大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第398章『責任と決断』

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第398章『責任と決断』

「塹壕の発動を発令しようと思います、その為の準備に関しては既に発令しています」
 静まり返った指揮所内に、低く落ち着いた高根の声音が響く。指揮所内にいるのは高根の他には副司令の小此木、陸軍の黒川と横山、沿岸警備隊の浅田、そして副長。彼等は高根の言葉に直ぐに何かを返すわけでもなく、何処か思い詰めた様な面持ちで黙ったまま高根の顔を見ていた。
「……機体群は、第一防壁や本土へも攻撃を加えると?」
「恐らくは。第五から第二迄の防壁を破壊しておきながら、そこから先に進まないという道理は無いでしょう。防壁と基地の柵を破壊し本土内に活骸を流入させそれを尖兵として利用すれば、自分達の戦力を全く使う事無く大和側の戦力を削る事が出来ます。我々が軍隊として武力としての体を成さなくなった後に悠々と本隊を本土へと侵攻させるつもりでしょう。あれだけの戦力を持っている相手です、流入した活骸の始末を付ける手段も確保しているかと」
 大和にとっては絶望的な未来しか窺えない高根の見立て。それでもそれが見当違いだと思える様な無能はこの場にはおらず、険を深くして目を閉じて溜息を吐く者、小さく舌打ちをして煙草に火を点ける者、夫々が無言で、所作で高根の言葉に同意を示してみせる。
「何故京都に接する東日本海ではなく西日本海に侵攻して来たのかと思っていたが……理由はこれ、か」
 老眼鏡を外した副長が目頭を揉みながら苦々しげに口を開く。
 侵攻し統治下に置く事を想定しているのなら、国体の中枢、政府組織の在る首都を制圧するのは絶対条件になる。海に面している京都を制圧しようとするのであれば蝦夷の北上から回り込み東日本海へと入り艦隊を接岸させてしまえば国の中枢は目と鼻の先、そこから一息に侵攻するのだろうとそう考えていた。これは副長の個人的な見解ではなく大和政府としての公的な認識で、万が一他国が侵攻して来た時に上陸を防げる様に、それが無理でも可能な限り遅らせる事が出来る様にと、丹後半島と越前岬よりも内陸側の日本海、若狭湾は厳重な警備が敷かれガチガチに固められている。それは東日本海最大の軍港である舞鶴工廠の置かれた舞鶴湾が置かれている事だけが警戒の厚さの理由なのではなく、未知の存在という一種の可能性としての他国を想定しての、大和なりの戦争に対しての備えだった。
 しかし東日本海は蝦夷から対馬区迄は西日本海に比べ実に十倍以上の距離が有り、万が一他国の侵攻が有ったとしてもその距離の長さが大和側にとって有利に働くと、漠然とそう考えられて来た。ユーラシア大陸側からやって来たとすればどちらにせよ余り変わりは無いが、ユーラシアは大和にとっては活骸を生み出す地、そこから人間がやって来るという発想は薄く、襲来するのだとしたら大規模な地殻変動でも無い限りはユーラシア大陸とは繋がっていない筈の南北アメリカ大陸から、と。そうなれば敵は遠浅で動きの取り辛い太平洋を嫌い、東西どちらにせよ充分な深度が有りどんな巨大な艦艇でも動きの取り易い日本海を目指す筈、それならば首都機能を守る為にとの判断で採られた若狭湾の要塞化、今回はそれが裏目に出た形となった。
 艦隊は最初は大和本土には目もくれずに対馬区へと関心を向けていた、対馬区に、そしてそこに連なるユーラシア大陸に犇く活骸を侵攻の為の道具として使おうとするのならば、態々千km以上もの距離を、そして大和沿岸警備隊東方艦艇群が待ち受ける東日本海を航行して対馬区を目指す理由が無い。対馬区が目的地なら、殆ど奥行きが無く外海と容易に行き来の出来る西日本海を選ぶのが当然なのだろう。
 艦隊はほぼ真っ直ぐに対馬区を目指して航行して来た、タカコに命令を下した統合参謀本部は大和沿岸警備隊を救助しその生存者達から大和を取り巻く情勢を聞いたと聞いている。だとすれば、あの侵攻艦隊を指揮している存在もまた、同じ様に情報を入手していたのだろう。それか、タカコの進言を待たずしてワシントン軍へと侵攻命令が下されたのかも知れない。どちらにせよ、大和の情報はかなり正確に相手へと伝わっていると見て間違い無い、だからこそ彼等は北回りではなく南回りで対馬区へとやって来た。
 それだけの情報力とあれだけの軍事力を持った相手と対峙しなければならず、それに加えて活骸への対処も加わった二正面作戦、何も決断せずしてそれを切り抜けるというのはどう考えても無理な話で、高根の決断に対して異を唱える事は出来ないな、そう考えた副長は眼鏡を掛け直してゆっくりと話し始めた。
「……政府は事態への対処を軍に丸投げして来た、言い換えれば指揮権を放棄した。何をどうすれば良いのかも分からないんだろう、責任も取りたくないんだろうしな。三軍省もどう対応すれば良いのか掴みかねている様だ。それで、私に全権を預けるからどうにか対処しろ、失敗したら責任を取れと、統幕長を通して言って来た、二時間程前の話だ。考え様によってはこの場の人間、現状を正確に把握し理解している人間で全ての意思決定を出来る好機なのかも知れないが」
 政府がこの事態に対しての責任を放棄した、副長から知らされた事態に場の空気は更に重苦しく張り詰め、居並ぶ面々の面持ちも険しさを増す。
「……とにかく、出来る限りの事をしようと思う。高根総司令自身が決断してくれて助かったが、塹壕の発動は私からも総司令に助言しようかと思っていた……事態はそれ程に逼迫している、一刻の猶予も無い、三軍併せて即座に行動を開始しよう」
「はっ」
「了解です」
「了解です」
「海兵隊は塹壕の発動の準備を急いでくれ。相手は直ぐにでも第一防壁への攻撃を開始するかも知れない。どれだけの時間が残されているかは分からないが、突貫で設置作業を」
「分かりました」
「陸軍は九州全土の民間人に対して本州への避難命令の発令とその為の誘導を。車両は使用するなと厳命を、どうしてもという場合には、車両放棄時には鍵は挿したままにする様にと指導してくれ」
「了解です」
「沿岸警備隊は警戒に最低限の艦艇を残し、他は全て民間人を本州へと輸送する為に軍港や大規模漁港への展開を急ぎで。民間人に対しての広報は陸軍が受け持つ、陸路では関門海峡と四国連絡道しか経路が無い、時間差は有れど九州全土の人間が殺到すればどんな事になるか分からない、九州北東部以外に居住している者は沿警隊の艦艇を利用して海路で脱出する様に通達を出す」
「了解しました」
「以上だ、各自行動を開始してくれ、解散」
 副長のその言葉を待ち、五人は立ち上がり急ぎ足で部屋を出て行く。一人残った副長は再度眼鏡を外して目頭を揉み、それからゆっくりと立ち上がり窓辺と向かって歩き出す。
 防壁の破壊に備えての塹壕の発動準備、海兵隊基地の外へと活骸が溢れ出した時に備えての全民間人の避難、その輸送。それだけでは足りないという事は、部屋を出て行った五人にも分かっているだろう、しかしそれは彼等に決断させるべき事ではない、この重責は、彼等を束ねる自分が背負うべき、背負わなければいけないものだ。
「……国を、いや、国民を守る為に任官したと……そう思っていたんだがな」
 その言葉は誰の耳にも届く事無く、指揮所の中の空気へと溶けて行った。
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