君に捧ぐ花

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第七章 猜疑心

第四十一話 上手な育て方

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「ごめん、ごめん。でも、俺だって誰彼構わずこんなことしないからな。杏子さんの頬はどんな柔らかさかなーとか、肌はどんな味かなーとか、もっと知りたくて、つい。」
宮部は、済まなそうに謝ったのも束の間、全く悪びれる様子もなく、にやりと口角を上げて、わざと先日の杏子の言葉を借りてそう答えた。無防備に宮部を家へと誘った杏子への、意趣返しのようだった。
宮部の明け透けな物言いに、杏子は更に羞恥を煽られたが、同時に、先程芽生えた疑惑が心を苛んだ。宮部は、彼女ないしそれに匹敵するような身近な女性がいるのに、頬とはいえ、二度までも杏子に口付けたのだ。
「お金を頂くお仕事なんだから、真面目に教えて下さい。」
心中の困惑を隠しきれず、杏子が少し悲しげにそう言ったので、宮部も頷いて、漸く仕事に取りかかり始めた。

杏子が留守中に任される主な仕事は、毎日の水遣りであった。ポイントは、水をやる植物が日によって変わるという点であった。鉢土に少し指を差し込んで、土が乾いているかを確認した上で水を遣るのだ。それとは別に、毎日必ず水を遣る種類もある。水の遣り方も、鉢の土だけに水を掛けるものもあれば、幹全体を水浸しにするものもあり、葉の表裏にまで水を浴びせるものもあった。

「鉢に水を遣るときは、土全体が湿るように満遍なくたっぷりと。水が鉢の中を通ることで、土に新しい酸素が行き渡るんだ。それが根にすごく良いから。」

「それから、水はこうやって植物の上から掛けるんじゃなくて、鉢のすぐ傍にホースを持っていって根本に掛ける。上から掛けても、繁った葉に遮られて、案外鉢の中に水が届いてないことがあるから。」

宮部の指導は、極めて丁寧だった。ああしろ、こうしろ、という指示だけでなく、なぜそうするのかという理由まで必ず説明するのだ。この男は、植物だけでなく、人を育てるのも上手いと、杏子は認識を改めた。

思えば、杏子が前職で反発していた沈は、なるほど正論ばかりを説いていたものの、こうしなさいと命令することはあっても、何故そうしないといけないのか、理由を事前に説くことはなかった。沈の言葉に従わず、後に失敗してみて初めて、杏子はその意味を知ることができた。そして、それ見たことかと言わんばかりに高圧的に振る舞う沈に、杏子は益々素直に従うことができなかった。杏子も頑固であったし、沈もまた、宮部と比べると、人を育てることに関して不器用であったのだ。

「こういう枯れた葉は、木の自然な姿からすればそのままでいいんだけど、売り物としては見映えが悪いだろ?だから、こうして根本から短く切ってやって。枯れた古い葉も、実は幹を保護するっていう役割があるんだけど、本来の生育地と比べたら日本は高温多湿だから、切ってやった方がむしろ通気がよくていいんだ。見映えの問題だけじゃなくて、木のためにもなる。」

宮部の指導は続いた。水やりの他に、枯れた葉の整理もまた、杏子の仕事であった。これが一苦労である。まず、葉自体が非常に硬く、剪定鋏を使って力を相当に込めて握らないと切れない。そして、幹に沿って垂れ下がった枯れ葉を切断するためには、その上に覆い被さるように生い茂る、鋭利に尖った青葉の先端を避けなければならない。四方八方に放射状に繁る葉は、油断すると思わぬところに突き刺さった。

「あ!気をつけて!」
突然の宮部の大声に、作業に没頭していた杏子は飛び上がった。
木々の間に入り込んだ杏子の背が、一本の木の幹を軽く押してしまったのだ。丈夫そうな木だったが、触れたら傷でもつくのだろうかと、杏子は慌てて背後の木を確めた。
「違う、違う。杏子さんの背中の方。見せて。」
駆け寄った宮部が、杏子の体をくるりと回して背中を見た。
「うわぁ~、真っ黒だ。ごめん、言うの遅かったね。この木はブラックボーイって言って、見た通り幹が真っ黒なんだけど、ここに服が擦れると色が移るんだよ。」
宮部は済まなそうにそう言って杏子に詫びた。
杏子は、汚れてもいいように、色の濃いジーンズに黒いパーカーという出で立ちで来たが、作業するうちに暑くなり、上着を脱いで腰に巻いていた。中に着た白い半袖のTシャツは涼しく、時折トゲトゲが腕に刺さらないようにさえ気を付ければ、至って快適に作業に取り組めたのだが、どうやら背中を汚してしまったようだった。

「ちょうど昼時だし一息いれよう。俺のTシャツ貸すから、それ脱いで。直ぐに洗わないと落ちないから。」
宮部はそう言って、自宅の方に歩き出した。作業を始めて二時間ほどだったが、体の鈍った杏子は、実のところ相当に疲れており、服の汚れを構うどころか、内心安堵して宮部の後を追ったのだった。
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