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何処からどう見ても日本じゃ!

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 まてまて。ここで状況を整理しよう。
 ――――まず1つ目、悔しい事に私は和風の異世界に転生してしまった。2つ目、頭には角、口からは火炎。見れば分かる、私は人間じゃない。そして3つ目。これが今一番どうしようもない問題だ。お腹空いた。
 
 さて、どうやってこの耐え難い空腹をママパパに伝えよう。……まあ。ここは赤ちゃんらしく泣いてみるか。

「お、おぎゃ。……おぎゃ、あ」

 ――――カポーン。
 中庭の獅子脅しが、一拍おくようにベストなタイミングで鳴り響く。
 
 は、恥ずかしいぃ。何で記憶引き継いでるんだよ。体は0歳でも心は十六だぞ!

「あらまあ。どうしたのかしら」

 産後で疲れ果てた表情をしているが、お母さんはすぐさま私の鳴き声に気付く。聞こえていないと思っていたが流石は母親だ。

「もう一回、高い高いしてほしいのかの」

 お父さん、あんたは育児を勉強しろ。あとその立派なあご髭、燃やしちゃってごめんね。

「おぎゃあッ!」

 ――――こうなりゃヤケだ。命に関わる問題、恥ずかしがってはいられない。何事も全力で楽しむ。それが私のモットーだ。

「おっぎゃあッ!」
「リン様。恐らくソウ様は、お腹が空いているのかと思われます」

 巫女姿の若い女が、片膝をついてお母さんに言う。
 ……私の両親、偉い人なのかな。というかよく気付いた巫女。グッジョブ!

「あら、そうだったのね。流石だわユキメ。やはりこの子の教育もあなたに任せようかしら」

 おいおいマジか。この齢にして世話役が付くのか。ビバ金持ち! ありがとう閻魔様。あんた悪い奴じゃなかったよ。

「そ、それは勿体のうお言葉。身に余る光栄でございます!」

 苦しゅうない、苦しゅうないぞ。

「ふむ。ユキメであれば俺も安心できる。何て言ったって、あの腑抜けた長男坊ですら、今や俺を超える天才となったのだからな」

 長男? 私にお兄ちゃんがいるのか。しかしこの美形夫婦から生まれたんだ。さぞイケメンなんだろうなあ。ふふふ。

「恐れ入ります。コウ様にそう言っていただけるのであれば、このユキメ、骨身も惜しまず励むことが出来まする」

 頭を深々と下げ、私の両親への忠誠を態度で示す巫女。私は大して偉いこともしていないが、これはこれで面白い。

「うむ。ソウの事もよろしく頼む」
「は。お任せくださいませ」
「しかし、フウの様に何度も家出しなければ良いのだが」
「問題ありません。どうかご安心ください」

 父親と何やら神妙に話す侍女ユキメ。少々物騒な話に聞こえなくもないが、まあ正直そこまででもないでしょ。と私は楽観視する。

 その証拠に、お母さんも着物の袖を口に当てて笑っている。しかし、本当にドラマみたいな笑い方をするんだな。

 ――――と、そんなこんなで、私の異世界物語は幕を開けることとなるのだが、正直モチベーションは上がらない。その訳を話すと、ここまでの出来事は全て、今から三十年前のお話だからだ。

 現在のあたし。名前はソウ。苗字はヨウ。年齢は三十歳。精神年齢は四十六歳。しかし間違えないで欲しい。私はまだ、ぴちぴちの幼女だ。



 長かった。まさか獣神がここまで長寿だとは思わなかった。

 これは家の文献で調べた事なのだが、この世界には百を超える“獣神族”と“物の怪”。さらに万を超える“八百万の神”が存在する。そしてどうやら、この世界に人間はいないらしい。
 ――いや、もしかしたらいるかもしれないが、短命の人間はもはや相手にもされていないのかもしれない。
 さらに獣神族には“十二神族”と呼ばれる、いわゆる神の使いとしての役割を担う獣神がいる。そのなかでも龍人族は、最強の獣神として世から恐れられているのだ。うふふ。

「はーいソウ。三十歳の誕生日おめでとう」
 齢三十ではあるが、私はまだ蝋燭の火を全て消せない程度の肺活量でいる。

 ――――ある日、父が寝る前に教えてくれた。

「ソウ。我々龍人族は、龍と神様が結婚したから生まれた高潔な種族だ。決して、その事を忘れるでないぞ」

 龍人族。神と龍のハーフ。普段は神の姿をしているが、頭の角を見るに龍の遺伝子もしっかりと受け継いでいる。だが角は年を取るほど引っ込んでしまうらしい。

 そして龍人族は、この国で一番の高さを誇る山、天千陽あめのちはるの頂の。その遥か昔に、ご先祖さまが作った龍の里に私たちは住んでいるのだ。

「分かりました。お父様」

 お父様と呼ぶのも様になってきた。それもそうだ。私は、この世界に産まれてもう三十年なのだから。しかし身体はまだ、五、六歳児と同等だ。
 
 しかし、それでも人というのは慣れる生き物。今の私にとっての一年とは、もはや二か月くらいの長さにしか感じない。JKの頃が懐かしく感じる。

「――――ケーキが食べたい」

 馬鹿みたいに積み上げられた和菓子を見て私は呟く。別に和菓子が嫌いなわけではない。それでも、誕生日には洋菓子と相場が決まっているのだ。

「けえき? 何だそれは」
「いえ! なんでもございません。こんなに和菓子を食べられて、ソウは幸せです」

 独り言を聞き逃さなかった父に対し、私は子供らしく笑って返した。
 ていうか、誕生日って毎年祝うのか。人間の頃は長く感じたけど、龍人だとまぁまぁなスパンでやるな。

「ところでソウよ。お前も今日で三十歳。明日からはユキメと2人で、龍人の何たるかを学ぶのだが、大丈夫か?」
 皿に盛られた和菓子を頬張っていると、父が私にそう問うた。

 龍人の里では、三十になった子供に勉学や武術の基本を教え、六十歳を迎えた子供を、学校へ行かせる仕来りがある。

「はい。余裕のよっちゃんです」

 最初は、何を言っているのか分からぬという顔をされたが、三十年も言い続ければ、現世でのギャグも世界になじむ。

「そうかそうか。流石は我が娘だ!」
「ソウ、本当に大丈夫?」
 
 声高らかに笑う父とは反対に、母は心配そうな顔で私を見る。しかしこれもいつもの事。母は極度の心配症で、この眉毛を吊り上げた困り顔も、毎度のことなのである。

「大丈夫ですよ母上。私天才ですから」

 そう。私だってこの三十年間、別にゴロゴロしていたわけではない。――いや最初こそはそうだったが、一人で外を歩くことも出来ないので、暇に耐えかねた私は、ずっと家の書物を読み漁っていた。

 故に、今の私の頭の中には、恐らくその辺の大人と同じくらいの教養は身についている。この齢にしてこの知識量。今からでも笑いが止まらない。早く学校行ってどや顔したいものだ。

「――――無理はしないでね」

 芸能人も顔負けのルックスを持つというのに、母には自信というものがまるでない。だからこそ、私は母を安心させてあげたいのだ。それにこの二人は、初めて父母と呼べる存在。頑張らずにはいられない。

「それじゃあ、ソウは明日に備えてもう寝ます! おやすみなさい。母上父上」
「うむ。ゆっくり休むのだぞ!」
「おやすみ。ソウ」

 親から返事をもらう。なんて幸せなのだろう。今まで味わったことの無い高揚感! これが家族かあ。早く大人になって恩返ししてぇ。

 そう。現世では敵わなかった、“家族で大きな食卓を囲う"という幸せ。これが私の日常となっていた。
 
 ――――しかし私は兄に会ったことがない。龍人の子は六十歳から百歳までの間、学校の寮に泊まり込みで通い、それが終わってようやく家からの通学が許されるのだ。
 ちなみ兄の“フウ”は今年一年生、私が入学する頃には九十歳になり、学年は四年生だ。早く会ってみたいものだ。

 などと、私は布団の中にもぐり、そうやって物思いに更ける。それでもやはり体は子供だ。布団に入ると、すぐ脳が休みたいと目に訴えかけてくる。
 ああ、スマホとテレビゲームが恋しい…………。

 ――――ふと気が付くと、窓からは気持ちの良いそよ風が入り込み、私の髪の毛を軽く持ち上げる。加えて清々しいほどの朝日が、木の葉の隙間を縫って私の顔を照らし、まだ眠っている脳に光を差し込む。

「朝だ!」

 私は飛び起きた。今日は待ちに待ったユキメとの武鞭ぶべんの日。“武術で叩き、教鞭で叩く”と言う言葉から来ているらしい。

 そして布団を払い除け、用意された赤と白の道衣袴を急いで着こむ。
 時間に余裕はあるが、はやる心を抑えられない。――それもそうだ。今日はこの三十年間で起きた初めてのイベントなのだから。

「おはようございますっ!」

 居間へ行くと、父と母が既に朝支度をしていた。ふかふかの白米に味噌汁。それに丸々と身の付いた鮭。他にも小鉢がたくさん置いてあり、まるでバイキングの様だ。

「おう、おはよう、ソウ」
「あら、随分と早いのね」

 父が朝から元気なのはいつもの事。母は相変わらずの困り顔。今日もいい日になる気がする。

 そうして私は座布団に座り、目の前に広がった色とりどりの朝食を口の中に運んでいく。

「ご馳走様!」
 
 ご飯を食べることは寝る事の次に好きだ。それでも今朝は朝食を味わう余裕などない。
 早死にしそうなフードファイターの様に、口に入れたご飯をお茶で流し込むと、私は合掌をして席を立った。

「おう、随分と早いな」
「――――今日は武鞭の日だからね」

 見た目と性格に反して、食べるのが遅い父を他所に、私はカバンに弁当を詰める。

「あまり走ると、お弁当がひっくり返るわよ」
「――――大丈夫、ちゃんと抑えて走るから」

 朝からに賑やかな居間で、私は自身の内側でごうごうと燃える高揚感を抑えられずにいた。

「それじゃ、行ってきまーす!」
「気をつけてなあ」
 
 両親から向けられた言葉を背負い、私は長い縁側を走る。
 そうして寝殿造りの家を駆けると、ぎしぎしと木が軋んで心地のいい音を耳に残す。最初は足袋が滑ってコケそうになったが、今では問題ない。

「あら、おはようございます。ソウ様」

 色彩豊かな着物を着た侍女たちが、すれ違うたびに挨拶をしてくれる。この家は本当に朝から賑やかだ。

「おはようございます!」
 彼女たちに挨拶を返し、女官ユキメの待つ中庭へと向かう。

 ――――ワラジを履き、橋を渡って池を超える。居間からここまで走って五分。いくら何でも広すぎる。ここまでくると逆に不便だ。

 そうして中庭にたどり着くと、紅葉の木の下で待っていたユキメが、私に優しく微笑みながらお辞儀をする。

「お早うございます。ソウ様」

 ――――美女。淡紅色の紅葉が舞い、それは彼女の真紅の袴をより一層映えさせる。
 さらに後ろで束ねられた黒髪は、一本一本が陽の光を帯び、色っぽい艶やかさを纏っている。

「お、おはようございます!」

 まるで、心の中まで見透かされているような真っ赤な瞳に、私は思わず息を呑む。

 龍人族の特徴は、黒よりも黒い頭髪と、雪のように白い肌、そして龍の焔が如く赤い瞳にある。
 そして黒髪は墨汁の様に艶やかな程。肌は絹のように滑らかな程。瞳は炎よりも明るい程、その龍人は美しいとされる。

「嫉妬するわ……」
 口に出さずにはいられなかった。それ程までにユキメ、彼女は美しいのだ。
「――――今何と?」
「ああ、いえ! お待たせしました」

 私の慌てっぷりを見て笑ったのか、ユキメは再び口元を綻ばせ、そのお雛様のような手を私に差し出す。

「では、参りましょう」
「…………はい」

 これが女神か。
 まるで火に向かう羽虫の如く吸い寄せられ、私は私のために差し出されたその手を握った。

「ねえユキメ。最初の武鞭は何するの?」
 陽差しのように温かい手を握りながら、はるかに高いユキメを見上げる。
「本日は、龍人族の基本である神通力を学びます」
「じんつうりき?」

 その力のことは、既に家の書物を読んだから知っている。それでも私はアホのふりをした。その方が可愛がられる。

「はい。“神使”に許された、神のお力を借りる術です」

 ――――説明しよう。全ての龍人族には二つの力が備わっている。神の力である“神通力"と、龍の力である“龍血”だ。しかし龍人は龍の血が濃いために、神通力を使う際は|祝詞(のりと)を唱え、神との繋がりを作らなければならない。

「さて、ではそのために必要なことは何でしょう?」
 私の方に顔を向けながらユキメが問う。
「祝詞を唱える事ですね!」
「流石です」

 ユキメの表情が和らぐ。しかしまあ、女の私でさえも見とれてしまうほどの美人だ。くそったれ。

「しかし祝詞は長いので、それ覚えるには少々骨が折れます。頑張りましょうね」

 私は心の中で笑う。なぜなら、私は既に祝詞を覚えているからだ。ありがたいことに、我が家の書庫には何でも揃っている。

「――――分かりました!」
 ふっふっふ。その美人面で吠え面かかせてやるぜ。

 そうして家を出てからしばらく歩くと、龍の里の中で一番栄えている町、|花柳町(かりゅうまち)に着く。ちなみに私は温室育ちなので、花柳町には数えられる程しか来たことがない。


 町の大通りに出ると、祭りでもやっているかのような賑やかさに圧倒される。
 甘味処から漂うお茶の匂い。ずらりと並ぶ屋台からは、とても処理しきれない種々雑多な香りが鼻の奥で染みわたる。

 幾つになっても、この空気感だけはたまらない。
 ――――ああ、駄目だ駄目だ! 今日は武鞭の日。ここは我慢しなければ。

「ふむ。お団子でも食べてから行きましょうか」

 ユキメからの甘い誘い。
 いや待てよ。コレはもしかして私を試しているのでは? あえて武鞭の前にこの光景を見せ、私が誘惑に負ける雑魚かどうか見極めているのでは?

「どうされました?」

 そうやって心の奥底まで見ているような瞳で覗かれる。
 すうっと深い深呼吸。そして私は瞑想する。頭の中から、卑しき煩悩を消し去るのだ!

 ぐるるるる
 と、突然ユキメのお腹から動物の唸り声の様なものが聞こえてくる。

「ユキメ、お主」

 雪の様に白かった頬が、桃を思わせるかのような淡い色で染まっていく。しかし彼女は、それを見せまいと素早く袴の袖で顔を覆い隠した。

「もも、申し訳ありませぬっ。恥ずかしながら、朝を食べておらぬのです」

 うぷぷ、そういう事かぁ。よいよい! 苦しゅうないぞ! 
 ――――と、心のどこかで、私はそうやって勝ち誇った。
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