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2.東の巫女 2
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その日、世界に激震が走った。
「お、おい……何だ………アレ……?」
いつも通り早朝から畑仕事をしていた村人、漁に出かけた漁師、行商の馬車を進めていた商人、旅行中の街人、依頼に出発した冒険者。
その先で出会った異形の存在は、一瞬邂逅しただけの人々に、無条件で恐怖を植え付けた。
モンスターが蔓延るこの世界、恐ろしいモンスターなど数多く存在するこの世界に生きる人々は、常にモンスターに襲われる恐怖と共存しながら、それでも人としての日常を問題無く過ごして来た。
基本的にモンスターは自分達のナワバリからは出て来ない。それは深い森だったり、人類未踏の山奥だったり、ダンジョンと化した古い遺跡だったり。
たまに出て来るのはハグレと呼ばれるモンスターで、それもすぐに兵士や冒険者達の手によって討伐される。なので人類におけるモンスター被害というのは、それほど多くは無い。
だが、ソレは明らかに違った。見た事も無い異形の姿、遠目に見ているだけなのに、腹の底から込み上げて来る恐怖心。
本能が激しく鳴らす最大の警鐘は、
《見てはいけない》 《今すぐ逃げろ》 《アレはダメだ》
と、まるで自分では無い誰かが口早にまくし立てているかのように、死の恐怖、死の危険を伝えて来る。
そして世界中が震撼した。遭遇したある者は一瞬で首を切り落とされ、ある者は原型が残らない程。ドロドロに溶かされた。
腰を抜かして地べたに座り込んだ男に近づくと、異形は無言で食事を始めた。直後に響くのは自らが食物と化した男の悲鳴と断末魔。その光景を必死で逃げながら目撃したのは、男の妻と娘。
何とか街に逃げ帰った者達の目撃証言は、瞬く間に世界中で聞かれるようになった。そして世界中の学者達が口を揃えてこう言った。
「大魔が……現れた」
ーーーと。
そしてその知らせは、やや遅れて東の『巫女』が住むこのエルトナの街にも、商人などを通じてもたらされた。
「え…………」
その話を両親から聞かされた『巫女』ミリリアは、自分の耳を疑った。
だが、目の前で沈痛な面持ちを浮かべている両親を目の当たりにして、その話が真実であるのだと受け入れるしかなかった。
だって、両親のこんなにも辛そうな表情は今まで一度たりとも見た事が無い。故にこの表情が物語っているのは、娘であり『巫女』に選ばれてしまった自分へ対する様々な気持ちの現れなのだと、瞬時に察したのだ。
「まさか……何でよりによってミリリアが巫女の時に………」
「うっ……うう………」
薄っすらと涙を浮かべて、悔しそうにそう漏らす父と、口に手を当てて嗚咽を繰り返す母。二人ともこれから先、愛娘であるミリリアの身に何が起こるのかを理解している。
ーー英雄の真の力を開放するには、英雄と巫女が肉体的に交わる事。
これから近い未来に、東の『英雄』に選ばれた男性が必ずミリリアの前に現れる。そして『巫女』であるミリリアは、その初対面の男性に、その身を捧げなければならない。
こんなにも理不尽な話があるだろうか。ミリリアが『巫女』になど選ばれていなければ、ミリリアが『巫女』の時に【大魔】など現れなければーーーーー
ミリリアは普通の女性同様に、誰かを好きになり、誰かに好意を持たれ、その相手と幸せな初体験を迎えただろう。
その男性と将来添い遂げるのかは別の話だが、少なくとも自分で選んだ相手に自分の初めてを捧げる、そんな普通で当たり前の未来が待っていた筈なのだ。
「………………」
悔しそうな、そして悲しそうな両親を目の前にしながら、しかしミリリア本人は実感が湧かずに呆然としていた。
もちろん『巫女』としての掟や役割は十分に理解している。理解しているが、それが本当に自分の事なのだという実感が全く湧いてこない。
とても長い年月、この世界に【大魔】が現れた事など一度も無い。最後に現れたのは数百年前とも、千年近く前だとも言われている。
更に言えば、数多の女性の中で自分が伝説の『巫女』に選ばれた事、そしてたまたま自分が『巫女』の時に数百年ぶりに【大魔】が現れたという事実。
(何…それ………)
たとえ何度生まれ変わったとしても、およそ起こり得ないであろう皆無に等しい確率。そんな天文学的な確率で、この歴史的な瞬間が自分の身に降り掛かったのだ。今すぐに実感が湧かなくて、今すぐに理解出来なくて当然と言えた。
「あ……わたし、出かけて来るね……」
ガタッと椅子を鳴らし、立ち上がるミリリア。自分でも何故そうしたのか分からない。分からないが、何故か今は此処に居たく無かった。生まれ育った大好きな家、いつも優しくて大好きな両親。そんな両親の悲痛な表情を、この大好きな家の中でこれ以上見ていたくなかった。
「ミ、ミリリア……ッ!?」
ミリリアを引き止めようと、慌てて立ち上がる母。だがそんな母の肩に手を掛けて、ふるふると首を振る父。
「そうか……あまり遅くならないようにな」
「………うん。行ってきます」
力無く家を出て行くミリリアと、それを見送る両親。
「今は……そっとしておいてやろう……」
「うっ……ううあぁぁ」
愛娘が居なくなった家の中で、大粒の涙を流しながら崩れ落ちる母。そんな妻を優しく介抱する夫だが、自身もミリリアには見せまいとしていた涙がこぼれ落ちる。
「くっ、うっ……何で………何でミリリアが………」
大切に育てて来た愛娘。もちろん今生の別れだとか、そういう事は一切無い。それでもこれから先、娘に起こるであろう事を思えば、やるせない気持ちが溢れて来る。両親の流した涙は親としては当たり前の涙だと言えた。
そんな両親の涙の一方で、家を出たミリリアは隣の家を見つめていた。
そこは幼馴染の家。幼馴染の、大好きな男の子が住む家。
物心つく前から一緒に居て、物心つく頃には自然と好きになっていたロアの住む家。
「……………」
ドアには、もう鳴らし慣れた少し錆び付いたノッカー。今、あのノッカーを鳴らせばロアは出て来てくれるだろうか。
だが、ロアの家の玄関ドアに近付こうとして、ミリリアはすぐに足を止める。
「ロア………」
今、ロアに会って何を話せば良いのか分からない。両親はきっと知らないが、ロアとは結婚の約束までしている恋人同士。この『巫女』の使命が終わったら、ロアに捧げようと思っていた初めて。とても恥ずかしいけれど、ロアと一緒に経験しようと思っていた初体験。
だがそれは、もはや叶わない未来。【大魔】が現れた今、この身体はもはや自分だけのモノでは無く、『英雄』に差し出さなければいけない身体。ロアに捧げる筈だった処女は、会った事も無い『英雄』に捧げなければならない。
何故かは分からないが、自分の中でこの世界に再び【大魔】が現れたという現実が、段々と確信に近づいている。
(何でだろう……自分の目で見た訳じゃないのに)
もしや『巫女』の能力か何かなのだろうか。だがそう思えば思うほど、突き付けられた現実に心が重くなってゆく。
踵を返し、とぼとぼと歩き出すミリリア。途中、友人や知人に何度も出会ったが、空元気を絞り出して手を振るのがやっとだった。
そして辿り着いた場所は、いつもロアと二人で来る人気の無い街外れ。ここで何度も逢瀬……と言っても抱きしめ合ったりキスをするだけの逢瀬だったが、お互いの気持ちを何度も何度も確かめ合った、二人にとって大切な場所。
いつもなら誰も居ない筈のその場所に、今日は先客が居た。その後ろ姿は、幼い頃から見慣れた、この世で一番大好きな後ろ姿。
「………ロア」
そこに居たのは、一人所在無さげに佇む、幼馴染の男の子だった。
「お、おい……何だ………アレ……?」
いつも通り早朝から畑仕事をしていた村人、漁に出かけた漁師、行商の馬車を進めていた商人、旅行中の街人、依頼に出発した冒険者。
その先で出会った異形の存在は、一瞬邂逅しただけの人々に、無条件で恐怖を植え付けた。
モンスターが蔓延るこの世界、恐ろしいモンスターなど数多く存在するこの世界に生きる人々は、常にモンスターに襲われる恐怖と共存しながら、それでも人としての日常を問題無く過ごして来た。
基本的にモンスターは自分達のナワバリからは出て来ない。それは深い森だったり、人類未踏の山奥だったり、ダンジョンと化した古い遺跡だったり。
たまに出て来るのはハグレと呼ばれるモンスターで、それもすぐに兵士や冒険者達の手によって討伐される。なので人類におけるモンスター被害というのは、それほど多くは無い。
だが、ソレは明らかに違った。見た事も無い異形の姿、遠目に見ているだけなのに、腹の底から込み上げて来る恐怖心。
本能が激しく鳴らす最大の警鐘は、
《見てはいけない》 《今すぐ逃げろ》 《アレはダメだ》
と、まるで自分では無い誰かが口早にまくし立てているかのように、死の恐怖、死の危険を伝えて来る。
そして世界中が震撼した。遭遇したある者は一瞬で首を切り落とされ、ある者は原型が残らない程。ドロドロに溶かされた。
腰を抜かして地べたに座り込んだ男に近づくと、異形は無言で食事を始めた。直後に響くのは自らが食物と化した男の悲鳴と断末魔。その光景を必死で逃げながら目撃したのは、男の妻と娘。
何とか街に逃げ帰った者達の目撃証言は、瞬く間に世界中で聞かれるようになった。そして世界中の学者達が口を揃えてこう言った。
「大魔が……現れた」
ーーーと。
そしてその知らせは、やや遅れて東の『巫女』が住むこのエルトナの街にも、商人などを通じてもたらされた。
「え…………」
その話を両親から聞かされた『巫女』ミリリアは、自分の耳を疑った。
だが、目の前で沈痛な面持ちを浮かべている両親を目の当たりにして、その話が真実であるのだと受け入れるしかなかった。
だって、両親のこんなにも辛そうな表情は今まで一度たりとも見た事が無い。故にこの表情が物語っているのは、娘であり『巫女』に選ばれてしまった自分へ対する様々な気持ちの現れなのだと、瞬時に察したのだ。
「まさか……何でよりによってミリリアが巫女の時に………」
「うっ……うう………」
薄っすらと涙を浮かべて、悔しそうにそう漏らす父と、口に手を当てて嗚咽を繰り返す母。二人ともこれから先、愛娘であるミリリアの身に何が起こるのかを理解している。
ーー英雄の真の力を開放するには、英雄と巫女が肉体的に交わる事。
これから近い未来に、東の『英雄』に選ばれた男性が必ずミリリアの前に現れる。そして『巫女』であるミリリアは、その初対面の男性に、その身を捧げなければならない。
こんなにも理不尽な話があるだろうか。ミリリアが『巫女』になど選ばれていなければ、ミリリアが『巫女』の時に【大魔】など現れなければーーーーー
ミリリアは普通の女性同様に、誰かを好きになり、誰かに好意を持たれ、その相手と幸せな初体験を迎えただろう。
その男性と将来添い遂げるのかは別の話だが、少なくとも自分で選んだ相手に自分の初めてを捧げる、そんな普通で当たり前の未来が待っていた筈なのだ。
「………………」
悔しそうな、そして悲しそうな両親を目の前にしながら、しかしミリリア本人は実感が湧かずに呆然としていた。
もちろん『巫女』としての掟や役割は十分に理解している。理解しているが、それが本当に自分の事なのだという実感が全く湧いてこない。
とても長い年月、この世界に【大魔】が現れた事など一度も無い。最後に現れたのは数百年前とも、千年近く前だとも言われている。
更に言えば、数多の女性の中で自分が伝説の『巫女』に選ばれた事、そしてたまたま自分が『巫女』の時に数百年ぶりに【大魔】が現れたという事実。
(何…それ………)
たとえ何度生まれ変わったとしても、およそ起こり得ないであろう皆無に等しい確率。そんな天文学的な確率で、この歴史的な瞬間が自分の身に降り掛かったのだ。今すぐに実感が湧かなくて、今すぐに理解出来なくて当然と言えた。
「あ……わたし、出かけて来るね……」
ガタッと椅子を鳴らし、立ち上がるミリリア。自分でも何故そうしたのか分からない。分からないが、何故か今は此処に居たく無かった。生まれ育った大好きな家、いつも優しくて大好きな両親。そんな両親の悲痛な表情を、この大好きな家の中でこれ以上見ていたくなかった。
「ミ、ミリリア……ッ!?」
ミリリアを引き止めようと、慌てて立ち上がる母。だがそんな母の肩に手を掛けて、ふるふると首を振る父。
「そうか……あまり遅くならないようにな」
「………うん。行ってきます」
力無く家を出て行くミリリアと、それを見送る両親。
「今は……そっとしておいてやろう……」
「うっ……ううあぁぁ」
愛娘が居なくなった家の中で、大粒の涙を流しながら崩れ落ちる母。そんな妻を優しく介抱する夫だが、自身もミリリアには見せまいとしていた涙がこぼれ落ちる。
「くっ、うっ……何で………何でミリリアが………」
大切に育てて来た愛娘。もちろん今生の別れだとか、そういう事は一切無い。それでもこれから先、娘に起こるであろう事を思えば、やるせない気持ちが溢れて来る。両親の流した涙は親としては当たり前の涙だと言えた。
そんな両親の涙の一方で、家を出たミリリアは隣の家を見つめていた。
そこは幼馴染の家。幼馴染の、大好きな男の子が住む家。
物心つく前から一緒に居て、物心つく頃には自然と好きになっていたロアの住む家。
「……………」
ドアには、もう鳴らし慣れた少し錆び付いたノッカー。今、あのノッカーを鳴らせばロアは出て来てくれるだろうか。
だが、ロアの家の玄関ドアに近付こうとして、ミリリアはすぐに足を止める。
「ロア………」
今、ロアに会って何を話せば良いのか分からない。両親はきっと知らないが、ロアとは結婚の約束までしている恋人同士。この『巫女』の使命が終わったら、ロアに捧げようと思っていた初めて。とても恥ずかしいけれど、ロアと一緒に経験しようと思っていた初体験。
だがそれは、もはや叶わない未来。【大魔】が現れた今、この身体はもはや自分だけのモノでは無く、『英雄』に差し出さなければいけない身体。ロアに捧げる筈だった処女は、会った事も無い『英雄』に捧げなければならない。
何故かは分からないが、自分の中でこの世界に再び【大魔】が現れたという現実が、段々と確信に近づいている。
(何でだろう……自分の目で見た訳じゃないのに)
もしや『巫女』の能力か何かなのだろうか。だがそう思えば思うほど、突き付けられた現実に心が重くなってゆく。
踵を返し、とぼとぼと歩き出すミリリア。途中、友人や知人に何度も出会ったが、空元気を絞り出して手を振るのがやっとだった。
そして辿り着いた場所は、いつもロアと二人で来る人気の無い街外れ。ここで何度も逢瀬……と言っても抱きしめ合ったりキスをするだけの逢瀬だったが、お互いの気持ちを何度も何度も確かめ合った、二人にとって大切な場所。
いつもなら誰も居ない筈のその場所に、今日は先客が居た。その後ろ姿は、幼い頃から見慣れた、この世で一番大好きな後ろ姿。
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2025/06/22
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