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第354章『敦賀貴一郎』
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第354章『敦賀貴一郎』
京都の自宅と職場である統幕を離れ、九州に赴いてからもう結構な月日を過ごした。本来であれば火発の視察が終わった辺りで一度京都へと戻り報告をする事になっていたが、火発の占拠という前代未聞の大事件に大和全体が震撼した。結局は政府との調整の後、当面は副長が現地へと留まり中央との調整役を務める事となった。
自宅から身の回りの物を送ってもらい、仮の住まいとなったのは博多に在る三軍共同の士官用官舎の一室。執務室は横山の執務室から程近い空き部屋が割り当てられ、初めての一人暮らしに何とか慣れつつ有るここ最近、副長は物思いに耽る事が多くなった。
火発で見た、負傷した多佳子、何故彼女がここにとは思わなかった。寧ろ、やはり来たのか、そう思った事をよく覚えている。息子は多佳子を見詰める自分に気付き、然り気無く身体で視界を遮っていた。あの行動ではっきり分かったのだ、息子は彼女の正体を知っている、そして、それを隠そうとしている。恐らくは、上官、海兵隊総司令の高根も、その盟友である黒川もそれは同じだろう。やはり目的は何であれ、彼等は多佳子の正体を知っている、本来であれば即座に上へと報告すべき事実を隠蔽し、何かを企んでいる。
「……何も知らなかったのなら穏当に済ませる事も可能だったが……こうなってしまってはもう、無理、だな……」
割り当てられた執務室、そこで椅子に身体を沈め天井を仰ぎながら静かに呟いた。
軍人としての国と軍に対する背信行為、事が露見すれば、息子も高根も黒川も、そして恐らくは事情を知らされているであろう彼等の腹心の小此木も横山も、揃って任を解かれ拘束され、軍事法廷へと送られる。
他の四人もそうだが、息子が器用な人間でない事はよく知っている。中学を卒業してからもう直ぐ二十年、その間海兵隊での生活しか知らず、ほぼ人生そのものと言っても良い。他の世界を知らない不器用な息子が今更他の世界で生きて行けるとも思えない、出来れば、海兵としての人生を全うさせてやりたいと思う。
息子がこんな事に関わっていた事が明らかになれば退官せざるを得ないが、終わりの見えている自分はもう諦めもつく。退官した後は委託で済ませていた不動産管理でもして、のんびりと老後を過ごすつもりだったが、それが数年早まるだけの事だ。娘婿の亮二も退官する事になるだろうが、巻き添えになってしまうのは申し訳無く思う。それでも娘婿と実の息子、そのどちらに対して情が多いかと言えば、それは明らかだった。
亮二は士官学校を出た佐官、高校や士官学校での生活も体験し、特段要領が良いわけではないが悪いわけでもない。下野する事になっても、無論親族として手助けもするし、それが無くとも自分が死に遺産と家を引き継ぐ迄の間妻と子供を養い生きて行ける道は有るだろう。
だが、息子はそうではない。たった十六の時分から海兵隊しか知らない上に生来の不器用、海兵隊を去る事になったとしてどうやって生きて行くのか。それ以前にそもそもそれが出来るのか、親としては心配な事しか頭に浮かばない。
多佳子という存在が無ければ、何度考えても考えが行き着くのは結局はそこだった。今直ぐに彼女が自分達の前から消えてくれれば、高根や黒川が何を企んでいるのだとしてもそれは達成はされずに済むのではないか、そうすれば、息子の為に、全てを見なかった事にしても良い。
軍人として在るべき姿でない事は理解している、それでも我が子と職務、その二つを掛けた秤が時折ふらふらと揺れる事は有っても、職務の方へと大きく、そして完全に傾く事は無い。
「……そろそろ結論をあいつに伝えるべき、かな……」
脳裏に浮かぶのは息子の不機嫌そうな面持ち、話をするかと思い立ち上がり執務室を出る。そのまま既に日の暮れた屋外へと出て正門を出て、警衛の兵士に敬礼をされ見送られ、向かった先は海兵隊基地の本部棟。警衛の海兵が案内を申し出たのをやんわりと断り、一人本部棟へと入り息子の執務室へと向かう。高根も小此木も今日はもう帰宅しているのか二人の執務室からは人の気配はせず、そのままそこを通り過ぎ、息子の執務室の前で立ち止まり、一つ大きく深呼吸をして、それから扉をゆっくりと叩いた。
「はい」
向こうから聞こえて来た声、それを受けて扉を開ければ、執務机で書類へと視線を落としていた息子が顔を上げ、入って来た人物が誰かを認識した途端に険しくなるのを見て、僅かに目を細め室内へと入り扉を閉め、執務机の前へと歩み寄った。
「……何しに来たんだ、こんな時間に」
「……少し、話が有ってな」
「話?」
「ああ……何だ、営外に出るのか」
「は?」
「いや、その広告だ……買うのか?借りるのか?」
「ああ……いや、総司令がもっと広い家に引っ越す事にしたから今の家を買わないかって言われて、金額もかなり安くしてもらってるし、それに甘えさせてもらおうかと思ってる……基地も近いしな」
「……多佳子さんと、住むのか?」
「……そのつもりだ、もうあいつにも話はして、同意は貰ってるよ」
素っ気無い息子の言葉、書類に混じって散らばっていた広告を掻き集めてごみ箱へと突っ込む息子の様子を見て小さく笑い、副長はそこで目を閉じ、大きく息を吸い込み、そして目を開いた後、静かに、静かに親としての決断を息子へと告げた。
「……貴之、俺は、多佳子さんとの結婚は反対だ、認めるわけにはいかない」
京都の自宅と職場である統幕を離れ、九州に赴いてからもう結構な月日を過ごした。本来であれば火発の視察が終わった辺りで一度京都へと戻り報告をする事になっていたが、火発の占拠という前代未聞の大事件に大和全体が震撼した。結局は政府との調整の後、当面は副長が現地へと留まり中央との調整役を務める事となった。
自宅から身の回りの物を送ってもらい、仮の住まいとなったのは博多に在る三軍共同の士官用官舎の一室。執務室は横山の執務室から程近い空き部屋が割り当てられ、初めての一人暮らしに何とか慣れつつ有るここ最近、副長は物思いに耽る事が多くなった。
火発で見た、負傷した多佳子、何故彼女がここにとは思わなかった。寧ろ、やはり来たのか、そう思った事をよく覚えている。息子は多佳子を見詰める自分に気付き、然り気無く身体で視界を遮っていた。あの行動ではっきり分かったのだ、息子は彼女の正体を知っている、そして、それを隠そうとしている。恐らくは、上官、海兵隊総司令の高根も、その盟友である黒川もそれは同じだろう。やはり目的は何であれ、彼等は多佳子の正体を知っている、本来であれば即座に上へと報告すべき事実を隠蔽し、何かを企んでいる。
「……何も知らなかったのなら穏当に済ませる事も可能だったが……こうなってしまってはもう、無理、だな……」
割り当てられた執務室、そこで椅子に身体を沈め天井を仰ぎながら静かに呟いた。
軍人としての国と軍に対する背信行為、事が露見すれば、息子も高根も黒川も、そして恐らくは事情を知らされているであろう彼等の腹心の小此木も横山も、揃って任を解かれ拘束され、軍事法廷へと送られる。
他の四人もそうだが、息子が器用な人間でない事はよく知っている。中学を卒業してからもう直ぐ二十年、その間海兵隊での生活しか知らず、ほぼ人生そのものと言っても良い。他の世界を知らない不器用な息子が今更他の世界で生きて行けるとも思えない、出来れば、海兵としての人生を全うさせてやりたいと思う。
息子がこんな事に関わっていた事が明らかになれば退官せざるを得ないが、終わりの見えている自分はもう諦めもつく。退官した後は委託で済ませていた不動産管理でもして、のんびりと老後を過ごすつもりだったが、それが数年早まるだけの事だ。娘婿の亮二も退官する事になるだろうが、巻き添えになってしまうのは申し訳無く思う。それでも娘婿と実の息子、そのどちらに対して情が多いかと言えば、それは明らかだった。
亮二は士官学校を出た佐官、高校や士官学校での生活も体験し、特段要領が良いわけではないが悪いわけでもない。下野する事になっても、無論親族として手助けもするし、それが無くとも自分が死に遺産と家を引き継ぐ迄の間妻と子供を養い生きて行ける道は有るだろう。
だが、息子はそうではない。たった十六の時分から海兵隊しか知らない上に生来の不器用、海兵隊を去る事になったとしてどうやって生きて行くのか。それ以前にそもそもそれが出来るのか、親としては心配な事しか頭に浮かばない。
多佳子という存在が無ければ、何度考えても考えが行き着くのは結局はそこだった。今直ぐに彼女が自分達の前から消えてくれれば、高根や黒川が何を企んでいるのだとしてもそれは達成はされずに済むのではないか、そうすれば、息子の為に、全てを見なかった事にしても良い。
軍人として在るべき姿でない事は理解している、それでも我が子と職務、その二つを掛けた秤が時折ふらふらと揺れる事は有っても、職務の方へと大きく、そして完全に傾く事は無い。
「……そろそろ結論をあいつに伝えるべき、かな……」
脳裏に浮かぶのは息子の不機嫌そうな面持ち、話をするかと思い立ち上がり執務室を出る。そのまま既に日の暮れた屋外へと出て正門を出て、警衛の兵士に敬礼をされ見送られ、向かった先は海兵隊基地の本部棟。警衛の海兵が案内を申し出たのをやんわりと断り、一人本部棟へと入り息子の執務室へと向かう。高根も小此木も今日はもう帰宅しているのか二人の執務室からは人の気配はせず、そのままそこを通り過ぎ、息子の執務室の前で立ち止まり、一つ大きく深呼吸をして、それから扉をゆっくりと叩いた。
「はい」
向こうから聞こえて来た声、それを受けて扉を開ければ、執務机で書類へと視線を落としていた息子が顔を上げ、入って来た人物が誰かを認識した途端に険しくなるのを見て、僅かに目を細め室内へと入り扉を閉め、執務机の前へと歩み寄った。
「……何しに来たんだ、こんな時間に」
「……少し、話が有ってな」
「話?」
「ああ……何だ、営外に出るのか」
「は?」
「いや、その広告だ……買うのか?借りるのか?」
「ああ……いや、総司令がもっと広い家に引っ越す事にしたから今の家を買わないかって言われて、金額もかなり安くしてもらってるし、それに甘えさせてもらおうかと思ってる……基地も近いしな」
「……多佳子さんと、住むのか?」
「……そのつもりだ、もうあいつにも話はして、同意は貰ってるよ」
素っ気無い息子の言葉、書類に混じって散らばっていた広告を掻き集めてごみ箱へと突っ込む息子の様子を見て小さく笑い、副長はそこで目を閉じ、大きく息を吸い込み、そして目を開いた後、静かに、静かに親としての決断を息子へと告げた。
「……貴之、俺は、多佳子さんとの結婚は反対だ、認めるわけにはいかない」
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