タカコさんと愉快な仲間達―YAMATO―

良治堂 馬琴

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『腰を使え!』

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「貴之、馬に乗れる様になろうか」

 紆余曲折を経て数年前に結婚し現在は上官でもある愛妻、タカコ。その彼女が笑顔と共に放ったその言葉に、貴之の動きは暫し停止した。
「は?馬?」
「そう。乗馬の経験は?」
「無ぇ」
「うん、じゃあ覚えようか、必要だから」
 彼女の言葉は大抵唐突で、その上上官権限を振り翳し有無を言わせない。それでも乗馬と自分達の仕事に直接の関連は見出せず、どういう意図なのかと眉根を寄せた貴之に向かいタカコは言葉を続ける。
「こんな稼業だ、大抵の事は出来る様になっておかないとな。大和国外の任務も今後増えて来るだろう、我が国も近隣国も、馬が移動手段の一つになっている地域は多い、乗馬技術は必須なんだよ。それに……」
「それに?何なんだよ」

「今お前がいるのは我が祖国、ワシントン合衆国だ。乗馬技術を習得するには最高の環境だぜ?」

 ワシントン合衆国東部、首都ヴァージニア州アーリントン特別行政区、国政と軍事の中枢が集結するその地からそう遠くない位置に在る、『Providence』本部兼タカコの自宅と部隊員の宿舎。大ワ合同教導団を教導するという任務を負ったPの面々は、合同教導団のワシントンでの長期訓練の事前準備と調整の為に合同教導団本隊に先駆けて大和出身者も含めマクギャレット以外の全員がワシントンへと渡っており、取り敢えず一旦家に帰るかと戻って来た按配だ。
 建物の一階は部隊の事務所として使われており、タカコは窓を開けて外の空気を入れながら
「私も久々に乗りたいし、良い機会だ」
 と、そう言ってまたにっこりと笑う。本来であれば愛しいと思うのであろう愛妻のその笑顔に、貴之は何故か薄ら寒いものを感じつつ若干引き気味で首肯した。

「オラ腰を使え腰を!だーかーらー!上半身をギコギコバタバタ前後させてどうすんだ、腰でバランスとって乗れって言ってんだろうがのこの下手くそ!」

 ヴァージニア州郊外の乗馬クラブ、その屋外馬場に響き渡るのはタカコの罵声。その彼女の視線の先には、初めて跨る馬上で上半身を前後左右に大きく揺られている貴之の姿。
 出身地の京都では馬を用いた祭事が執り行われる事も有り、馬もそれに人が跨り操る姿も何度か目にした事は有る。前時代どころか神話の時代から続くという賀茂御祖神社の流鏑馬は今もまだ記憶にも鮮やかだ。
 しかし、見た事が有るだけで馬に触れた事すら無かったのにいきなりこれはどうなんだ、そう思いはするものの仕事で必要だと言われれば反論する事も拒否も出来ず、今日は朝からずっと罵声を浴び続けている。タカコ本人が出来ない事を貴之にやらせているのであれば文句の一つも言えるのだが、当のタカコはと言えば、『スノーホワイト』と名付けられた見事な青毛の牡馬を危な気無く乗りこなし、文字通り人馬一体となり馬場の柵の外側の牧草地を縦横無尽に駆け回っている。
「……二代目、諦めろ……実際必要だし、あの人には何を言っても無駄だ……さ、姿勢のおさらいだ」
 気の毒そうにそう言うのは貴之の横で騎乗しているカタギリ、彼の騎乗姿もなかなかに様になっており、
「……お前もあいつに鍛えられたクチか」
 と、何の気無しにそう言えば、返された言葉は少々意外なものだった。
「逆だ、あの人に乗馬を教えたのが俺だよ。軍用馬術じゃなくてウエスタンスタイルの本当に基礎の基礎だけどな。俺、中西部の農場の出身なんだよ、だから、動物の扱いや乗馬は元々一通り知ってるから」
 Pに所属する人間は、夫々が過去には色々と有ったのか、身寄りの無い者だけではなく家族が健在の者も過去を語る事は殆ど無い。カタギリの出自を貴之が聞いたのも初めての事で、そういう事かと得心しかけた貴之はふと或る事に思い至り、幾分じっとりした口調でカタギリへと問い掛けた。
「……って事はよ……俺が今甚振られてるのは、お前があの馬鹿に馬の扱いを教えたからって事か」
「俺の所為にするな、化け物だぞあの物件は。俺が教えなくても他の奴が教えて結局ああなったに決まってるだろ。それに、元々乗馬ってのは身体が小さい方が有利だ、身体が大きい程どうしても重心が上になって不安定になるからな」
 確かに、自分よりもカタギリが、カタギリよりもタカコの方が馬上での姿勢は安定している。自分が初めての騎乗であるという事を差し引いても、カタギリの言う事は正しいのだろう。
 しかし、馬に乗るという行為がこんなにも大変だとは思わなかった、貴之は胸中でそう吐き捨てる。

『鞍に座り上半身は若干反らし手綱は張るでもなく緩くでもない強さで両手で持ち、膝と太腿は馬体に触れさせず、脹脛と踵で馬体を緩く挟み、親指の付け根辺りを引っ掛ける様にして鐙に足を通し踵は落とす。それを基本姿勢として均衡は揺れと反対方向に腰を振る事で打ち消してとる』

 言葉だけなら簡単に思えるが、実際にやってみるとなるとこれが本当に難しい。少しでも上半身が揺れると咄嗟に身体を前に屈めて庇おうとしてしまい、その度にタカコから罵声が飛んで来る。太刀を握り踏み込む事も徒手格闘も身体に染み込んでいるが、それ等とは使う筋肉がまるで違う部位だからなのか、たった数時間乗っただけであちこちが鈍く痛み始めていた。
「ウォークでそのザマじゃ、トロットやキャンターじゃどうなるんだかな。ギャロップ迄しろとはボスも言わないだろうが。よし、それじゃそろそろトロットいってみるか。馬の動きに合わせて鞍の上で立つ座るを繰り返してみろ、ライジングトロットってやつだ、一応渡しといた教本は読んだだろ?」
 確かに昨日手渡された教本には目を通したし、その中に乗っていた歩法の種類も頭に入っている。しかし補助も付かずにいきなりとはと内心尻込みする貴之を他所に、カタギリの方は
「ボスー、今からトロットやりますよー」
 とタカコを呼び、タカコはそれに手を挙げて応え自らが操る馬の進路をこちらへと変えてやって来る。
「やるしか……無ぇか」
 その溜息と呟きと共に始まったトロットは見ていた人間曰く『ひでぇ有様』で、上下に揺れる馬上では鐙を踏み込んで腰を浮かせる事は困難で、貴之本人は必死で立ち上がっているつもりでも傍目には
『青褪めた必死の形相で上半身を前後にギコギコ揺らしているだけ』
 という体たらく。挙句には

「腰を使え腰を!女に乗ってんだしっかり腰振れやこの下手くそが!!上半身バタバタさせてるだけじゃ女は何も感じねぇぞ!腰を前に突き出せよ!そんなんじゃ奥に届かねぇぞ!! お前の嫁は随分と可哀相なセックスされてんだなおい!!」

 という辛辣な言葉を当の嫁本人から浴びせられ、それに少々頭に血が上り思い切り立ち上がったところ、踵から下に重心を流すのを忘れつま先で思い切り立ちあがってしまい前のめりになってしまった。
 その結果馬上から斜め前方へと放り出されて受け身はとったものの馬場の地面に強かに身体を打ち付ける羽目になったが
「誰もが必ず通る道」
 と誰も本気では心配せず、その日の晩は凄まじい筋肉痛で一睡も出来ない事になった。

 タカコから見て『まあまあ乗れるようになったかな』とお墨付きが出たのは、一週間後の事。
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