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7.慰安旅行

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 快楽者の街は退廃的で淀んでおり、ずっとそこにいると気が塞ぐ。

 ということでルロビア傭兵会社は毎年一度は休業し、慰安旅行に出かけることになっている。去年は鉱石樹の建材で作られた美しい街、その前は東方魔界。

「今回は評判のよかった東方魔界だぞ」

「やった、温泉だ!」

 コトリはいたく喜んだ。あのほかほかで広くて岩で出来た開放的な風呂は、とてもいいものだ。

 それに東方は食事が美味い。山の幸に川の幸。船旅も悪くないものだ。

 この時期ばかりは社員が一同に会し、すべての業務をやめて旅支度をする。警備に穴があくと文句を言われることもあるが、知ったことではない。休む時は休む、それが快楽者の街の住民のあり方だろう。ルロビア警備会社などは真面目すぎるほどだ。

「ジークエンド、今回は海の見える温泉宿だって。泳ぐ? 泳ぐか?」

「泳ぐという行為は訓練でしかしたことがない。遊ぶとなるとどうしていいか……」

「愉しめばいいんだよう、そんなのはさあ。見て見てコトリ、水着買っちゃった」

「……それ女物では」

「コトリのも買っといたよ!」

「だからそれは女物では」

 いちおう、腰元に布のつくタイプのようだが。胸元のそれは本当に必要だろうかと疑問を感じていると、

「必要だ! コトリの胸を露出するなどあってはならない」

「そうだぞ、パパも許さないぞ!!」

 うるさいのが二人も居て着用する羽目になりそうだ。

 サツキなど、船の上からもう水着で寛いでいた。デッキチェアで花蜜酒のカクテルを作り、満喫している。

 コトリはずっと船の上にいると酔ってしまうこともあり、文字通り羽を広げて自由に空を飛び回った。魔界ではあまり飛び回ると下から狙撃されることもあるため、こう飛べるのは珍しい。

 海というのは魔力素に汚染されにくいらしく、宝石のように美しい青色をしている。それと空。瘴気漂う魔界とは明らかに違う、澄み渡った空。海と空の間を飛ぶ快感は格別だった。

 ふと気づくと、それをデッキから見上げるジークエンドの姿があった。妙に優しい目をしていて、こそばゆくなる。これはあれだ、子供が遊ぶ姿を眺める親の目だ。

「ジークエンド、なにか」

「いや、気持ちがよさそうに飛ぶものだと……コトリが飛ぶ姿はいいな。心が晴れる」

 あの一件以来、塞いでいたジークエンドが浮上してくれて嬉しい限りだが、そのぶん妙に優しくて気にかかる。いつもコトリを見てにこにこしているのだ。ヘンなジークエンド……

 海を渡ってすぐ、旅館は見えてきた。

「お待ちしとりましたよ。ささ、足を洗っておくつろぎくださいねえ」

 猫の女将が湯桶と手ぬぐいを用意してくれる。東方だと家屋では靴を脱ぐのだ。最初慣れなくて困ったが、慣れてしまうと裸足で床を踏むのが気持ちよくなる。

 部屋はサツキと一緒だった。

「ね、ね、コトリ。温泉はいろ。ここの温泉は塩風呂だって。海の成分が出てるんだってさあ」

「きもちよさそお! でも、ジークエンドと鉢合わせたらきまずいな」

「ああ、大丈夫だよ。あの人、前回も温泉には入らなかったから」

「そうなのか!?」

「内風呂には入ってたみたいだよ、さすがに。オーバントって差別されるじゃん、黒い爪とかをさ。だから裸見られるの嫌なんじゃないかな」

「あれがいいのに、あれが」

 オニキスのように輝く爪は、まるでヘナを塗ったように美しい。艶やかな唇も美味しそうだ。オーバント最高。

「まあ、オーバントが差別されるのは見た目じゃなくて、ほら。戦ってる時ヤバイから」

「それは仕方ない……」

 なにしろ初対面でコトリも「殺さないで」と怯えたそうだから、あまり他人にきつくも言えない。普段は落ち込みやすいナイーブな人だと分かれば何ということはないが。

 なんにせよそわそわと用意された浴衣やタオルを持って風呂へ向かう。まだ誰も来ていないのか、ガラス戸の向こうの温泉には人気がなかった。

「あれ、これなんだろ」

 脱衣所で脱いだ二人が石を渡って露天風呂へ向かう途中、祭壇のようなものを見た。

「それねえ、山神さまの祠だよ」

「わっ、びっくりした」

 甚平という着物を着た狸の東方魔族が唐突に現れ、二人は驚いた。

「ああ、ごめんさいな。温泉の掃除をしていたんだよ。山神さまはね、この山の一番えらい魔族だ。誰も姿を見たことがないんだけどね」

「誰も?」

「昔からの言い伝えでね……あんたたちも、山神さまに手を合わせれば何か恩恵があるかもよ。ほらこうやって」

 馴染みのない文化だったが、二人で顔を見合わせて狸の真似をする。裸でやっているのがなんとも言えない。

「じゃ、俺たち温泉に入るね」

「ごゆっくりねえ」

 サツキとコトリは背中を流し合い、はしゃいで湯に浸かった。今回の風呂はいい匂いのする木の枠でできており、寄せる海が見える。この充足感、たまらない。

「はー、生き返る感じ!」

「最近忙しかったからなー」

「明日はビーチでいっぱい遊ぼう!」

「うん」

 サツキとは、実はジークエンドのバディ騒動があるまであまり話さない間柄だった。お互い別の仕事で忙しく、知り合う暇もなかったのだ。それが、最近になって少しスケジュールが合うようになり、一緒に呑みに出かけたりと親密になっていった。

「サツキとコトリは友達か?」

「友達っしょー」

「そっかあ」

 胸がぽかぽかする。友達がいない、と父親に揶揄されたとおり、コトリには友人がいなかった。とても嬉しい。

「温泉気持ちよかったねえ」

「ねー」

「夜にも入りにこよっと。晩ごはんなにかなー」

 晩餐は大広間に座しての食事になる。これも最初は驚いた。机をいくつも並べてどーん! と料理を振る舞い、皆で食べるのだ。西方では考えられないダイナミックさ。だが、これがとても楽しい。みなで現地の酒を呑み、現地の食事を食べる。

「これ! このぬるぬるしてさくさくの白いの。すき!」

「それは確かナガイモだー」

「サシミっ、サシミうまーい」

「この甘辛くてぷりぷりしてるのはなに?」

「これはヤツザキウナギの蒲焼ですねー」

「ヤツザキウナギってこんな食べ方あるんだ! 酒蒸ししか食べたことなかったよ」

 魔界人は基本的に食の好き嫌いはしない。なんでも食料になるような生活をしているので。人面魚のあらいだろうが気にせず食べる。

 夢のような一日を過ごし、思い思いに皆帰っていく。

「おやすみ、サツキ」

「おやすみコトリー」

 床に直接敷くタイプの、ふかふかのふとんに入り、二人は寝息をたてはじめる。が。

「………?」

 コトリは夜中にふっと目を覚ました。

 なんとなくふらふらと立ち上がり、障子窓の外を見る。昼間に見た山神とやらの祠が目に入った。

(あそこにいかないと……)

 どうしてかそんな考えが湧き上がる。コトリは部屋を出、暗い廊下を歩き出した。ぎし、ぎし、と歩くたびに木の床が鳴る。

「――――コトリ?」

 呼び止められてはっとする。ジークエンドの声だ。

「どうした? そっちはトイレじゃないぞ」

「ジークエンド……コトリ、どうしてここに?」

「………」

 ジークエンドは闇の中で歩みよってきた。顔が、よく見えない。

「東方には霊という概念があるらしい」

「霊?」

「バンシーみたいな正体の掴めないものの総称だな。俺はその気配を敏感に感じ取る体質のようで、見なくともバンシーがどこにいるか分かる。それと同じように、ここには少しよくないものがいるような気がしてならない。

 だから不用意に部屋を出てはいけない。こんな深夜にはとくに」

「ジークエンドはどこに?」

「……風呂だ。皆が寝静まっているうちに」

「コ、コトリも入る」

「いや、一人で行く。コトリはもう寝るんだ」

 なんとなく去っていく後ろ姿に不安を覚えたものの、朝食の席には普通にしていたので、ほっとした。昨日のジークエンドはジークエンドではないような、不思議な感じがした。

「コトリ、海いこ海!」

「うん」

 例の水着を着なければならないが、幸いこのビーチには他に客もないようだ。他の連中は裸だったり、パンツだったり、水着すら着ない者も多く、フリーダムだ。

「うんうん、女のいない職場じゃが、眼福じゃのう」

「やだな、お尻見ながら言わないでくれる?」

「コトリも育ったもんじゃのー」

 女物を着ているせいか、皆の視線が妙に集まっているような。

「ジークエンド、泳ぐぞー!」

「ああ、待て。薬を塗らないと皮膚が荒れる。おいでコトリ」

 言われて近づくと、ジークエンドは魔女の秘薬と書かれたボトルの中身を手に垂らし、コトリの肌に塗り込んでいく。触られた箇所が熱くなって、おなかがきゅんきゅんした。

「あ、あとは自分で塗る」

「ああ、そうだな」

 ジークエンドは相変わらずにこにこしている。コトリのことが可愛くてたまらないという顔。それは嬉しいはずなのに、どうしてこんなに焦燥感を覚えるのだろうか。

『そう思われてるうちは君は先輩の雛』

 シグルドに言われた言葉が脳裏にちらつく。雛、雛。どこまで行っても雛。

 では自分はどうしたいのだろうか。雛ではなく。大人として、一人前として認めてほしい? それも何か違うような。

「終わったー? コトリ、はやく遊ぼうって」

「いまいく!」

 海というのは最高だった。冷たくて綺麗で、波が気持ちいい。泳がなくても入るだけで心が踊る。温泉とはまた違う高揚感だった。

 魔界の海辺は汚染されて泳ぐどころではないが、ここは本当に綺麗だ。砂粒のひとつひとつまで白く輝いている。

 海でひとしきり遊んだら、また温泉。

「うへー、砂でじゃりじゃりするう」

「念入りに洗わないとだなあ」

 みんなで遊んだので、今日の風呂は芋洗の様相だった。とにかく身体を洗って湯につかり、出る。少しだけ肌が赤くてひりひりした。あの薬を塗ってもらわなかったら、もっと酷いことになっていたのだろう。

 その晩。

 コトリはまた、目が覚めた。どうしても、あの温泉の脇にある祠が気になって仕方がない。

 ふらふらと立ち上がり、部屋を出る。ぎしぎしと床を鳴らす。昨日と同じ。だが、今日はジークエンドと会わなかった。

 すり戸の先をいく。石を渡って祠の側へ。

「―――コトリ、何をしている?」

 温泉からちゃぷんと水音がした。

 瞬間―――

 祠の中から黒い影がぶわりと舞い上がる。それは放心するコトリを包み込んだ。

「コトリ!!」

 ジークエンドの声を最後に聞き、コトリは意識を落とした。



***



 しゃん、しゃん、と不思議な音がする。綺麗な、澄んだ音だ。だが、悲しい響きもあった。

 どうしてここにいるのか、コトリにはわからない。浴衣で手足を投げ出したまま、見たこともない座敷に寝転んでいる。天井には仕切りで区切られた間に鮮やかな異形の絵が刻まれていた。

 しゃん、しゃん。ずっとそれが続いている。聞いていると、思考力を奪われていくような、妙な感覚だった。

 黒い影が現れる。それはコトリに覆いかぶさった。冷たい感じがする。

「あ」

 腹のうちがずくんとして、コトリは身を捩った。

「あっ、ああっ」

 身体が火照る。むりやり発情させられているような。なまぬるいぼんやりした意識の中で、影はコトリの身体を弄ぶ。しゃん、しゃん。音は今も続いていた。

「コトリ!!」

 ジークエンドの声がして、はっと我に帰る。覆いかぶさっていた影も消えた。

「コトリ、無事か、コトリ!」

「じーく……?」

 助け起こされてこてんと首を傾げた。自分はどうしたのだったか。サツキと一緒の部屋で眠っていたはずなのに。

「宿の者から聞いた。あの山の神はときおり、気に入った者をとりこんで嫁にしてしまうと。山の上には社があって、そこに山神が住んでいると。

 だから俺はあの祠を見張っていたが、お前が来たことに気づかなかった……一体、いつ来たんだ?」

 わからない。部屋を出た後のことは、まるで別世界の出来事のようで。

「コトリ……山神の嫁になるところだったか?」

「そうらしい。助けられてよかった」

「そっか……コトリを嫁に」

 何かの答えを得られそうになったが、今はとにかく眠かった。ジークエンドの胸にすりつき、惰眠を貪る。抱き上げられる感覚があった。

 あの音は、もう聞こえない。



***



 5日間の滞在はあっという間に過ぎ、あれから妙なことが起こることはなかった。

 あの出来事がなんだったのか、今もよく分からないままだ。東方には東方の文化や謎があるらしい。

「コトリ」

 今日もジークエンドはコトリを見てにこにこしている。

 それに比べて、あの山神の必死な様子ときたら!

 いつか、ああいう顔をさせてやる。そう心に誓ったコトリだった。
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