大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第397章『待機』

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第397章『待機』

 敦賀と高根の遣り取りの後、それ程時間を置かずして第二防壁も爆破され、第五防壁の破壊から六時間程で活骸の群れの第一波が第一防壁へと押し寄せ始めた。砲撃は防壁の全てを破壊し尽したわけではなく、長大な壁の部分部分を破壊し穴を空けた形により、活骸の群れは幅十m程度のそこへと殺到し流れは滞った。踏み潰される個体も出る程の密集の中、少しずつ少しずつ穴を抜けて次の区画へと入り先へと進む事を繰り返し、異形の群れは少しずつ少しずつ第一防壁へと辿り着き始め、半日が経過した今では防壁を埋め尽くし、鉄柵の隙間から腕を伸ばし食料を、人肉を求め耳障りな奇声を上げている。
 機体群は今日も日没と共に艦隊へと帰投して行った、今は投光器の強烈な照明の光の中に浮かび上がり蠢く活骸の大群が見えるだけ、この状態が続くのであればまだ気も幾分か楽になるのだが、と、敦賀はそんな事を考えながら、投光器を搭載したトラックの助手席で乾パンの袋から取り出した氷砂糖を口に放り込み噛み砕く。
「先任、爆薬の準備は粗方出来たみたいだぞ。後は実際に設置するだけだ」
「倉庫で埃被ってたもんがきっちり発動してくれりゃ良いがな」
「司令からの命令は?」
「まだだ。ま、揉めるてるんだろうよ、これの発動が何を意味するのか、分からない人間なんて指揮所にゃいねぇからな」
「俺、自分が海兵隊で生きてる内にこれの準備する事になるとは思わなかったわ。作戦計画だけは存在してても、実際に動く事なんか想像もしてなかったな」
「俺もだ」
 指揮所へと戻り今後の事について黒川や副長との協議に入った高根、その彼からの発令を待つ敦賀へと話し掛けて来たのは、運転席へと乗り込んで来た藤田。食事がまだだったのか彼の手には開封された缶飯の缶が有り、中身を箸で口へと運びつつ藤田は前を向いて言葉を続けた。
「準備が無駄に終われば良いんだけどな」
「……全くだ」
 実際に発動を見た事の有る海兵は、海兵隊史上にも誰一人として存在しない。万が一の、最悪の時の為の備え、それが発動した事が無いという事は、防壁が一つも崩れ落ちる事無く活骸の侵攻を阻み続けて来たという証明ではあるが、明日以降もそれが続くという保証は最早何処にも欠片も残ってはいない。
 発動の権限は代々の海兵隊総司令にのみ与えられ、大和三軍に対しての総指揮権を有する首相ですらそれを侵す事は許されていない。今迄は発動の想定自体が形骸化していた為にその力関係について誰も異を唱える事は無かったが、現実味を帯びた今、高根の決断を誰も強制的に止める事が出来ないとなれば、その或る種の無関心は今の戦況にとっては幸運だと言うべきなのだろう。
 発動は取りも直さず最後の砦である第一防壁の崩壊を意味する、その事実を突き付けられた時、発動について最高権限を持つのが背広を来たお偉方だったとして、現実を正しく認識出来るとはとても思えない。発動の発令は今迄自分達が信じ頼って来た事の否定へと直結する、現場を、最前線を知らない中央の人間に、現在高根に圧し掛かっている重圧に耐え切れる道理が無い。
 そうなれば決断は遅れ、大和にとって取り返しのつかない事態が引き起こされる、それだけは回避出来たと敦賀は思いながら、水筒の蓋を開け中身をぐい、と呷った。
「しかし、揉めてるって事は総監や副長も反対してるのかね」
「さぁな。まぁ、すんなりいく話じゃねぇだろうよ、幾ら最終的な決定の権限は司令に有るとは言っても、流石に陸軍と話をしないわけにゃいかねぇだろう」
「しっかしよ、黒川総監と司令が親友同士で良かったよなぁ、その分円滑に話が進むだろうしな、まだ。先任の親父さんも――」
「……あぁ!?」
「はいはい……分かったよ」
 父の事を持ち出された所為で一気に機嫌が悪くなる敦賀、藤田はその様子に肩を竦めて小さく溜息を吐き、缶の中身を食べ始める。敦賀はそんな彼の様子を横目で見て舌打ちをし、視線を前方へと戻し指揮所の中で交わされているであろう協議へと思いを馳せた。
 万が一、最悪を想定しての作戦、これ単体でどうなるのでもない事は分かっている、海兵隊が活骸と対峙すると同時に、陸軍はそれと連動して別の行動を起こす事になる。その為に陸軍の兵員をどれだけ動員する事になるのか考えただけで若干気が遠くなる、陸軍だけでどうにか出来るものではない、沿岸警備隊西方艦艇群も総動員態勢になるだろう。
 高根や黒川、そして今は協議に参加する為に指揮所入りしているであろう浅田、大勢の人間を束ね指揮し、時には重い決断を迫られる、そんな彼等の心中は察するに余り有るし、自分が彼等の立場に立てと言われたら、何がどうあっても御免蒙るとしか思えない。自分に出来る事は彼等の決断を待ち、下された命令に粛々と従うのみ、それ以上の事が出来るとは、そしてしたいとも思わない。
 どれだけ考えても浮かび上がるのは厳しい戦況とあまり明るくはない未来だけ、こうして待ち続け考え込んでいると身体も心も重くなるな、そう考えた敦賀の脳裏に浮かんだのは、タカコの強い真っ直ぐな眼差しと力強い笑顔だった。
 どんなに厳しい状況に立たされても、彼女は決して怯む事は無く、それどころか追い込まれれば追い込まれる程に眼差しはぎらつきを増し、口元に湛えられた不敵な笑みは色濃さを増していた。あの振る舞いがどれだけ周囲に、自分に安心感を与えていたのか、今になって増す実感に敦賀は僅かばかり顔を歪め目を閉じる。
 指揮官は軍旗、どんなに戦況が厳しくとも苦しくとも、普段と何等変わる事無くそこで風を受け威風堂々と翻っていれば、それを見た兵士は心強さを感じ戦い続ける事が出来るのだ。だから決して弱気になってはいけない、喩え内心がそうであったとしてもそれを表に出してはいけない。先々代の総司令、島津義弘中将が当時副司令だった先代総司令にそう教示しているのを見かけた事が有る。長年の経験により培われてたのであろうそれ、恐らくは高根もまた先代から同じ様に聞かされたのかも知れない。
 タカコはそれを誰かから教えられたのだろうか、それとも天賦の性質だったのだろうか。どちらにせよ自分よりも若い彼女が体現していた事を思い、よくよく指揮官向きの気質だと、小さく、小さく笑った。
 そしてそれと同時に思い出すのは、彼女の明るい笑顔や柔らかな笑顔。あれを間近に見て安堵したい、見るだけはなく触れたい、抱き締めたい、そうすればこんな憂鬱な気持ちにもならずに済むかも知れない、と、そんな事を考えた。
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