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6.東の巫女 6
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夜、夕食も終え、久しぶりに新しい湯に入れ替えた風呂で身体も綺麗にし、ミリリアは自分の部屋のベッドへと腰掛ける。
平民にとって、風呂がある家など裕福な方で、そんな比較的裕福な家であっても、一度張った湯はすぐに捨てないで、何日も使うのが当たり前だ。
確か前回の湯は、二日ほど前に張り替えたばかりの湯だった筈。いつもは一週間ほど同じ湯を使うのに、たった二日で湯を張り替えたのには、今夜ばかりはその湯を使う訳にはいかなかったからだ。
「…………」
座り慣れた自分のベッド。お世辞にも豪華とは言えないが、確か10歳の誕生日の日に両親が奮発して買ってくれた簡素なベッド。
だが当時、両親と同じ部屋で床に布団を敷いて寝ていたミリリアにとって、そのベッドはキラキラと輝いて見えた。街に一軒しか無い家具屋の主人に注文して、何とか予算を工面して作って貰ったベッド。
そして同じ日に、自分の部屋をあてがわれた10歳のミリリアにとって、その日からこの部屋とこのベッドが、ミリリアの大切な場所になった。
何を思うにも、何を考えるにも、一日を終えるのはあの日からこの部屋の、このベッドの上。ミリリアが唯一、この世界から隔絶されて、たった一人で癒やされることの出来る場所。
ギシッ
そんなミリリアのプライベート空間、ミリリアのベッドが音を立てながら、その重みでいつもよりも沈む。
「ふう……庶民の風呂とはあんな感じなのだね」
ミリリアの座るミリリアだけのベッド。そのベッドに同じように腰掛けるのは、この東地区を統べる総領主の嫡男、エトワール・フォン・アデニュアール。
『巫女』に選ばれたミリリア同様、神に『英雄』として選ばれた、金髪の好青年。
「は……い……」
風呂で十分に温まった筈のミリリアの身体だが、今は緊張のあまりキンキンに冷え切っていた。
現在この部屋に、この東地区の総領主の跡継ぎであるエトワールが、貴族の中でも群を抜いて高貴な青年が、田舎の平民の小娘、その部屋の簡素なベッドに腰掛けているという事実。
「はは……やはり緊張させてしまうよね」
どことなく申し訳なさそうな表情を浮かべるエトワール。だが、ミリリアが真に緊張しているのは、エトワールが総領主の長男だからという訳では無い。
「あの……わ、わたし……」
ーーーそれは今から遡ること数時間前。ミリリアが『巫女』である事の確認をしたエトワールに対して、ミリリアは声を震わせながら静かに肯定の言葉を返した。
「そうか……そうか!やはり君だったんだね!」
真剣な表情から一変し、エトワールは心底嬉しそうに表情を崩した。
「不思議な事にね、大魔が現れたと知らされた頃から、脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がった。そして、何故かその少女の暮らしている場所まで、直感的に分かるようになったんだ」
そしてエトワールは直感に導かれるように、自身の屋敷のある東地区最大の都市を旅立ち、この田舎街エルトナへと馬車を走らせた。
彼の話の通り、道中では数百年ぶりに現れた【大魔】と遭遇。しかし『英雄』でありながら、まだ真の力の解放に至っていないエトワールは無力であり、逃げ出すしか無かった。
だが、そんな屈辱的な経験も、この先二度と起こらない。だって今、自分の目の前にはーーーーー
「神より選ばれし東地区の巫女ミリリア、ここに改めて自己紹介を。私はこの国の東地区総領主の嫡男、エトワール・フォン・アデニュアール。そして、神より選ばれし大陸東地区の英雄だ」
「………はい」
もはや自身の行く末を遮るモノは何も無い。この『英雄』と『巫女』の出会いこそが、『英雄』であるエトワールの使命を全うさせる出会い。
「こうしている間も、大魔は人間を殺し続けている。もはや我々には、一刻の猶予も無い状況なのは理解しているね?」
「あ……えっと………」
いきなりそんな事を言われても、自身の目で【大魔】を見た事すらないミリリアには、それを想像するのは難しい。とは言えミリリア自身も、何故かは分からないが【大魔】が復活した事は直感的に感じている。
「は……い……。あの……理解して………います」
なので、何とかそう答えるが、世界の危機を何処まで理解しているのかは、正直ミリリア本人にも不鮮明だった。だがーーーー
「理解してくれて助かる。本来、女性相手にこんな事を言うのは私の矜持に反するのだが……残念ながら一刻の時間も惜しい」
「…………?」
エトワールの表情が急に引き締まったかと思った次の瞬間には、ミリリアにとってよく分からない事を言い出し、ミリリアは首を傾げる。
「とても不躾だが………今夜、例の儀式を行いたい」
傾げた首を更に傾げるミリリア。『例の儀式』とエトワールは言ったが、儀式とはーーーーー
「私の英雄としての力を覚醒させる巫女との儀式『聖交』。今夜、君と繋がりたい」
ドクンッ!と、ミリリアの鼓動が大きく跳ねた。
■■■
母の料理を食べて、全く味を感じなかったのは今日が初めてだった。
(わたし……本当にこの方と………)
それは極度の緊張、押しつぶされそうな不安、これ以上無い程のやるせなさ、そんな感情がミリリアの身に、一度に押し寄せて来たからだ。
これから、今日初めて会った男性に全てを捧げる事になる。17歳にもなれば、性行為というのがどんな行為であるのか、ある程度の知識は持ち合わせている。
だが、知識を持っているのと実際に経験するのとでは、まさに天と地ほどの差がある。
つい一週間かそこら前までは、この身体はいつか幼馴染で恋人のロアに捧げるのだと信じて疑わっていなかった。それがあれよあれよと言う間に、世界には【大魔】が数百年の沈黙を破って現れ、そして同じくして『英雄』が自分の元を訪ねて来た。
更に、その『英雄』であるエトワールと、出会ったその日のうちに性行為に及ぶ事となってしまった。ミリリアにしてみれば、全く心の準備をする暇も無い、電光石火のような出来事である。
「あまり緊張しないで……と言うのは少々無理があるか」
ミリリアのすぐ横に座りながら、少し苦笑いを浮かべるエトワール。このエトワールと言う男、今日話してみた感想だと、ミリリアにとっては幸か不幸か全く嫌な人物では無かった。
総領主の長男、侯爵アデニュアール家の次期当主という、この大陸でも指折りの大貴族である立場であるのに、庶民のミリリアやその両親に対して、高飛車な態度も無ければ威圧的な言動も一切無かった。
そればかりか、ミリリアの母が作った庶民の料理に舌鼓を打ち、緊張仕切ったミリリア家の雰囲気を和ませてくれる程の、まさに容姿も性格も非の打ち所の無い好青年ぶりだった。
さらに言えば、これから行う『聖交』……つまり性行為だが、初めての行為がミリリアの見知らぬ場所では、より一層ミリリアが緊張してしまうだろうという理由で、あえてミリリアの部屋をその場に選ぶほどの気遣い。庶民の少女に対して、これほどの気遣いが出来る高位貴族が居る事に、ミリリア一家は只々驚嘆するしかなかった。
(はぁ……本当にわたし達みたいな庶民にまで気遣いの出来る優しい方なんだ………)
しかしだからと言って、自分の貞操を進んでエトワールに捧げたい訳では無い。それとこれとは別の話だし、なのでいっその事、エトワールが嫌な人物であれば恨みの矛先を彼に向ける事が出来たのに、こんな好青年ではそれも出来ない。
【大魔】の話を聞いた両親が、ミリリアの境遇を儚んで悲しみの底に突き落とされたのは、僅か数日前の事だ。
だが『巫女』としてミリリアがその身を捧げる『英雄』が総領主の嫡男であるエトワールだと知り、そして今日一日で彼の人柄に触れて、両親の中では気持ちが変化していた。
もちろん自分が望んだ相手に大切な初めてを捧げられないのは不憫だが、しかし相手は総領主の長男であり、次期当主のエトワール。万が一にでも、これを機に娘のミリリアがエトワールに見初められるなんて事にでもなれば、これからのミリリアの人生はまさに薔薇色の生活が約束されたようなもの。
両親はそんな事など一言も言わなかったが、両親が浮かべるその表情から、ミリリアは確かに両親のそんな気持ちを感じ取っていたのだーーーーー
平民にとって、風呂がある家など裕福な方で、そんな比較的裕福な家であっても、一度張った湯はすぐに捨てないで、何日も使うのが当たり前だ。
確か前回の湯は、二日ほど前に張り替えたばかりの湯だった筈。いつもは一週間ほど同じ湯を使うのに、たった二日で湯を張り替えたのには、今夜ばかりはその湯を使う訳にはいかなかったからだ。
「…………」
座り慣れた自分のベッド。お世辞にも豪華とは言えないが、確か10歳の誕生日の日に両親が奮発して買ってくれた簡素なベッド。
だが当時、両親と同じ部屋で床に布団を敷いて寝ていたミリリアにとって、そのベッドはキラキラと輝いて見えた。街に一軒しか無い家具屋の主人に注文して、何とか予算を工面して作って貰ったベッド。
そして同じ日に、自分の部屋をあてがわれた10歳のミリリアにとって、その日からこの部屋とこのベッドが、ミリリアの大切な場所になった。
何を思うにも、何を考えるにも、一日を終えるのはあの日からこの部屋の、このベッドの上。ミリリアが唯一、この世界から隔絶されて、たった一人で癒やされることの出来る場所。
ギシッ
そんなミリリアのプライベート空間、ミリリアのベッドが音を立てながら、その重みでいつもよりも沈む。
「ふう……庶民の風呂とはあんな感じなのだね」
ミリリアの座るミリリアだけのベッド。そのベッドに同じように腰掛けるのは、この東地区を統べる総領主の嫡男、エトワール・フォン・アデニュアール。
『巫女』に選ばれたミリリア同様、神に『英雄』として選ばれた、金髪の好青年。
「は……い……」
風呂で十分に温まった筈のミリリアの身体だが、今は緊張のあまりキンキンに冷え切っていた。
現在この部屋に、この東地区の総領主の跡継ぎであるエトワールが、貴族の中でも群を抜いて高貴な青年が、田舎の平民の小娘、その部屋の簡素なベッドに腰掛けているという事実。
「はは……やはり緊張させてしまうよね」
どことなく申し訳なさそうな表情を浮かべるエトワール。だが、ミリリアが真に緊張しているのは、エトワールが総領主の長男だからという訳では無い。
「あの……わ、わたし……」
ーーーそれは今から遡ること数時間前。ミリリアが『巫女』である事の確認をしたエトワールに対して、ミリリアは声を震わせながら静かに肯定の言葉を返した。
「そうか……そうか!やはり君だったんだね!」
真剣な表情から一変し、エトワールは心底嬉しそうに表情を崩した。
「不思議な事にね、大魔が現れたと知らされた頃から、脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がった。そして、何故かその少女の暮らしている場所まで、直感的に分かるようになったんだ」
そしてエトワールは直感に導かれるように、自身の屋敷のある東地区最大の都市を旅立ち、この田舎街エルトナへと馬車を走らせた。
彼の話の通り、道中では数百年ぶりに現れた【大魔】と遭遇。しかし『英雄』でありながら、まだ真の力の解放に至っていないエトワールは無力であり、逃げ出すしか無かった。
だが、そんな屈辱的な経験も、この先二度と起こらない。だって今、自分の目の前にはーーーーー
「神より選ばれし東地区の巫女ミリリア、ここに改めて自己紹介を。私はこの国の東地区総領主の嫡男、エトワール・フォン・アデニュアール。そして、神より選ばれし大陸東地区の英雄だ」
「………はい」
もはや自身の行く末を遮るモノは何も無い。この『英雄』と『巫女』の出会いこそが、『英雄』であるエトワールの使命を全うさせる出会い。
「こうしている間も、大魔は人間を殺し続けている。もはや我々には、一刻の猶予も無い状況なのは理解しているね?」
「あ……えっと………」
いきなりそんな事を言われても、自身の目で【大魔】を見た事すらないミリリアには、それを想像するのは難しい。とは言えミリリア自身も、何故かは分からないが【大魔】が復活した事は直感的に感じている。
「は……い……。あの……理解して………います」
なので、何とかそう答えるが、世界の危機を何処まで理解しているのかは、正直ミリリア本人にも不鮮明だった。だがーーーー
「理解してくれて助かる。本来、女性相手にこんな事を言うのは私の矜持に反するのだが……残念ながら一刻の時間も惜しい」
「…………?」
エトワールの表情が急に引き締まったかと思った次の瞬間には、ミリリアにとってよく分からない事を言い出し、ミリリアは首を傾げる。
「とても不躾だが………今夜、例の儀式を行いたい」
傾げた首を更に傾げるミリリア。『例の儀式』とエトワールは言ったが、儀式とはーーーーー
「私の英雄としての力を覚醒させる巫女との儀式『聖交』。今夜、君と繋がりたい」
ドクンッ!と、ミリリアの鼓動が大きく跳ねた。
■■■
母の料理を食べて、全く味を感じなかったのは今日が初めてだった。
(わたし……本当にこの方と………)
それは極度の緊張、押しつぶされそうな不安、これ以上無い程のやるせなさ、そんな感情がミリリアの身に、一度に押し寄せて来たからだ。
これから、今日初めて会った男性に全てを捧げる事になる。17歳にもなれば、性行為というのがどんな行為であるのか、ある程度の知識は持ち合わせている。
だが、知識を持っているのと実際に経験するのとでは、まさに天と地ほどの差がある。
つい一週間かそこら前までは、この身体はいつか幼馴染で恋人のロアに捧げるのだと信じて疑わっていなかった。それがあれよあれよと言う間に、世界には【大魔】が数百年の沈黙を破って現れ、そして同じくして『英雄』が自分の元を訪ねて来た。
更に、その『英雄』であるエトワールと、出会ったその日のうちに性行為に及ぶ事となってしまった。ミリリアにしてみれば、全く心の準備をする暇も無い、電光石火のような出来事である。
「あまり緊張しないで……と言うのは少々無理があるか」
ミリリアのすぐ横に座りながら、少し苦笑いを浮かべるエトワール。このエトワールと言う男、今日話してみた感想だと、ミリリアにとっては幸か不幸か全く嫌な人物では無かった。
総領主の長男、侯爵アデニュアール家の次期当主という、この大陸でも指折りの大貴族である立場であるのに、庶民のミリリアやその両親に対して、高飛車な態度も無ければ威圧的な言動も一切無かった。
そればかりか、ミリリアの母が作った庶民の料理に舌鼓を打ち、緊張仕切ったミリリア家の雰囲気を和ませてくれる程の、まさに容姿も性格も非の打ち所の無い好青年ぶりだった。
さらに言えば、これから行う『聖交』……つまり性行為だが、初めての行為がミリリアの見知らぬ場所では、より一層ミリリアが緊張してしまうだろうという理由で、あえてミリリアの部屋をその場に選ぶほどの気遣い。庶民の少女に対して、これほどの気遣いが出来る高位貴族が居る事に、ミリリア一家は只々驚嘆するしかなかった。
(はぁ……本当にわたし達みたいな庶民にまで気遣いの出来る優しい方なんだ………)
しかしだからと言って、自分の貞操を進んでエトワールに捧げたい訳では無い。それとこれとは別の話だし、なのでいっその事、エトワールが嫌な人物であれば恨みの矛先を彼に向ける事が出来たのに、こんな好青年ではそれも出来ない。
【大魔】の話を聞いた両親が、ミリリアの境遇を儚んで悲しみの底に突き落とされたのは、僅か数日前の事だ。
だが『巫女』としてミリリアがその身を捧げる『英雄』が総領主の嫡男であるエトワールだと知り、そして今日一日で彼の人柄に触れて、両親の中では気持ちが変化していた。
もちろん自分が望んだ相手に大切な初めてを捧げられないのは不憫だが、しかし相手は総領主の長男であり、次期当主のエトワール。万が一にでも、これを機に娘のミリリアがエトワールに見初められるなんて事にでもなれば、これからのミリリアの人生はまさに薔薇色の生活が約束されたようなもの。
両親はそんな事など一言も言わなかったが、両親が浮かべるその表情から、ミリリアは確かに両親のそんな気持ちを感じ取っていたのだーーーーー
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