24 / 110
第五章 新居探し
第二十四話 釣られて落ちた女
しおりを挟む
ビジネスホテルを出て、杏子が最初にしたのは、宮部に電話を掛けることだった。相手の仕事場にアポなしで度々訪問することが、不躾なことであると考えたからだ。駅方向へゆっくりと歩きながら、名刺に記載された携帯番号にダイヤルした。時刻は十一時前だ。昼休憩には少し早いので、作業の手を止めてしまうかもしれないが、突撃するよりはずっといいだろうと、杏子は自分に言い聞かせた。
呼び出し音が重なるにつれて、杏子の緊張が増す。
四回目の呼び出し音は、少し鳴ったところで、宮部の声に遮られた。
「はい、宮部です。」
彼の低い声は、電話越しには聞き辛いのではと予想したが、はっきりとした口調のせいか、杏子の耳には明瞭に届いた。
「宮部さん、こんにちは。岡田です。昨日はありがとうございました。」
自分のことがわからないのではないかと一抹の不安を抱いた杏子であったが、宮部は、あっさりと本題に入った。
「こちらこそ、うちの植物を気に入っていただいて、ありがとうございました。で、不動産屋には行かれましたか?」
「はい。二件紹介していただいたんですけど、なにぶん予算が予算なもので、古いアパートとかハイツだそうで・・・。私も慣れない土地で一人住まいなので、壁の薄い集合住宅なんかだと不安だなとも思うんです。」
「やっぱりそうでしたか。この辺は、若い女性が一人暮らしをするような土地柄じゃないですからね。ちなみに、予算がおいくらか伺っても?」
「あの、できたら管理費なんかも込みで、五万円以内が良いんです・・・。」
「それだったら、昨日話した僕の伯母の家、ご覧になりますか?あれから伯母に電話してみたんですけど、家の掃除や手入れなんかを自腹でしてもらえるなら、月一万円で良いそうですよ。」
宮部の破格の申し出に、杏子は思わず足を止めて聞き返した。
「一万円ですか!?」
「一万円です。もう3年ほど借り手を探しているんですよ。年に二度ほど、掃除や庭の手入れの為だけに来るのが面倒みたいで、借りてもらえると助かると言っていました。年に十二万円もあれば、固定資産税の支払いも賄えるそうで、それで一万円なんです。」
「住まわせてください!ぜひ、お願いします。」
杏子は、矢も楯もたまらず、声を張り上げた。突然の大声に、宮部は、耳が痛かったかもしれない。
「まぁ、そう焦らずに。現物を見てから決めてください。古いし、一戸建てですからね。無駄に部屋数があると、面倒なこともありますよ。」
「いえ、そんな・・・。あの、いつ見せていただけますか?伯母様のご都合を伺っていただけますか?」
宮部に窘められて、少し恥じ入ったように、杏子は声のトーンを下げた。
「あぁ、伯母はこちらに来ませんが、鍵は僕が預かっていますから。岡田さんさえ良ければ、今日にでも。」
「今日、伺います!宮部さん、何時がご都合よろしいですか?」
宮部の言葉に被せるように、杏子はまた声を張ってしまった。電話口の向こうからは、今度は窘めではなく、押し殺したように笑う息づかいが聞こえてきた。
「宮部さん・・・笑ってます?」
杏子が恐る恐る尋ねると、謝罪の言葉がすぐに返ってきた。
「すみません、だって。岡田さんの食いつきがあまりにも良くて。そんなに一万円に釣られましたか。」
宮部は、少しからかうような口調だった。杏子は、宮部と打ち解けてきたような気がして、嬉しいやら恥ずかしいやら、自分の頬が熱くなったのを感じた。
「あの・・・釣られました。私、フリーランスとしてはまだ駆け出しだから、収入をすぐに上げるのが難しい分、支出を減らしたかったんです。一万円で住まわせてもらえるなら、本当に、本当に、助かるんです。」
杏子には、宮部とのつながりが欲しいという下心が多分にあったが、この点においてだけは、紛れもない杏子の本心だった。
「わかりますよ。僕だって同じでしたから。応援しますよ。岡田さんは、僕の後輩みたいなものだから。」
今度は笑いもからかいもなく、宮部の真剣な声が杏子のスマホから聞こえてくる。
「後輩・・・ですか?」
徐々に胸が高鳴ってくるのを意識しながら、杏子は静かに聞き返した。
「そう。脱サラの後輩。業種は違っても、軌道に乗るまでが大変っていうところは同じでしょう。伯母の家が嫌でなければ、ぜひ岡田さんに住んでもらいたい。仕事が軌道に乗るまで、好きなだけそこで力を蓄えてください。」
もうダメだった。杏子の心臓は、うるさいほどにその存在を主張しているし、杏子の頬は、茹で蛸も真っ青になるほど赤いだろう。
(私、落ちた・・・。)
もちろん、その辺のマンホールなどにでは無く、恋に、であった。
呼び出し音が重なるにつれて、杏子の緊張が増す。
四回目の呼び出し音は、少し鳴ったところで、宮部の声に遮られた。
「はい、宮部です。」
彼の低い声は、電話越しには聞き辛いのではと予想したが、はっきりとした口調のせいか、杏子の耳には明瞭に届いた。
「宮部さん、こんにちは。岡田です。昨日はありがとうございました。」
自分のことがわからないのではないかと一抹の不安を抱いた杏子であったが、宮部は、あっさりと本題に入った。
「こちらこそ、うちの植物を気に入っていただいて、ありがとうございました。で、不動産屋には行かれましたか?」
「はい。二件紹介していただいたんですけど、なにぶん予算が予算なもので、古いアパートとかハイツだそうで・・・。私も慣れない土地で一人住まいなので、壁の薄い集合住宅なんかだと不安だなとも思うんです。」
「やっぱりそうでしたか。この辺は、若い女性が一人暮らしをするような土地柄じゃないですからね。ちなみに、予算がおいくらか伺っても?」
「あの、できたら管理費なんかも込みで、五万円以内が良いんです・・・。」
「それだったら、昨日話した僕の伯母の家、ご覧になりますか?あれから伯母に電話してみたんですけど、家の掃除や手入れなんかを自腹でしてもらえるなら、月一万円で良いそうですよ。」
宮部の破格の申し出に、杏子は思わず足を止めて聞き返した。
「一万円ですか!?」
「一万円です。もう3年ほど借り手を探しているんですよ。年に二度ほど、掃除や庭の手入れの為だけに来るのが面倒みたいで、借りてもらえると助かると言っていました。年に十二万円もあれば、固定資産税の支払いも賄えるそうで、それで一万円なんです。」
「住まわせてください!ぜひ、お願いします。」
杏子は、矢も楯もたまらず、声を張り上げた。突然の大声に、宮部は、耳が痛かったかもしれない。
「まぁ、そう焦らずに。現物を見てから決めてください。古いし、一戸建てですからね。無駄に部屋数があると、面倒なこともありますよ。」
「いえ、そんな・・・。あの、いつ見せていただけますか?伯母様のご都合を伺っていただけますか?」
宮部に窘められて、少し恥じ入ったように、杏子は声のトーンを下げた。
「あぁ、伯母はこちらに来ませんが、鍵は僕が預かっていますから。岡田さんさえ良ければ、今日にでも。」
「今日、伺います!宮部さん、何時がご都合よろしいですか?」
宮部の言葉に被せるように、杏子はまた声を張ってしまった。電話口の向こうからは、今度は窘めではなく、押し殺したように笑う息づかいが聞こえてきた。
「宮部さん・・・笑ってます?」
杏子が恐る恐る尋ねると、謝罪の言葉がすぐに返ってきた。
「すみません、だって。岡田さんの食いつきがあまりにも良くて。そんなに一万円に釣られましたか。」
宮部は、少しからかうような口調だった。杏子は、宮部と打ち解けてきたような気がして、嬉しいやら恥ずかしいやら、自分の頬が熱くなったのを感じた。
「あの・・・釣られました。私、フリーランスとしてはまだ駆け出しだから、収入をすぐに上げるのが難しい分、支出を減らしたかったんです。一万円で住まわせてもらえるなら、本当に、本当に、助かるんです。」
杏子には、宮部とのつながりが欲しいという下心が多分にあったが、この点においてだけは、紛れもない杏子の本心だった。
「わかりますよ。僕だって同じでしたから。応援しますよ。岡田さんは、僕の後輩みたいなものだから。」
今度は笑いもからかいもなく、宮部の真剣な声が杏子のスマホから聞こえてくる。
「後輩・・・ですか?」
徐々に胸が高鳴ってくるのを意識しながら、杏子は静かに聞き返した。
「そう。脱サラの後輩。業種は違っても、軌道に乗るまでが大変っていうところは同じでしょう。伯母の家が嫌でなければ、ぜひ岡田さんに住んでもらいたい。仕事が軌道に乗るまで、好きなだけそこで力を蓄えてください。」
もうダメだった。杏子の心臓は、うるさいほどにその存在を主張しているし、杏子の頬は、茹で蛸も真っ青になるほど赤いだろう。
(私、落ちた・・・。)
もちろん、その辺のマンホールなどにでは無く、恋に、であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜
紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。
しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。
私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。
近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。
泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。
私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる