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第244章『鬼』
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第244章『鬼』
扉を叩かれて入室の許可を口にした高根、やがて開かれた扉の向こうに現れた友人であり部下であり盟友でもある人物の笑顔に、彼は破顔してゆっくりと立ち上がった。
「ただいま」
「おお、お帰り。待ちくたびれたぞ」
現れたのはタカコ、肝臓を損傷する重傷を負い一時は生死も危ぶまれたが何とか生還し、以前と変わらない笑顔を見せてくれた事に安堵しつつソファへの着席を促した。
「退院して来て早速で悪いんだがな、仕事が溜まってる、頼むぞ」
「任せなって。……あ、そう言えばさ、入籍、もう済ませたのか?」
「いや、まだだ。流石にこんな状況じゃな。お前の容態が落ち着いてから漸く家帰って、それで妊娠の事は聞いたんだけどよ……今は未だ世間もそんな空気じゃねぇしな、生まれる迄にはどうにかするつもりだ」
「まぁ……確かにな」
「こんな事が無ければよ、聞いた次の日には休みとって届け出しに行ってたんだけどな、式も挙げてやりてぇし」
帰還してからの話と言えばやはりこれからの仕事の事、未だにタカコの助言無くしては進める事に不安の有る案件も多く、高根のところに上がって来ている書類を束にして渡せば、タカコはそれに目を通しながら凛との事を口にする。多くの犠牲を出す事になった痛ましい惨劇、家族を持つ軍人達の多くが遺族であると同時に加害者ともなり、その重苦しい空気は未だに博多の街を覆っている。そんな中でその頂点たる人間が極々個人的な事を言祝げるものではないという事はタカコにも分かるのか、生まれる迄には形を整える、高根のその言葉に特に反対する事も無く相槌を返す。
「どうにかしてやりたいってのは私も分かるけど、無理だよなぁ……」
「ああ、凛が物分り良くてよ、『真吾さんの都合の良い様にして下さいね』とか言ってくれてて、それがまた不憫でなぁ」
「あれ?そういや、仕事の事とか、話したか?病院に凛ちゃん連れて行った時もその後の曝露で駆けつけた時も、私、戦闘服着てたんだけど、何か言ってたか?病院の時は上着着てたけどズボンは見えてただろうし、駆けつけた時には上下戦闘服で銃もナイフも使ってたからさ、気が付いてると思うんだけど」
「いや、まだ言っちゃいねぇんだが、多分気が付いてると思う……あいつ、そういうのは自分から聞いたりしねぇから。今日の夜にでもしっかり話すよ」
「そうか。うん、その方が良いよ。夫婦になるんだし、そんな隠し事は無しだな」
「ああ」
少々居心地が悪そうな面持ちの高根の言葉、それに小さく笑って伸びをすれば、部屋をぐるりと囲む様にして壁に掛けられている歴代の総司令の肖像画や写真がふと目に入って来る。闘将や猛将と称された面々が代々を務める海兵隊総司令、何をするでもなくその歴々の顔を初代からぼんやりと眺めていたタカコの思考に小石が投げ込まれたのは、第二十八代総司令、高根の先々代にあたる島津義弘中将の写真に視線が差し掛かった時だった。鬼と言われる程の闘将だったそうで、その反面とても情に厚く部下の面倒見が良く、まだ任官したてだった時代の高根や敦賀も随分と世話になったと何度か高根や敦賀から聞いた事が有る。
「……鬼」
「は?どうかしたか?って……ああ、先々代か?」
「真吾、凛ちゃんの苗字って?」
「……実は……自分の事隠しておきたかったからよ、あいつにも色々と突っ込まれるの嫌で、聞いてねぇんだわ。まぁ今日帰ってから仕事の話もするつもりだし、籍入れるってんならそういう話もしねぇとな」
「……お前、最低だな」
「だから、分かってるからもう言うなつっつの。それで?先々代がどうかしたか?」
「いや……はっきり聞いた事無かったけどさ、仁一ってもしかして、先々代の孫?」
唐突にタカコの口から出たのは少佐の島津の名前、士官として任官して来た彼は対馬区への出撃では高根と同じ様に士官らしからぬ戦い振りを見せ、昨年少佐への昇進と同時に前線から退く迄は鬼神の如き姿を出撃の度に見せて来た。その彼を指して古参の海兵達が『流石鬼の孫』と讃える声はタカコの耳にも時折届き、確認はしない迄も恐らくは先々代の孫なのだろうという認識は以前から有り、それを改めて口に出して高根へと問い掛けてみる。
「ああ……そうだがそれが?」
先々代とその孫の島津、それと凛が何の関係が有るのかと眉根を寄せて訝しんだ様子でタカコを見る高根、タカコは彼の答えを受け止めた後大きく息を吐き、視線を写真から高根へと向けて、ゆっくり、しかしはっきりと口を開いた。
「曝露の日……凛ちゃん、多分お前のだと思うんだけど薙刀持ち出して来て、活骸を一体斬り伏せたんだ……その時に、『私も鬼の孫です』って……言ってた」
突然のその言葉に動きを失う高根、凛と出会った時の話では彼女は一昨年の第一次曝露で両親と兄を亡くしたと聞いている。それ以来傷に触れて悲しみを掘り起こす事も憚られ聞いた事も無かったが、まさか、と、そこ迄思ったところで浮上して来たのは今度は島津から聞いている話。彼もまた一昨年のあの日に両親を亡くし、嫁いでいた妹はそれっきり行方不明になったと聞いている、嫁ぎ先を尋ねて行ったものの引っ越した後で足取りは杳として掴めず、それ以来生きているのかも死んでしまったのかも分からないと、沈んだ面持ちでそう言った島津の肩を叩くしか出来なかった事をよく覚えている。
両親を亡くし、兄を、妹を喪った、タカコの言う『鬼の孫』という単語が急速に二人を結び付けて行く。一度結びついてしまえば何故今迄気が付かなかったのかと思える程の共通点、しかし今早合点して島津に話す事は出来ないだろう、もし違っていた場合、有能な部下の傷口に塩を塗り込む事になりかねない。
「……おい、タカコよ、それ、島津には言うなよ?凛に俺が確認して、確証が得られてからにしてぇ」
「……了解。それじゃ、今日は早く帰って話し合いしないとな」
辛い事の続いている今、少しでも一つでもそれを和らげられる事が有るのかも知れない、高根はそんな事を思いつつ、黙したまま自宅の方へと視線を遣り、そこにいるであろう愛しい者の笑顔を思い浮かべていた。
扉を叩かれて入室の許可を口にした高根、やがて開かれた扉の向こうに現れた友人であり部下であり盟友でもある人物の笑顔に、彼は破顔してゆっくりと立ち上がった。
「ただいま」
「おお、お帰り。待ちくたびれたぞ」
現れたのはタカコ、肝臓を損傷する重傷を負い一時は生死も危ぶまれたが何とか生還し、以前と変わらない笑顔を見せてくれた事に安堵しつつソファへの着席を促した。
「退院して来て早速で悪いんだがな、仕事が溜まってる、頼むぞ」
「任せなって。……あ、そう言えばさ、入籍、もう済ませたのか?」
「いや、まだだ。流石にこんな状況じゃな。お前の容態が落ち着いてから漸く家帰って、それで妊娠の事は聞いたんだけどよ……今は未だ世間もそんな空気じゃねぇしな、生まれる迄にはどうにかするつもりだ」
「まぁ……確かにな」
「こんな事が無ければよ、聞いた次の日には休みとって届け出しに行ってたんだけどな、式も挙げてやりてぇし」
帰還してからの話と言えばやはりこれからの仕事の事、未だにタカコの助言無くしては進める事に不安の有る案件も多く、高根のところに上がって来ている書類を束にして渡せば、タカコはそれに目を通しながら凛との事を口にする。多くの犠牲を出す事になった痛ましい惨劇、家族を持つ軍人達の多くが遺族であると同時に加害者ともなり、その重苦しい空気は未だに博多の街を覆っている。そんな中でその頂点たる人間が極々個人的な事を言祝げるものではないという事はタカコにも分かるのか、生まれる迄には形を整える、高根のその言葉に特に反対する事も無く相槌を返す。
「どうにかしてやりたいってのは私も分かるけど、無理だよなぁ……」
「ああ、凛が物分り良くてよ、『真吾さんの都合の良い様にして下さいね』とか言ってくれてて、それがまた不憫でなぁ」
「あれ?そういや、仕事の事とか、話したか?病院に凛ちゃん連れて行った時もその後の曝露で駆けつけた時も、私、戦闘服着てたんだけど、何か言ってたか?病院の時は上着着てたけどズボンは見えてただろうし、駆けつけた時には上下戦闘服で銃もナイフも使ってたからさ、気が付いてると思うんだけど」
「いや、まだ言っちゃいねぇんだが、多分気が付いてると思う……あいつ、そういうのは自分から聞いたりしねぇから。今日の夜にでもしっかり話すよ」
「そうか。うん、その方が良いよ。夫婦になるんだし、そんな隠し事は無しだな」
「ああ」
少々居心地が悪そうな面持ちの高根の言葉、それに小さく笑って伸びをすれば、部屋をぐるりと囲む様にして壁に掛けられている歴代の総司令の肖像画や写真がふと目に入って来る。闘将や猛将と称された面々が代々を務める海兵隊総司令、何をするでもなくその歴々の顔を初代からぼんやりと眺めていたタカコの思考に小石が投げ込まれたのは、第二十八代総司令、高根の先々代にあたる島津義弘中将の写真に視線が差し掛かった時だった。鬼と言われる程の闘将だったそうで、その反面とても情に厚く部下の面倒見が良く、まだ任官したてだった時代の高根や敦賀も随分と世話になったと何度か高根や敦賀から聞いた事が有る。
「……鬼」
「は?どうかしたか?って……ああ、先々代か?」
「真吾、凛ちゃんの苗字って?」
「……実は……自分の事隠しておきたかったからよ、あいつにも色々と突っ込まれるの嫌で、聞いてねぇんだわ。まぁ今日帰ってから仕事の話もするつもりだし、籍入れるってんならそういう話もしねぇとな」
「……お前、最低だな」
「だから、分かってるからもう言うなつっつの。それで?先々代がどうかしたか?」
「いや……はっきり聞いた事無かったけどさ、仁一ってもしかして、先々代の孫?」
唐突にタカコの口から出たのは少佐の島津の名前、士官として任官して来た彼は対馬区への出撃では高根と同じ様に士官らしからぬ戦い振りを見せ、昨年少佐への昇進と同時に前線から退く迄は鬼神の如き姿を出撃の度に見せて来た。その彼を指して古参の海兵達が『流石鬼の孫』と讃える声はタカコの耳にも時折届き、確認はしない迄も恐らくは先々代の孫なのだろうという認識は以前から有り、それを改めて口に出して高根へと問い掛けてみる。
「ああ……そうだがそれが?」
先々代とその孫の島津、それと凛が何の関係が有るのかと眉根を寄せて訝しんだ様子でタカコを見る高根、タカコは彼の答えを受け止めた後大きく息を吐き、視線を写真から高根へと向けて、ゆっくり、しかしはっきりと口を開いた。
「曝露の日……凛ちゃん、多分お前のだと思うんだけど薙刀持ち出して来て、活骸を一体斬り伏せたんだ……その時に、『私も鬼の孫です』って……言ってた」
突然のその言葉に動きを失う高根、凛と出会った時の話では彼女は一昨年の第一次曝露で両親と兄を亡くしたと聞いている。それ以来傷に触れて悲しみを掘り起こす事も憚られ聞いた事も無かったが、まさか、と、そこ迄思ったところで浮上して来たのは今度は島津から聞いている話。彼もまた一昨年のあの日に両親を亡くし、嫁いでいた妹はそれっきり行方不明になったと聞いている、嫁ぎ先を尋ねて行ったものの引っ越した後で足取りは杳として掴めず、それ以来生きているのかも死んでしまったのかも分からないと、沈んだ面持ちでそう言った島津の肩を叩くしか出来なかった事をよく覚えている。
両親を亡くし、兄を、妹を喪った、タカコの言う『鬼の孫』という単語が急速に二人を結び付けて行く。一度結びついてしまえば何故今迄気が付かなかったのかと思える程の共通点、しかし今早合点して島津に話す事は出来ないだろう、もし違っていた場合、有能な部下の傷口に塩を塗り込む事になりかねない。
「……おい、タカコよ、それ、島津には言うなよ?凛に俺が確認して、確証が得られてからにしてぇ」
「……了解。それじゃ、今日は早く帰って話し合いしないとな」
辛い事の続いている今、少しでも一つでもそれを和らげられる事が有るのかも知れない、高根はそんな事を思いつつ、黙したまま自宅の方へと視線を遣り、そこにいるであろう愛しい者の笑顔を思い浮かべていた。
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