大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第213章『餌』

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第213章『餌』

 最優先監視対象であるタカコ・シミズ、ここ暫くの間海兵隊基地に籠もりっ放しとなっていた彼女だが、今日は何がしかの打ち合わせでも合ったのか基地へとやって来た陸軍西方旅団総監の黒川と連れ立ち、夜には中洲へと出た。飲み屋を何軒か梯子した後に屋台でとんこつ麺を食べた後は車で旅館へと移動し、離れへと入ってからは何の動きも無い、恐らくはこのまま夜はそこで過ごすのだろう。
 三軍に潜入させた工作員のほぼ全員が拘束されたのは二ヶ月程前、兵器や車両の秘匿場所を吐かれて押収されては拙いと様子を窺ったものの、大和には尋問の知識も技術も無い様で彼等がそれを把握したという話は全く聞こえて来ない。敵陣に潜入している以上秘匿場所を簡単に変更する事も出来ず、一箇所でも急襲を受け押収されればその時にはと神経を尖らせて監視を続けているが、今のところは全く動きは見られない。監視対象についてはワシントン軍の特殊部隊の指揮官と説明を受けているが、その彼女の存在が有ったとしても大和軍の水準というのはそう高くはないのだろう、そう遠くない内に監視態勢も緩和されるかも知れない。どの秘匿場所にも定期的に訪れ異状が無いかどうかを確認しているが、今のところは海兵隊も陸軍も気付いている様子は全く無く、そこに隠している兵器を大きく動かす必要性は無さそうだ。
 正規軍の、しかも特殊部隊の指揮官と聞いてさぞや有能なのだろうと思ってはいたが噂というものは当てにはならない。鳥栖での大規模曝露の時には新戦法の指揮を執り大きな成果を上げたという事は聞いているし、昨年の博多海兵隊基地でも同様の活躍をした様だが、所詮は現場の一指揮官止まり程度の能力なのだろう、物事の大局を見据えて大きく思い切った動き迄出来る人間ではないらしい。それが出来るのであれば、きっともう尋問や拷問の過程を経て、幾つかの秘匿場所は暴かれ、そこに隠している兵器を押収されているのだろうから。
 宿に入ってから二時間、部屋の明かりが消えた。ワシントンの女指揮官はこれから大和の陸軍総監とお楽しみの時間か、大した能力が無くとも褥を共にする男は条件が良くないと我慢ならないらしい。身体で今の地位を得たのだとしたら女らしい曲線とは縁遠い見た目とは裏腹に良いものを持っているのだろうと小さく笑い、男は仲間へと引継ぎを終えて車へと乗り込んだ。向かう先は秘匿場所の一つ、今日は定期点検の日だ。
 向かった先は春日、深夜という事も有り車通りの途絶えた道を目的地へと直走る。隠している兵器の数が合っているか、異状が無いかを確認した後はまた仮の生活に戻り、監視の当番が回って来る迄は平穏な生活を送る、いつもの繰り返しだ。今日も手早く済ませてしまいさっさと戻ろう、明日辺りには久し振りに中洲の花街で発散するか、そんな事を考えつつ小一時間程深夜の道を走り、目的の場所へと辿り着いた。
 秘匿場所は住宅街に程近い廃屋、長年手入れもされず取り壊しの気配も無いここは恰好の隠し場所だ。扉に挟んだ紙片は前回ここを立ち去る時に仕込んだまま、誰かが訪れた様子も無い。その紙片をとってポケットに突っ込み扉を開けて中へと入れば、外観と同じ様に前回見た時と変わらない室内の風景が窓から差し込む月明かりにほんのりと照らされて見えた。
 がらんとした室内、それを見ながら襖へと手を掛けて押し入れを開け、上下共に空のそこに入り上部の羽目板を外して天井裏へと顔を出す。真っ暗なその空間にポケットから取り出した懐中電灯の明かりを向ければ、運び込んだ時のまま少しも動かされた様子の無い木箱の数々が目に入る。大丈夫そうだが確認も仕事の内、そんな事を考えつつ屋根裏へと上がり木箱の蓋を開け、中身が減ってはいないか、動かされた形跡が無いかをざっと確認し、異状無しと確認した後は蓋を戻し室内へと降り立った。次は、と、今度は畳を外して床下を開き、そこにも同じ様に収納された木箱や包装の中身を確かめる。こちらは天井裏には仕舞えない重量物、それ等も全て異状が無い事を確認し、その後静かに畳を元に戻した。
 今夜も異状は無し、さっさと戻って寝てしまおう、明日もまた仮の姿の方の仕事が忙しい、作られた『日常』を思いつつ外へ出ようと踵を返した瞬間、窓硝子の砕ける音が響き渡り、その直後室内に白煙が立ち込める。
(催涙弾……!)
 しまった、後をつけられたのか、弾かれる様にして走り出し扉から外へと出れば両脇から襲って来る人の気配、車に銃もナイフも置いて来てしまったのは失敗したと舌を打ち夫々に素早く肘を叩き込む。綺麗に決まったのか呻き声を上げて倒れ込んで来る二つの身体、それを潜り抜ける様にして再び走り出そうとした時、上空に突然湧いて出た禍々しさすら感じる程の殺気に、一瞬、身体が動きを失った。一体何なんだ、そう思って顔をそちらへと向けてしまったのは男の失敗、本来であればそれから逃げる為に全力を注ぐべきところを、恐怖と好奇心に突き動かされ顔を上げる。
「……あ……あ、あ……」
 そこに在ったのは月を背負った小さな黒い影。海兵隊の戦闘服、そして頭部はバラクラバで覆われたそれ、逆光と夜の暗さに見える筈も無いのに、酷く獰猛な双眸が自分を見下ろしている、そんな気がした。
 我に返ったのはその直後、しかし逃げ出そうとしても既に時機を失し、上空から舞い降りて来た小さな影に組み敷かれて地に伏せる。
「確保!先ずは室内の換気!ガスは吸い込むなよ、涙と鼻水で枕を濡らす事になるぞ!その後は中を検めろ!天井板から畳迄全て引き剥がして引っ繰り返せ!」
「了解!」
 頭上から響いて来るのは女の声、地面に伏した自分とそれを押さえ込む女の脇を大勢の男達が走り抜け室内へと入って行く。圧し掛かった身体を振り払おうとしても逆に更に強い力で押さえ込まれ、挙句には頬に肘を叩き込まれ更に動きを封じられた。誰だ、そう思いながらも首を捻りそちらを見れば、女が被っていたバラクラバを脱ぎ捨ててその顔を男へと曝け出して見せる。
『……な、んで……』
 自分を見下ろす冷く獰猛な双眸、それは監視対象であるタカコ・シミズのもの。何故、陸軍総監の黒川と共に旅館に入った事は確認した、明かりの消えた離れから出ていない事は分かっている、ここに向かう道すがらもただの一台の車にも追い越されはしていないのに、何故この女がここにいるのか。
『私と黒川総監を尾行していただろう?二人は宿に入って以降そこから動いてはいない、それは間違ってない、唯一つ間違いが有ったとすれば――』

――総監と一緒にいたのは、私じゃないんだよ、坊や。――
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