献身の巫女 1~東の巫女編~

綾瀬 猫

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7.東の巫女 7

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 ミリリアが10歳の誕生日に両親から贈られた、それほど大きくは無いミリリアのベッド。慣れ親しんだこのベッドで、ミリリアは毎夜眠り、毎朝目を覚ます。

 そこはミリリアの城であり、一日の疲れを癒やすミリリアのオアシス。そんなミリリアのベッドに並んで腰掛けるのは、この大陸東地区の『英雄』にして、東地区の総領主アデニュアール侯爵家の長男エトワール・フォン・アデニュアール。


「大丈夫、わたしに全てを任せてくれればいい。あまり大きな声では言えないけど、これでも女性経験は少なくは無いんだ」


 東地区の総領主、アデニュアール侯爵家の次期当主であれば、当然だが言い寄って来る貴族令嬢など後を絶たないだろう。
 きっと大きな屋敷には複数のメイドなども働いていて、周りには常に綺麗な女性が何人も彼の身の回りの世話をしているに違いない。
 そんな環境に置かれている身としては当然のように、夜を共にする女性に事欠くことなど無いのだろうと、ミリリアは自身の勝手な想像で何となくそう思ったが、それは当たらなくとも遠からずで、事実としてそういう事も時にはあった。

 『巫女』である女性は『英雄』にその身を捧げる為に、決して『英雄』以外の男性と交わってはいけないのだが、どうやら『英雄』である男性側には、そういう禁忌は存在しないらしい事が、エトワールの口から出た先ほどの「女性経験は少なくない」という言葉が物語っていた。
 『巫女』には縛りが設けられているのに、『英雄』にはそんな縛りが一切無い。ミリリアの中で自分の信じる神の存在が、実はとても理不尽な存在へと変化した瞬間だった。


「そう……なんですね……」


 何とか一言、そう絞り出すのが精一杯だった。いくらミリリアが理不尽に感じたとしても、それが神の意志である以上は何も言えないし、どうする事も出来ない。
 『巫女』と『英雄』の存在が現実に存在する以上、神とは迷信などでは無く、間違いなくこの世界に存在するというのが、この世界に住む人々の常識だ。


「すまない。君たち巫女が巫女であるうちは、英雄以外の男性と性行為をしてはならない決まりなのに、我々の方は………」
「いえ……平気です……」


 何故か謝罪されてしまったが、そもそもエトワールが悪い訳では無い。彼にしてみても侯爵家の次期当主という立場もあるし、貴族の事など良く知らないが、婚約者フィアンセだって居るかもしれない。
 あまりにも余裕が無さ過ぎて、自分の身に降り掛かった不幸ばかり嘆いていたが、エトワールの身になって考えてみた場合、エトワールとて望んでこんな田舎臭い女と性行為をしたい訳では無いかもしれない。

 そんな事を朧気に考えていると、何やら隣から視線を感じる。これから先の事を思うと既に緊張と不安は最大にまで膨れ上がっているミリリアだが、ほとんど無意識のうちにゆっくりと首を視線の方へと向ける。


(あ…………)


 すると、エトワールがとても優しい目で自分の事をじっと見つめていた。その優しい視線に吸い込まれるように、ミリリアはエトワールの瞳から目を逸らさず………いや、何故か逸らす事が出来ずに彼の瞳を見つめ返した。


「こんな事を言うのは……いや、こんな事を言っても君は信じてくれないかもしれないし、この言葉を聞いたからと言って、君の気持ちは何一つ変わらないかもしれないけど…………」


 じっとミリリアの瞳を見つめ、エトワールが真剣な表情で語りかける。だがその瞳だけは優しさを失ってはおらず、何処か慈しむような目で、ミリリアを見つめ続けていた。


「君は……わたしが今までに会った女性の中で、一番綺麗だ」
「…………え?」


 聞き間違いだろうか。おそらく今まで数多の素敵な貴族令嬢との面識があるエトワールの口から、とても信じられない言葉が発せられたのだ。


「白磁のような白い肌、宝石のような美しく大きな瞳、細すぎる程に華奢な身体、流れるような綺麗な髪、全身から滲み出る柔らかな雰囲気………そのどれもが、わたしが今まで出会った女性の中で、群を抜く程に素敵なものだ」
「え……あ…………」


 言葉が出て来ない。こんなのはきっと、所謂『社交辞令』というもので、彼の本心では無いのだと心の何処に浮かんでいた。そもそも、自分はこの東地区の辺境にある田舎街の、さらには何処にでも居る女性の一人であり、大貴族である総領主の嫡男エトワールにしてみれば、箸にも棒にもかからない程度の女である筈なのだ。


「本当なんだ。君みたいに美しい女性には……今まで出会った事が無い」
「え……ひゃ!」


 ガシッ!と、エトワールが両手を包み込むように握って来た。エトワールの熱い体温が、彼の手を伝ってミリリアにも伝わる。

 いつの間にか鼓動は早鐘を打つように激しく胸を叩き、全身が徐々に熱くなって来る。恋人のロアとは抱き合ってキスまでしていて、初めてキスをした時は、人生で最大の緊張がその身を駆け巡った。
 だがその緊張と同時に訪れたのは、何処までも果てしなく続く多幸感。とにかく嬉しくて、とにかく幸せな瞬間だったのを、何故か今更ながらに急激に思い出した。


「小さな手だ。それに……とても温かい」
「あ……いや………は、離して……ください……」


 そうだ、流されてはいけない。いきなりの事で驚いたが、自分が一番大好きなのは、この世で一番大事な人はロアなのだ。
 これから、目の前のこの男性に自分の全てを捧げなくてはならない。だが、それはあくまで『身体』を捧げるのであって『心』まで捧げる訳では無い。
 この『心』だけは、常にロアの元にあるから。先日はとても心苦しい事を言われてしまったけど、そんな事で嫌いになったりなんてしない。


(ロア……ロア………わたし……大丈夫だから……)
 

 わたしの全てはロアのものだ。ロアに初めてを捧げて、将来ずっとロア以外の男性など知らずに、この生涯を全うするのだと当たり前のように思っていた。
 だが今から、ロア以外の男性にーーーーー





 ーー自分の初めてを捧げる。


 自分が『巫女』に選ばれてしまった為にーーーーーこの世に【大魔】が再び現れてしまった為に、わたしの人生は大きく歪んでしまった。


(ロア………わたし……本当は怖いよ……怖くて怖くて…………うぅ…………)


 自分自身の強がりにも似た決心とは裏腹に、やはり心の一番深い奥底では、不安や恐怖が渦巻いていて、ミリリア自身の心をへし折りに来る。

 エトワールはきっと素晴らしい青年だ。物凄い善人だ。でも、今日初めて出会った男性だ。肩書だけしか知らない。この人の性格も、普段の生活も、好きな食べ物すらも知らない。

 何も知らない。年齢も知らないし、血液型も知らない。どんな性格かも、何時に寝るのかも知らない。家族構成や友人関係だって知らない。そう、彼の事は何一つ知らないのだ。



「ミリリア……君の初めての相手が君の望む相手では無くて申し訳無い。だか……これは世界を救う為なのだと………理解して欲しい」


 理解。理解とは何なのだろうか。


「あ……う………」


 全てを諦め、全て神の意志だからと無条件に従う事が理解だと言うのだろうか。
 

「ミリリア……緊張しないで」


 そんなの出来る筈無い。好きでもない男性に、今日初めて会った男性に、これから自分の初めてを奪われるのだ。
 大好きなロアに捧げる筈だった処女をーーーーーこの男性に差し出すのだ。


「はぁ……はぁ………」


 呼吸が苦しい。嫌な汗が全身から吹き出す。目の前がグルグルと歪み、何だかとても気持ち悪い。

 もはや逃れられない運命の中、夏特有の生ぬるい風が、ミリリアの部屋のカーテンをそっと揺らしたーーーーー

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