつもの調子等分かる筈も無い凛が慌てて高根を窘める。その気遣いがまた堪らないのかタカコはがばりと顔を上げ、がっしりと凛の両手を取った。
「凛ちゃん!真吾なんかじゃなくて私の嫁になって!凛ちゃんみたいな女の子嫁さんに欲しかったの!お願い!絶対幸せにす――」
 そのタカコの脳天に掌を全力で叩き込んだのは高根、どう反応したらいいものかと狼狽える凛の肩をがっしりと掴んで身体ごと抱き寄せふざけるなといった様子で口を開く。
「ふざけんな!何でおめぇがこいつを嫁にとかそんな話になるんだよ!こいつは俺の嫁になるの!おめぇなんぞにはやらん!」
 そう言い切ったところで我に返る高根、凛は彼の放った言葉に真っ赤になり、それを見て釣られて赤くなる高根の様子を見ながら、敦賀がぼそりと口を開いた。
「……砂吐く心境ってこういうのを言うんだろうな……なぁ、龍興よ」
「……同感だ……何なんだろうな、この非常にささくれ立った心持ちは……」
「でしょう!?何かムカつくでしょ!?」
「ああ、分かる」
「素直に祝ってやりたくねぇよな、ここ迄イチャコラされるとよ……」
 男女関係に関しては非常にややこしい事になっている三名、その彼等にしてみれば目の前の二人の熱々振りは非常に複雑な思いを抱かせるには充分過ぎ、タカコが凛に言い寄り高根がそれを制止し残り二人が砂を吐きつつタカコを構う、そんな遣り取りは深夜になる迄続けられ、結局三名は凛に引き止められる形で高根宅へと泊まる事となった。
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