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第350章『空気』
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第350章『空気』
身体を包み込む温かさ、胸を満たす優しい匂い、それにふんわりと微笑みながら目を開けて顔を上げれば、そこにはこの二年八ヶ月で見慣れた人物の穏やかな寝顔。もぞもぞと動いて腕を伸ばし頬に指を這わせようとすれば、それは触れる寸前に大きな手に包み込まれ、指先には頬の代わりに唇がそっと触れて来た。
「……おはよ」
「……ああ、おはよう」
タカコの指先に触れていた敦賀の唇がそこから離れ、次に触れたのはタカコの唇。口腔内を舌で侵されながら大きな体躯に覆い被さられれば、唇が離れた隙に漏れたのは忍び笑い。
「……何だよ、何笑ってやがる」
「だってさ、営舎出て二人で暮らすとか話したのほんの数日前だぞ……で、ここ、何処よ?」
「お前の部屋」
「早漏過ぎだろ……どんだけ我慢出来ねぇんだよ……」
「……その早漏に散々啼かされてたのは何処のどいつだってんだ?」
「なっ……もう部屋戻れよ!」
「もうちょっと……大人しく抱かれてろ」
言葉と共に掛かる重み、とっとと退けと思ったタカコが押し遣ってみてもそれはびくともせず、再び触れて来た唇と舌は口腔を深く侵す。太く長い指が身体を這い回り、タカコはその感触に身体をぴくりぴくりと震わせながら、最終的には根負けして腕を敦賀の背中へと回し、緩く撫で上げながら優しく抱き締めた。
「……ほら、もう戻らないと本当に拙いって。噂大好きの女子達が起きて来るぞ、見られたら何て言われるか」
「……そりゃ鬱陶しいな……戻るか……また後でな」
「……うん、また後で」
基地曝露の際に女性海兵はその殆どが活骸に変異し死亡し、前線部隊に所属していた男性海兵との性交により抗体を獲得しており難を逃れた極一部も活骸に食われ、タカコ以外は全てが戦死した。結果、今いる女性海兵はその後任官した若い者ばかり、任官した時点でそれなりの年齢になっている士官の方は昨年度は女性は一人もおらず、いるのは兵卒のみ。齢十六になる年度から入隊出来る兵卒区分に属する彼女達、敦賀にとっては一番下は二十近くも歳の離れた、まだ少女と言っても良い程の『子供』ばかり。そんな年代の彼女達にとっては、自分のものも他人のものも関わらず色恋というのは最大の関心事であり、寄れば触ればそんな事を話しているというのは、同じく兵卒として任官し今迄生きて来た敦賀にもよく分かっていた。
あの姦しい彼女達の噂の俎上に乗るのは流石に御免蒙るとのそりと起き出し、寝台の脇に脱ぎ捨てていた寝間着や下着を拾って手早く身に付け立ち上がり、一度振り返り未だ寝台の上に寝転がったままのタカコへともう一度口付けを落とし今度こそ歩き出す。扉を開けて隙間から外の様子を窺えば、未だ起床時間前という事も有ってか人の気配は無く、早朝の澄んだ空気の中、敦賀は自室へと静かに戻って行った。
それから少しして基地内に響き渡る起床ラッパ、その後に流れ始めるのはいつもの時間。身支度を整えた敦賀が食堂へと入れば、前方に後輩達と共に朝食を採るタカコの姿を見つけた。盆に朝食を乗せた後は隣に行こうかと一瞬思ったものの彼女の周囲の女性海兵達の姦しさに歩みは半歩で止まり、結局随分と離れた場所へと腰を下ろす。
古参の腐れ縁達と食事を採れば、聞こえて来るのはタカコを取り囲む少女達の明るい笑い声、
「若いって良いねぇ……箸が転がってもってのは本当だな」
「しかし……何がそんなに楽しいんだよアレは……おっさんにはさっぱり分からんな」
「結婚が早けりゃ娘でもおかしかねぇ年代差だしなぁ、理解出来ると思わない方が良いな」
「離婚歴有りの独身どころか婚歴無しが娘とか言ってもなぁ」
「言うなよ……俺だってしてみてぇよ、結婚……」
「俺はしましたよ、嫁の勤め先で間男作られて泥沼と警察沙汰の末に別れましたけどね……それを機に営内に戻りましたよ、ええ」
まだまだこれからの若者とは違い、こちらはそろそろ四十の節目が見え始めた年代も多く、若さとそれが持つ力に満ちた空気を目を細めて見遣り、肩を竦めて食事へと向き直る。敦賀はその会話には加わる事は無く無言で食べ続け、食べ終えた後は茶を啜りながら彼等の話に耳を傾けていた。
その彼が動いたのは十分程経った頃合い、食事を終えたタカコが後輩達の話を聞いたまま動く様子も無いのに小さく舌を打ち、食器を乗せた盆を手に立ち上がり、タカコへと向かって声を放る。
「おい、清水!書類の整理を手伝え、仕事の話も有る」
「話?何の話ですか、先任」
「後で話す、来い」
「はいはい、了解です。じゃ、そういう事だから、またね」
そう言いながら立ち上がり盆を持って歩き出すタカコ、その彼女が食堂の入り口で待っていた敦賀と並んで出て行く姿を見ながら、先程迄きゃあきゃあと話していた一人がぼそりと口を開く。
「……くっついたね、あれは」
「あ、やっぱそう思う?」
「思う思う、空気が違うもん、先任も清水曹長も」
「分かるー、表面的には取り繕ってるけど、何かこう、眼差しが、ね?」
「うんうん、アレだよねー、先任も曹長もうち等よりずっと年上なのにさ、ああいうところ見ると案外あんまり変わらないのかなって思うよね」
「それどころかさ、何か可愛くない?不器用?純粋?みたいな」
「分かるー!」
そんな遣り取りの後に再びけたたましく笑い合う少女達、それを周辺の『年寄り』達が苦笑しつつ見守り、大和海兵隊博多基地の朝の時間はいつも通りに、そして穏やかに流れて行く。
身体を包み込む温かさ、胸を満たす優しい匂い、それにふんわりと微笑みながら目を開けて顔を上げれば、そこにはこの二年八ヶ月で見慣れた人物の穏やかな寝顔。もぞもぞと動いて腕を伸ばし頬に指を這わせようとすれば、それは触れる寸前に大きな手に包み込まれ、指先には頬の代わりに唇がそっと触れて来た。
「……おはよ」
「……ああ、おはよう」
タカコの指先に触れていた敦賀の唇がそこから離れ、次に触れたのはタカコの唇。口腔内を舌で侵されながら大きな体躯に覆い被さられれば、唇が離れた隙に漏れたのは忍び笑い。
「……何だよ、何笑ってやがる」
「だってさ、営舎出て二人で暮らすとか話したのほんの数日前だぞ……で、ここ、何処よ?」
「お前の部屋」
「早漏過ぎだろ……どんだけ我慢出来ねぇんだよ……」
「……その早漏に散々啼かされてたのは何処のどいつだってんだ?」
「なっ……もう部屋戻れよ!」
「もうちょっと……大人しく抱かれてろ」
言葉と共に掛かる重み、とっとと退けと思ったタカコが押し遣ってみてもそれはびくともせず、再び触れて来た唇と舌は口腔を深く侵す。太く長い指が身体を這い回り、タカコはその感触に身体をぴくりぴくりと震わせながら、最終的には根負けして腕を敦賀の背中へと回し、緩く撫で上げながら優しく抱き締めた。
「……ほら、もう戻らないと本当に拙いって。噂大好きの女子達が起きて来るぞ、見られたら何て言われるか」
「……そりゃ鬱陶しいな……戻るか……また後でな」
「……うん、また後で」
基地曝露の際に女性海兵はその殆どが活骸に変異し死亡し、前線部隊に所属していた男性海兵との性交により抗体を獲得しており難を逃れた極一部も活骸に食われ、タカコ以外は全てが戦死した。結果、今いる女性海兵はその後任官した若い者ばかり、任官した時点でそれなりの年齢になっている士官の方は昨年度は女性は一人もおらず、いるのは兵卒のみ。齢十六になる年度から入隊出来る兵卒区分に属する彼女達、敦賀にとっては一番下は二十近くも歳の離れた、まだ少女と言っても良い程の『子供』ばかり。そんな年代の彼女達にとっては、自分のものも他人のものも関わらず色恋というのは最大の関心事であり、寄れば触ればそんな事を話しているというのは、同じく兵卒として任官し今迄生きて来た敦賀にもよく分かっていた。
あの姦しい彼女達の噂の俎上に乗るのは流石に御免蒙るとのそりと起き出し、寝台の脇に脱ぎ捨てていた寝間着や下着を拾って手早く身に付け立ち上がり、一度振り返り未だ寝台の上に寝転がったままのタカコへともう一度口付けを落とし今度こそ歩き出す。扉を開けて隙間から外の様子を窺えば、未だ起床時間前という事も有ってか人の気配は無く、早朝の澄んだ空気の中、敦賀は自室へと静かに戻って行った。
それから少しして基地内に響き渡る起床ラッパ、その後に流れ始めるのはいつもの時間。身支度を整えた敦賀が食堂へと入れば、前方に後輩達と共に朝食を採るタカコの姿を見つけた。盆に朝食を乗せた後は隣に行こうかと一瞬思ったものの彼女の周囲の女性海兵達の姦しさに歩みは半歩で止まり、結局随分と離れた場所へと腰を下ろす。
古参の腐れ縁達と食事を採れば、聞こえて来るのはタカコを取り囲む少女達の明るい笑い声、
「若いって良いねぇ……箸が転がってもってのは本当だな」
「しかし……何がそんなに楽しいんだよアレは……おっさんにはさっぱり分からんな」
「結婚が早けりゃ娘でもおかしかねぇ年代差だしなぁ、理解出来ると思わない方が良いな」
「離婚歴有りの独身どころか婚歴無しが娘とか言ってもなぁ」
「言うなよ……俺だってしてみてぇよ、結婚……」
「俺はしましたよ、嫁の勤め先で間男作られて泥沼と警察沙汰の末に別れましたけどね……それを機に営内に戻りましたよ、ええ」
まだまだこれからの若者とは違い、こちらはそろそろ四十の節目が見え始めた年代も多く、若さとそれが持つ力に満ちた空気を目を細めて見遣り、肩を竦めて食事へと向き直る。敦賀はその会話には加わる事は無く無言で食べ続け、食べ終えた後は茶を啜りながら彼等の話に耳を傾けていた。
その彼が動いたのは十分程経った頃合い、食事を終えたタカコが後輩達の話を聞いたまま動く様子も無いのに小さく舌を打ち、食器を乗せた盆を手に立ち上がり、タカコへと向かって声を放る。
「おい、清水!書類の整理を手伝え、仕事の話も有る」
「話?何の話ですか、先任」
「後で話す、来い」
「はいはい、了解です。じゃ、そういう事だから、またね」
そう言いながら立ち上がり盆を持って歩き出すタカコ、その彼女が食堂の入り口で待っていた敦賀と並んで出て行く姿を見ながら、先程迄きゃあきゃあと話していた一人がぼそりと口を開く。
「……くっついたね、あれは」
「あ、やっぱそう思う?」
「思う思う、空気が違うもん、先任も清水曹長も」
「分かるー、表面的には取り繕ってるけど、何かこう、眼差しが、ね?」
「うんうん、アレだよねー、先任も曹長もうち等よりずっと年上なのにさ、ああいうところ見ると案外あんまり変わらないのかなって思うよね」
「それどころかさ、何か可愛くない?不器用?純粋?みたいな」
「分かるー!」
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