大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

文字の大きさ
39 / 100

第239章『待ち受ける別離』

しおりを挟む
第239章『待ち受ける別離』

 意識が戻ってから直ぐにいつもの調子で話し続けたタカコ、横になったままただ話すだけという事も死に掛けた身体には相当な負担になったのか、回診の時間を挟み二時間程話し続けた後突然糸が切れた様に眠りに落ち、今、黒川と敦賀が見守る中静かな寝息を立てている。
 このまままた目が覚めなかったらと少々不安にはなるものの、瞼の下で眼球が動き時折口元がぴくりと動く様子に、どうやら大丈夫そうだと小さく息を吐く。
「大人しく寝てろって言ってるのに、全然人の話聞きやがらねぇこの馬鹿女……救い様の無ぇ馬鹿だろ……」
「……同感だ……惚れた女を馬鹿扱いするのは微妙な気分だが、こいつ本当に馬鹿だわ。俺等に気ぃ遣ってあんな調子で喋り倒して……それで寝込んでりゃ世話無ぇな」
 場の空気を和ませる事を考える前に死に掛けた自分の身体を心配しろ、気の遣いどころが完全に間違っているだろうと呆れて溜息を吐き、暫くそのまま寝顔を見詰め、先に口を開いたのは黒川の方。
「……で、どうするよ」
「……何がだ」
「続き、するか?」
「……気が削がれた」
「奇遇だな、俺もだ。何か馬鹿馬鹿しくなったわ」
「ああ」
 分かり難いと言うか見え透いたと言うか、とにかくタカコなりに気を遣ってくれているのにそれを無碍にする事も無いだろう。それに、彼女のあのいつもの調子でどうでもいい事を話されてはそんな気も失せる、男二人はそんな事を言い合いつつ顔を見合わせ、それからまたタカコの寝顔へと視線を戻した。
「……良かったな」
「……ああ」
「……本当に、良かった」
「……ああ、そうだな」
 目覚めの直後からタカコの調子に乗せられ、感慨も感動も有ったものではなかったが、こうして静かな空気の中で漸く、そして段々とタカコが帰って来のだという実感が敦賀の中にじんわりと滲み出す。まだ暫くは療養生活になるのだろうが、その先には日常が帰って来る。横で彼女がどうでもいい事を言って自分はそれを適当に聞き流し、大口を開けて楽しそうに笑う彼女を見てそっと目を細め、時折触れ合い、そして何か事が起きれば肩を並べて戦いへと赴いて行く。そんな、有り触れた毎日。
「…………!」
 不意に熱くなる目頭、慌てて立ち上がり便所へ行くと黒川に告げて病室を出て向かった先は屋上、昼下がりの屋上は無人で、助かったと思いながら敦賀は出入り口の脇の陰へと進みそこで柵に身体を預けながら眼下の街並みをぼんやりと眺めた。そうしている内に滲む視界、風に曝されて感じる頬の冷たさに堪え切れずに涙が流れ出た事を知る。
 タカコが退院すれば戻って来る筈の『日常』、それを実感出来る時間はもうそう多くは残されていないのだと自分は知っている。彼女を最終的に自分の伴侶としたいという気持ちは今でも変わってはいないが、任務というものを背負っている以上一度は離れなければならないのだという事も、同じ軍人として理解している。彼女が自分を選んだのだとしても長期間離れなければならないだろうし、自分を選ばずに国と任務と部下を選べば、それっきり永遠に会う事は無いだろう。
 どちらにせよ一度は離れなければならない、今迄の寄り添った生活は終わりを告げる、正確な日付は聞いていないが、保護したあの日から千日目なのだとすれば五月の末が期限、後ほんの数ヶ月で蜜月は終わりを告げ、自分は彼女の身体と手を離さなければならなくなる。
 日毎に近付き自分を苛み続けた『その日』、無理矢理に拘束して繋ぎ止めておこうかとすら思い始めていた中で起きたタカコの負傷、自分達の意思で離れる前に死者と生者として別れる事になるのかと思った時に感じたものは絶望という言葉すら生温く思える程の恐怖。
「……良かった……」
 思わず口から零れ出た言葉は、敦賀の嘘偽りの無い本心。手放す気は毛頭無いが、例え別離という結果に至ったとしても、互いが生きていればその先へと望みを繋ぐ事は出来る。死んでしまえばそれすらも不可能になるのだ、この先の人生を彼女の生前の思い出だけを拠り所として生きる等、考えたくもない。考えなければならない事は多過ぎて、そして幾つもの重い決断を迫られる事にはなるだろうが、生きていれば事を動かす事は可能なのだ、そう思いたい。
「……良かった……」
 もう一度呟かれたその言葉は、早春の風に吹かれ晴れ渡った空へと溶けて行った。

「なぁ、あれ、敦賀、絶対に泣いてたぞ。お前が目を覚ましたのがよっぽど嬉しかったんだな。可愛いところ有るよな、あいつも」
 敦賀が顔を背けて足早に病室を出て行ったのを見て、黒川は小さく笑いながら寝台の上で眠るタカコへと話し掛ける。深く寝入っているのか返事は無いが、その寝顔を見て優しく微笑み、滑らかな頬へとそっと掌を這わせた。
「……お前の怪我がどれだけ酷かったのか直では見てないけど、横山から聞いた時には生きた心地しなかったぜ、俺も。千鶴の戦死の報せを受けた時もそうだったけどよ、惚れた女が死んだとか死に掛けたとか、本当に勘弁なんだよ俺。添い遂げようと思った相手がいなくなるって考えた時の恐怖とか絶望とか、お前なら分かるだろ?もう、こういうのは無しにてくれな?結婚して同じ苗字になって同じ家に住んで同じ物食って同じ布団で寝て、それで子供産んで育てて、毎年同じだけ歳とってくれよ、俺と。な?」
 返事は当然無い、それでも黒川は更に目を細めて笑みを深くし、その笑みと同じ優しい口調で言葉を掛け続けた。
 彼女の言っていた千日目迄後ほんの数ヶ月、その日がやって来る迄に彼女がこの大和の地で生きる事を選択しくれれば良い、出来れば、自分の伴侶として自分の傍らで生涯を送る事を。彼女の軍人としての矜持に触れる度、それが少々分の悪い願いである事は段々と分かって来た、それでも、諦める気は毛頭無い。

 男二人の同じ様でいて決定的に違う願い、そんな事は知らない様に、タカコは静かに眠っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした

月神世一
ファンタジー
​「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」 ​ ​ブラック企業で過労死した日本人、カイト。 彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。 ​女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。 ​孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった! ​しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。 ​ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!? ​ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!? ​世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる! ​「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。 これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【状態異常耐性】を手に入れたがパーティーを追い出されたEランク冒険者、危険度SSアルラウネ(美少女)と出会う。そして幸せになる。

シトラス=ライス
ファンタジー
 万年Eランクで弓使いの冒険者【クルス】には目標があった。  十数年かけてため込んだ魔力を使って課題魔法を獲得し、冒険者ランクを上げたかったのだ。 そんな大事な魔力を、心優しいクルスは仲間の危機を救うべく"状態異常耐性"として使ってしまう。  おかげで辛くも勝利を収めたが、リーダーの魔法剣士はあろうことか、命の恩人である彼を、嫉妬が原因でパーティーから追放してしまう。  夢も、魔力も、そしてパーティーで唯一慕ってくれていた“魔法使いの後輩の少女”とも引き離され、何もかもをも失ったクルス。 彼は失意を酩酊でごまかし、死を覚悟して禁断の樹海へ足を踏み入れる。そしてそこで彼を待ち受けていたのは、 「獲物、来ましたね……?」  下半身はグロテスクな植物だが、上半身は女神のように美しい危険度SSの魔物:【アルラウネ】  アルラウネとの出会いと、手にした"状態異常耐性"の力が、Eランク冒険者クルスを新しい人生へ導いて行く。  *前作DSS(*パーティーを追い出されたDランク冒険者、声を失ったSSランク魔法使い(美少女)を拾う。そして癒される)と設定を共有する作品です。単体でも十分楽しめますが、前作をご覧いただくとより一層お楽しみいただけます。 また三章より、前作キャラクターが多数登場いたします!

処理中です...