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第1部

第1章:碧の瞳ー003ー

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 彩香あやかは路上に身動きならないまま横たわる碧き瞳の少女へ目を落とす。左腰に差さる日本刀の柄へ右手を添えながら、にこりとするさまは不気味この上ない。

「さぁ~て、どうしたもんかしらね」

 好意の一欠片もない響きに、碧き瞳の少女は背筋が凍る。
 この女なら理由を付けて手を下すことを厭わないだろう。威嚇されていたほうがぜんぜんマシなほど、尋常でない笑顔の暗さだ。滅多にしない動揺が口を開かせる。

「この街で、この時間なら何してもいいと聞いている」
「あらあら、それは少し昔の話しね。今じゃ許されるのって、殺しくらいよ」

 さらりと外の世界では信じられない事実を告げてくる。

「それはおかしい。ヒトの命を奪うことが一番に許されないはずだ」

 碧き瞳の少女の反駁に、彩香は吹き出した。おかしくてしょうがないといった様子だ。

「アンタが、それ言う? 相手がえんちゃんでなければ、とっくにこの世とオサラバしてるわよ」

 彩香は相変わらず笑顔だ。目だけが笑わない、心胆を寒からしめる表情だ。右手が日本刀の柄から離れない。
 碧き瞳の少女は覚悟を決めた。

「ダメだったよ」

 円眞えんまの声がした。根の素直さが伝わってくる、一聴で解る落胆ぶりだ。女性同士の間に流れていた不穏な空気を吹き飛ばす気の毒さで満ちていた。

 破壊した当人である碧き瞳の少女が、ばつの悪そうな顔を見せた。
 不敵な彩香でさえ、殺気が消えて悲嘆へ同調しているようだ。
 がっくりの円眞は独り言のように呟く。

「やっぱりボクは父さんを壊すだけなのかな」

 彩香の目に敵愾心が燃え立った。碧き瞳を見降ろしながら、冷たく言い放つ。

「ざっと五千万といったところかしら。えんちゃんに仕出かした粗相はまた別料金だけど」
「なんの話しだ」

 碧き瞳の襲撃者の訊き返しに、彩香は得意の薄笑いだ。

「アンタがうちに弁償する額よ」
「カネなど持っていない」

 碧き瞳の少女の返事は、傲然の趣きを湛えていた。だが次の瞬間に、ヒッと小さく悲鳴を上げた。彩香に強く右の胸を摑まれたからである。

「アンタ、それなりのもん持っているじゃない。見てくれも悪くないし、イケるわね」
「なにを言っている」

 彩香は口の端をうっすら釣り上げた。

「オンナを使って稼いでこいってことよ。多額な借金には身体を売って返すは、どこでも一緒でしょ」

 言葉が終わるや否やだ。
 真っ白な髪の長い女性が出現した。
 碧い瞳の少女が放つ代理人体だ。手にした戦斧おのが斬撃を放つべく振り上げられていた。


 白き戦斧は降ろされなかった。
 彩香が碧き瞳の少女の胸を摑んだのは左手だ。利き腕は柄へ置かれていた。
 目にも止まらぬ速さで代理人体の腹へ切先を突き立てていた。握る刀に触れた相手を素粒子レベルへ還す。円眞が使用しないよう願った、彩香の能力だ。
 またもや白き代理人体は戦斧を振り上げたまま、塵と消えた。

 がはっ、と吐く碧き瞳の少女の息はまるで吐血だ。前のダメージが癒えていないところへ再び喰らった。ダメージは並大抵ではないだろう。
 激しく痙攣した後に碧き瞳の少女は、ぐったりとした。吐く息は細く切れ切れだ。
 円眞は慌ててしゃがんでは、碧い瞳を覗き込む。

「だ、だいじょうぶ?」

 答えたのはダメージを与えた側だ。息をするだけでやっとな碧き瞳の少女に代わって彩香が刀を鞘に収めつつ言う。

「たぶん死にはしないでしょ。稼ぐまで死んでもらっても困るしね」
「……死なないし、身体も売らない」

 細い息の中から絞り出された声に、あらっとなる彩香だ。余程の執念を感じさせた。
 彩香は多少の興味を示しながらも、以前通りの冷たさで返す。

「そんな都合のいいこと、この街でなくても通らないわよ」
「……身体だけは売らないし、カタキを取るまで死ぬ気はない」
「言っとくけど、えんちゃんは基本アマアマよ。殺されたとしたら、むしろ非はそっちにあったんじゃないの」
「……そ、それはウソだ。逢魔七人衆は一方的に殺されたって聞いている」

 碧き瞳の少女が振り絞った細い声の反論は、言った当人が驚くほどの効果を上げた。

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