君に捧ぐ花

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第八章 すれ違う心

第五十九話 嘘つきは誰

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詰問するような佑の物言いに、杏子は当惑した。
健と杏子は、そんなもどんなも、何でも無いのである。健が調子よく彼女などと言ったことに、気を悪くしているのだろうかとも考えたが、弟に彼女が出来て何を怒ることがあるだろうか。

「宮部が留守の間に、健に乗り換えたんですか。それとも、もともと二股だったのかな。」
何も応えない杏子に、佑がさらに言葉を続けて、そこで漸く杏子は、佑がなぜ怒っているのかを理解した。
おそらく彼は、宮部から杏子のことを聞いていたのだろう。同級生と弟の両方を手玉に取る、悪い女か何かのように、杏子を勘違いしているのだろうと、杏子はあたりをつけた。
「あの、何か誤解されているみたいですけど、健さんとは何でもありません。さっきの彼女っていうのは、健さんの冗談だと思います。」
杏子が冷静にそう返すと、佑は、ますます眦を吊り上げた。
「なるほど。貴方は、付き合っても居ないのに、男と仲良く手をつないで歩いて回るような女ということですか。それは宮部も悪い女に引っかかったもんだ。」
これには、杏子は返す言葉も無かった。健から告白されているとはいえ、色よい返事をしていない杏子は、正式には彼女で無い。だが、積極的な健のアプローチを拒むほどには、健を嫌っては居ないのだ。
「貴方は遊びのつもりかも知れないが、誰もが貴方のように男女づきあいを軽く考えているわけじゃない。宮部は真面目な良いやつなんです。振り回すのはやめてやってもらえませんかね。」

またしても、杏子は佑の吐いた言葉の意味が分からなかった。まるで、杏子が宮部を弄んだように聞こえるのは、杏子の気のせいでは無いだろう。佑は間違いなく、杏子が悪女であると思っているようだった。
「やっぱり誤解がありますよ。私は、佑さんが思っているような軽い女ではありませんし、宮部さんのことも…、真剣でした。佑さんはご存じないのかも知れませんが、他に別の人が居るのは、私じゃ無くてむしろ宮部さんの方です。私は、身を引かせてもらった方ですから。」
いよいよ杏子も、謂われ無き責めを受けて、佑を咎めるような口調になってしまった。佑は、杏子の態度に気分を害したのか、唾でも飛んできそうな剣幕になった。
「あんたよりよっぽど宮部のことはよく知ってるよ!ふざけるな!あいつが二股なんてするわけないだろう。そんな余裕があるわけない!ずっと不幸続きで苦労してきたやつなのに、漸くいい人ができて良かったなって応援してたんだぞ!あんたみたいな碌でもない女を選ぶなんて、宮部も健も趣味が悪いもんだ。」

佑の言葉に、杏子は混乱の極みだった。もっと話を聞いてみたい気もしたが、それ以上とりつく島もなく、他の買い物客が入れ替わり立ち替わり店を覗いていったので、この上さらに佑に声を荒げさせるのは外聞が悪そうだと、杏子は諦めて立ち去った。
困惑した表情で杏子が本部テントに戻ると、杏子の様子に気がつかないのか、健はいつもの調子で話し出した。曰く、坂下家の面々が、今回のことでお礼をしたいらしく、来週の土曜の晩餐に招待したいとのことだった。杏子は、晩餐のことについても、朝市に招待してくれたことについても礼を言って、心ここにあらずと言った体で健と別れた。

その日の晩は、予定の豆ご飯を炊くこともすっかり失念して、杏子は佑の言葉を反芻していた。
佑の口ぶりからすると、どうやら、宮部は佑に対し、杏子に弄ばれて捨てられたかのように伝えているようだった。確かに、佑の言うように、宮部が二股などしていなかったのだとすれば、甘い関係が始まりつつあった杏子が、数日の海外出張の留守中に心変わりして、手のひらを返したように冷たい態度を取った挙げ句、すぐに別の男と親しげに名前で呼び合ったり、手をつないで市を巡っていたということになる。確かに、そう聞けば悪い女だ。しかし、実際には、宮部は二階を例の女に使わせており、留守中に女が上がり込むことが出来るほどに二人は親密な仲なのである。杏子が家について聞いたときも曖昧に誤魔化したし、出張中に杏子に鍵を渡すことにも消極的だったではないか。宮部は、意図的に、例の女の存在を、杏子に隠そうとしていたのだ。思えば、宮部は、出張に出る前の日、帰ったら一度話をしようと杏子に告げていた。お目出度い杏子は、てっきり正式に付き合おうと申し出てくれるものだと思い込んでいたが、もしかすると、女の存在を杏子に打ち明け、別れを切り出したかったのかもしれないとさえ、杏子は思うのである。
やはり、佑の勘違いで、佑は宮部を買いかぶっているのだと、杏子には思えてならなかった。よく知らない佑の言うことよりも、自分のこの目で見たことを信じない者がいるだろうか。宮部自身が言ったように、友人や隣人として善良な人物も、女癖が良いとは限らないのである。宮部の女にだらしない面を、佑が知らなかったとしても無理からぬことであると、そう結論づけて杏子は思案を止めたのだった。
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