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第246章『腕の中』
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第246章『腕の中』
病院に迎えに行き、博多の海兵隊基地に連れて行く道すがらちくりと嫌味の一つでも言ってみようと思っていたら、顔も見たくないと思っていた人物と連れ立って出て来た上に本人はさっさと逃げ出した。それから基地へと着いて捕まえたと思ったら再び逃げ出した相手が今、車の後部座席で寝転がって寝入っているのを外から窓越しに見下ろしながら、黒川は心底呆れた様な溜息を吐き出した。
「……何やってんだこいつは……」
そもそも施錠していた筈なのにどうやって入り込んだんだと周囲を見渡せば、直ぐ傍に落ちている鉤状の針金が目に入り、これで開けたのかと更に溜息を吐き、ここでこうして呆れていても仕方あるまい、そう考えた黒川は運転席の扉の鍵を開けて中へと乗り込んだ。
退院直後でまだまだ本調子ではないのか深く寝入ったままのタカコ、乗り込む時の車体の軋みにも扉を閉めた時の軽い衝撃にも目を覚ます事は無く、さて、どうしたものかと暫し思案に暮れた後、黒川はタカコを起こす事無く車を走り出させ、そのまま基地を出て春日の自宅へと向かい始める。高根との話し合いは長時間に及びとうの昔に日は暮れてしまい、総監部へはもう直帰すると連絡を入れてあるからそちらの方は問題無い。敦賀が未だタカコを探していたのは帰り掛けにも見掛けたから、そちらの方は自宅から高根へと一報を入れておけば良いだろう、明日の朝は早めに出て基地へと送ってやれば良い。時間も時間だから外食で済ませようと思っていたが途中で起こすのも忍びない、弁当でも買って帰って自宅で食べるかと頭の中で算段を付け、中洲を通り抜ける前に一度車を停め、弁当を二つ購入してから博多を出た。
「……あ……見つかっちゃった……」
後十分程走れば自宅に着くという頃合いで目を覚ましたタカコ、後部座席からごそごそと身体を起こす気配が伝わって来た直後に聞こえた言葉に、黒川は大袈裟に溜息を吐き呆れた様子で口を開く。
「あのなぁ、『見つかっちゃった』じゃねぇよ。お前な、鍵開け迄して何やってんだ、犯罪だぞ犯罪」
「あー、それはごめんね?で、ここ、何処?」
「俺の家に向かってる最中だ。今日はもうこのまま泊まれ、明日送ってやるから」
「あはは……お願いします」
少しも悪いとは思っていないであろうタカコの様子、人の車の開錠迄しておいてこうも悪びれないでいられる図太さと度胸は最早天賦の才と言っても良いのだろう。
「ほれ、弁当買ったからさっさと食って風呂入って寝ちまえ。今日退院して来たばっかりで体力も相当落ちてるんだから無理はするなよ」
「はいはーい」
「はいは一回だ」
「はーい」
やがて到着した黒川の自宅、駐車場に停めた車から降り家の中に入りながらそんな言葉を交わし、高根へとタカコの事で電話をかけた後に風呂を洗って湯を張る支度をする黒川をタカコは食卓で待ち、戻って来た黒川が席についたところで二人で手を合わせて弁当を食べ始める。食事中の会話の内容はと言えばやはり敦賀の父親である中将の発言について、京都の敦賀の実家に泊まった時に鉢合わせした中将と多少の会話はしたものの結婚の約束等していないしそれを認める様な発言もしていないとタカコが言い張り、黒川が若干の疑いの念の浮かんだ眼差しでタカコを見詰め、それを見たタカコが更に否定を被せるという遣り取りを暫く続けた後、
「分かったよ、副長がそんな気質だとは知らなかったけどよ、まぁ敦賀見てりゃ『人の話聞かない』ってのは血筋なのかもなと思うし、もう言わないから」
「敦賀も人の話聞かないよねぇ……でも、お袋さんと妹さんは敦賀と親父さん以上だったよ、んもうあからさまに話聞いてなかったからね……勝手に嫁さん扱いされてその前提で話進められるし、否定しようとしてもぜーんぶ被せられて最後迄言わせてもらえなかったからね……」
「……大変だったんだな……」
京都での遣り取りを思い出したのか半分遠い眼差しで遠くを見るタカコ、強引で自分の調子で物事を進める彼女がこんな様子を見せるとは相当な一族だったのだろうと、黒川も若干の同情心を持ちタカコへと言葉を掛ける。
「ほら、風呂入って来い、寝巻きは俺の着ておけ、ちょっと大きいけどな」
「はーい、ありがと。お先に頂きます」
食事を終えた後に茶を飲みながらもう少し話をして、そろそろいい時間になって来たと黒川が促せば、タカコはそれに逆らう事も無く脱衣所へと入って行く。
「一緒に入るか?おじさんが隅から隅迄丁寧に洗ってやるぜ?」
「失せろスケベジジイ!」
黒川の鼻先でぴしゃりと閉められる脱衣所の扉、直球で押される事が苦手なのは相変わらずだと黒川は赤くなっていたタカコの顔を思い出し肩を揺らせて笑い、寝巻きを取って来るかと二階の自室へと上がって行った。
「……ごめん、寝ちゃってた」
「起こしちまったか、悪かったな。良いよ起きなくて、もう寝ちまえ」
風呂から上がったタカコの髪を乾かしてやった後に彼女と交代して風呂へと入った黒川、先に二階に上がっていろと言ったタカコは彼が風呂から上がり自室へと入った時には既に寝台の布団に包まって寝息を立てており、その隣に潜り込もうと寝台に腰掛けた彼の気配にタカコが目を覚ます。ここ暫くの入院生活で身体も相当鈍っている筈だ、日中動いただけでも疲れただろうと黒川はタカコを宥めつつ隣へと身体を横たえ、温かく小さな身体をそっと抱き締めて頬へと口付けを一つ落とす。
「……タツさん……」
「ん?何だ?」
「勃ってる」
「……お前、本当に配慮とか無いよな……いや、指摘の通りだけどよ。でもな、俺だって流石に退院したての人間抱く程屑でも外道でもないぞ」
黒川のその言葉に、ふふ、と、タカコが小さく笑う気配が腕と胸を通して伝わって来る。笑うなと抱き締める腕に力を込めればそれに応える様にして背中へと細い腕が回され、その感触を受け止めつつ、黒川はここ暫くの間に胸の内で抱え続けていたものが漸く融解するのを実感した。
「……タツ、さん?」
「……なぁ、名前、呼んでくれよ」
「……どうしたの?」
「いいから、ほら」
「……龍興?」
タカコの優しい声音が戸惑いがちに名前を紡ぐ、それを聞きながら黒川は微かに顔を歪め、腕に更に力を込める。
「……どうしたの?」
「……馬鹿が……俺がどれだけ心配したと思ってんだ。真吾にも敦賀にもお前が死に掛けてるって事一言も聞いてなくて、俺がその事聞いたの、お前が目を覚ます前日だぞ。しかもあの二人から聞いたんじゃなくて偶然知った横山だぞ、俺に知らせてくれたのは。お前が頑張ってる時にも俺は何も知らないで仕事しててよ……本当だったら直ぐに知らせてもらって、出来る事ならずっとついててやりたかったよ」
「……ごめんね?心配かけて」
「お前が謝る事じゃないだろ……でも、良かった、本当に良かったよ、お前がこうやって帰って来てくれて……もう、俺の手の届かないところに行かないでくれ……頼むから」
何かを言おうとするタカコ、黒川はそれを察知してタカコを更に深く抱き締め、苦しいと顔を上げたタカコを静かに組み敷いて唇へと深い口付けを落とす。
彼女が言っていた千日目を忘れたわけではない、寧ろその事は意識から消える事無く常に自分を苛み続けている。けれど、今は、今だけはその事を考えたくはない、彼女にも触れて欲しくはない。
唯只管に、何の柵も考えずに求めていたかった。
病院に迎えに行き、博多の海兵隊基地に連れて行く道すがらちくりと嫌味の一つでも言ってみようと思っていたら、顔も見たくないと思っていた人物と連れ立って出て来た上に本人はさっさと逃げ出した。それから基地へと着いて捕まえたと思ったら再び逃げ出した相手が今、車の後部座席で寝転がって寝入っているのを外から窓越しに見下ろしながら、黒川は心底呆れた様な溜息を吐き出した。
「……何やってんだこいつは……」
そもそも施錠していた筈なのにどうやって入り込んだんだと周囲を見渡せば、直ぐ傍に落ちている鉤状の針金が目に入り、これで開けたのかと更に溜息を吐き、ここでこうして呆れていても仕方あるまい、そう考えた黒川は運転席の扉の鍵を開けて中へと乗り込んだ。
退院直後でまだまだ本調子ではないのか深く寝入ったままのタカコ、乗り込む時の車体の軋みにも扉を閉めた時の軽い衝撃にも目を覚ます事は無く、さて、どうしたものかと暫し思案に暮れた後、黒川はタカコを起こす事無く車を走り出させ、そのまま基地を出て春日の自宅へと向かい始める。高根との話し合いは長時間に及びとうの昔に日は暮れてしまい、総監部へはもう直帰すると連絡を入れてあるからそちらの方は問題無い。敦賀が未だタカコを探していたのは帰り掛けにも見掛けたから、そちらの方は自宅から高根へと一報を入れておけば良いだろう、明日の朝は早めに出て基地へと送ってやれば良い。時間も時間だから外食で済ませようと思っていたが途中で起こすのも忍びない、弁当でも買って帰って自宅で食べるかと頭の中で算段を付け、中洲を通り抜ける前に一度車を停め、弁当を二つ購入してから博多を出た。
「……あ……見つかっちゃった……」
後十分程走れば自宅に着くという頃合いで目を覚ましたタカコ、後部座席からごそごそと身体を起こす気配が伝わって来た直後に聞こえた言葉に、黒川は大袈裟に溜息を吐き呆れた様子で口を開く。
「あのなぁ、『見つかっちゃった』じゃねぇよ。お前な、鍵開け迄して何やってんだ、犯罪だぞ犯罪」
「あー、それはごめんね?で、ここ、何処?」
「俺の家に向かってる最中だ。今日はもうこのまま泊まれ、明日送ってやるから」
「あはは……お願いします」
少しも悪いとは思っていないであろうタカコの様子、人の車の開錠迄しておいてこうも悪びれないでいられる図太さと度胸は最早天賦の才と言っても良いのだろう。
「ほれ、弁当買ったからさっさと食って風呂入って寝ちまえ。今日退院して来たばっかりで体力も相当落ちてるんだから無理はするなよ」
「はいはーい」
「はいは一回だ」
「はーい」
やがて到着した黒川の自宅、駐車場に停めた車から降り家の中に入りながらそんな言葉を交わし、高根へとタカコの事で電話をかけた後に風呂を洗って湯を張る支度をする黒川をタカコは食卓で待ち、戻って来た黒川が席についたところで二人で手を合わせて弁当を食べ始める。食事中の会話の内容はと言えばやはり敦賀の父親である中将の発言について、京都の敦賀の実家に泊まった時に鉢合わせした中将と多少の会話はしたものの結婚の約束等していないしそれを認める様な発言もしていないとタカコが言い張り、黒川が若干の疑いの念の浮かんだ眼差しでタカコを見詰め、それを見たタカコが更に否定を被せるという遣り取りを暫く続けた後、
「分かったよ、副長がそんな気質だとは知らなかったけどよ、まぁ敦賀見てりゃ『人の話聞かない』ってのは血筋なのかもなと思うし、もう言わないから」
「敦賀も人の話聞かないよねぇ……でも、お袋さんと妹さんは敦賀と親父さん以上だったよ、んもうあからさまに話聞いてなかったからね……勝手に嫁さん扱いされてその前提で話進められるし、否定しようとしてもぜーんぶ被せられて最後迄言わせてもらえなかったからね……」
「……大変だったんだな……」
京都での遣り取りを思い出したのか半分遠い眼差しで遠くを見るタカコ、強引で自分の調子で物事を進める彼女がこんな様子を見せるとは相当な一族だったのだろうと、黒川も若干の同情心を持ちタカコへと言葉を掛ける。
「ほら、風呂入って来い、寝巻きは俺の着ておけ、ちょっと大きいけどな」
「はーい、ありがと。お先に頂きます」
食事を終えた後に茶を飲みながらもう少し話をして、そろそろいい時間になって来たと黒川が促せば、タカコはそれに逆らう事も無く脱衣所へと入って行く。
「一緒に入るか?おじさんが隅から隅迄丁寧に洗ってやるぜ?」
「失せろスケベジジイ!」
黒川の鼻先でぴしゃりと閉められる脱衣所の扉、直球で押される事が苦手なのは相変わらずだと黒川は赤くなっていたタカコの顔を思い出し肩を揺らせて笑い、寝巻きを取って来るかと二階の自室へと上がって行った。
「……ごめん、寝ちゃってた」
「起こしちまったか、悪かったな。良いよ起きなくて、もう寝ちまえ」
風呂から上がったタカコの髪を乾かしてやった後に彼女と交代して風呂へと入った黒川、先に二階に上がっていろと言ったタカコは彼が風呂から上がり自室へと入った時には既に寝台の布団に包まって寝息を立てており、その隣に潜り込もうと寝台に腰掛けた彼の気配にタカコが目を覚ます。ここ暫くの入院生活で身体も相当鈍っている筈だ、日中動いただけでも疲れただろうと黒川はタカコを宥めつつ隣へと身体を横たえ、温かく小さな身体をそっと抱き締めて頬へと口付けを一つ落とす。
「……タツさん……」
「ん?何だ?」
「勃ってる」
「……お前、本当に配慮とか無いよな……いや、指摘の通りだけどよ。でもな、俺だって流石に退院したての人間抱く程屑でも外道でもないぞ」
黒川のその言葉に、ふふ、と、タカコが小さく笑う気配が腕と胸を通して伝わって来る。笑うなと抱き締める腕に力を込めればそれに応える様にして背中へと細い腕が回され、その感触を受け止めつつ、黒川はここ暫くの間に胸の内で抱え続けていたものが漸く融解するのを実感した。
「……タツ、さん?」
「……なぁ、名前、呼んでくれよ」
「……どうしたの?」
「いいから、ほら」
「……龍興?」
タカコの優しい声音が戸惑いがちに名前を紡ぐ、それを聞きながら黒川は微かに顔を歪め、腕に更に力を込める。
「……どうしたの?」
「……馬鹿が……俺がどれだけ心配したと思ってんだ。真吾にも敦賀にもお前が死に掛けてるって事一言も聞いてなくて、俺がその事聞いたの、お前が目を覚ます前日だぞ。しかもあの二人から聞いたんじゃなくて偶然知った横山だぞ、俺に知らせてくれたのは。お前が頑張ってる時にも俺は何も知らないで仕事しててよ……本当だったら直ぐに知らせてもらって、出来る事ならずっとついててやりたかったよ」
「……ごめんね?心配かけて」
「お前が謝る事じゃないだろ……でも、良かった、本当に良かったよ、お前がこうやって帰って来てくれて……もう、俺の手の届かないところに行かないでくれ……頼むから」
何かを言おうとするタカコ、黒川はそれを察知してタカコを更に深く抱き締め、苦しいと顔を上げたタカコを静かに組み敷いて唇へと深い口付けを落とす。
彼女が言っていた千日目を忘れたわけではない、寧ろその事は意識から消える事無く常に自分を苛み続けている。けれど、今は、今だけはその事を考えたくはない、彼女にも触れて欲しくはない。
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