君に捧ぐ花

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第八章 すれ違う心

第五十八話 怒れる男

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翌日曜日、例の如く眠れない夜を過ごした杏子は、スマホにセットしておいた8時のアラームを聞いて、渋々と布団から這い出た。重く冴えない頭と、しょぼしょぼと上手く開かない目に、よほどドタキャンしてしまおうかと何度も悪い誘惑に駆られたが、約束したのに健に申し訳無いという気持ちと、宮部のことを早く忘れるためにも健と会うべきであるという打算の心から、杏子はどうにか朝市に向かうことが出来た。

朝食と身支度を簡単に終えた杏子が、駅前広場に着いたときはもう10時近くなっており、すでに辺りは盛況だった。地場野菜、有機野菜などの登りが随所に立ち、年配の買い物客や子連れの若い夫婦などが、買い物袋をたくさん手に提げて思い思いの方向へ行き交っていた。店舗は20ほど出店しており、それぞれが仮設テントの下に商品をずらりと陳列している。どれも、スーパーなどで買うよりも2割ほど安いようで、朝獲れというポップが示すように鮮度も非常に良さそうだった。
杏子も、後で野菜や果物を買おうと思いつつ、まずは健を探すことにした。お目当ての人物は、主催本部と書かれたテントの下で、お揃いの緑色の法被を着た数名の同僚と、何やら作業をしているようだった。

「おはようございます。ご苦労様です。」
杏子が誰にともなしに挨拶をして本部のテントに入ると、健がすぐに駆け寄ってきた。
「杏子さん、来てくれたんだ!おはよう。」
「ずいぶん盛況でおどろいちゃった。私も買いたい物いっぱいあるの。すごく良い催しね。」
杏子が会うなり褒めると、何も健が考案したイベントではなかろうに、嬉しそうに頬を緩めてご満悦の様子である。
「でしょ!?杏子さん絶対気に入ると思ったんだ。ちょっと一緒に回ろうよ。」
そう言って、健は同僚に一言断りを入れ、杏子の手を取ってテントから出た。
これには動揺した杏子だったが、手をふりほどくのも躊躇われ、引っ張られるままに健の後をついて歩いた。

健は、日曜出勤のこの仕事が憂鬱であると溢していたが、実際には、出店者のことを大変に良く把握しており、この生産者はあれが得意だとか、あの店の何月頃のこれがおいしいのだと、杏子に詳しく説明して回った。杏子は、健と各店を回りながら、お勧めの空豆と碓井エンドウ、アスパラガスを購入した。杏子には、豆ご飯というとグリーンピースのイメージがあったが、こちらの地方では、碓井エンドウという品種の豆を使うらしく、皮が柔らかく甘みがあって格別の美味しさであると店主に力説されて、杏子は三袋も購入した。

今夜は豆ご飯と何のおかずにしようかなと杏子が思案していると、手を引いていた健が、とある店の前で足を止めた。
「兄さん。さっき言ってた僕の彼女、連れてきたよ。杏子さん、僕の二番目の兄です。」
杏子は耳を疑った。誰がいつ誰の彼女になったのか。
「健さん!彼女じゃ無いでしょ。いい加減なこと言わないで。」
「まぁ良いじゃ無い。そのうちそうなるって。」
のれんに腕押しとはこのことであると、杏子は呆れかえった。
健が兄と呼んだ男は、杏子がまだ会ったことの無かった次男であった。池田家の代表として出店を構えているようで、有機野菜、無農薬と銘打って多少器量の悪い野菜を並べていたが、どれも有機野菜にしては良心的な値段を付けていた。
次男は、健や保とは、また違った雰囲気を持っていた。まず、背が高い。宮部ほどではないが比較的高身長で、体格が良いというか小太りというか、とても大きな体の持ち主であった。顔立ちは、どちらかというと長男の保に似て、濃い印象を受けた。三人兄弟が、三者三様、こうも見た目が違うのかと、杏子は驚いた。しかし、もっと杏子を驚かせたのは、この人物が、先ほどから杏子を、まるで親の敵でも見るかのように、きつく鋭く睨み続けているという事実であった。

「兄と健がお世話になっているそうで。僕は次男の池田佑です。岡田杏子さんですね。ご挨拶にも来ていただいてたみたいで、嫁から聞いてます。」
低く、どこか凄むような言い方だと、杏子には感じられた。この人物は、何か自分に思うところがあるらしいと、どちらかと言えば鈍い杏子でも、はっきりと悟ることが出来た。
杏子が助けを求めようと、隣に立っていたはずの健の方を見れば、本部から呼びに来た同僚と何やら話し込んでいて、ちょっとごめんね、と杏子に言い置いて戻ってしまった。
仕方なく、杏子はまた佑に向き直った。杏子が何か言う前に、口火を切ったのは佑の方だった。
「一体、いつから健とそんな仲になったんですか?」
杏子には、まるで質問の意味が分からなかった。
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