献身の巫女 1~東の巫女編~

綾瀬 猫

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3.東の巫女 3

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 ーー大魔が現れたらしい。


 旅の商人から東の小さな街エルトナに、その話がもたらされたのは、実は前日の事だった。
 始めは商人から商人へ。それがやがて商人から冒険者、冒険者からその恋人や家族へと、噂は瞬く間に広がって行った。


「大魔なんて……嘘に決まってる」


 誰も居ない街外れで、ポツリと独りごちるのは17歳の青年ロア。
 茶色い髪と、痩せた身体。特に背が高い訳でもないし、特筆して顔が良い訳でも無い。では頭が良いのかと問われれば、それも首を横に振る事しか出来ないだろう。

 そんな何も無い平凡な青年に唯一、他人に自慢出来る事があるとすれば、幼馴染で恋人でもあるミリリアの存在。
 この街の誰が見ても、いや、この街の人間以外の誰から見たって、誰もが一瞬で目を奪われてしまう程の美少女。
 そんな誰もが憧れる美少女ミリリアと、自分のような平凡な男が、この街の誰にも言っていないが、キスまで交わした恋人同士なのだ。

 それもこれも、二人の家が隣同士で、更には同い年。当然のように二人が生まれたばかりの頃から一緒に居て、何をするにも何処に行くにも二人一緒だった。
 そんな環境からか、物心つく頃にはお互いがお互いを自然と好きになっていた。決して成長したミリリアの美しい容姿を見て好きになった訳では無い。

 そんな幼馴染のミリリアは、神の気まぐれで『巫女』に選ばれてしまった。もちろん平時の時には何も無い、何もする必要の無いその天命は、いざ有事が起これば世界を救う為に欠かせない神の使徒へと移り変わる。
 だがそんな事は絶対に起こり得ないと思っていた。この数百年もの間、現れる事の無かった【大魔】など、もはや迷信だとしか思えなかったからだ。


「大魔なんて……嘘に決まってる」


 再び同じ言葉を口から吐き出すロア。信じられない、信じたくない。大魔が現れただなんて面白くもない冗談、誰が信じてやるものか。
 だってそれを信じてしまえば、認めてしまえば、大好きなミリリアは『巫女』の使命に従わなければならない。
 会った事も無い、何処の馬の骨とも知れない見ず知らずの『英雄』に、その身を捧げなければならない。

 ミリリアを抱きしめた時の彼女の柔らかさ、甘い匂い、その体温、ゆっくりと伝わる鼓動、その全てを知っているのは自分だけだ。
 彼女の唇の柔らかさも、この世で知っているのは自分だけだ。
 なのに、その全てが見ず知らずの『英雄』に奪われてしまう。こんな理不尽な話があるだろうか?


「絶対に……嘘に決まってるんだ……!」


 思わず大きな声を上げてしまう。心が荒ぶって、拳を固く握りしめてしまう。

 認めない、信じない、許さない。

 神の意思だとか【大魔】だとか、そんなの自分達には関係ない。そんなの何処か知らない所で勝手にやってくれ。自分とミリリアを巻き込まないでくれ。


「そうだ……街のどっかに、この出鱈目な噂を流した奴が居る筈だ」


 きっと平和ボケした何処かの阿呆が、わざと街の人々を混乱させようとして、こんな馬鹿げた噂話を流したに違いない。
 

「はは……そっか、そうだったんだな」


 ならばその犯人を見つけてからの捕まえて、【大魔】が現れたなんて嘘でしたと証言させればいい。それで全ては丸く収まる。自分とミリリアの関係も、今までと何も変わらない。
 このまま20歳になるまで今の関係を続けて、20歳になってミリリアが『巫女』の使命を終えたら、晴れて心身共に結ばれる事が出来る。もちろんそれまでの間は絶対にミリリアを裏切る事はしないし、もちろん結ばれた後も一生ミリリアを大事にする。


「よしっ!善は急げだ!」


 くだらない噂を流している犯人を捕まえて、一刻も早くこの茶番を終わらせてやる。そう意気込んで踵を返したロアの視界に、一人の少女が映り込んだ。


「あ………」


 透き通った綺麗な蒼色の髪を肩まで伸ばした、誰もが見惚れる美少女。物心つく前から一緒に居た、この世で一番大好きな彼女。


「ここに居たんだね……ロア」
「ミリリア……」


 何処か寂しげな表情を浮かべて立っていたのは、幼馴染であり、恋人でもあるミリリア。まさか居るとは思っていなかったので、かなり驚いてしまったロアだが、何とか動揺を悟られないようにミリリアに話し掛ける。


「えっと、珍しいね一人で」
「うん。そういうロアも」


 うっかり墓穴を掘ってしまうロア。この場所は、いつもは二人で一緒に来る二人だけの秘密の場所だ。ミリリア同様、一人でこの場所に来たのはロアも今日が初めてだった。


「はは……まあね。ミリリアはどうして此処に……?」
「うん……お父さん達にね……色々聞いちゃって………」


 その言葉を聞いて、ミリリアも例の噂話を聞かされたのだと瞬時に理解する。つまりはお互い同じ理由、同じ感情で、いつの間にか独りでにこの場所に足が向いていたのだ。
 悲しみ、やるせなさ、絶望、そんな感情を抱き、気づいた時には自然とこの場所に来ていた。


「えっと……それって……」
「ロアも……知ってるの……?」


 知ってる。母親に頼まれた買い物の先で、店の主人に聞かされた。


「聞いたかロア?何でもよ、色んな所で大魔が目撃されてるらしいぜ」


 初めは自分の耳を疑った。そして次に、この人は何を言っているのだと訝しく思った。
 だが帰り道で、街のそこら中で同じ噂話をしている人達の声が耳に届いた。と同時に、自分の心が暗闇の底に沈んでゆくような、途方も無い絶望を感じた。


「ああ、もしかしてそれって大魔が現れたって話?」


 少し驚いたような表情を浮かべて、ロアを見つめるミリリア。だが次の瞬間には、少し顔を伏せながら首を小さく縦に振った。


「ホントさ、嫌になるよね。誰だか知らないけど下手な作り話とかしてさ」
「え……?」


 そう、あんなのは作り話だ。誰かが悪意を持って広げようとしてる、事実無根の与太話に他ならない。


「でも安心してミリリア。僕が絶対に犯人を見つけるから。この街の事なら知り尽くしてるんだ。すぐに噂話を流した犯人を捕まえてみせる!」


 そう言って鼻息を荒くするロアを見て、最初は少し驚いたミリリアだが、次第にその表情は暗く沈んでゆく。
 ロアは他愛のない噂話だとしか思っていないみたいだが、この話が真実だという事をミリリア自身、何故か確信している。それはもしかすると『巫女』の能力の一旦なのかもしれないが、はっきりとした理由は分からない。


「つく………じゃないよ……」
「………え?」
「作り話じゃないよ。大魔が現れたのは……きっと本当の話」
「な……何言ってんだよミリリア?何でそんな事………」
「分かるの。何故なのか理屈は説明出来ないけど……大魔が現れた事は分かるの」


 感覚とでも言うべきか。しかし最初は朧気だったその感覚も、時間の経過と共に鮮明になって来る。今でははっきりと、世界中に【大魔】が存在しているのが分かる。


「分かるとか分からないとか……そんな事じゃない。何で……ミリリアがそんな事を言うんだよ!?」
「………え?」
「僕が必死にさ、大魔が現れたなんて嘘だって、こんなの作り話だって、そうやって無かった事にしようとしてるのにさ、何でミリリアがそんな事言うんだよ!!」


 こんなにも激昂しているロアを見たのは初めてだった。自分に向かってこんなに怒りの感情を向けてくるロアは初めてだった。
 でも、それでも、いくらロアが何を言おうと無かった事になど出来ない。現実から目を背けたって、何も変わらない。ならばせめて、自分達の未来について、ちゃんと向き合わなければならないのだ。


「無かった事になんかならないよ……現実に大魔は現れて、わたしは巫女としての使命をーーー」
「ああそうですか!ミリリアは僕じゃなく、英雄様の方がいいんだ!?」
「違っ……そんなわけないよ!」
「英雄に身体を捧げるんでしょ!?初めては僕とって約束したのに……ッ!!」
「わたしだって……わたしだって初めてはロアがいい!許されるなら今すぐにだって、ロアにわたしの全部をあげたいよ!でもそれは……そんな事をしてしまったら……」


 『巫女』が『英雄』以外の異性と性行為を行う事は、神の意志に背く事になる。禁忌に触れる行為を行った場合、待つのは死である事は、過去の文献にも記されているのだ。
 しかも命を落とすのは当事者達だけではなく、その家族にいたるまで。だから決して、どんな理由があっても禁忌を破ってはならない。


「わたし……初めてはロアにあげられなく……なっちゃったけど……でも将来は、わたしが巫女では無くなった時には、ロアとその………結婚を……」
「………何だよそれ。自分は英雄とやる事やって、僕は英雄様のお下がりって事?」


 信じられない事を言われて、ミリリアの表情が固まる。そして心があっという間に崩れ落ちてゆく。
 自分でも気づかないうちに瞳からは涙が溢れ出し、頬を伝ってポタポタと落ちる。


「あ……いや……今のは………」


 思わず言ってしまったロアもバツの悪そうな表情を浮かべる。こんな事言いたく無かったのに、本心じゃないのに、何故か口から出てしまった。だが、時は既に遅かった。


「お下がりって……酷い……」 
「あ……ミリーーー」


 手を伸ばしたロアだが、そのまま踵を返して足早に去ってゆくミリリア。その伸ばした手は何も掴めないまま、寂しく宙を彷徨った。




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