大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第344章『見慣れた景色』

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第344章『見慣れた景色』

 暦の上では既に春も終わり近く、桜はとうの昔に散り葉が日に日に育ち緑が濃くなる季節、タカコは作業の手を止めて上を仰ぎ、
「……遂に花見は出来なかったか……畜生」
 と、自分の上で吹き渡る風に揺れる葉桜の枝を見て呟いた。
 火発占拠の後、暫くはその事後処理に何処もかしこも忙殺されていて、それと同時に新たな軍事施設への襲撃に対する警戒にも人員を割かれ、その上総責任者の黒川が負傷の為に入院とあっては演習の実施どころではなく、計画は先送りの状態が続いていた。
 そんな中で黒川が無理を押して退院したのは一週間程前の事。退院したらその足で太宰府へと戻り直ぐに執務に復帰し、先ずは未だに九州に留まっているお偉方との会議に入る予定だった事も有り、退院には付き合えず仕舞い。足の腱は筋に綺麗に沿ってナイフを入れられていたという事も有り断裂は免れたものの、それでも受けた損傷は直ぐに治癒するものではなく、退院前に起き上がる許可が下りてからこちら、杖を使っての生活が続いていて、それは退院後も変わっていない。そうなると太宰府駐屯地の外に出る時には移動は運転手付きの公用車で必ず警護が付き、黒川も今の自分の状態ではそうするしか無いと理解しているのか、博多に出向いて来た時にも近寄る機会は今のところ無いに等しい状態だった。
 無論立場を考えればそれが本来の正常な姿ではあるのだが、高根程ではないにしても束縛を嫌うあの気質ではさぞかし窮屈な思いをしているだろう、そんな事を考えながら目を細めて笑い、タカコは視線を手元へと戻して作業を再開する。
 黒川の退院と執務への復帰により再び動き出した教導隊計画、これはその手始めになる演習の準備。退院祝い代わりに派手にしてやろうと思えば力も入り、それを敏感に察知した副責任者の高根から
「……頼むから、頼むから予算だけは考えてくれな、後、兵員の命も」
 と念を押され、若干出鼻を挫かれた感が残るものの、それでもこうして準備に勤しんでいる。
 火発へと投入された人間に死者は無く、負傷者もタカコが一番の重傷で、一つの部隊を任された立場としてはこれ以上無い程に良い結果だったと、そう思っている。施設自体、特に一番の激戦区となった制御棟は内部にそれなりの損害を出し全体的に修繕が必要にはなったものの、火発稼働に必要な設備や回路はほぼ無傷で残っており、今も事件前と変わらず電力を各地へと送り出し続けている。奪還に成功した事、人質も含めて死者を出さなかった事、そして、発電能力を喪失させなかった事、この三つが大きく評価され、与えてしまった損害については何処からもそう大きな批判や引責を求める声は出ていないのが何よりだった。
 この地にやって来てから何度も有った大きな事件、その全てに於いて物的人的共に大きな被害を出し、大勢の嘆きと怨嗟の声を生んで来た。そんな中で漸く掴んだのが今回の勝利、誰一人として死なせる事無く事件は解決し、誰も悲しませずに済んだという事は、タカコにとっても大きな喜びと達成感を得られるものだった。無論、ヨシユキとその彼の指揮する部隊の生き残りが姿を消した以上、また遠からずぶつかり合う日が来る事は分かっているが、それでも今は、今だけはこの喜びに浸らせて欲しいと心の底から願っている。
 あの日、自分を撃ったヨシユキの背後にいた兵員は大和陸軍の戦闘服を纏っていた、恐らくは自分達の前から姿を消した後は施設内に潜み、解放と同時に中に入って来た陸軍に紛れて脱出したのだろう。ヨシユキも同じ様にして着替え、そうやって姿を消したに違い無い。恐らくは混乱状態だった筈の解放後の火発内、そうする事は容易かっただろうと、同じ様な手段を過去に何度も使ったタカコにはよく分かっていた。
 あれだけの規模と兵員と手際の良さ、彼等にとってもかなり大掛かりな作戦だった事は間違い無い。その直ぐ後にまた別の作戦を起こすだけの体力は流石に無いのか、今のところ何も起こる気配は無い。以前タカコが指揮し実施した兵器の秘匿場所の襲撃と兵器の押収、あれが多少なりとも効いているのだとしたら、あれこれやって来た事は無駄ではなく、意味の有る事だったという証明にもなり、何よりだなと、そんな事を考えた。
 それでも、必ず『次』はやって来る。出来れば自分達が大和に留まっていられる間に、その時が来れば良い。そうしたら、後もう一回だけ、自分は大和の手助けをする事が出来る。期限迄後一ヶ月を切った『その日』、もう目の前迄来てしまっているそれに思いを馳せつつ、手元の銅線をきつく締め上げる。
 次は――、そう思いながら、す、と右手を横へと差し出せば、幾ら待っても渡されるべき筈の工具が手渡されず、何をやっているのか、そう思いながらタカコは顔を上げてそちらへと視線を向けた。
「…………!」
 そこには、いると思っていた筈の人物はおらず、鳥栖演習場の荒れた景色が広がるだけ。
 短く刈り上げられた黒髪、鋭い眼差し、いつもは真一文字に引き結ばれ、時折、ほんの時折、ふっ、と緩む口元。
 今日は別の場所での作業を指示したのは自分で、それを忘れたわけではない。それでも、彼が自分の隣にいる事が当たり前なのだと、それが本来の姿なのだと、いつの間にか無意識でそれを選択していた事にタカコは気付き、作業の手を止めてその脇へとどかりと腰を下ろし、ポケットから煙草を取り出して咥えて火を点け、晴れ渡った空を見上げながら、ふう、と、大きく煙を吐き出した。
「……はは……そっ、か……そう、だったか……はは……参ったね、こりゃ」
 そう言いながら空を見上げる双眸はうっすらと潤んでいて、やがて重力に負けた涙が眦から流れ落ちる。タカコはそれを拭う事もせず、吹き抜ける風に曝されて与えられる冷たさを長い事感じていた。
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