大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第255章『風邪』

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第255章『風邪』

 惜敗を喫した雪合戦勝負の翌日、敦賀は目の前に現れたタカコを見て険を深くし大きな溜息を吐いた。
「……だから言っただろうがこの馬鹿が……ちょっと来い」
「え?へーきへーき……ぜーんぜ――」
「うるせぇ、来い」
 真っ赤な顔と微妙に焦点の定まらない眼差しでへらへらと笑いながら手を振るタカコ、その様子に苛立ちを感じつつ肩を掴んで引き寄せて額へと掌を当ててみれば、見た目からも窺えた通りにひどく熱くなっている。
「俺が何て言ったか言ってみろ」
「……風邪ひくからさっさと風呂入って着替えろって言いました……」
「で、お前は何て答えた?」
「……動き回って暑いからまだいいって……汗が引いたら入るって言いました……」
「で、どうなった?」
「……御覧の通りです……」
 馬鹿だ、本当にこの女は馬鹿だ、心底馬鹿だ、そんな事を思いつつもう一度深い溜息を吐き、今日の日程を思い返す。今日は統幕へと出向いての訓練の説明の日、統幕だけでなく陸軍幕僚監部と技術研究本部と装備施設本部も揃った重要な会議になる。本来であれば下士官の立場で出る事は無いが、高根と黒川が中核となった提案で、その中には既に自分もタカコも、そして今回同行している他の陸軍兵や海兵も前提として組み込まれており、夫々が二人からの命令で参加する事となった。
「先任、どうかしたんですか?」
 その言葉に振り返ればそこにはカタギリとキムの姿、彼等も同じ様にして選抜され連れて来られており、敦賀は二人を見てから顎で彼等の上官を指し示す。
「人の忠告を無視して風邪をひいた馬鹿に馬鹿って言ってたところだ」
「ああ、それは自業自得ですね」
「完膚無き迄の自業自得ですね」
 敦賀の言葉ににこやかにそう言って退ける二人、作戦行動下でない時は本当に尊敬されていない上官なのだなと思いつつ、再度タカコへと視線を戻す。
 恐らくはタカコに対しても質問が出るかも知れないし、何よりタカコでなければ答える事が出来ない事も有るだろう、それを考えればタカコをここで休ませておくのは無理だ。
 今回の計画案――、無人の廃墟となった鳥栖市街地全域を演習場とし、そこで対非正規兵の訓練を行うというもの。黒川が鳥栖曝露の直後から考え他に先んじて管理権を得、それから改めて高根へと話を持って来たと聞いている。本土内での事であれば本来は陸軍の管轄だが、対馬区への出撃は依然棚上げとなったままの上に、今後は本土内での動きに注力すべき状況になって来るだろうというのは黒川と高根共通の見解だった様で、計画は陸軍西部方面旅団と海兵隊の共同で行われる事になった。
 タカコとその部下であるカタギリとキムを教導団とし、選抜された人間が先ずは指導を受け、その指導を受けた人間達を正式な仮想敵部隊として、以降全ての部隊に順次訓練を受けさせるというのが二人の書いた絵図面だ。そういった事はタカコ自身も考えていたのか特に問題になる事も意見が対立する事も無く話は纏まり、それを見越していたのか黒川が事前に調整していた会議への参加となったのは、意見の一致を見てからほんの一週間程後の事。ここ迄の手配は殆ど黒川の独断で先行して行われていたそうで、こういった事の手配や交渉は本当に嫌味な位に上手いと思ったものだ。
 陸軍にとっても海兵隊にとっても、否、大和にとって重要な転機の一つとなるであろう計画の始動、躓きは絶対に許されない状況、そんな中でタカコを欠席させる事は黒川も高根も認めないだろう。タカコには可哀相だが部下二人の言う通りに自業自得、会議の間だけでも踏ん張ってもらって、後はこの宇治駐屯地の医務室で休んでいれば良い、そう判断してタカコへと声を掛ける。
「しんどいのは分かるがしゃっきりしろ。会議が終わったら寝てれば良いから、今は虚勢でも何でも張っとけこの馬鹿女」
「……うん、そうだよね……タカコさん頑張るよ……」
 出会ってから今迄の二年半で発熱した事は一度も無かったタカコ、馬鹿なのかそういう体質なのかは分からないが、そんな人間がこんな高熱をいきなり出せば相当辛いに違い無い。返事をしつつも身体は微妙にふらふらと揺れ呼吸も荒く、そんな彼女の様子を見ながら、せめて会議が荒れなければ良いが、と、敦賀はそんな事を考えた。
 各種の研究を行う技研と工廠を監督し兵器や装備の開発を統括する装施、彼等にとっては新たな作戦や装備は大きな関心事だろうし、西部方面旅団の上位組織になる陸幕にとってもそうだろう。その彼等を統括し制服組としては最上位に位置する統幕だけではない、多くの組織と人間が今回の会議とそこで提案される計画案について大きな関心を寄せている。
 そんな中、統幕長の須藤だけでなく副長である自らの父も会議には当然参加する予定で、個人的とは言えどタカコに強い関心を持っている彼がタカコに注視するであろう事は敦賀にも予想が付く。発熱して本調子でないところを執拗に見られていてはどんな綻びを見つけられないとも限らないが、それでも何とか誤魔化して乗り切るしか無いだろう。
 以前は父との確執の所為で京都に寄り付きたくはなかったが、今はそれにもう一つ理由が加わった。そうそう簡単に露見する事は無いだろうが、事が明らかになれば黒川も高根も、そして自分も、無傷では済まないどころか軍事法廷送りになる事は明らかだ。それでもタカコには戦略的に見て、それ程の危険を冒してでも手の内に置いておく価値が有る、少なくともあの二人はそう判断しているのだろう。
 そんな彼等の為にも自分の為にも、どうか綺麗に取り繕ってくれよ、そう思いつつ敦賀はタカコの頭を軽く撫でた。
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