タカコさんと愉快な仲間達―YAMATO―

良治堂 馬琴

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『亀』

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『亀』



 陽は完全に落ち、その代わりに街灯や店の明かりが周囲を煌々と照らし、その街並みを課業明けの海兵や陸軍兵や沿警隊員が思い思いに歩く――、博多は中洲、いつもの有り触れた光景。騒々しくも穏やかな時間が流れるいつもの街並みの一角、海兵達の行きつけの飲み屋の座敷では、古参の曹長達が課業明けの命の洗濯とばかりに盛り上がっていた。
 少しばかり前にこの街を襲った悲劇――、活骸化した子供達が街に溢れ、それを免れた人間を食い殺し、そして、最終的に陸軍と海兵隊が子供達を射殺し、斬り殺したというそれは、未だに人々の心から消える事は無い。悪夢に魘される者、耐え切れずに心を病み軍を去った者、様々だ。
 そんな中でも自らを奮い立たせ、そう遠くない内にやって来るであろう未知の敵との戦いに備え続ける者達は、仕事が明けた後は街へと繰り出し、底知れぬ不安や恐れを振り払おうとするかの様に酒を飲み、仲間と笑い合い大いに騒ぐ。それは陸軍も海兵も然して変わりは無く、落ち着きを取り戻した後の中洲は、第二次博多曝露と呼称される様になったあの悲劇以前よりも活況を呈している。
 そうやっていつもの様に酒を飲み笑い合う曹長達、その中に、タカコの姿も在った。
 タカコ曰く『濡れたちり紙てみぇにぴっとりじっとりべったり張り付いてきて鬱陶しい事この上無ぇ』敦賀が傍にいる所為か、普段は曹長達もタカコを誘う事はあまり無いのだが、大和海兵隊史上最強最恐と畏怖されているその最先任上級曹長はと言えば、今日は何やら会議に出席しなければならないらしく、十五時過ぎから会議室に入ったまま出て来る気配が無い。お目付け役がいない事でふらふらとしていたタカコを見付けた曹長の一人が
「今日皆で呑みに行くけど、お前も来るか?」
 と声を掛け、それに二つ返事で乗って来たタカコと共に街へと繰り出して来たという按配だった。
「先任に黙ってタカコ連れて来て良かったんすか?」
「あー、先任の机に置手紙はして来たぞ、一応」
「何言われるか分かんねぇもんな」
「置手紙してても何言われるか分かんねぇし何されるか分かんねぇよ」
「怖いっすよねぇ、先任」
「ちょっと待って、あの濡れちり紙に許可とらないと呑みにも行けないわけ、私は」
「いや、良いか悪いかじゃなくて、まだ死にたくねぇから俺等」
「権力者に気に入られてるんだから喜べよ」
「嬉しくねぇよ……」
 一応はと置手紙はして来たものの、それを見た敦賀の機嫌は長い会議で悪くなっているだろうに更に悪化するだろう、そしてそのまま不機嫌を垂れ流しにしてここへとやって来るに違い無い。そんな事を言って笑いながら、夫々が思い思いに酒を飲み、料理を口へと運ぶ。
「まぁ、ほら、今日はお前の退院祝いでもあるんだしさ、あいつもそんな怒ったりはしねぇだろ」
 焼酎を飲み干しそう言ったのは上級曹長の藤田、今この場にいる面々の中では敦賀との付き合いは最も古く、そして任官年数も最も長い。敦賀が海兵隊を去る事になれば次の最先任となる彼は、普段であれば大部屋の住人である曹長達に混じってこの場にいるという事はそう多くはない。しかし、今日はタカコの退院祝いも兼ねているという事も有り、どの店にするかと盛り上がっていた曹長達の輪へと入って来た。
 あの悲劇の後、タカコを刺し拘束された後に軍事法廷送りとなり、判決と同時に不名誉除隊を待つのみとなった浜口、我が子を活骸化させられ失い海兵隊を去った者、辛うじて踏み止まってはいるが決して癒える事の無い深い悲しみを抱えた者――、この場にいる全員、彼等の事を忘れたわけでも、疎んじているわけでもない。それでも、彼等に寄り添い共に悲しみ続ける事も出来ず、せめて今だけは、重苦しく忌まわしい出来事から遠ざかりたい、夫々が胸の内にそんな想いを抱え、ともすれば空元気ともとれる様な調子で笑い、酒を飲む。
 二週間後には演習場となった鳥栖市街地での軍事演習が実施される。非正規兵との戦闘を想定した市街地演習等、大和軍全軍にとって初めての経験で、何が起こるのか誰にも皆目見当がつかない。分かっているとすれば非正規兵役を一手に引き受ける事になっているらしいと目されているタカコなのだが、当人に何を何度どう尋ねても意味有り気な薄気味悪い笑みを浮かべるばかりで、誰も何も答えは得られないまま。尤も、これは尋ねる自分達の職域職責階級が原因なのではなく、敦賀も小此木も、そして訓練計画の総責任者たる高根や黒川ですら彼女から計画の全容を聞き出す事は出来ていないらしい。その事と彼女の薄気味悪い笑顔がどうにも気に掛かり、この酒の席でもタカコを取り囲んだ者達は計画の内容を聞き出そうと彼女へと頻りに酒を進めている。
 そうこうする内に数時間が経過し、タカコから情報を引き出そうとする試みに飽きたのか話題は別へと移り始める。かと言って酔っ払いの集団の事、一つの話題に集中する事も無く、近い者同士で夫々が好き勝手な事を話す飲み屋特有の何とも言えない空気が流れ始めた。タカコはと言えば隣に座っていた藤田が話し始めた『縛り』を、腹を抱えて笑いながら聞いている。
「てっ……手先が器用なのは知ってるけどさぁ、しっ、縛りって……ぶふっ!」
 酒の場での男共の会話、『縛り』というのが軍人なら誰でも叩き込まれ身体に馴染んでいる、結索の事であろう筈も無い。そういう事によって性的な興奮を得る者の心理はどうなっているのかという言葉に端を発し、各人あれやこれやと好き勝手な事を皆が口にする。そんな中、一人が立ち上がり部屋を出て行ったかと思うと、少しして縄を手にして戻って来た。
「藤田さん!店から借りて来ました!!」
 店から借りて来たというそれを目にした瞬間、室内は爆笑の渦が巻き起こる。そこ迄するか、誰を縛るんだと皆が笑いながら言う中、生来ノリの良い藤田は立ち上がってそれを受け取り、それを見て笑い声は更に大きくなる。
「誰にすっかなぁ……お、矢口は?」
 藤田がそう言って指し示したのは、早くも酔い潰れてしまった曹長の一人。やれやれと囃し立てつつ周囲の人間が抱き起そうとするものの、完全に沈没してしまっているのか身体には全く力が入っておらず、藤田はそれを見て
「それじゃ無理だな、他には?」
 と、早々に匙を投げて周囲を見回した。
「タカコはどうすか?」
 敦賀がその場にいれば即爆発したに違い無い一言、しかし彼はそこにはおらず、いるのは酔っ払いばかり。その上指名された本人もまた良い具合に酔っ払っており、
「私かよ!」
 と言いつつも笑いながら立ち上がる。
 性交に付随する行為を男が女に、そんな状況になれば誰か一人位は羞恥や気まずさを感じて止めに入りそうなものだが、生憎とその場には酔っ払いしかいない。その上タカコを性的対象どころか女性として見ている者すら一人もおらず、指名された本人が上機嫌で立ち上がった事から、室内の空気は更に盛り上がった。
「よし、じゃあまずは亀甲縛りだな!これを――」

 大分遅くなってしまったな、敦賀は腕時計が指し示す時刻を見ながらそんな事を呟きつつ、執務室の机の上に置かれた書置きに記された店の暖簾を潜り、引き戸を開けて店内へと入る。
 曹長達が勝手にタカコを連れ出していた事に不快感を感じないわけではないが、タカコの退院祝いも兼ねて、と、書き添えられていたその一文を思い出し、今回は大目に見てやるか、そう考えつつ店内を奥へと進み、賑やかな笑い声が漏れ聞こえる座敷の障子へと手を掛け、ゆっくりとそれを引いた。
「あっ、敦賀!見て見て!!秀行が――」
 そう言って全開の笑顔で駆け寄って来るタカコの出で立ちを視認した瞬間、敦賀は彼女の脳天に拳を叩き込んでいた。かなり酔っていたのかそのまま畳へと崩れ落ちるタカコ、その向こうから現れたのは、室内へと入って来た人物が誰であるかを認識し表情と色を失くした海兵達の顔。
「てめぇ等……女に何してやがる!!」
 響き渡る怒声、空気を震わせるそれに海兵達が身体をびくりと強張らせる様を見ながら、敦賀は床に伏せたタカコの身体を抱き上げ、肩へと担いで踵を返し部屋を、そして店を出た。
「……怖かった……」
「……先任さ、『女に』の前に、ボソッと『俺の』って言ってなかったか?」
「言ってましたよね、確かに」
「ああ、俺も聞いた」
 怖い、恐ろしいとは言っても当の本人は『自分の』女を回収する事を優先した様子で、それならば脅威は去ったとばかりに室内の空気は割合と早くにそれ迄の調子を取り戻し、また酒宴へと戻って行く。その後の話題は
『あの二人はいつ結婚するのか』
 に一本化され、彼等が店を出たのは、日付が変わってから数時間も経ってからの事だった。

 タカコを担いで営舎へと戻って来た敦賀、その彼は、タカコの私室で寝台の上で寝息を立てる部屋の主を見ながら、どうしたものかと動きあぐねていた。
 担いで帰って来たのは良いものの、縄を解いてやろうと思い手を付けてはみたが、施術者の腕力が強いのか何なのか、結び目が固過ぎて一向に緩まない。こういう阿呆をしでかすのは藤田に違い無い、あの馬鹿力がと吐き捨てながら何か使える物は無いかと周囲を見渡せば、目に入ったのは枕元に置かれた、タカコに貸与されている村正。
 鋏を探しに行くのも面倒だ、これも刃物には違い無いと手を伸ばし、柄を掴んで刀身を鞘から抜く。動かれれば怪我をさせる危険も有るが、これだけ酔って深く寝入っていれば大丈夫だろう、そんな事を思いつつタカコの身体に村正の鋒を近付け、慎重に、慎重に服と縄の間へと滑り込ませた。
「……う、ん……」
 タカコが身動いだのは、もう少しで縄が切れる、そんな頃合い。最後の一押しをと力が入っていた為か、危ないと思った敦賀が村正を引いたがそれは間に合わず、縄が切れると同時にタカコが着ていた私服が、ぴ、と、一筋、大きく切れた。
 切れ目から覗く下着と胸の谷間、白い肌に血は浮かばず、どうやら肌は傷付けずに済んだらしいという事が窺える。しかし、今自分が切ってしまったのはタカコのお気に入りの私服、目が覚めて事の次第を彼女が知ったら、かなりの勢いで怒る事は確実だ。面倒臭がって鋏を探さずに村正を使った事がばれれば更に怒るに違い無い。
 さて、どうしたものか、先ずはこまの縄を完全に外してしまう事が先決だと思い直した敦賀はそのまま作業を進め、結局、他にも三ヶ所切り裂いてしまった後、拘束の外れたタカコを抱き締めて眠りに就いた。
 無論、切り裂いてしまった服は証拠隠滅とばかりに敦賀の私室の戸棚へと仕舞い込んだ後で。

「……何でまたお前は私の部屋で寝てるんだよ……」
「うるせぇ、回収の手間掛けさせておいてその言い草か」
「頼んでねぇし……って、私の服は」
「あ?戻って来てから便所行って、便所から戻って来た時にはその格好だったぞお前。他の奴に見られたらどうすんだ」
「覚えてねぇし……何処やったんだろ、後で探そうっと」
 翌朝、目を覚ましたタカコは敦賀がまた自分の寝台で一緒に寝ている事に文句を言い、服を着ていない事に対しての疑問を口にする。酔っても服を脱ぐ事は今迄無かった筈だと思いながら敦賀に抱き締められ首筋に口付けられつつ、後で探せば良いだろう、深く考える事も無くそう思う事にした。

 タカコからの追及を上手く誤魔化した敦賀、彼の本当の災難は、タカコを連れ帰る様子を目撃した海兵達により、
『先任はタカコを縛ってお楽しみと洒落込んだらしい』
 という、何とも真実味の有る噂をバラ撒かれた事。
 それにより怒髪天を突いた敦賀により、藤田が道場での手合わせでボロ雑巾の様にさたれのは、また別の話。
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