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第276章『傀儡』
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第276章『傀儡』
島津仁一、年齢、三十歳、妻一人と子供二人有り、所属、大和海兵隊前線部隊、階級、少佐。大尉から少佐への昇進を契機として実戦からは遠ざかり、指揮と管理へと専念する予定だった。しかしそれは海兵隊基地曝露を皮切りにした活骸による攻撃で有耶無耶となり、人材が育つ迄は階級に関わらず現時点での実力最優先で、その高根の判断の下にタカコの立案した各種の作戦へと一兵士として投入され、或る時は太刀を、そして或る時は散弾銃や小銃を手に現場へと立ち続けている。
その彼が、今は鳥栖市街地演習場の野外に設営された前線指揮所で、机上に広げられた地図とその上に置かれた駒代わりの小物を前に椅子へと身を沈めていた。周囲には敦賀を初めとして事情を知っている海兵隊の最古参の面々に加え、こちらも同じ様に粗方の事は聞かされている陸軍の面々が揃い、こちらは立ったままで机上の地図を覗き込みあれやこれやと話している。
「……マルフタを遮断、マルゴーを開放しそちらへと誘導、送れ」
『了解です、終了』
無線の送受話器へと話し掛ければ了解の旨が返って来て、島津はそれを聞きながら右手の中に有った小さな紙片を握り潰しそれをズボンのポケットへと突っ込んだ。
教導部隊へと選抜された中で一番階級が上という事で、今回の演習で正規兵側の司令官役へと抜擢されたが、実際のところ特別抜きん出た知識が有る訳も無く、周囲の面々と話し合いながら部隊を展開させているのが現状だ。そしてもっと言ってしまえばその話し合い自体島津や周囲の面々の実力ではなく、そのほぼ全てが一人の人間にそっと差し出される紙片に書かれた内容を忠実になぞっているに過ぎなかった。
その『一人の人間』とは言う迄も無くタカコ、彼女もまた教導隊の一員としてこの場にはいるものの目立つ動きをする事は無く、他へと回した紙片の内容で事が動くのを淡々と見守りながら、時折筋書きが大きく逸れたりしない様にそれとなく口を開くに留まっている。
今回は教導隊が正規兵側となった事も有り、前線指揮所を設営しそこへと多くの人員が留まっており、当然その周囲には教導隊以外の面々も大勢いる。事情を知らされていない彼等と、そして何よりも統幕副長を始めとした中央の面々、いつ様子を見にやって来るか分からないそのお偉方達にも実際のところを気取られない為に、タカコの存在を徹底的に薄める為の配慮が密かにあちこちでなされていた。
「次はこっちに兵員を回した方が――」
「この地点に偵察を送って状況を――」
地図を指し示しながら部隊をどう展開させるか話し合う教導隊の面々、タカコはその彼等の間を不自然に思われない程度の頻度で動き回り、机上の灰皿やごみの類を片付ける素振りをしつつ時折自分も会話に入り、指示を書いた紙片をそっと渡して行く。島津はそれを見ながら、たった一人の女にこの場の全員が傀儡扱いを受けるとは、正規軍の名折れ以外の何ものでもないな、と、内心でそう吐き捨てて自嘲の笑みを小さく浮かべた。
彼女の部下、マクギャレット以外の全員が非正規兵側へと回り、実質は大和軍を体良く利用したワシントン正規軍特殊部隊の司令官とその部下の対決となっている。現状では非正規兵側がやや優勢、それに若干の苛立ちを感じつつ、次の一手をどう打つかと話し合っているところだ。演習の開始が黒川により発令されてから八時間、初回と二回目の時の様な一方的な展開とはならず、教導隊を含めて正規兵側が段々と焦れて来ているのがよく分かる、そろそろ事を大きく動かさなければ、そう思いつつ湯呑を手にして中身を啜れば、す、と、タカコがまた紙片をそっと手の中に滑り込ませて来た。
「…………!」
中身を確認する前に紙片を渡して直ぐに離れたタカコの顔を見てみれば、何とも鋭く獰猛な空気を漂わせている事に直ぐに気が付いた。それから紙片の中身を見てみればそこには今後の指示が細かく且つ大量に書き込まれ、内容からこれで畳み掛けるつもりなのだと思い至る。島津へと指示を出した後は他の面々にも次々と然り気無く紙片を渡して行くタカコ、その彼等の表情と纏う空気が、紙片の内容を確認し次々に強く鋭いものへと変化して行く。島津もまた彼等と同じ様な表情と空気になっているのだろうと自らを思いつつ、その一方でこの一連の演習で大和正規軍としての矜持も面目も丸潰れだな、と、再度その事に思い至り内心で吐き捨てる。
どうすれば良いか分からず狼狽え、そこにタカコが助け舟を出すのならまだ良かった。それがどうだ、実際は狼狽える機会すら彼女は与えず、的確に早め早めに次の指示を出して来て流れが滞る事は一切無い。或る意味狼狽えて醜態を晒すよりも惨めな状況に、情け無さや憤りを感じるのは島津だけではないのか、作戦へと意識を向けつつも何とも言い表し難い苛立ちが教導隊の面々から漂って来る。
一国の正規軍、その精鋭として国防の任に当たっている自負は全員に有る。島津自身も例外ではなく、今迄は前線部隊で活骸を斬り伏せ防衛線を大陸側へと押し遣る為の直接の力として、そして今後は兵士を取り纏め指揮する立場として生きる事に誇りを持っていた。そして、素晴らしい上官である高根、闘将として名を馳せ残す祖父、将来はその彼等の様に海兵隊を率いる道も有るかも知れない、何の疑問も抱かずにそう思っていたのに、現実は他国からやって来た女一人に良い様にあしらわれ、転ぶ事を心配し先手先手を打つ親の様に振る舞われ、男として軍人としての矜持はズタズタと言うのも生温い程の惨状だ。
それでもそこに固執する事も出来ず、将来的に開かれるであろう、否、恐らくは既に開かれてしまった戦端、それに対処する為には今はこの屈辱を甘んじて受け、この先の糧とする他は無いという事もまた、痛い程に理解出来ている。
小さな事に拘り停滞している場合ではないのだ、自分達がこの屈辱を受け止め糧とする事が出来なければ、大和は遠からず他勢力に併呑されるか蹂躙し尽される事になる。それだけは絶対に避けなければ、家族の、仲間の、そして、全ての大和人の為に、島津はそう思いつつ、紙片を握り潰しながら次の指示を口にした。
島津仁一、年齢、三十歳、妻一人と子供二人有り、所属、大和海兵隊前線部隊、階級、少佐。大尉から少佐への昇進を契機として実戦からは遠ざかり、指揮と管理へと専念する予定だった。しかしそれは海兵隊基地曝露を皮切りにした活骸による攻撃で有耶無耶となり、人材が育つ迄は階級に関わらず現時点での実力最優先で、その高根の判断の下にタカコの立案した各種の作戦へと一兵士として投入され、或る時は太刀を、そして或る時は散弾銃や小銃を手に現場へと立ち続けている。
その彼が、今は鳥栖市街地演習場の野外に設営された前線指揮所で、机上に広げられた地図とその上に置かれた駒代わりの小物を前に椅子へと身を沈めていた。周囲には敦賀を初めとして事情を知っている海兵隊の最古参の面々に加え、こちらも同じ様に粗方の事は聞かされている陸軍の面々が揃い、こちらは立ったままで机上の地図を覗き込みあれやこれやと話している。
「……マルフタを遮断、マルゴーを開放しそちらへと誘導、送れ」
『了解です、終了』
無線の送受話器へと話し掛ければ了解の旨が返って来て、島津はそれを聞きながら右手の中に有った小さな紙片を握り潰しそれをズボンのポケットへと突っ込んだ。
教導部隊へと選抜された中で一番階級が上という事で、今回の演習で正規兵側の司令官役へと抜擢されたが、実際のところ特別抜きん出た知識が有る訳も無く、周囲の面々と話し合いながら部隊を展開させているのが現状だ。そしてもっと言ってしまえばその話し合い自体島津や周囲の面々の実力ではなく、そのほぼ全てが一人の人間にそっと差し出される紙片に書かれた内容を忠実になぞっているに過ぎなかった。
その『一人の人間』とは言う迄も無くタカコ、彼女もまた教導隊の一員としてこの場にはいるものの目立つ動きをする事は無く、他へと回した紙片の内容で事が動くのを淡々と見守りながら、時折筋書きが大きく逸れたりしない様にそれとなく口を開くに留まっている。
今回は教導隊が正規兵側となった事も有り、前線指揮所を設営しそこへと多くの人員が留まっており、当然その周囲には教導隊以外の面々も大勢いる。事情を知らされていない彼等と、そして何よりも統幕副長を始めとした中央の面々、いつ様子を見にやって来るか分からないそのお偉方達にも実際のところを気取られない為に、タカコの存在を徹底的に薄める為の配慮が密かにあちこちでなされていた。
「次はこっちに兵員を回した方が――」
「この地点に偵察を送って状況を――」
地図を指し示しながら部隊をどう展開させるか話し合う教導隊の面々、タカコはその彼等の間を不自然に思われない程度の頻度で動き回り、机上の灰皿やごみの類を片付ける素振りをしつつ時折自分も会話に入り、指示を書いた紙片をそっと渡して行く。島津はそれを見ながら、たった一人の女にこの場の全員が傀儡扱いを受けるとは、正規軍の名折れ以外の何ものでもないな、と、内心でそう吐き捨てて自嘲の笑みを小さく浮かべた。
彼女の部下、マクギャレット以外の全員が非正規兵側へと回り、実質は大和軍を体良く利用したワシントン正規軍特殊部隊の司令官とその部下の対決となっている。現状では非正規兵側がやや優勢、それに若干の苛立ちを感じつつ、次の一手をどう打つかと話し合っているところだ。演習の開始が黒川により発令されてから八時間、初回と二回目の時の様な一方的な展開とはならず、教導隊を含めて正規兵側が段々と焦れて来ているのがよく分かる、そろそろ事を大きく動かさなければ、そう思いつつ湯呑を手にして中身を啜れば、す、と、タカコがまた紙片をそっと手の中に滑り込ませて来た。
「…………!」
中身を確認する前に紙片を渡して直ぐに離れたタカコの顔を見てみれば、何とも鋭く獰猛な空気を漂わせている事に直ぐに気が付いた。それから紙片の中身を見てみればそこには今後の指示が細かく且つ大量に書き込まれ、内容からこれで畳み掛けるつもりなのだと思い至る。島津へと指示を出した後は他の面々にも次々と然り気無く紙片を渡して行くタカコ、その彼等の表情と纏う空気が、紙片の内容を確認し次々に強く鋭いものへと変化して行く。島津もまた彼等と同じ様な表情と空気になっているのだろうと自らを思いつつ、その一方でこの一連の演習で大和正規軍としての矜持も面目も丸潰れだな、と、再度その事に思い至り内心で吐き捨てる。
どうすれば良いか分からず狼狽え、そこにタカコが助け舟を出すのならまだ良かった。それがどうだ、実際は狼狽える機会すら彼女は与えず、的確に早め早めに次の指示を出して来て流れが滞る事は一切無い。或る意味狼狽えて醜態を晒すよりも惨めな状況に、情け無さや憤りを感じるのは島津だけではないのか、作戦へと意識を向けつつも何とも言い表し難い苛立ちが教導隊の面々から漂って来る。
一国の正規軍、その精鋭として国防の任に当たっている自負は全員に有る。島津自身も例外ではなく、今迄は前線部隊で活骸を斬り伏せ防衛線を大陸側へと押し遣る為の直接の力として、そして今後は兵士を取り纏め指揮する立場として生きる事に誇りを持っていた。そして、素晴らしい上官である高根、闘将として名を馳せ残す祖父、将来はその彼等の様に海兵隊を率いる道も有るかも知れない、何の疑問も抱かずにそう思っていたのに、現実は他国からやって来た女一人に良い様にあしらわれ、転ぶ事を心配し先手先手を打つ親の様に振る舞われ、男として軍人としての矜持はズタズタと言うのも生温い程の惨状だ。
それでもそこに固執する事も出来ず、将来的に開かれるであろう、否、恐らくは既に開かれてしまった戦端、それに対処する為には今はこの屈辱を甘んじて受け、この先の糧とする他は無いという事もまた、痛い程に理解出来ている。
小さな事に拘り停滞している場合ではないのだ、自分達がこの屈辱を受け止め糧とする事が出来なければ、大和は遠からず他勢力に併呑されるか蹂躙し尽される事になる。それだけは絶対に避けなければ、家族の、仲間の、そして、全ての大和人の為に、島津はそう思いつつ、紙片を握り潰しながら次の指示を口にした。
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