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第十二章 Beyond the Truth
第百五話 狐と狸
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「さっきあんなに一人で喋ってたのに、まだ何か言い忘れたことでもあったか?」
エントランスを出た脇で、漸くガラス壁を隔てること無く対面した宮部は、含みも何も無く杏子にそう問いかけた。
「やっぱり、乗り遅れちゃった?」
宮部の問いには答えず、考えのまとまらない頭で思いつくままに口を開いた杏子は、宮部が目の前に居るというだけで、次第に鼓動が高まるのを感じた。
「まぁ、そんな感じ。」
そのYesともNoとも断じがたい返答の仕方の癖を、宮部本人は気付いているのだろうか。以前に、まぁ、そうですね、と宮部が言った時は、一人で家に住んでいるのかという杏子の問いをはぐらかしたときだった。そして今、まぁ、そんな感じと言った宮部の答えが、以前と同じにNoであるということを、杏子は確信していた。
「乗らなかったんでしょ。」
悪戯を言い当てられたときのような、それでいて悪びれず、どこか居直るような顔をして、宮部は肩を竦めて見せた。その仕草もまた、YesともNoともとれる曖昧なものであったが、そんなことは最早杏子には関係無かった。
「何か言い忘れたことがあるのは、宮部さんの方じゃ無いの?」
責めるでも無く、請うでも無く、ただ淡々とそう問うた杏子に、宮部も表情を消して、じっと杏子を見つめ返した。それはまるで、二匹の野生動物が、虎視眈々と相手の出方を見極めようとしているかのようであった。
沈黙が続き、それに痺れを切らしたのは杏子の方であった。
真奈美ちゃん、と杏子が呟くと、宮部の片眉がぴくりと跳ねたような気がした。それはあまりにも瞬時のことで、杏子の動体視力では確かに捉えることはできなかったが、宮部は杏子の用件に見当が付いたのかも知れなかった。
「真奈美ちゃんから、聞いたのよ。本物の、真奈美ちゃん。さっきメールが来て、全部、教えてもらった。」
ゆっくりと、はっきりと、杏子は宮部に事実を告げた。今度は表情筋を少しも動かすこと無く、宮部はそれを黙って聞いていた。
杏子の言葉が耳から入り、脳に伝わり、そして、理解をするまでに要する実際の時間よりも確実に長い間、宮部は黙って杏子を見つめ続けた。途方も無い真相を知った杏子が、果たして怒っているのか悲しんでいるのか、宮部はそれを見極めたいんだろうと杏子は感じたが、杏子は杏子で、宮部が本当に杏子を好きなのかどうなのか、それを見極めるべく宮部の動向に目を光らせたのだった。
やがて、ふふっと鼻で嗤った宮部は、どこか投げやりな調子で、そっか、と呟き、また口を閉ざした。
これに焦れた杏子は、いよいよ黙っていられず、自らの欲する答えを追い求めるべく、覚悟を決めて口を開いた。
「なんで、さっき黙って帰ったの?」
真奈美の名前を出してもなお、謝罪も説明もしない宮部が、自分の期待する愛の告白などしてくれるとは思われず、あまりのもどかしさに、杏子は責めるように問うた。宮部は、気まずそうに杏子から顔を背けるばかりで、何の返事もしなかった。
「もう、やめようよ。もう、いいでしょう。私たち、十分傷つけ合ったじゃない。もう、こんな狐と狸の化かし合いみたいなことは、やめよう。何のために、此処まで来てくれたの?なんで何も言わずに帰っちゃうの?それなのに、何で船に乗らなかったの?」
切なる杏子の訴えに、宮部はとうとう観念したと見え、杏子から顔を背けたまま、大きな溜息を一つつき、渋々と言った体で口を開いた。
「アメリカになんて行くな。」
こちらをちらりとも見ず、さも嫌そうに棒読みで吐いた言葉にしては、力強い響きを持っていたことに杏子は違和感を感じた。
「もう怒ってない。」
また、棒読みであった。先ほどよりも、さらに声量を増している。
「俺とやりなおそう。」
最後まで嫌そうにそう言い切った宮部は、ここに来て漸く杏子に向き直った。言葉の持つ意味とは裏腹に、てんで不機嫌でふてぶてしい宮部の態度に、杏子は呆然とするばかりである。
「…そう言いにきたけど、言わせなかったのは杏子だろ。俺が真奈美のフリしてたなんて知らずに、あんなに真奈美と俺に感謝して。せっかく俺のことを忘れられたんだろ。せっかくお母さんとも、うまく行きそうなんだろ。ボストンに行って仕事も頑張るんだろ。そうやって前を向いてるお前を見て、何も言えるわけ無い。邪魔できるわけ無い。そう思ったから、何も言わずに帰った。」
苦々しくそう言った宮部は、さらに眉根を寄せて、まるで杏子を責めるような目で睨んだのだった。
エントランスを出た脇で、漸くガラス壁を隔てること無く対面した宮部は、含みも何も無く杏子にそう問いかけた。
「やっぱり、乗り遅れちゃった?」
宮部の問いには答えず、考えのまとまらない頭で思いつくままに口を開いた杏子は、宮部が目の前に居るというだけで、次第に鼓動が高まるのを感じた。
「まぁ、そんな感じ。」
そのYesともNoとも断じがたい返答の仕方の癖を、宮部本人は気付いているのだろうか。以前に、まぁ、そうですね、と宮部が言った時は、一人で家に住んでいるのかという杏子の問いをはぐらかしたときだった。そして今、まぁ、そんな感じと言った宮部の答えが、以前と同じにNoであるということを、杏子は確信していた。
「乗らなかったんでしょ。」
悪戯を言い当てられたときのような、それでいて悪びれず、どこか居直るような顔をして、宮部は肩を竦めて見せた。その仕草もまた、YesともNoともとれる曖昧なものであったが、そんなことは最早杏子には関係無かった。
「何か言い忘れたことがあるのは、宮部さんの方じゃ無いの?」
責めるでも無く、請うでも無く、ただ淡々とそう問うた杏子に、宮部も表情を消して、じっと杏子を見つめ返した。それはまるで、二匹の野生動物が、虎視眈々と相手の出方を見極めようとしているかのようであった。
沈黙が続き、それに痺れを切らしたのは杏子の方であった。
真奈美ちゃん、と杏子が呟くと、宮部の片眉がぴくりと跳ねたような気がした。それはあまりにも瞬時のことで、杏子の動体視力では確かに捉えることはできなかったが、宮部は杏子の用件に見当が付いたのかも知れなかった。
「真奈美ちゃんから、聞いたのよ。本物の、真奈美ちゃん。さっきメールが来て、全部、教えてもらった。」
ゆっくりと、はっきりと、杏子は宮部に事実を告げた。今度は表情筋を少しも動かすこと無く、宮部はそれを黙って聞いていた。
杏子の言葉が耳から入り、脳に伝わり、そして、理解をするまでに要する実際の時間よりも確実に長い間、宮部は黙って杏子を見つめ続けた。途方も無い真相を知った杏子が、果たして怒っているのか悲しんでいるのか、宮部はそれを見極めたいんだろうと杏子は感じたが、杏子は杏子で、宮部が本当に杏子を好きなのかどうなのか、それを見極めるべく宮部の動向に目を光らせたのだった。
やがて、ふふっと鼻で嗤った宮部は、どこか投げやりな調子で、そっか、と呟き、また口を閉ざした。
これに焦れた杏子は、いよいよ黙っていられず、自らの欲する答えを追い求めるべく、覚悟を決めて口を開いた。
「なんで、さっき黙って帰ったの?」
真奈美の名前を出してもなお、謝罪も説明もしない宮部が、自分の期待する愛の告白などしてくれるとは思われず、あまりのもどかしさに、杏子は責めるように問うた。宮部は、気まずそうに杏子から顔を背けるばかりで、何の返事もしなかった。
「もう、やめようよ。もう、いいでしょう。私たち、十分傷つけ合ったじゃない。もう、こんな狐と狸の化かし合いみたいなことは、やめよう。何のために、此処まで来てくれたの?なんで何も言わずに帰っちゃうの?それなのに、何で船に乗らなかったの?」
切なる杏子の訴えに、宮部はとうとう観念したと見え、杏子から顔を背けたまま、大きな溜息を一つつき、渋々と言った体で口を開いた。
「アメリカになんて行くな。」
こちらをちらりとも見ず、さも嫌そうに棒読みで吐いた言葉にしては、力強い響きを持っていたことに杏子は違和感を感じた。
「もう怒ってない。」
また、棒読みであった。先ほどよりも、さらに声量を増している。
「俺とやりなおそう。」
最後まで嫌そうにそう言い切った宮部は、ここに来て漸く杏子に向き直った。言葉の持つ意味とは裏腹に、てんで不機嫌でふてぶてしい宮部の態度に、杏子は呆然とするばかりである。
「…そう言いにきたけど、言わせなかったのは杏子だろ。俺が真奈美のフリしてたなんて知らずに、あんなに真奈美と俺に感謝して。せっかく俺のことを忘れられたんだろ。せっかくお母さんとも、うまく行きそうなんだろ。ボストンに行って仕事も頑張るんだろ。そうやって前を向いてるお前を見て、何も言えるわけ無い。邪魔できるわけ無い。そう思ったから、何も言わずに帰った。」
苦々しくそう言った宮部は、さらに眉根を寄せて、まるで杏子を責めるような目で睨んだのだった。
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