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8.昔話
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小さな雛を抱えて走った。
あたたかな塊。この小さな体に様々なものが詰まって命を成している。
「どこまで行くの? どこにいくの?」
意外に口は達者で、時折なにか語りかけてくる。
だが、そんなことはジークエンドにもわからない。ここではないどこかへ行くしかない。
とはいえ国を出る気はなかった。魔晶石の多く採掘されるドレイクニル以外では、バーレルセルの価値は更にはねあがる。ジークエンドの出奔が許されたのもドレイクニルだったからだ。
「じーく、おなかしゅいた」
「………」
ジークエンドは立ち止まって苦笑した。
「木の実はもう残り少ないが……」
「おにくやー」
「困ったな」
雛は鳥らしく木の実や果物を好み、生臭いものは吐き出してしまう。どこでも簡単に手に入る食料といえば、肉しかない。運良く果物が実っていればいいが。
残り少なくなったナッツを与え、それをぽりぽり頬張る顔を眺める。やわらかな頬がもごもご動く様は愛らしい。
よくもこんなに愛らしい生き物であんなおぞましいことを……
「じーく、コトリとびたいよ」
「まだ上手に飛べないだろう」
「とびたいとびたい」
はじめの頃こそ、ジークエンドを怖がって口もきかなかったコトリだが、コトリと名付け、側にいるうちにすっかり懐いてくれるようになった。わがままも言う。
今までわがままなど言える環境ではなかったろう。できるだけコトリの望みは叶えてあげたくて、もう怖がる必要はないのだと教えたくて、言いなりになってしまう自分がいる。
「ほら、支えてるからな」
両脇に手を差し込んだ。コトリはんーっと魔力素の羽を広げ、ぴよと浮く。まだ飛ぶのが下手なので、よろよろよちよち、あちこちを漂うだけだ。ときどき落ちてしまうので、こうして支えていなければならない。
「きゃきゃ」
楽しいのか可愛い笑い声をあげる。
日がな一日ジークの腕の中で大人しくしている日々が続いている。さぞかしストレスも溜まるだろうに、この子はただ静かにしがみついているだけなのだ。あの暗い研究所の隅で蹲ることに慣れているのだ……
(もうこの子にそんな思いはさせない)
「じーくぅ、きゃー」
飛ぶ雛をぎゅっと抱き寄せると嬉しそうに笑う。ジークエンドも自然と笑顔になるのだった。
どこへ行くか。漠然とはしているが、快楽者の街へ向かおうと思う。異形と犯罪の坩堝。危険な土地だが、あそこなら紛れて生きていくことも可能なはず。
「じーくぅ、あそこにおうちがあるよ」
小さな指がさししめした場所、木々に埋もれて確かに家屋がある。
(魔女の家か?)
魔女―――かつて迫害されて魔界に逃れた術技師の末裔だ。ああして隠れ住んでいることが多いと聞く。
魔女がジークエンドたちの正体に気づくとは思えない。食べ物を、特にコトリが食べられるものを分けてもらおう。
「申し訳ない。旅人なのだが、食べ物を分けてもらえないだろうか。金はある。必要なら労働もする……子供がいるんだ」
ノックしながら語りかけ、程なくして扉があいた。絵に描いたような老婆が現れ、ジークエンドたちをじっと大きな目で見つめる。
「お入り。そんな軽装で魔界の森を走るなんて、よっぽどワケアリだろう」
ひと目でそこまで見抜かれた。やはり魔女を信用するのは間違いだろうか?
小さな家屋の中は、ベッドがひとつあり、椅子のふたつあるテーブルがあって、キッチンがある以外はぎゅうぎゅう詰め。ハーブ類は壁から垂れ下がり、部屋中、訳のわからないもので溢れていた。
「かわいいねえ。この子はメスかね、オスかね」
「コトリはオスだ!」
「そうかいそうかい。鳥の異形は色々いるけど、カラスでもなければ偏食なんだよね。慣れさせれば一応、肉も食べるよ。でも、何年もかかる」
そう言って老婆は肉のスープをジークエンドに出した。コトリには、そこから具を除いたものを。コトリは木の器を持ってじるじるすすり、笑顔になった。
「おいしい!」
「ほらね、肉さえ入っていなければ肉のスープも飲めるんだ。こういうところから馴らしていくんだよ」
「ありがとう……この子に関しては分からないことだらけで困っていた」
「あんたは素直ないい子だね。素直すぎるのが難点かな? ちょっと世間知らずだね、快楽者の街に行くのは不安かしら」
「なぜ俺が快楽者の街へいくと?」
「警戒しなさんな。この道を通って走るやつは、みぃんなワケアリで快楽者の街を目指すのさ。いいものも悪いものも……」
老婆はそうした者を多く見てきたのだろう。わざわざここに家を建てているのも、何か理由があるのだろうか。
「あんたはオーバントだね。戦うことしか知らない種族だ。快楽者の街ではかえってあんたは生きにくいかもしれないね。快楽者の街についたら、ルロビア傭兵会社ってのがあるから、そこを訪ねてみな。あんたがあんたのまま快楽者の街で生きられる場所なんざ、そこくらいしかないさね」
「助かる……だが、なぜそんなに親切にしてくれるんだ」
「そんな可愛い雛つれて必死に旅してるの見たら、あたしじゃなくても世話焼きたくなるわさ。それでなくともババアは世話焼きなんだよ。
そんな軍服のオーバントが、雛連れて旅してたら、何があったか大体見当はつくよ」
「……コトリがなんなのか分かっているのか」
「まさか、バーレルセルかい?」
そこまで知られてしまった。この老婆を殺すべきか悩むうちに、老婆は片手を挙げた。
「あんたの道行きが楽なものであることを祈るよ。幸い、それはおとぎ話になりつつある種族だ。繁殖力も低くその子を捕まえたところでもう増えることもない、この国では利用価値も低いだろう。そうか、生き残っていたかあ。そうか、そうか……」
なんでか老婆は嬉しそうに、コトリの頭をしわくちゃの手で撫でた。コトリはきゃっきゃと声をあげて笑う。
ジークエンドはコトリの怯えた顔が忘れられない。恐怖に歪んだ顔で「殺さないで」と言われたことが。だからここで老婆は殺せない。いや、この老婆を殺すことも躊躇う……もう人殺しはできるだけしたくない。
「たまにはベッドで寝たいだろう。ばあちゃん出かけてくるから、そのベッドは使っていいよ」
行かせていいものだろうか。それこそ仲間の魔女を呼ばれないだろうか。不安を覚えながらも、行かせてしまった。いいのだろうか。いいのだろうか。もうジークエンドに指示を出す上司はいない……
「じーくぅ、おふとんふかふかぁ」
椅子から乗り移れる距離にあるベッドへ飛び込み、コトリはころころと転がる。あんまり可愛いのでジークエンドは笑みほころび、ぽんぽこのおなかをくすぐってやった。雛はきゃあきゃあ言って喜び転げる。
(かわいい……)
この子といると、ジークエンドの中の何かが救われていくのを感じる。乾いたような、冷えたような何かが……この子を守るために生きるのだと決めたことを、この子の可愛さが肯定してくれる。
ベッドは狭く小さくて、ジークエンドは横になって膝を曲げねばならなかった。その懐にもぐりこみ、コトリはすやすやと寝息をたてはじめる。ジークエンドは眠らなかった、あの魔女が仲間を連れて帰った時に備えて。
「あれま、あんた眠らなかったのかい」
早朝に帰ってきた老婆に驚かれた。眠らない訓練を受けている身からすれば、眠らなかったことを見抜かれたほうに驚いた。
「そんなに警戒しなくたってねえ。しょうがない子だよ。まあ、それだけの理由があるからね。快楽者の街についたら、もっと大変になる。干し果物と木の実を分けてあげるからね、頑張るんだよ」
けっきょく、老婆は善良な魔女だった。確認したが果物にも毒など入っていない。もっと礼を言えばよかった。
快楽者の街に入ったのはそれから数日後だ。魔女にもらった食料が切れる前で本当によかったと思う。
「ルロビア傭兵会社というところを探しているのだが」
街の入口でたむろしているガラの悪いのに声をかけると、彼らはにやにやしはじめた。
「こりゃ……綺麗な魔族だ。おにいちゃん、子連れで疲れたろう。いい宿を知ってるよ」
「それよりルロビア傭兵会社を」
「いいからついてこいって言ってんだらぁ!」
「ぴぎっ」
大声に驚き、ジークエンドの腕の中でうつらうつらしていたコトリがぐずりだした。この子の前で殺しはしたくない……
ジークエンドは手を伸ばしてゲルを出し、男らの一人が腰掛けている木箱を溶かした。ゲルの上に倒れた男を信じられないものを見る目で注目する男たち。
「この街の者はオーバントを知らないのか? 俺は殺傷性の高いゲルを操ることができる……いま殺しはしたくない。ルロビア傭兵会社に案内しろ」
一人を連れて歩き出した。途中、何度も「綺麗なおにいちゃんだ」と不埒者が寄ってきたが、すべて足技だけで退ける。コトリは、これは怖くないのか、
「ジークすごいすごい」
体を揺すって喜んだ。
「こ、ここがルロビア傭兵会社で……それじゃあっしはここで」
それなりに大きな建物だった。看板にルロビアと描かれている。あまり無骨なイメージのない、むしろ可愛らしい印象がある。
ノックして扉を開ける。すぐ側に応接間があり、目の前に階段。応接間の逆隣に「社長室」があった。
「お客様ですね」
階段の下にある小さな受付で、豹の女性が声をかけてきた。
「いや、実は雇ってもらいたくて、だな」
「面接希望ですね! 社長、面接希望の方です! あちらの部屋へどうぞ」
指示されたとおりに社長室の扉をノックして開ける。
「子連れ面接」
驚かれた。無理もない。
「実はこの街にやってきたばかりで……ある魔女からここを紹介されたのだが」
「はあ。あんたオーバントかぁ。マフィアの中にたまーに混じってるけどねえ」
「この街のことは右も左も分からない。ゆえあってあまりこの子と離れず働きたいのだが」
「オーバントを雇えるならうちとしても心強い。しかし子供、子供ねえ」
サントネースと札が書かれた社長席に座る魔族は、こんな街で傭兵会社をやっているようには見えないほど温和だった。彼はコトリを見て、
「か……っわいい雛だねえ!? どうしたの、君の子?」
「俺の子ではない……が」
「いやはや、こんな可愛い雛、この街じゃ十秒せずに攫われるよ。君が綺麗だから、街の者の目が君に行って無事で済んだんだろうね。もうここから出さないほうがいいくらいだよ」
「そこまでか……」
「そこまでだよ。整った異形てのはここじゃ珍しいんだ。ましてそんなに可愛い子はねえ。うーむ、わかった。この子はこの社長室で預かろう」
実のところ、サントネースはコトリを可愛がりたかっただけだったのではないかと思う。実際、彼はコトリの面倒をよく見、とても可愛がってくれた。ジークエンドは仕事に出ることが多かったこともあり、いつのまにか、
「ぱぱ」
とサントネースを呼ぶようになっていた。少しさびしい気もしたが、相変わらずジークエンドのことも慕ってくれるし、同じ屋根の下で暮らしていたので文句はなかった。受け入れてくれた社長には感謝しかない。
***
「えー、てことは社長、ジークエンドからパパの座奪っちゃったんだ! ひどいじゃん」
昔語の途中、サツキが声を上げた。音の響かない個室居酒屋で、珍しくサントネース、ジークエンド、サツキ、ラズウェル、シャハクで呑みに来ている。コトリは発情期で具合が悪いので留守番だ。それでこんな話題になった。
「いや、とるつもりはなかったんだよお。試しにパパって呼んでみてって言ったら定着しちゃって」
「ジークエンドが命からがらこの街まで守ってきたコトリを、自分の子にしちゃうなんて」
「ジークエンドはそれでよかったんかい」
「俺としては、親になる自信もなかったし、仕事で側にいられる時間もなかったし、コトリのためにはよかったと思う。ただなにか寂しくて……」
「つまり、ジークエンドはコトリのもうひとりのパパなんだね」
サツキが合点がいった、というように頷く。
「それじゃ恋愛対象にならないわけだ」
「なんのことだ?」
「コトリのためにはよかったかもしれんぞ。パパが相手じゃのー」
「何の話をしているんだ?」
この朴念仁は、ときおりわざと惚けているのかというくらい話を理解しない。
「コトリちゃんも、もうすぐお嫁にいっちゃうのかなあ」
ぐすぐす鼻を鳴らす社長。
「かぁわいかったのになあ。ぱぱ、ぱぱーって」
「ああ、本当にかわいかった。いや今でも可愛いが。かわいいかわいい雛だが。だが、嫁にいってしまうこともあるのか…そうか……」
父親二人、葬式の様相になってしまった。この場合、嫁に行くならばジークエンドの元であろうから、ジークエンドは勝ち組のはずだが、本人がわかっていないのでしょうもない。
サツキとラズウェルは呆れて、その日は早めに切り上げたのだった。
あたたかな塊。この小さな体に様々なものが詰まって命を成している。
「どこまで行くの? どこにいくの?」
意外に口は達者で、時折なにか語りかけてくる。
だが、そんなことはジークエンドにもわからない。ここではないどこかへ行くしかない。
とはいえ国を出る気はなかった。魔晶石の多く採掘されるドレイクニル以外では、バーレルセルの価値は更にはねあがる。ジークエンドの出奔が許されたのもドレイクニルだったからだ。
「じーく、おなかしゅいた」
「………」
ジークエンドは立ち止まって苦笑した。
「木の実はもう残り少ないが……」
「おにくやー」
「困ったな」
雛は鳥らしく木の実や果物を好み、生臭いものは吐き出してしまう。どこでも簡単に手に入る食料といえば、肉しかない。運良く果物が実っていればいいが。
残り少なくなったナッツを与え、それをぽりぽり頬張る顔を眺める。やわらかな頬がもごもご動く様は愛らしい。
よくもこんなに愛らしい生き物であんなおぞましいことを……
「じーく、コトリとびたいよ」
「まだ上手に飛べないだろう」
「とびたいとびたい」
はじめの頃こそ、ジークエンドを怖がって口もきかなかったコトリだが、コトリと名付け、側にいるうちにすっかり懐いてくれるようになった。わがままも言う。
今までわがままなど言える環境ではなかったろう。できるだけコトリの望みは叶えてあげたくて、もう怖がる必要はないのだと教えたくて、言いなりになってしまう自分がいる。
「ほら、支えてるからな」
両脇に手を差し込んだ。コトリはんーっと魔力素の羽を広げ、ぴよと浮く。まだ飛ぶのが下手なので、よろよろよちよち、あちこちを漂うだけだ。ときどき落ちてしまうので、こうして支えていなければならない。
「きゃきゃ」
楽しいのか可愛い笑い声をあげる。
日がな一日ジークの腕の中で大人しくしている日々が続いている。さぞかしストレスも溜まるだろうに、この子はただ静かにしがみついているだけなのだ。あの暗い研究所の隅で蹲ることに慣れているのだ……
(もうこの子にそんな思いはさせない)
「じーくぅ、きゃー」
飛ぶ雛をぎゅっと抱き寄せると嬉しそうに笑う。ジークエンドも自然と笑顔になるのだった。
どこへ行くか。漠然とはしているが、快楽者の街へ向かおうと思う。異形と犯罪の坩堝。危険な土地だが、あそこなら紛れて生きていくことも可能なはず。
「じーくぅ、あそこにおうちがあるよ」
小さな指がさししめした場所、木々に埋もれて確かに家屋がある。
(魔女の家か?)
魔女―――かつて迫害されて魔界に逃れた術技師の末裔だ。ああして隠れ住んでいることが多いと聞く。
魔女がジークエンドたちの正体に気づくとは思えない。食べ物を、特にコトリが食べられるものを分けてもらおう。
「申し訳ない。旅人なのだが、食べ物を分けてもらえないだろうか。金はある。必要なら労働もする……子供がいるんだ」
ノックしながら語りかけ、程なくして扉があいた。絵に描いたような老婆が現れ、ジークエンドたちをじっと大きな目で見つめる。
「お入り。そんな軽装で魔界の森を走るなんて、よっぽどワケアリだろう」
ひと目でそこまで見抜かれた。やはり魔女を信用するのは間違いだろうか?
小さな家屋の中は、ベッドがひとつあり、椅子のふたつあるテーブルがあって、キッチンがある以外はぎゅうぎゅう詰め。ハーブ類は壁から垂れ下がり、部屋中、訳のわからないもので溢れていた。
「かわいいねえ。この子はメスかね、オスかね」
「コトリはオスだ!」
「そうかいそうかい。鳥の異形は色々いるけど、カラスでもなければ偏食なんだよね。慣れさせれば一応、肉も食べるよ。でも、何年もかかる」
そう言って老婆は肉のスープをジークエンドに出した。コトリには、そこから具を除いたものを。コトリは木の器を持ってじるじるすすり、笑顔になった。
「おいしい!」
「ほらね、肉さえ入っていなければ肉のスープも飲めるんだ。こういうところから馴らしていくんだよ」
「ありがとう……この子に関しては分からないことだらけで困っていた」
「あんたは素直ないい子だね。素直すぎるのが難点かな? ちょっと世間知らずだね、快楽者の街に行くのは不安かしら」
「なぜ俺が快楽者の街へいくと?」
「警戒しなさんな。この道を通って走るやつは、みぃんなワケアリで快楽者の街を目指すのさ。いいものも悪いものも……」
老婆はそうした者を多く見てきたのだろう。わざわざここに家を建てているのも、何か理由があるのだろうか。
「あんたはオーバントだね。戦うことしか知らない種族だ。快楽者の街ではかえってあんたは生きにくいかもしれないね。快楽者の街についたら、ルロビア傭兵会社ってのがあるから、そこを訪ねてみな。あんたがあんたのまま快楽者の街で生きられる場所なんざ、そこくらいしかないさね」
「助かる……だが、なぜそんなに親切にしてくれるんだ」
「そんな可愛い雛つれて必死に旅してるの見たら、あたしじゃなくても世話焼きたくなるわさ。それでなくともババアは世話焼きなんだよ。
そんな軍服のオーバントが、雛連れて旅してたら、何があったか大体見当はつくよ」
「……コトリがなんなのか分かっているのか」
「まさか、バーレルセルかい?」
そこまで知られてしまった。この老婆を殺すべきか悩むうちに、老婆は片手を挙げた。
「あんたの道行きが楽なものであることを祈るよ。幸い、それはおとぎ話になりつつある種族だ。繁殖力も低くその子を捕まえたところでもう増えることもない、この国では利用価値も低いだろう。そうか、生き残っていたかあ。そうか、そうか……」
なんでか老婆は嬉しそうに、コトリの頭をしわくちゃの手で撫でた。コトリはきゃっきゃと声をあげて笑う。
ジークエンドはコトリの怯えた顔が忘れられない。恐怖に歪んだ顔で「殺さないで」と言われたことが。だからここで老婆は殺せない。いや、この老婆を殺すことも躊躇う……もう人殺しはできるだけしたくない。
「たまにはベッドで寝たいだろう。ばあちゃん出かけてくるから、そのベッドは使っていいよ」
行かせていいものだろうか。それこそ仲間の魔女を呼ばれないだろうか。不安を覚えながらも、行かせてしまった。いいのだろうか。いいのだろうか。もうジークエンドに指示を出す上司はいない……
「じーくぅ、おふとんふかふかぁ」
椅子から乗り移れる距離にあるベッドへ飛び込み、コトリはころころと転がる。あんまり可愛いのでジークエンドは笑みほころび、ぽんぽこのおなかをくすぐってやった。雛はきゃあきゃあ言って喜び転げる。
(かわいい……)
この子といると、ジークエンドの中の何かが救われていくのを感じる。乾いたような、冷えたような何かが……この子を守るために生きるのだと決めたことを、この子の可愛さが肯定してくれる。
ベッドは狭く小さくて、ジークエンドは横になって膝を曲げねばならなかった。その懐にもぐりこみ、コトリはすやすやと寝息をたてはじめる。ジークエンドは眠らなかった、あの魔女が仲間を連れて帰った時に備えて。
「あれま、あんた眠らなかったのかい」
早朝に帰ってきた老婆に驚かれた。眠らない訓練を受けている身からすれば、眠らなかったことを見抜かれたほうに驚いた。
「そんなに警戒しなくたってねえ。しょうがない子だよ。まあ、それだけの理由があるからね。快楽者の街についたら、もっと大変になる。干し果物と木の実を分けてあげるからね、頑張るんだよ」
けっきょく、老婆は善良な魔女だった。確認したが果物にも毒など入っていない。もっと礼を言えばよかった。
快楽者の街に入ったのはそれから数日後だ。魔女にもらった食料が切れる前で本当によかったと思う。
「ルロビア傭兵会社というところを探しているのだが」
街の入口でたむろしているガラの悪いのに声をかけると、彼らはにやにやしはじめた。
「こりゃ……綺麗な魔族だ。おにいちゃん、子連れで疲れたろう。いい宿を知ってるよ」
「それよりルロビア傭兵会社を」
「いいからついてこいって言ってんだらぁ!」
「ぴぎっ」
大声に驚き、ジークエンドの腕の中でうつらうつらしていたコトリがぐずりだした。この子の前で殺しはしたくない……
ジークエンドは手を伸ばしてゲルを出し、男らの一人が腰掛けている木箱を溶かした。ゲルの上に倒れた男を信じられないものを見る目で注目する男たち。
「この街の者はオーバントを知らないのか? 俺は殺傷性の高いゲルを操ることができる……いま殺しはしたくない。ルロビア傭兵会社に案内しろ」
一人を連れて歩き出した。途中、何度も「綺麗なおにいちゃんだ」と不埒者が寄ってきたが、すべて足技だけで退ける。コトリは、これは怖くないのか、
「ジークすごいすごい」
体を揺すって喜んだ。
「こ、ここがルロビア傭兵会社で……それじゃあっしはここで」
それなりに大きな建物だった。看板にルロビアと描かれている。あまり無骨なイメージのない、むしろ可愛らしい印象がある。
ノックして扉を開ける。すぐ側に応接間があり、目の前に階段。応接間の逆隣に「社長室」があった。
「お客様ですね」
階段の下にある小さな受付で、豹の女性が声をかけてきた。
「いや、実は雇ってもらいたくて、だな」
「面接希望ですね! 社長、面接希望の方です! あちらの部屋へどうぞ」
指示されたとおりに社長室の扉をノックして開ける。
「子連れ面接」
驚かれた。無理もない。
「実はこの街にやってきたばかりで……ある魔女からここを紹介されたのだが」
「はあ。あんたオーバントかぁ。マフィアの中にたまーに混じってるけどねえ」
「この街のことは右も左も分からない。ゆえあってあまりこの子と離れず働きたいのだが」
「オーバントを雇えるならうちとしても心強い。しかし子供、子供ねえ」
サントネースと札が書かれた社長席に座る魔族は、こんな街で傭兵会社をやっているようには見えないほど温和だった。彼はコトリを見て、
「か……っわいい雛だねえ!? どうしたの、君の子?」
「俺の子ではない……が」
「いやはや、こんな可愛い雛、この街じゃ十秒せずに攫われるよ。君が綺麗だから、街の者の目が君に行って無事で済んだんだろうね。もうここから出さないほうがいいくらいだよ」
「そこまでか……」
「そこまでだよ。整った異形てのはここじゃ珍しいんだ。ましてそんなに可愛い子はねえ。うーむ、わかった。この子はこの社長室で預かろう」
実のところ、サントネースはコトリを可愛がりたかっただけだったのではないかと思う。実際、彼はコトリの面倒をよく見、とても可愛がってくれた。ジークエンドは仕事に出ることが多かったこともあり、いつのまにか、
「ぱぱ」
とサントネースを呼ぶようになっていた。少しさびしい気もしたが、相変わらずジークエンドのことも慕ってくれるし、同じ屋根の下で暮らしていたので文句はなかった。受け入れてくれた社長には感謝しかない。
***
「えー、てことは社長、ジークエンドからパパの座奪っちゃったんだ! ひどいじゃん」
昔語の途中、サツキが声を上げた。音の響かない個室居酒屋で、珍しくサントネース、ジークエンド、サツキ、ラズウェル、シャハクで呑みに来ている。コトリは発情期で具合が悪いので留守番だ。それでこんな話題になった。
「いや、とるつもりはなかったんだよお。試しにパパって呼んでみてって言ったら定着しちゃって」
「ジークエンドが命からがらこの街まで守ってきたコトリを、自分の子にしちゃうなんて」
「ジークエンドはそれでよかったんかい」
「俺としては、親になる自信もなかったし、仕事で側にいられる時間もなかったし、コトリのためにはよかったと思う。ただなにか寂しくて……」
「つまり、ジークエンドはコトリのもうひとりのパパなんだね」
サツキが合点がいった、というように頷く。
「それじゃ恋愛対象にならないわけだ」
「なんのことだ?」
「コトリのためにはよかったかもしれんぞ。パパが相手じゃのー」
「何の話をしているんだ?」
この朴念仁は、ときおりわざと惚けているのかというくらい話を理解しない。
「コトリちゃんも、もうすぐお嫁にいっちゃうのかなあ」
ぐすぐす鼻を鳴らす社長。
「かぁわいかったのになあ。ぱぱ、ぱぱーって」
「ああ、本当にかわいかった。いや今でも可愛いが。かわいいかわいい雛だが。だが、嫁にいってしまうこともあるのか…そうか……」
父親二人、葬式の様相になってしまった。この場合、嫁に行くならばジークエンドの元であろうから、ジークエンドは勝ち組のはずだが、本人がわかっていないのでしょうもない。
サツキとラズウェルは呆れて、その日は早めに切り上げたのだった。
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