大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第326章『神』

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第326章『神』

 『本業』で思い切り動くのは久し振りだ、鈍っていなかったか多少の不安も有ったが随分と身体が軽い、カタギリはそんな事を考えつつ、両手をクイ、と軽く捻る。ごぎん、という鈍い音と共に密着した身体がびくびくと短く痙攣し直ぐに力を失うのを感じながら両手に持った相手の頭部を離せば、大きな体躯がどさりと音を立てて地面へと崩れ落ち、それに冷たい一瞥をくれた後は直ぐに次の得物を探して動き出した。
 貫通力の大きな小銃はこんな火薬庫のど真ん中では使えない、自分達が油槽群へと飛び込むと同時に相手も直ぐに拳銃とナイフに切り替えた様だが、それを使ったゼロ距離の接触戦こそ自分が、そしてタカコが持ち込みたかった事。思った通りに動いてくれる相手に薄く笑い、走りながら左手でナイフを、右手で拳銃を腰から抜いて更に加速する。
 昔から、平均よりも小柄で細い体格を馬鹿にされて来た。生まれは西部の片田舎、先祖は東部の都市部で暮らしていたらしいが、何が有ったのか東洋系の殆どいない西部へと移り住み、そこで農場を営み始めたらしい。その農場は自分が生まれてから幼少期に掛けての時にも存在し、そこで農作物を作り馬や牛を飼っていた。
 兄や弟は何処かで入ったのか他の人種の遺伝なのか体格も良く、数人いる兄弟の中で、未熟児で生まれたらしい自分が一番小さく細かった。農場の生活では体格と腕力が何よりも重要で、十代になっても馬も牛も上手く制御出来ず、弟にすら馬鹿にされ、最終的には親に
「お前は農場の仕事には向いてない、都会で仕事を探した方が良いんじゃないか」
 と、そう言われて生家を体良く追い出されたのが十五の時。他に行く当ても無く一応は都会、首都ヴァージニアへと来てはみたものの、学も無く金も無く伝手も無く、そしてほんの子供の自分が就ける職等有ろう筈も無く、数か月も経たない内に貧民街の路地へと住み着く事になった。
 親に持たされた金は旅費とその後の僅かの間の食費にしかならず、行き着いたのはギャングの末端の構成員、そこで怪しげな薬物を売る売人の手伝いをしたり他のギャングとの抗争をしたり、その内に覚えたのが拳銃とナイフの扱いと、そして、自分には最も不向きだと思っていた徒手格闘術だった。
 尤も、徒手格闘とは言っても体系立てられて教えてもらったものではなく全くの我流、それでも小柄な体格とそれが生む小回りと速さは他のギャングから一目を置かれる程で、一年経つ頃には用心棒として仕事をする事も出て来るようになった。
 そんな生活の中で経験した初めての殺し、相手が誰だったかももう覚えてはいないしナイフか銃か自らの身体か、何が得物だったのかすら覚えていない。当然魘される事も気に病む事も無かったのだから、自分にとっては結局どうでもいい些末な出来事の一つに過ぎないのだろう。
 そうして暫くして、何かの用事か気まぐれかで貧民街を出てアーリントン特別行政区の近くへと行っていた時に、陸軍のリクルーターに声を掛けられた。
「軍に来ないか。貧民街でギャングとして生きるよりよほど充実した人生になるぞ。小柄だが良い身体をしてる、もし戦闘職は無理でも軍の仕事は前線の仕事だけじゃない、後方支援も立派な任務だ」
 そう言いながら提示された俸給額、用心棒をする様になったとは言ってもまだまだ末端に近い身の上としてはそれは途轍も無く魅力的で、別段ギャングとして生きたいと思っているわけでも恩義を感じているわけでも無かったから、リクルーターのその誘いにあっさりと乗り、そのまま貧民街へは戻らなかった。
 そうして陸軍へと入隊し導入訓練を受け、国旗と軍旗へと忠誠を誓い正式に任官し、それから十年程は何の問題も無く、生まれ持った素質を軍に存分に引き出してもらい育て上げられ、有能な一個の兵士として様々な戦いへと赴き、そして生還して来た。
 それが崩れ始めたのは入隊から十何年経った頃からか、段々と同じ部隊の仲間との歩調が合わなくなり始め、それに違和感を持ったのは自分だけではなく仲間も同じで、噛み合わない調子との相乗効果で部隊の空気迄もが悪くなり、事態を重く見た上官から言い渡されたのは他部隊への異動。更に上の実力を要求されるという事で、上司の目論見としても扱い的にも自分の心情的にも栄転だと思っていたものの、異動した先の部隊でそれは全くの見当違いだったと思い知る事になった。
 小柄な体格、それには凡そ似つかわしくない高い身体能力と戦闘能力、何処もかしこもちぐはぐなそれは、より緻密な連携を必要とされる特殊部隊では部隊としての統制された動きを乱すだけ。仮に体格の問題が解決されたとしても、育て上げられ身に付けた能力は高過ぎて誰も動きについて来る事が出来ず、不適格と判断されて後方の閑職部隊へと回される迄に、一年も掛からなかった。
 兵卒として入隊し、学力的にも期待できるという事で途中で士官課程に入る事が出来、少尉の階級も得た。それでもその後不適格の烙印を押され閑職に回されては遠回しな退役勧告と同じで、今更他の世界で生きる事は出来ないというのは自分が一番分かっていたから腐る一方だった。
「あー、いたいた。漸く見つけたよ、ケイン・カタギリ少尉」
 そんな風に生きながら腐り始めていたあの日、突然目の前に現れた一人の女。陸軍の戦闘服に身を包み、長い黒髪を引っ詰めて笑う顔立ちは自分と同じ東洋系、そして、恐らくは少しばかり歳下。ベレー帽と襟元には中尉の階級章が有り、それを目にして立ち上がり敬礼をする自分に、女は
「いやいや、まだお前の上官じゃないし、堅苦しいのは無しで、な?」
 そう言いながら室内へと入って来た。
「……何か、御用でしょうか」
「うん、お前を私の部隊に引き抜きに来た」
「……誰かとお間違えでは?自分は文書庫の整理を押し付けられてる人間です」
「ああ、経歴は見た。良いじゃないか、高過ぎる能力と小柄な体格の所為で周囲と折り合いが付けられない。私が探してるのは『上に振り切っちまってる』人間だ、お前はその資格を持ってるよ」
 女の言っている意味がどうも今一つ分からない、馬鹿にしているのかと眉根を寄せれば、女はそんな事は委細構わないといった風情で強い笑みを浮かべ、
「私と来い、ケイン。私がお前の人生に意味を与えてやる」
 笑みと同じ様に力強く言い、右手を差し出して来る。
 薄暗い室内へと入って来る廊下の明かり、それを背にした女に何とも言えない感覚を覚え、一歩、前へ出た。
 あの日あの時から今日迄、そして恐らくはこれからも、自分は自分を取り戻したという実感が有る。伸び伸びと全力で動けるどころか、少し気を抜けば置いて行かれそうになる程の速さと激しさ、時には全くの畑違いの事を豪快に振られ、
「ま、任せたよ。責任は私がとる、思い切りやれ」
 と、事も無げにそう言って退ける豪胆さ。そんな毎日と任務は、心の底から笑ったり怒ったりという内面の変化すらも自分に齎し、世界に色を与えてくれた。

「私が、お前の人生に意味を与えてやる」

 もう一度そう言った女の、タカコの手を握ったあの時、自分の人生は変わったのだ、カタギリは『あの日』を思い出して小さく笑い、目の前に現れた相手へと銃を向け、引き金に指を掛けた。
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