パンジャンゴーレム

いみじき

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 このところ、いまいち仕事に身が入らない。
 理由も原因もアオイのせいだ。全部アオイが悪い。
 急に出かけようなどと言い出したり、キスをしたり。ここに務めて十年、こんなことはなかった。思わせぶりな態度で触れてくるだけだったのに。
 いや。ルベルカも分かっていた。アオイも痺れを切らしたのだ。それで攻勢に……
「………」
 大量の未完成ゴーレムが山を作る部屋の中で、ルベルカは俯いた。
 わかっている。わかっているのだ本当は。アオイがとても自分を大切にしてくれていること。愛してくれていること。ルベルカと恋人になりたいと、そう思ってくれていること。
 だが、そうなることを考えるだけで、存在が揺らぐような恐怖に襲われる。

 きっとアオイは自分に飽きる。
 きっとアオイは自分の元を去る。

 そんな、理由もない妄想に囚われる。だが、ルベルカにもどうしてそう思ってしまうのか、分からない。絶対にアオイはいつか自分を捨てる。それが決まった未来であるかのように感じてしまうのだ。
 頑張っても頑張っても、意味がない。
 きっと見てもらえない。認めてなんて貰えない。
 だって俺は。
『おめでとう、ルベルカ。夢が叶ったな』
『いつも一緒にいる。君の側にいる。約束しよう』
『駄目になったら死ねばいい。そのときは一緒に死んでやる』
 わかっている、アオイはいつだって誠実だ。一度決めたことを曲げる人ではない。十年、辛抱強く愛してくれた。一緒に死ぬと言ったからには一緒に死んでくれる。
 この不安はどこから来るのだろう。淫魔特有の性質なのだろうか。怖くて怖くて仕方がない。存在から魂から解けるようになくなって溶けて消えてしまうような、そういう恐怖が消えてくれない。アオイに大丈夫だと優しく抱きしめられても、消えてくれない。
 アオイに申し訳ないと思う。ああまで言ってくれたのに。覚悟を教えてくれたのに。自分は応えることができない。
 鬱々としながらとにかく手元の仕事を続けていると、違和感を覚えて目を擦る。

「あ、れ……?」

 ゴーグル型ゴーレムをひっくり返し、ためつすがめつあらゆる角度から確認する。少し分解して中も見た。
「………!?」
 術式線が読めない。というより薄い。
 ゴーレムというのはコアに溜めた魔力素から霊界(電界のようなもの。点と点で結んだ霊線の道)を繋ぎ、そこに術式を刻んで張り巡らせて機能させる。
 ルベルカが買われているのは、この術式線の解読や及ぼす作用の理解が早いため。これだけはアオイも敵わないと言ってくれた。
 その術式線が薄くて、読めない。
 このゴーグルだけかと思い、他も見てみた。だが、どれもこれも、全て、この部屋に乱雑に積まれたゴーレムすべての術式線が、読めない。
「…………っ」
 震える手で顔を覆い、へたりこむ。
 術式線が読めなければゴーレム制作には携われない。自分の価値はなくなる。王立ラボにだっていられない。
 今まで培ってきた技術も知識も全て無駄になる。ラボどころか、町工場にすら勤務できない。
 ただの、淫魔に戻る。

「……っ、………!」

 苦しい。息ができない。喉を掴んで横倒しになる。
 くるしい、くるしい。目の前が白い。意識が保てない。
 遠くから悲鳴のようなアオイの叫び声が聞こえた。

***

 気がつくと白い天井を見上げ、呼吸器があり、腕に管がついていた。
「あ、よかった。目が覚めたね」
 声がするほうに視線をやると、おどろしい表紙の童話の本を読んでいたヴィルトレンがいる。腰掛ける彼の背後には観葉植物やら生活感のない棚やらがあり……おそらく病室だろうと察した。
「急に倒れるからさ。みんな驚いたよ。交代で様子を見てたんだけど。さっきまで所長がいたよ。残念だったね」
「いや……」
 今は彼に会いたくなかった。
「検査したけど何も異常はないって。精神的なパニックって片付けられたけど……何かあったのかい。強盗にでも出くわした?」
「………」
 言わなければ。言葉が喉に詰まる。呼吸器を外し、深呼吸をした。
 所長には話しづらい。だが、ヴィルトレンなら分かってくれるだろう。この状態を話すなら、彼が一番いい。
「実は、術式線が読めなくなった……というか、ぼやけて見えるようになった」
「なんだ、そんなこと」
 そんなこととは何だ、とヴィルトレンを睨むが、彼は首を傾げる。
「コンディションや精神が不安定になるとよくある症状だよ。知らなかったのかい」
「し……知らなかった」
「僕らなんか疲れてくるともう今日はダメだーってなるよ? 今まで一度もなかったの」
 なかった。知らなかった。そんな普遍的な症状だったとは。
「ほら、疲れると頭が煮えてさ。簡単な計算も出来なくなっちゃったり」
「それは……分かるけど」
「でもそういえば、いつもなら君がそうなる前に所長がストップをかけていたよね。状態もよく管理してるみたいだし。今回は精神不安定のほう? 倒れるほどパニックになるなんて、君も難儀だね」
 そう……多分、そうだ。アオイのことで不安定になり、初めての経験で恐慌状態に陥った。
「本当、所長は君に対してだけは過保護だよね。僕らに対しては納期が迫ってるから倒れるまで働けって笑顔で言い放つのにさ。君だけは何があっても定時で寝かせるからね」
「それは、俺は淫魔で体のことがあるから」
「それもあるだろうけど、所長は絶対に君に無理させないでしょ。君がルベルカちゃんの制作にのめり込んでいた時だって、そろそろ寝なさいってシャワー室まで連れていったりさ。愛されてるよね」
 愛されてる、と呆れ声で言われて顔が熱くなり、更にヴィルトレンから嘆息を引き出してしまった。ますます羞恥に項垂れる。
 よくあるような症状でパニックになって入院沙汰。その原因はアオイの今までの過保護のせい。どうして過保護なのか。愛されているからだ。
 居た堪れない。
「まあでも、倒れるほどパニックになったのは所長の責任でしょ。急に距離詰めすぎ。童貞みたい」
「ど……童貞ちゃうわ」
「ルベルカじゃなくて」
 実はルベルカ、女性経験はないので童貞だった。顔の系統的に稼げるのが男性客ばかりだったので。卒業後はアオイに惚れてそのままだ。
 アオイはどうなのだろう。いくらなんでもあのルックスの夢魔が童貞のはずがない。多忙だったとしてもだ。今まで女の影がなかったことのほうが奇跡だろう。
 アオイは、絵に描いたような色男だ。背が高くすらっとしており、切れ長の目が甘く垂れていて、微笑む唇がセクシーだ。ルベルカと出会ってからはとにかく、その前は……誰かと付き合ったことくらい、あるだろう。
 ルベルカ自身、不特定多数と関係を持っていたのだから、責める権利はない。それでも何か、もやもやしてしまう。
「そ、そういえば。交代で俺の様子を見ててくれたというが、ラボはどうなってるんだ」
「ちょうどいいから長期休暇にしようって。ルベルカの容態がよくわからないのもあったし、君、家族がいないからね」
 家族がいない、と言われて胸が針で突かれたような感覚を覚えた。
 学生時代はクラスメイトや教師がいた。客もいた。今はラボメンとひとつ屋根の下で暮らしており、おはようからおやすみまで顔を見る。
 だから考えたこともなかった。プライベートの自分は天涯孤独の身であることなど。

「……ルベルカ。顔、青い……えっ、何かあった? 待って、震えがすごい。息できてるかい?」

 その後はよくわからない。しかし、ヴィルトレンは冷静に対処したようだ。気がつくと呼吸器がついて、また横になっていた。天井が見える。
「あ、ぇ、なん………」
「いいよ起きなくて。君が抱えてるの、大体わかったし」
 抱えてると言われて自分の手を思わず見る。何も持ってはいないのに。
 何も持ってないことこそが、問題なのかもしれない。
「ラボメンはさ、君以外は名門の出身なんだよね。次男以降で。金だけはあってさ、宿舎に放り込まれて。だけどまあ疎まれてはいないし、僕はたまに兄さん姉さんからちゃんと食べてるかとか月並みな手紙が来たりして」
 自分の境遇を語りだしたヴィルトレンを不思議な思いで眺める。
 ラボメンとは仕事のこと以外で会話するのも珍しかった。たまに休憩や食事が一緒になったとき、ニュースになったことなどを話題にするくらいで。ただの愉快な仲間たちだと思っていた。
 ルベルカは急に、ヴィルトレンを遠く感じた。彼はルベルカが知らない過去やルベルカが持たないものを持っているのだ。
「干渉されるのは鬱陶しいけど……たぶん、有り難いものなんだよね」
「………」
「だけど僕は彼らをあてにはしてない。大切にはするけど、僕は僕なりに、そして家族には家族なりに積み上げたものがあるから。君もそうだろう?」
「なにが………?」
「家族って、出来るものでも有るものでもないよ。作るものだ」
「………」
 それは、家族は出来るだろう。誰か女性とつがって、子供を作ればいい。
 その先は?
 家族がいたから、なんだ。何が変わる。何も変わらない。自分は仕事に没頭するだろうし、相変わらず、孤独だ。
「淫魔って、淫魔であることに恐怖でもあるのかな」
 ヴィルトレンの声が遠い。すこし、疲れた。眠くてたまらない。

***

 意識があるような無いような、妙な感覚で目が覚めた。夢を見たとも思うし、うなされたようにも思う。
 少し頭が痛い。寝すぎたのだろう。
「ルベルカ」
 頬をくすぐるように指が触れた。長くて少し節のある指。アオイだ。猫の子のように、すり寄る。
 意識が完全に浮上するころにはその指はなく、静かに書類の束を眺めるアオイがいた。
「起きたか?」
「……ん」
「退院していいそうだ。症状は過呼吸。苦しいしびっくりするだろうけど、死んだりしないから不安がるな」
 そう言って髪を撫でられ、うっとりしてしまう。まだ曖昧で夢の境にいるような鈍い感覚があった。
 アオイはルベルカの意識がしっかり覚醒してから、荷物を片付け、ルベルカを着替えさせて退院の手続きをした。肩を抱いて支え、用意していたらしい乗用ゴーレムへ子供を寝かせるように乗せ、自分は運転席に乗る。
「どこへ?」
 少なくともラボの方角ではない。
 アオイは何も言わない。
 王城の見える通りを少し行き、並ぶ街灯に見送られるようにしながら、乗用ゴーレムは一般居住区に入る。
 こんなところに何の用があるというのか。首をかしげていると、一軒の家の前に停まった。温かみのあるクリーム色の土壁で、窓枠や屋根はオシャレな黒。本当に小さいが庭もあるようだ。
「一括払いで買ったんだ」
 うきうきしたように後部座席の扉を開け、背を屈めたアオイが笑う。
「買った……って、どうせラボの寮から離れられないだろ、あんた。それとも引退でもするのか」
「今回のことで俺は思ったんだ」
 アオイは眉を寄せ、苦く笑う。
「うちってちょっと、ブラックかなと」
 思いっきりブラックだが。甘やかされていたと言われるルベルカですら、大体夜の十時までは働き、休日らしい休日などこの前が初めてだが。
 しかし、全員がワーカホリックだったので、休みたいとも他のことをしたいとも思っていない。それもまあ、悪かったのかもしれない。
「もちろん仕事は楽しい。だが人生はそれだけじゃいけないと気づいてね。君にもあいつらにも宜しくない。自分自身の生き方を自分が尊重する必要があると分かったんだ」
「はあ」
「よって、これより週休一日制度、年に一度の一週間休暇制度を設ける。そのほうが能率も上がるしね、本当は。俺が仕事していたいから休みがなかったんだ。君たちもそれで満足していたし」
 そのとおり、休みがなくとも文句を言わなかったのは、ずっと最先端の機材があるラボでゴーレムに触っていたいゴーレムバカばかりだったからだ。ルベルカも含め。
 しかし、休みなんて与えられても、きっと困る。ただ部屋でぼーっと過ごすだけだろう。あるいは寝るか。趣味で個人制作のゴーレムを弄るか……アオイちゃんと遊ぶだけ。
 それはそれで悪くないが、きっと途中でふと我に帰って虚しくなるだろう。だったら休みなど欲しくない。
「食材を買いに朝早く市場へ出かけたり、料理をしたり。庭いじりをしてみたり、花瓶に花を活けてみたり。そんな休日があってもいいんじゃないかと、思ったのさ」
 アオイは本当に隠居するつもりなのだろうか。
 何か心境の変化があって、そういう人生も悪くないなどと思い始めているなら、危険だ。そうして少しずつ離れていって、引退して、ルベルカにラボを託すつもりなら……悲しい。
 アオイとは三十歳も離れているから(人間の尺度とは感覚が違う)いずれ引退はするだろう。だが、アオイはまだまだ若くて現役なのに……
 考え込むルベルカにアオイは笑顔で手を差し伸べてきた。
「ところでルベルカ、君は料理をしたことがあるか?」
「え」
「俺はないんだ。食材って何を買えばいいんだろうな。まずはレシピ本を読むところから始めようか」
 引っ張り出され、並んで家を見上げる。
 アオイが何のつもりでこの家を購入したのか、今になって気がついた。
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