大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第208章『総監執務室』

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第208章『総監執務室』

 鳥栖市街地での活骸発生、井戸水も上水道も全ての水源が汚染されていたのが判明したのは掃討完了から二日後の事。西方旅団総監である黒川は直ぐに統幕へと報告を上げ、そこから政府と自治体へと全ての水源の即時封鎖と利用停止、そして代替措置としての給水車による給水を進言したものの、決定が為されたのはそこから更に一週間後の事だった。幸いにして鳥栖以降は大和の何処にも活骸が発生したという報告は無かったものの、あまりにも鈍い動きに本来彼等に近い立場である筈の統幕の面々すら怒りと苛立ちを顕わにし、声を荒げる事すら有った。大規模災害救助活動の主体となる陸軍は相当数の給水車を有してはいるものの、それだけで全国規模の給水を賄える筈も無く、自治体や土木業者の保有する車両も総動員し態勢が整えられ、それでもまだ追い付かない分については全国に点在する陸軍の駐屯地の一部を開放し給水所を設ける事となった。
 給水と同時に進められたのは上水道の給水場への陸軍兵の配置と毎日の水質検査、この態勢が確立すれば、少なくとも上水道が完備された地域で個別の貯水槽を経由せずに直接給水を受けている家庭や施設は断水を免れる。
 活骸が病変した人間である事、既に博多と鳥栖で大規模曝露が発生している事、それ等は既に軍だけでなく政府にも隠せる事ではなくなり、給水態勢が何とか整った時点で首相声明として国民へと向けて発表された。感染源は飲み水と思われるという事も併せて発表され、安全を保障した水源以外の水は口にしないようにとの注意喚起が為され、その直後から九州全体は一種の恐慌状態に陥っている。対馬区への入り口である博多を擁する九州、活骸の恐ろしさは誰もが子供の頃から聞かされている、
『言う事を聞かないと対馬区に捨てて来るぞ、活骸に食われたいか』
 というのは九州の人間なら子供の頃に一度は言われている事で、恐ろしさが身近な分、それに対しての反応は強く出る。
 それに加え、最前線が近い分、軍、特に海兵隊を志す者が多く、任官していった身内を活骸に食われ亡くしたという者は本州とは比較にならない程に多い。それ等が絡み合って生じる活骸への恐怖と憎しみを抱く九州の人間の反応は西方旅団や海兵隊と沿岸警備隊以外は政府も、そして統幕ですら予想が出来なかったのか、暴動が起こるであろう事を予見し、その鎮圧に一定数の兵員を割り当てていた黒川を咎める者迄出ている始末だ。
「だから必要だと言ったでしょう!既に小規模な暴動は何度も発生してるんです!今はまだ何とか警察の機動隊が持ち堪えてますがじきに彼等の手には負えなくなります!本州はまだ平穏だそうじゃないですか、そちらの兵員を至急こちらに回して下さい、今のままじゃ給水作業の展開が出来ません!給水がきちんと安全に実行される様子を見れば民間人も落ち着きを取り戻します、そうなったら鎮圧用の兵員も給水作業の方に回しますしお借りする兵員も直ぐに戻しますから!」
 電話の相手は須藤統幕長、その彼に珍しく声を荒げて言い募り、とにかく人間を寄越せと念を押した黒川が苛ついた様子で受話器を置く。たった一万人で全てをやれとは無理にも程が有る、抗体の量産施設の視察に行く余裕が有るなら九州に二万人程度ぽんと送り込めと吐き捨て忌々し気に机に拳を一つ打ち付けた。抗体の量産が必要無いとは言わないが一万人規模の国民が死滅する大規模曝露が発生したのだ、それが再度齎される事を防ぐ為の即応処置である給水作業、そして九州特有の事情とは言え暴動への対応が最優先だろう、だから中央は嫌いなんだと吐き捨てれば、執務室の扉が叩かれ、一度大きく呼吸をして入室の許可を口にした。
「失礼します」
 入って来たのはマクギャレット、身に付けているのは戦闘服ではなく文官用の制服、階級章が無い以外は軍人用と殆ど変わらないその装いの彼女が、苛立ちを隠そうともしていない黒川の様子に僅かに眉根を寄せつつ机の前へとやって来る。
「……随分と荒れてますね」
「……どうも中央ってのは好きになれなくてな……政府の対応の鈍さを怒ってるが、俺からしてみれば大して変わらんな」
「……お察しします」
 タカコによく似た声音、顔を見ないで声だけを聞いていれば一瞬彼女がいるのかと錯覚しそうになる程だ。マクギャレットの方が僅かに高いがタカコと余程近しい者でもなければ違いには気が付かないだろう。そんな事を思いつつ顔を上げてマクギャレットを見てみれば、顔の上半分程を覆う火傷の痛々しい痕の中から向けられる視線とかち合った。
 タカコは身体の傷を服で覆い隠し他人に見せようとはしないが、マクギャレットは痕を隠そうとしないどころか髪は男と変わらない程に短く切り揃え、寧ろ他者に見せようとしているかの様。痕が有るからといってその事で色眼鏡で相手を見る事は無いが、女としては何とも思い切ったと言うか開き直った振る舞いだな、と、ふとそんな事を考える。
「何か顔に付いてますか?」
「いや……髪、長い方が似合うんじゃないかと思ってな、伸ばさないのか?」
「……私の本来の役目の為には短い方が都合が良いので」
「本来の役目?って、一体何なんだ?」
 傷の事には触れられたくはないだろう、そう思って適当に誤魔化せばマクギャレットからは何とも奇妙な言葉が返って来る。そう言えば斥候ではないだろうとは思っていたがと問い掛けてみれば、それに返されたのは何とも素っ気無いもの。
「ボスの許可かご命令が無ければ話す事は出来ません」
「……そうか、まぁそうだよな、聞いて悪かった」
「いえ、問題有りませんし気にしてもいません」
「で、頼んでおいた件、どうなった?その報告に来たんじゃないのか?」
「はい、こちらですが――」
 キムの穏やかさともカタギリの攻撃的な態度ともまた違う、感情をあまり感じさせない立ち居振る舞い、直ぐに動かせる様に文官扱いにしてくれとタカコに言われ秘書として配置はしたが、共に仕事を始めて数日になるというのに笑顔の一つも見た事は無い。キムはタカコの部下達を『自分も含めて扱い難い面子ばかりが揃っている』と言っていたが、実際大きく間違っているのでもないのだろう。
 そんな人間を自分に扱いこなせるのかは若干の不安が残るところではあるが、受けた以上はやるしか無い、タカコが今迄に、そして今も自分達に協力してくれている事を考えれば安いものだ。ともかく、今は目の前に山積みになった懸案を一つでも多く片付けなければいけないのだ、時間は、そして恐らくは敵も待ってはくれないのだろうから。
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