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第239章『待ち受ける別離』
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第239章『待ち受ける別離』
意識が戻ってから直ぐにいつもの調子で話し続けたタカコ、横になったままただ話すだけという事も死に掛けた身体には相当な負担になったのか、回診の時間を挟み二時間程話し続けた後突然糸が切れた様に眠りに落ち、今、黒川と敦賀が見守る中静かな寝息を立てている。
このまままた目が覚めなかったらと少々不安にはなるものの、瞼の下で眼球が動き時折口元がぴくりと動く様子に、どうやら大丈夫そうだと小さく息を吐く。
「大人しく寝てろって言ってるのに、全然人の話聞きやがらねぇこの馬鹿女……救い様の無ぇ馬鹿だろ……」
「……同感だ……惚れた女を馬鹿扱いするのは微妙な気分だが、こいつ本当に馬鹿だわ。俺等に気ぃ遣ってあんな調子で喋り倒して……それで寝込んでりゃ世話無ぇな」
場の空気を和ませる事を考える前に死に掛けた自分の身体を心配しろ、気の遣いどころが完全に間違っているだろうと呆れて溜息を吐き、暫くそのまま寝顔を見詰め、先に口を開いたのは黒川の方。
「……で、どうするよ」
「……何がだ」
「続き、するか?」
「……気が削がれた」
「奇遇だな、俺もだ。何か馬鹿馬鹿しくなったわ」
「ああ」
分かり難いと言うか見え透いたと言うか、とにかくタカコなりに気を遣ってくれているのにそれを無碍にする事も無いだろう。それに、彼女のあのいつもの調子でどうでもいい事を話されてはそんな気も失せる、男二人はそんな事を言い合いつつ顔を見合わせ、それからまたタカコの寝顔へと視線を戻した。
「……良かったな」
「……ああ」
「……本当に、良かった」
「……ああ、そうだな」
目覚めの直後からタカコの調子に乗せられ、感慨も感動も有ったものではなかったが、こうして静かな空気の中で漸く、そして段々とタカコが帰って来のだという実感が敦賀の中にじんわりと滲み出す。まだ暫くは療養生活になるのだろうが、その先には日常が帰って来る。横で彼女がどうでもいい事を言って自分はそれを適当に聞き流し、大口を開けて楽しそうに笑う彼女を見てそっと目を細め、時折触れ合い、そして何か事が起きれば肩を並べて戦いへと赴いて行く。そんな、有り触れた毎日。
「…………!」
不意に熱くなる目頭、慌てて立ち上がり便所へ行くと黒川に告げて病室を出て向かった先は屋上、昼下がりの屋上は無人で、助かったと思いながら敦賀は出入り口の脇の陰へと進みそこで柵に身体を預けながら眼下の街並みをぼんやりと眺めた。そうしている内に滲む視界、風に曝されて感じる頬の冷たさに堪え切れずに涙が流れ出た事を知る。
タカコが退院すれば戻って来る筈の『日常』、それを実感出来る時間はもうそう多くは残されていないのだと自分は知っている。彼女を最終的に自分の伴侶としたいという気持ちは今でも変わってはいないが、任務というものを背負っている以上一度は離れなければならないのだという事も、同じ軍人として理解している。彼女が自分を選んだのだとしても長期間離れなければならないだろうし、自分を選ばずに国と任務と部下を選べば、それっきり永遠に会う事は無いだろう。
どちらにせよ一度は離れなければならない、今迄の寄り添った生活は終わりを告げる、正確な日付は聞いていないが、保護したあの日から千日目なのだとすれば五月の末が期限、後ほんの数ヶ月で蜜月は終わりを告げ、自分は彼女の身体と手を離さなければならなくなる。
日毎に近付き自分を苛み続けた『その日』、無理矢理に拘束して繋ぎ止めておこうかとすら思い始めていた中で起きたタカコの負傷、自分達の意思で離れる前に死者と生者として別れる事になるのかと思った時に感じたものは絶望という言葉すら生温く思える程の恐怖。
「……良かった……」
思わず口から零れ出た言葉は、敦賀の嘘偽りの無い本心。手放す気は毛頭無いが、例え別離という結果に至ったとしても、互いが生きていればその先へと望みを繋ぐ事は出来る。死んでしまえばそれすらも不可能になるのだ、この先の人生を彼女の生前の思い出だけを拠り所として生きる等、考えたくもない。考えなければならない事は多過ぎて、そして幾つもの重い決断を迫られる事にはなるだろうが、生きていれば事を動かす事は可能なのだ、そう思いたい。
「……良かった……」
もう一度呟かれたその言葉は、早春の風に吹かれ晴れ渡った空へと溶けて行った。
「なぁ、あれ、敦賀、絶対に泣いてたぞ。お前が目を覚ましたのがよっぽど嬉しかったんだな。可愛いところ有るよな、あいつも」
敦賀が顔を背けて足早に病室を出て行ったのを見て、黒川は小さく笑いながら寝台の上で眠るタカコへと話し掛ける。深く寝入っているのか返事は無いが、その寝顔を見て優しく微笑み、滑らかな頬へとそっと掌を這わせた。
「……お前の怪我がどれだけ酷かったのか直では見てないけど、横山から聞いた時には生きた心地しなかったぜ、俺も。千鶴の戦死の報せを受けた時もそうだったけどよ、惚れた女が死んだとか死に掛けたとか、本当に勘弁なんだよ俺。添い遂げようと思った相手がいなくなるって考えた時の恐怖とか絶望とか、お前なら分かるだろ?もう、こういうのは無しにてくれな?結婚して同じ苗字になって同じ家に住んで同じ物食って同じ布団で寝て、それで子供産んで育てて、毎年同じだけ歳とってくれよ、俺と。な?」
返事は当然無い、それでも黒川は更に目を細めて笑みを深くし、その笑みと同じ優しい口調で言葉を掛け続けた。
彼女の言っていた千日目迄後ほんの数ヶ月、その日がやって来る迄に彼女がこの大和の地で生きる事を選択しくれれば良い、出来れば、自分の伴侶として自分の傍らで生涯を送る事を。彼女の軍人としての矜持に触れる度、それが少々分の悪い願いである事は段々と分かって来た、それでも、諦める気は毛頭無い。
男二人の同じ様でいて決定的に違う願い、そんな事は知らない様に、タカコは静かに眠っている。
意識が戻ってから直ぐにいつもの調子で話し続けたタカコ、横になったままただ話すだけという事も死に掛けた身体には相当な負担になったのか、回診の時間を挟み二時間程話し続けた後突然糸が切れた様に眠りに落ち、今、黒川と敦賀が見守る中静かな寝息を立てている。
このまままた目が覚めなかったらと少々不安にはなるものの、瞼の下で眼球が動き時折口元がぴくりと動く様子に、どうやら大丈夫そうだと小さく息を吐く。
「大人しく寝てろって言ってるのに、全然人の話聞きやがらねぇこの馬鹿女……救い様の無ぇ馬鹿だろ……」
「……同感だ……惚れた女を馬鹿扱いするのは微妙な気分だが、こいつ本当に馬鹿だわ。俺等に気ぃ遣ってあんな調子で喋り倒して……それで寝込んでりゃ世話無ぇな」
場の空気を和ませる事を考える前に死に掛けた自分の身体を心配しろ、気の遣いどころが完全に間違っているだろうと呆れて溜息を吐き、暫くそのまま寝顔を見詰め、先に口を開いたのは黒川の方。
「……で、どうするよ」
「……何がだ」
「続き、するか?」
「……気が削がれた」
「奇遇だな、俺もだ。何か馬鹿馬鹿しくなったわ」
「ああ」
分かり難いと言うか見え透いたと言うか、とにかくタカコなりに気を遣ってくれているのにそれを無碍にする事も無いだろう。それに、彼女のあのいつもの調子でどうでもいい事を話されてはそんな気も失せる、男二人はそんな事を言い合いつつ顔を見合わせ、それからまたタカコの寝顔へと視線を戻した。
「……良かったな」
「……ああ」
「……本当に、良かった」
「……ああ、そうだな」
目覚めの直後からタカコの調子に乗せられ、感慨も感動も有ったものではなかったが、こうして静かな空気の中で漸く、そして段々とタカコが帰って来のだという実感が敦賀の中にじんわりと滲み出す。まだ暫くは療養生活になるのだろうが、その先には日常が帰って来る。横で彼女がどうでもいい事を言って自分はそれを適当に聞き流し、大口を開けて楽しそうに笑う彼女を見てそっと目を細め、時折触れ合い、そして何か事が起きれば肩を並べて戦いへと赴いて行く。そんな、有り触れた毎日。
「…………!」
不意に熱くなる目頭、慌てて立ち上がり便所へ行くと黒川に告げて病室を出て向かった先は屋上、昼下がりの屋上は無人で、助かったと思いながら敦賀は出入り口の脇の陰へと進みそこで柵に身体を預けながら眼下の街並みをぼんやりと眺めた。そうしている内に滲む視界、風に曝されて感じる頬の冷たさに堪え切れずに涙が流れ出た事を知る。
タカコが退院すれば戻って来る筈の『日常』、それを実感出来る時間はもうそう多くは残されていないのだと自分は知っている。彼女を最終的に自分の伴侶としたいという気持ちは今でも変わってはいないが、任務というものを背負っている以上一度は離れなければならないのだという事も、同じ軍人として理解している。彼女が自分を選んだのだとしても長期間離れなければならないだろうし、自分を選ばずに国と任務と部下を選べば、それっきり永遠に会う事は無いだろう。
どちらにせよ一度は離れなければならない、今迄の寄り添った生活は終わりを告げる、正確な日付は聞いていないが、保護したあの日から千日目なのだとすれば五月の末が期限、後ほんの数ヶ月で蜜月は終わりを告げ、自分は彼女の身体と手を離さなければならなくなる。
日毎に近付き自分を苛み続けた『その日』、無理矢理に拘束して繋ぎ止めておこうかとすら思い始めていた中で起きたタカコの負傷、自分達の意思で離れる前に死者と生者として別れる事になるのかと思った時に感じたものは絶望という言葉すら生温く思える程の恐怖。
「……良かった……」
思わず口から零れ出た言葉は、敦賀の嘘偽りの無い本心。手放す気は毛頭無いが、例え別離という結果に至ったとしても、互いが生きていればその先へと望みを繋ぐ事は出来る。死んでしまえばそれすらも不可能になるのだ、この先の人生を彼女の生前の思い出だけを拠り所として生きる等、考えたくもない。考えなければならない事は多過ぎて、そして幾つもの重い決断を迫られる事にはなるだろうが、生きていれば事を動かす事は可能なのだ、そう思いたい。
「……良かった……」
もう一度呟かれたその言葉は、早春の風に吹かれ晴れ渡った空へと溶けて行った。
「なぁ、あれ、敦賀、絶対に泣いてたぞ。お前が目を覚ましたのがよっぽど嬉しかったんだな。可愛いところ有るよな、あいつも」
敦賀が顔を背けて足早に病室を出て行ったのを見て、黒川は小さく笑いながら寝台の上で眠るタカコへと話し掛ける。深く寝入っているのか返事は無いが、その寝顔を見て優しく微笑み、滑らかな頬へとそっと掌を這わせた。
「……お前の怪我がどれだけ酷かったのか直では見てないけど、横山から聞いた時には生きた心地しなかったぜ、俺も。千鶴の戦死の報せを受けた時もそうだったけどよ、惚れた女が死んだとか死に掛けたとか、本当に勘弁なんだよ俺。添い遂げようと思った相手がいなくなるって考えた時の恐怖とか絶望とか、お前なら分かるだろ?もう、こういうのは無しにてくれな?結婚して同じ苗字になって同じ家に住んで同じ物食って同じ布団で寝て、それで子供産んで育てて、毎年同じだけ歳とってくれよ、俺と。な?」
返事は当然無い、それでも黒川は更に目を細めて笑みを深くし、その笑みと同じ優しい口調で言葉を掛け続けた。
彼女の言っていた千日目迄後ほんの数ヶ月、その日がやって来る迄に彼女がこの大和の地で生きる事を選択しくれれば良い、出来れば、自分の伴侶として自分の傍らで生涯を送る事を。彼女の軍人としての矜持に触れる度、それが少々分の悪い願いである事は段々と分かって来た、それでも、諦める気は毛頭無い。
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