大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第243章『人間として』

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第243章『人間として』

「……どうかしたのか」
「……べーつーにー……」
「だったら何でそんなにぶすくれてるんだ。真吾の嫁みてぇにいつでも愛想良くしてろとは流石に言わねぇがよ、心当たりも無いのにそんなに不機嫌な顔されたらこっちも気分悪ぃんだが?」
 昼下がりの病室、私服に着替え荷物を纏めて寝台に腰掛けたタカコに、迎えに来た敦賀が眉間に皺を寄せて話し掛ける。今日は退院の日、漸く日常に戻れるともなればさぞかし上機嫌なのだろうと思っていた敦賀を出迎えたのは不機嫌を全身で表現したタカコの姿、何が有ったと問い掛けても答えは無く、敦賀はともかくもう基地に戻ろうと溜息を吐きながら荷物を持って歩き出した。
「それで?何が有った」
「……てめぇ……親父さんに私との事何て言ったんだ……この間病院に激励に来た時に序でに見舞ってくれたが、案内役のタツさんに私とお前が結婚の約束をしてるんだって言ってたらしいぞ……」
「俺は何も言ってねぇ、親父が勝手に勘違いしてるだけだろうが」
「……お袋さんと妹さんだけじゃなく親父さんも人の話聞かねぇとか聞いてねぇし」
「いや……それは悪かったとは思うが」
「……それだけかよ」
「俺にどうしろってんだよ」
 結局あの後病室へと戻り中将の見舞いを受けたものの、椅子に腰掛けた中将の背後で立ったままだった黒川は相変わらずどす黒い空気を纏っていて、湛えられた笑顔の穏やかさは逆に恐ろしさすら感じさせた。
 別にタカコに非が有るわけではない、敦賀と結婚の約束をした事を隠して黒川と関係を持っていたわけではないし、そもそもそんな約束は誰ともしていない。中将の早合点と言うか勘違いでしかないのだが、どっちつかずとは言えそれなりの深い間柄になってもう一年以上、タカコ自身にもそれなりの情や執着にも似た感情というのは湧くもので、何とも言い表し難い気まずさに支配された嫌な時間を過ごす羽目になったのだ。結局十分程当たり障りの無い話をして立ち上がった中将と共に帰って行った黒川、その彼に弁明をした方が良いのかと一瞬思ったものの、何をどう言えば良いのか、そもそも黒川ともそんな弁明をしなければならない間柄ではないし自分は何もしていない、そう思い結局連絡をとる事もせず、黒川からも何も連絡は無く今日の退院を迎えた形となる。
 さて、どうしたものかと思案しつつ並んで階段を降り駐車場へと出れば横を歩いていた敦賀の歩みが突然止まり、どうかしたのかと思いつつ彼の方を見上げてみれば実に不機嫌な横顔。その視線の先はと見てみればこちらもまた同じ様な不機嫌な面持ちの黒川がいて、一触即発といった二人の様子に、タカコはげんなりとした面持ちになり大きな溜息を漏らした。
 どうしたものか、黒川の横には彼の車、恐らくは博多に用事でも有ってその序でに自分を迎えに来たのだろうが、この状況で敦賀と黒川、二人が運転する車のどちらかを選べとは御免被る、何とか逃げ出す手段は無いものかと思い周囲を窺ってみれば、入り口から入って来た海兵隊の乗用車の運転席と助手席に見慣れた顔が二つ、カタギリとジュリアーニ。こらちを見つけて笑顔で手を振る二人に天の助けだと大喜びで振り返し、敦賀が持ったままの荷物は放置する事に決め、相変わらず睨み合いを続ける男二人を放置して部下の乗った車の方へと向かって走り出す。
「助かったー、早く出して、早く!」
「へ?どうかしたの?総監さんと敦賀は?何かえらい険悪な空気で睨み合ってるけど?」
「良いから出せ!早く!」
 後部座席の扉を開けて中へと転がり込めば、運転席にいたジュリアーニが少々面食らった様子で尋ねて来る。こんなところで悠長に答えていてあの二人に気付かれては元も子も無いと車を出せと急かせば、助手席のカタギリと顔を見合わせた後、命令であれば仕方が無いと肩を竦め、通路を一周して今入って来たばかりの門を潜り車は外の道を基地へと向かって走り出した。
「で?どうしたの?」
「いやー、何日か前に敦賀の親父さんが見舞いに来てくれたんだけどな」
「あー、統幕の副長やってる陸軍中将だっけ、確か」
「そうそう。それでさ、何か話が妙な伝わり方してるらしくて、親父さんは私と敦賀が結婚の約束してると思ってるらしいのな。それで、タツさんにもそれを言っちゃったらしくてさ」
「って……ボスは総監さんと身体のお付き合いしてるんじゃないの?」
「修羅場ですねぇ……で、あんな男二人の睨み合いに発展したって事ですか」
「そうそう。いやいや、あんな剣呑な空気の場所にはいたくないね、お前等が来てくれたからさっさと逃げ出せて良かったよ」
「……ボス?一応確認するけど、ボス、当事者だよね?」
「当事者って言うか……元凶だよな……元凶が我関せずとばかりにさっさと逃げ出すとか最低の屑だな」
「……ねぇケイン、時々この人に忠誠誓ってて良いのか疑問に思う事無い?」
「有る、わりとしょっちゅう有る」
「人間として最低だよね、俺等のボス」
 上官に対しての言葉とは思えない、暴言と言っても良い程の辛辣な言葉の数々、言われた当事者のタカコはと言えば慣れたものなのか然して気にする様子も怒る様子も無く、からからと笑ってポケットから取り出した煙草に火を点けて窓を開け、流れ込む外気の冷たさに目を細める。
「もう直ぐいなくなるんだ、これ以上気を持たせる様な事は言わないししない方が良いだろうよ」
「そりゃそうですけど……それなら身体の付き合いもしない方が良かったんじゃないですか?男として流石に少し同情しますよ、あの二人に」
「まぁそうなんだけどさ……過ぎた事言っても仕方無いし、残り後三ヶ月、どう使うか考えようや、な?」
 残り三ヶ月、タカコのその言葉に二人の顔付きが僅かに鋭くなる。予想もしていなかったタカコの負傷という事件が有ったもののそれで時が止まる事も待ち構える『千日目』が無くなる事も無く、時間は刻々と過ぎて行く。大和との同盟を確かなものと出来る様に、タカコのその願いを胸に、三人はそれきり言葉も無く、車内には車の駆動音と風の音だけが響いていた。
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